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2012.06.18

各篇の年次順

池波さんは、当初、 『鬼平犯科帳』の連載を2年ていどで打ち切る予定にしていた。

その間に、在任中(足かけ8年前後)の物語を完結するつもりで年次を按配していたが、編集側や読者の強い要請で連載を引きのばすことになり、それまで書いたものの間を縫うように、新しい物語を補充していった。

これは、ひどく神経を使う作業であったことが、このリストからも読みとれる。
鬼平犯科帳』は、池波さんの代表作であるとともに、もっとも苦心を要した連載であったろう。

各物語の事件年次は以下のとおり。

●物語の年次

[1-1 唖の十蔵]      天明7年(1787)春から秋

[1-2 本所・桜屋敷]    天明8年(1788)小正月
[1-3 血頭の丹兵衛]    天明8年(1788) 10月
[4-3 密通]          天明8年(1788と明記)
                  11月末~12月

[4-4 血闘]          寛政元年(1789)早春
[4-5 あばたの新助]     寛政元年(1789)春~初夏
[5-3 女賊]          寛政元年(1789)初夏、梅雨
[1-4 浅草・御厩河岸]    寛政元年(1789)夏から秋
[1-5 老盗の夢]       寛政元年(1789)初夏から暮れ
[4-6 おみね徳次郎]     寛政元年(1789)夏から秋
[4-7 敵(かたき)]      寛政元年(1789)晩夏から晩秋
[4-8 夜鷹殺し]        寛政元年(1789) 9月から師走
[5-2 乞食坊主]       寛政元年(1789) 1 0月~12月
[5-1 深川・千鳥橋]     寛政元年(1789)秋から師走

[1-6 暗剣白梅香]      寛政2年(1790)初春
[5-4 おしゃべり源八]     寛政2年(1790) 2月
[1-7 座頭と猿]        寛政2年(1790)梅雨のあがった夏
[1-8 むかしの女]       寛政2年(1790)晩夏
[5-5 兇賊]           寛政2年(1790)秋
[5-7 鈍牛]           寛政2年(1790) 12月

[6-1 礼金二百両]      寛政3年(1791) 1月
[6-2 猫じゃらしの女]     寛政3年(1791) 1月~2月
[2-3 女梅摸お富]       寛政3年(1791)夏の陽ざし p97
[6-3 剣客]           寛政3年(1791)春


[6-4 狐火]           寛政3年(1791)夏         
[6-6 盗賊人相書]       寛政3年(1791)盛夏
[2-2 谷中・いろは茶屋]    寛政3年(1791)晩夏
[6-5 大川の隠居]       寛政3年(1791)初秋
[6-7 のっそり医者]       寛政3年(1791)初秋
[2-4 妖盗葵小僧]       寛政3年(1791)初秋から4年へ1年がかり
[7-1 雨乞い庄右衛門]     寛政3年(1791)秋
[2-5 密偵]            寛政3年(1791)初冬(12月) p 196

[7-2 隠居金七百両]      寛政4年(1792)正月~翌5 (1793)年夏 p41
[7-3 はさみ撃ち]        寛政4年(1792)初春 p75
[2-1 蛇の眼]           寛政4年(1792)の初夏村田銕太郎昌敷
                                  が寄場奉行
[7-4 掻堀のおけい]       寛政4年(1792)晩夏
[2-6 お雪の乳房]        寛政4年(1792)晩秋 p 237
[7-5 泥鱈の和助始末]     寛政4年(1792)秋・暮れ~正月 p144
[2-7 埋蔵金千両]        寛政4年(1792)末~5年の年初 p268


[7-6 寒月六間堀]        寛政5年(1793) 1月
[3-1 麻布ねずみ坂]       寛政5年(1793) 2月上旬
[7-7 盗賊婚礼]          寛政5年(1793) 2月                      
[7-7 用心棒]           寛政5年(1793) 2月
[3-2 盗法秘伝]          寛政5年(1793)春([女賊] p120 )
[3-3 艶婦の毒]          寛政5年(1793)春 p75
[3-4 兇剣]             寛政5年(1793)晩春 p161
[3-5 駿州宇津谷峠]       寛政5年(1793)初夏 p214
[3-6 むかしの男]         寛政5年(1793)初夏
[8-2 あきれた奴]         寛政5年(1793)梅雨~12月
[4-1 霧の七郎]          寛政5年(1793)梅雨の明けた夏
[8-3 明神の次郎吉]       寛政5年(1793)夏
[8-4 流星]             寛政5年(1793)7月 
[8-5 白と黒]            寛政5年(1793)晩夏
[4-2 五年目の客]         寛政5年(1793と明記)秋
[8-6 あきらめきれずに]      寛政5年(1793)秋
[8-6 雨引の文五郎]        寛政5年(1793)秋
[9-2 鯉肝のお里]         寛政5年(1793)晩秋
[9-3 泥亀(すっぽん)]      寛政5年(1793) 10月


[9-4 本門寺暮雪]        寛政6年(1794) 正月
[9-5 浅草・鳥越橋]        寛政6年(1794) 2月
[4-5 あぱたの新助]       寛政6年(1794)春~初夏
[9-6 白い粉]           寛政6年(1794)春の終わり
[9-7 狐雨]             寛政6年(1794)晩春

[10-1 犬神の権三]        寛政6年(1794)初夏
[10-2 蛙の長助]         寛政6年(1794)初夏
[10-3 追跡]            寛政6年(1794)初夏
[10-4 五月雨坊主]       寛政6年(1794)盛夏~翌年夏
[11-3 穴]              寛政6年(1794)夏の終わり
[10-5 むかしなじみ]        寛政6年(1794)秋      
[5-6 山吹屋お勝]         寛政6年(1794)秋
[10-6 消えた男]          不明
[10-7 お熊と茂平]         寛政6年(1794)秋
[11-1 男色一本儡鈍]       寛政6年(1794)秋
[11-2 土蜘蛛の金五郎]      寛政6年(1794)秋
[11-4 泣き味噌屋]         寛政6年(1794)秋
[11-5 密告]             寛政6年(1794)秋
[11-6 毒]              寛政6年(1794)師走
[11-7 雨隠れの鶴吉]       寛政6年(1794)秋から翌年正月

[12-1 いろおとこ]          寛政7年(1795) 2月
[12-2 高杉道場・三羽烏]     寛政7年(1795) 2月
[12-3 見張りの見張り]       寛政7年(1795)
[12-4 密偵たちの宴]        寛政7年(1795)春~10月
[12-5 二つの顔]          寛政7年(1795)花も散った春
[12-6 白蝮]             寛政7年(1795)晩春から夏

             ★この年の5月10日、平蔵病死(史実)

明日からの[おまさ誘拐]の事件は、寛政6年(1786)にはじまらないとつじつまがあわないことを、このリストでお確かめを。

文庫巻12からは平蔵の死後であることを池波さんも承知で書き進めている。

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2011.12.31

2011年を通じての重要コンテンツ12編

7年有余のあいだ、1日も欠かさずに書きつづけたブログです。
大晦日-----骨休めのつもりで考えたプランなのに、かえって、大仕事になりました。
ご笑覧くだされば、笑い納めにも。


1月22日~〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵 () () (


2月8日~田沼意次の世小子選び () () () (


3月5日~与板への旅 () () () () () ()  (9)  ((10))  (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) 


5月26日~若い獅子たちの興奮 () () () 


6月4日~辰蔵の射術 () () () () () () () (


7月9日~奈々という乙女 ()() () () () () () () 


7月21日~天明3年(1783)の暗雲 () () () () () () () (


8月9日~女中指南役のお栄えい


8月29日~新しい命・消えた命 () () (


9月2日~平蔵、西丸徒頭へ昇進 () () () () (


9月9日~駿馬・月魄(つきしろ) () () () (


10月21日~奈々の凄み () () () (


11月13日~お通の恋 () () () (

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2011.12.30

2011年を通じて

2011年もあと1日。
ことし1年、ありがとうございました。
81.6歳にしては、まあ、1日も欠かさずに、よくつづけられたとおもいます。

毎日の時間は、ほとんど、史実と資料しらべについやしてきました。
その結果、自分でもよくやったとおもえるコンテンツをリストアップしてみました。

年1回のわがまま、年齢に免じてお許しください。


1月3日~おみねに似たおんな () () () () () () () (


1月15日~今助(いますけ)・小浪(こなみ)夫婦 () () (


2月28日~西丸の重役 () () () () (


4月25日~〔宮前(みやまえ)〕の徳右衛門


5月29日~お乃舞(のぶ)の変身 () () (


6月17日~辰蔵の失恋 () () () (

 
6月29日~おまさのお産 () () () () () () () () () (10)


7月29日~辰蔵のいい分 () () () () () () () () () (10) (11


8月20日~辰蔵と月輪尼(がちりんに) () ()() () () () () () (


9月21日~札差・〔東金屋〕清兵衛  () () () (

明日もこのつづき。


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2010.02.07

元締たちの思惑(4)

「化粧(けわい)の品々---白粉、口紅、黛(まゆずみ)、香油、鉄奨(かね)、鬘(かつら)や、売薬のように利幅の大きい品は、売りが風評にされやすいてから、目はしのきいた店主なら、お披露目(広告)の大切さをよく知っているはず。京都でわかったことはお披露目の効きもすばやくあらわれるということ。だから、そういう店にすすめるとよろしい。しかし、売薬の選定には注意が必要。効かなかったという風評のつたわりも速い---」

元締衆は笑ったが、実務を仕切る小頭たちは笑わなかった。
それを見定めて、平蔵(へいぞう 28歳)は、いけそうだと判断した。

音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうええもん 47歳)の新造・お多美(たみ 32歳)が、微笑みながら口をはさんだ
「帰らはってから、姐(あね)さんや近所の若いむすめっ子に訊いてみはったらよろしおす。月のものはきちんときてるか? そんとき苦労はないか? 冷え症か? 頭痛は? 肌荒れは?---いうて」

元締たちが顔を見合わせてうなずきあった。
愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 43歳)が、小頭は残り、元締衆は席を変え、近くの〔弁多津〕で手打ち---と提案したので、元締たちは出ていった。

ちゅうすけ注】芝・神明前の小料理屋〔弁多津〕は「のっぺい汁」が名物と、『鬼平犯科帳』巻6[礼金二百両]p24 新装版p25 に初紹介された。
筆頭与力・佐嶋忠介のなじみの店なので、元締衆と鉢合わせしたかも。
もっともこのとき、佐嶋は、先手・弓の1の組の平与力で、火盗改メではないから、江戸城の五門のうちのいずれかの門の警備を指揮していたはず。
非番で、呑みにきていたという線もないではない。

残った小頭たちに、お多美が化粧指南師の手習いは、15日あとからはじめるから、それまでに指南師を置く白粉店のお披露目枠をうめておくように言い、自分も〔弁多津〕へ移った。
多美を案内するとの口実をつけて、〔耳より〕の紋次(もんじ 30歳)も抜けた。

化粧指南の版木は京都からくること、お披露目枠はおのおのの元締分ごとに1枠1両2分(24万円)で、計8枠12両(192万円)、元締方の取り分は2割の2両1分3朱(38万3000円)で、お披露目の板木彫り料はその中から支払うこと、と説明すると、
「なるほど。同じ店がつづけたほうが、われわれの板木彫りの手間賃が浮くってことでやすね」
於玉ヶ池(おたまがいけ)の伝六(でんろく)が早速に理解した。
「元締衆は、そういう細かいところまでには気がまわらないだろうから、手下の若いのを一杯呑ますぐらいの小銭は浮く」

「もう一つ---お披露目の板木彫り師の引きあわせとかなにやかやの相談料として、紋次どのに1板につき1分(4万円)ずつ、元締からとしてわたしてやってもらいたい。その半分の2朱(2万円)は、板元の〔箱根屋〕が戻す」

平蔵は、腹の中では板元の〔箱根屋〕の権七(ごんしち 41歳)に、きちんとお披露目枠の代金を持参した小頭へは、2分(8万円)の報償金(ほうびがね)を出すようにいうつもりであったが、この場では口にしなかった。

平蔵が隠してしておいたことがもう一つ、あった。
京都の〔左阿弥(さあみ)〕の角兵衛が最新板としてとどけてくれた〔みやこ板・化粧読みうり〕である。

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(佐山半七丸『都風俗化粧伝』 東洋文庫から合成)

いつものものが2枚あわさった大判で、[細い目のときと、大きすぎる目の化粧法」をのべたものである。
おそらく、次は、目じりの下がったのと上がったのを出すであろう。
それほど、お披露目枠の申し込みがふえているということである。
江戸では、夏祭りのころの特別号外としよう。


        ★     ★     ★

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『週刊池波正太郎の世界 9』[真田太平記 二]が贈られてきた。
上田市の『真田太平記記念館』は4度訪問したし、別所の湯には3回入った。
しかし、上田市というと、真っ先にうかぶのは、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助であるのは、どうしたことであろう。
「忍びのもの」という言葉より、「軒猿」のほうになじんでしまった。困ったものだ。

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2010.02.06

元締たちの思惑(3)

「現物を見ないと、ご納得がいきますまい」
長谷川平蔵(へいぞう 28歳)は、話し終わって気をたかぶらせている松造(まつぞう 22歳)に、
「例のものを---あ、背の低いのを、のほうだけでいい」

3日前に速飛脚便で届いたばかりの[みやこ板・化粧(けわい)読みうり]を、松造が全員に配りおえると、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 47歳)の内儀のお多美(たみ 32歳)に、
「先日、お預けした[よみうり]をお持ちいただいていたら、こちらへ---」
声をかけ、受けとった。

「おのおの方、いまお配りしたのは、拙が江戸へもどってからも、祇園の〔左阿弥(さあみ)〕の角兵衛(かくべえ 40がらみ)どのが板行なさっているものの、18番目の[読みうり]です」

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(佐山半七丸『都風俗化粧』(東洋文庫)より)

「18番目といわれたが、何か月のあいだに?」
訊いたのは、〔於玉ヶ池(おたまがいけ)〕の伝六(でんろく 32歳)であった。
「拙が京へ上ったのが去年の9月、第1板をだしたのが師走だったから、まる10ヶ月で---」

「江戸でもその調子でお考えでやすか?」
これは、〔丸太橋(まるたばし)〕の元締のむすめ婿の雄太(ゆうた 39歳)。
「それは、板行してから、おのおの方が決めることです」

「この、背の低いのを---という内容は、どうやって選んだのでやすか?」
木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 26歳)ものってきた。
今助の女房の小浪(こなみ 34歳)とは面識がある。
「さあ、そのことにつていては〔左阿弥〕の二代目はなんにもしらせてはきていないが、この前の板で背の高いのを---というのが人気があったからではないかな。〔音羽〕のご新造どの。この話題は、若いおんなには興味がありそうですか?」

多美は、化粧指南師の卵を育てる役を買ってでている。
「髪型、化粧、着るもの---自分がきれいに見えることに興味をもたへんおんなは、一人もいはらしまへんえ」
とつぜん、京ことばで答えられ、みんなは〔音羽〕の重右衛門が、祇園の〔左阿弥〕の元締のところで修業していたことを、あらためておもいだした。
その〔左阿弥〕がかかわっている[化粧読みうり]の意味もおぼろげに理解した。

重右衛門がはじめて口をきいた。
「お多美のきれいなもの、芸についての目のたしかさを、長谷川さまがお認めくださり、上野一帯をシマの〔般若(はんにゃ)〕の猪兵衛(ゐへえ 26歳)元締が、湯島天神の寄りあいの間を、化粧指南師の習いどころとして手当てしてくださった。猪兵衛どん、あらためてお礼をいわせてもらいます」

参照】2010年1月17日[お逢対の日] () (

重右衛門が頭をさげたので、ほかの元締衆や小頭たちも、口々に謝辞を送った。

「ところで、元締衆および小頭の方々にとって、いちばん肝心なことは、お披露目枠を1年通して買い占めてくれる店を、しっかりとつかむことです。[化粧読みうり]のお披露目が効くという噂は、3板もでないうちにひろまるが、第1板がでないうちにそれを信じてくれる店をみつけなければならない。効き目は、京の〔紅屋〕と〔延吉屋〕が証人になってくれるはずだから、問いあわせ飛脚を送らせるようにすすめていただきたい」

「風評をつくるということでやすな」
丸太橋〕の雄太がつぶやいた。

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2010.02.05

元締たちの思惑(2)

顔ぶれが揃ったところで、この家の主(ぬし)で勧進元格の〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 43歳)が声をかけた。
「そろそろ始めたいので、お席へ、どうぞ」

伸蔵の嫡男・伸太郎(しんたろう 23歳)が、新しい座布団を壁ぞいにならべ、その後ろにいままで使われていたのを裏返して置いていった。

どういうふうに席につくのか、興味津々の平蔵(へいぞう 28歳)は、指定された伸蔵元締の右手から眺めていると、反対側には、顧問格の〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 46歳)、そのうしろに新造のお多美(たみ 32歳)、さらにうしろに小頭・〔大洗(おおあらい)〕の専二(せんじ 35歳)がかしこまった。

その隣は、関取ふうの巨躰の〔薬研堀(やげんぼり)〕の為右衛門(ためえもん 50歳)で、うしろに小頭・〔於玉ヶ池(おたまがいけ)〕の伝六(でんろく)。

次が浅草・今戸の一帯をしきっている〔木賊(とくさ)〕の2代目を継いで2年ほどになる今助(いますけ 26歳)で、小頭は〔銀狐(ぎんこ)〕の乙平(おつへい 31歳)。

つづいて山下・上野広小路一帯を預かっている〔般若(はんにゃ)〕の猪兵衛(いへえ 26歳)と小頭代理の〔黒門町(くろもんちょう)〕の儀助(ぎすけ 24歳)が、席が高すぎるといった落ち着かない表情で坐った。

丸太橋(まるたはし)〕の元締の代理ということで、自ら末席についたのは、元締のむすめ婿・雄太(ゆうた 39歳)と、2番手の小頭・千吉(せんきち 26歳)であった。

要するに席は、元締になった年次順にしたがっていた。
(城内の秩序と変わらないな)

平蔵は、一癖ありそうな元締衆と小頭たちを見わたし、火盗改メの頭になったとして、与力を元締、同心を小頭とおもい、統御していく修練の場とおもうことにした。

さて、平蔵側の隣には、板元を引き受けさせられた駕篭屋の主・〔箱根屋〕の権七(ごんしち 41歳)。
羽織姿で坐っていると、なかなかの貫禄で、箱根の雲助あがりとはとても見えない。

つぎの〔耳より〕の紋次(もんじ 30歳)は、名だたる元締衆と同席して興奮しているが、早めに来て、ちゃかり売りこんでいたから、これからは、自分のところの〔読みうり〕のネタ元には困らないであろう。

平蔵は、伸太郎を招き、うしろに松造(まつぞう 22歳)の席をしつらえさせ、玄関脇の部屋で待機しているのを呼んもらった。

松造が席につくと、伸造元締が簡単にあいさつをし、左手のお歴々は互いに存じよりの者ばかりだからと、右の平蔵松造を紹介し、つづけて権七紋次に流した。

長谷川さま。ご説明ください」
愛宕下〕にうながされ、平蔵は組下の与力・同心たちに言いわたす気分になって、
「これからのことは、ここだけの話にとどめていただきたい。じつは、京都で、祇園の〔左阿弥(さあみ)〕の元締どのと組んで、〔化粧(けわい)読みうり〕を板行したのは、お披露目枠を売ってお足を稼ぐのが目あてではなかったのです。あ、紋次どの。あと半年、くれぐれもこのことを書かないでもらいたい。
じつは、ある役所の不正をあばくために、不正をしている役人の家族---といっても、おんなたちですが、化粧指南師のところへおびき寄せ、不正のしっぽをつかむのが目的であった」

元締衆の目の色が変わり、みんな、身をのりだしてきた。
とりわけ、目を輝かせたのが、〔於玉ヶ池〕の伝六であった。

「ところが、お披露目枠の奪いあいが起きただけで、不正役人の家族はひっかかってこなかった。武士の商法とはよくいったもので---」

聞いていた側に軽い笑い声がひろがった。

「つまり、拙は、父孝行ができなかったのです」
権七が言葉を足した。
「ご承知とおもいますが、長谷川さまのお父上は、目黒・行人坂の火付け犯をお挙げになり、京都町奉行におなりにったお方です」

「放火犯人を挙げるより、役人の不正をあばくほうがもっと難しいということです。まあ、行人坂の火付け犯の逮捕も、こちらの伸蔵元締どののお力のほうが大きかった。ことほどさように、いまの武士は質が落ちている」

みな、うなづいて、いやらそうしてはいけなさそうやらで、困った表情をつくった。

「〔化粧読みうり〕のお披露目枠の扱いを〔左阿弥〕の2代目・角兵衛どのに一手におまかせした。そのときの角兵衛2代目について見聞したのが、ここにひかえている松造です」

松造が、角兵衛の切きりだし方をなぞった。
「まず、しょっぱな、四条通り麩屋町東入ルの大店(おおだな)・〔紅屋〕平兵衛方へへえっていって、旦那にお目にかかりてえ、〔左阿弥〕の2代目が、お店(たな)のお得になる話をもってめえりやした---と、こうでさあ。いえ、若元締は、はんなりした京ことばでおやりになりやしたが---」

「〔紅屋〕は、〔左阿弥〕の縄ばり内にあったらしく、角兵衛さんの顔を見た番頭は、すぐに奥座敷へ招じやした。
江戸でご身分のあるさるお方が、京洛で只の〔読みうり〕(フリーペーパー)を板行するにあたり、そのお披露目枠の権利を、父の円造におまかせになった。
〔読みうり〕の内容は、おんなたちに、綺麗になる方便(ほうべん)を指南するもので、刷り数は、とりあえず2000j枚、くばるのは、〔左阿弥〕が取り仕切っている祇園社と清水寺さんの縄ばり内でだしている仮店が、齢ごろのおんな客に手渡す」

「で、お披露目枠だが、8枠しかねえんで、ご近所のよしみで真っ先に〔紅屋〕さんへ話をもってきた。8枠全部をさしあげてえが、それではこちらさんの引き札(広告チラシ)になってしまい、真実味がうすくなる。どうだろう、半分の4枠でこらえてもらえねえだろうか---こうでさあ」

小頭たちが感心したように、聞き入っていた。

参照】2009年8月22日~[〔左阿弥〕の角兵衛] () (


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2010.02.04

元締たちの思惑

京・祇園の〔左阿弥(さあみ)〕の2代目元締・角兵衛(かくべえ 40がらみ)のところへ行(や)った万吉(22歳)・啓太(20歳)からの、待ちわびていた速飛脚便がとどいたのは、2日前であった。

すでに19板刷られている[みやこ板・化粧(けわい)読みうり]の板木はすべてのこっているとともに、最新板とその前の板の刷りあがりが20枚ずつ、添えられていた。
板木は、3荷にわけて中山道の便に託したが、20板まで板行したら始めの板に戻すことを、〔紅屋〕〔延吉屋〕とも話しあって決めたので、江戸で使いおわったら、また送りかえしてほしいとも記されていた。
しっかりした筆づかいだから、角兵衛の手によるものと、平蔵(へいぞう 28歳)は判じた。

荷送りを中山道にしたのは、これから冷雨の多い時期に入るから、川止めを避けたのである。、

追って書きに、〔延吉屋〕の化粧指南師のお(かつ 32歳)どのが、江戸へ帰りたがっている、とあった。
(江戸へ帰りたがるって、〔狐火きつねび)のお頭から許しがでるはずはなかろうに---それとも、自活に自信がもてたか)
平蔵は小さく舌うちした。

参照】2009年8月24日~[化粧指南師お勝] () () () () () () () () (

とどいた最新板のうち20枚を若党・松造(まつぞう 22歳)にもたせ、芝・北新網町の〔愛宕下(あたごした)〕の元締・伸蔵(しんぞう 43歳)の家へ向かった。
板元を引きうけた駕篭屋の親方〔箱根屋〕の権七(ごんしち 41歳)と、相談役の両国広小路の〔耳より〕の紋次(もんじ 30歳)とは、伸蔵宅で落ちあう手はずにしてあった。

北新網町へついてみると、予定していなかった新顔を、紋次がともなっていた。
両国橋西詰・広小路から柳原土手、柳橋一帯をしきっている〔薬研堀(やげんぼり)〕の為右衛門(ためえもん 52歳)と、小頭・〔於玉ヶ池(おたまがいけ)の伝六(でんろく 27歳)と紹介された。
伝六は、.為右衛門元締が若いときから小泉町に囲っていた妾・お(きょう)に産ませた子だと、あとで聞いた。
は、20年近く前に病死したので、元締の家に引きとられて育ったという。

「〔音羽(おとわ)の若元締のすすめで、一口、のせていただくことにいたしやした」
相撲取りのような体格の為右衛門は、殊勝にも、平蔵に頭をさげた。
伝六は、見すえるように平蔵をみつめただけであった。

「小頭。これから談合するのは、まったく新しい生業(なりわい)の手だてでやす。素直にうけとらねえと、ことがもつれやす」
見かねたらしい〔愛宕下〕の伸蔵が、やんわりとたしなめた。
「わかっておりやす。そういう新しいことを考えだしなすったのがお武家さんだということなんで、どんなお人かとおもったら、あっしとどっこいどっこいのお若い方なんで、世の中、変わったと、つい、考えこんでしまって---失礼のほど、ごめんなすって」

「小頭どのは、お幾つにおなりで?」
平蔵がこだわらずに話しかけた。
味方にしなくてもいいから、敵にはまわすな---お竜(りょう 享年33歳)の口ぐせの一つであった。
「27歳のかけだし者でやす」
「小頭どの。これからの世の中は、年齢でわたるのではありませぬ。知恵でわたります。拙はいま、28歳です。この案は、去年、京都にいたとき、〔左阿弥〕の元締といっしょにおもいつきました。小頭も、ことの次第がのみこめたら、もっといい案をつくりだされるあろう」
「知恵でわたる?」
「あとで、顔が揃ったらあらためて話しますが、これは、風評をつくり、つくった風評を金にかえる策なのです。そのもとは、お隣の紋次どのがすでにやっていることを手直ししただけです」

伝六は、意外なものを見るような目つきで、〔耳より〕の紋次をみた。
これまでは、ケチな〔読みうり屋〕としか見ていなかったが、同年輩の平蔵に、風聞を金に変えているいわれ、たしかに、噂話を売って身すぎをしている男にちがいないとおもえてきたらしい。、
見方を変えると、人間の評価まで変わる。


       ★     ★     ★

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週刊『池波正太郎の世界8』[仕掛人・藤沢梅安 二]が贈られてきた。
1週間が「アッ」というまだ。
梅安は、藤枝の旧東海道筋の神明さんの門前の榎の巨樹の下の桶屋の子としての生まれだから〔藤沢姓〕。

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(藤枝宿・神明社 幕府道中奉行制作『東海道分間延絵図)

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(現在の神明社)

いま行って見ると、榎の巨樹ではなく銀杏の古樹である。

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2010.01.11

府内板[化粧(けわい)読みうり](4)

松造紋次兄ィを送りがてら、〔左阿弥(さあみ)〕の角兵衛どのの、お披露目をすすめる口説き上手の話を聞かせてあげな」
平蔵(へいぞう 28歳)が目で合図をおくると、松造(まつぞう 22歳)はうなずき、さっと立っていった。

〔耳より〕の紋次(もんじ 30歳)がいなくなると、駕篭屋の親方・〔箱根屋〕の権七(ごんしち 41歳)が、さも心からのような深い声音(こわね)で、
長谷川さまは、上方でどえらい修行をなさってきやしたね」
「なんの話かな?」
「風声(うわさ)を金(きん)に変えてしまう手だてのことでやす」
「歩(ふ)は金(きん)になるさ」
「冗談ごとでなく---」

権七どの。他人ごとではなく、板元はそなただ」
「えっ?」
「1板出るごとに、どんなに少なくて見積もっても、5両(80万円)という利がころかりこんでくる。4人の元締が仲間入りすればその4倍---」
「げっ、20両---」
「うまくいけば---だが」
「ものを売り買いすれば儲かることもあるのはわかりやすが、風声を売って儲かるとは---」
「風声を売るのではなく、風声を創るから、創ってほしい側が喜んで金を出す」
権七には、平蔵が説いていることの半分ほどしか、納得したふうではなかった。
(じっさいに小判を手にすれば合点がいくだろう)

平蔵がクギをさした。
「とりあえず、板木をとりに、万吉啓太を京へのぼらせ.る。その旅費と、早飛脚賃は、その利の中からはらってもらうことになる」
「ええ、ええ。利の半分は、長谷川さまにさし上げます」
「かたじけない。それで、〔駕篭徳〕への支払いもすませられる。正直言って、父上の役高1500石がなくなって、ふところは火の車に近い」
「では、[読みうり]の純利の7割をおとりください。3割は、まさかのときの用に貯めておきます」
「欲のないところが、権七どののいいところだ」
「こんなときにお誉めいただいても、うれしゅうはありやせん」
「はっ、ははは」
「あは、ははは」

長谷川さまが風声を創ってお売りになるのだとしますと、あっしのこの駕篭屋商売は、楽(らく)を売っているんでしょうかね?」
「そうとも見えるが、じつは、刻(とき)を売っているのではないかな」
「刻を売る?」
「人はみな、ひとしく、1日に12刻(24時間)しか持たされていない。自分で歩けば小半刻(30分)かかるのに、〔箱根屋〕の駕篭に乗ればその半分の刻で行ける。つまり、それだけ刻をトクするわけだ」
「なるほど。そうしますと、駕篭屋稼業もけっこう人さまのお役に立っているわけでやすな。舁(か)き手どもに、そう教えてやりやしょう。なるほど、刻を売る---ねえ」

三ッ目通りの屋敷の隅にしつらえられた15階段を、鉄条入りの振り棒を振ったり薙いだりしながらの朝の日課をこなしていたとき、〔箱根屋〕の若い衆が、〔駕篭徳〕との話がついたので、きょうから加平(かへえ 23歳)と時次(ときじ)の兄ィ組がつめていると伝えてきた。

報らせがくるときというのは奇妙に重なるもので、書物奉行・長谷川主馬安卿(やすあきら 55歳 150俵)からも、とりあえず、第1信をお入れすると、小者が書状をとどけてきた。
今後のこともあるので、多いとはおもったが、駄賃をふんぱつして、1朱(1万円)つつんだ。
小者は、大喜びで帰った。

奥村内蔵允矩永(のりなが)どの。明和6年正月20日歿。36歳。書院番士。600石。内室は菅沼次郎右衛門武勝(200石)の次女」

平蔵の目は、菅沼の文字に釘づけになった。
(まさか。話がうますぎはしないか)

翌日は、夏目藤四郎信栄(のぶひさ 22歳 300俵)と、一橋北詰の料理茶屋〔貴志〕で会うことになっている。
信栄の内室も、菅沼攝津守虎常(とらつね 59歳 2000石 日光奉行)の三女・於菸都(おと 20歳)と聞いた。

〔貴志〕の女将・里貴(りき 30前後)が菅沼から奥村家への帰嫁であれば、於菸都とも従姉妹ということで、知り合いであっておかしくない。


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Photo
(奥村内蔵允矩永の個人譜)


ちゅうすけ注】菅沼にこだわっているのは、平蔵宣以より、むしろ、ちゅうすけのほうかもしれない。
ちゅうすけは、宮城谷昌光さんの『風は山河より』(新潮社)にいたくほれ込んだ。で、単行本5冊をそろえているのに、昨年晩秋に文庫化xされるや、迷わずに全巻購った。出先へ携行する---との口実をもうけて。何度でも、折にふれて読み返すつもりなのである。すでに2読目を終えた。

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小説の菅沼家の中心は、野田菅沼て゜、きょうの菅沼は、紀州侯iに配され、吉宗の江戸城入りにしたがった長篠菅沼の分流である。
紀州へ移った長篠菅沼の分流の一つが田沼意次につながっていることを、静岡のSBS学苑[鬼平クラス]の安池さんが追っていることはすでに報告した。

ついでだから、紀伊長篠の分流の一つ---俊弘と、その末の定勝のむすめの家譜を掲げる。

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2010.01.10

府内板[化粧(けわい)読みうり](3)

初瀬川(はつせがわ)さんが?」
〔耳より〕の紋次(もんじ 30歳)がそう呼んだとき、松造(まつぞう 22歳)は泰然としている平蔵(へいぞう 28歳)をちらりとたしかめ、おおよそのところを推察した。

紋次さん。〔左阿弥(さあみ)〕の元締さんは、傘下のそれにふさわしい仮店に、100枚ずつ渡し、10文で売らせなさったんです」
「10文で---」
「店々の稼ぎというより、::景物紙(フリー・ペーパー)として軽くあつかわれるのを防いだのです」
平蔵が言い足した。

「なるほど。まあ、江戸では、[読みうり]はゼニをだして読むものときまってやすがね。それより、これまでの板木はどうなっていやす?」
「さて---」
「取り寄せれば、その分、彫り代が浮きやす。彫り師の手間は、上方より江戸のほうが高い」
「急ぎ飛脚をたてて、問い合わせてみよう」

「で、あっしの取り分は?」
訊いた紋次の目をじっと瞶た平蔵が、
「ゼニのこともあるが、お披露目枠を扱うというか、傘下の仮店に売らせるのが、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 46歳)元締、〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 43歳)元締、浅草・今戸の〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 26歳)元締---あと、話がつくのが、ここ、深川の〔丸太橋(まるたばし)〕の源次(げんじ 57歳)元締、上野山下から広小路の〔般若(はんにゃ)〕の元締などが寄って話し合いをなさる席にはべられるとしたら---?」
「えっ? まことでやんすか?」
紋次どのの胸ひとつ」
「乗らせてもらいやす。ゼニ金じゃありやせん」

紋次どの。なにもタダとは言いませぬ。それぞれの元締さんから、1板ごとに取りまとめ賃を1分(4万円)ずついただいても、4人の元締さんで1両(16万円)にはなる話です」
「すげえ」

「もっとも、実るか実らないかは、これからもお披露目枠がうまるかどうかにかかっています」
「実らせてえ。ぜひ、実らせてくだせえ」

紋次にとっては、各盛り場を取り仕切っている大物の元締たちと顔がつながるだけでも、仕事の将来に大きな得になることは目に見えている。

しかも、その席で、[読みうり]の識者として遇される。
こんなうまい話は、めったにあるものではない。
躰が宙に浮いたかとおもえるほど、興奮した。

「で、どうでやしょう? [化粧読みうり]の頭に、[今風]とか、[みやこ風]とかつけたら---」
「いい思いつきです。元締衆の前で、持ち出してください」
「きっと---」

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2010.01.09

府内板[化粧(けわい)読みうり](2)

松造(まつぞう 22歳)が、〔耳より〕の紋次を伴って入ってきた。

平蔵(へいぞう)と〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 41歳)は、それまでつづけていた料理茶屋〔貴志〕の話題をさりげなく閉じた。

紋次どの。知恵をお借りしたい」

ちょうど折りよく、使いに行かせた小者が、2枚板にはさんだみやこ板[化粧(けわい)読みうり]を持って帰ってきた。

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(佐山半七丸『都風俗化粧伝』東洋文庫より)

手渡された紋次は、さすがにその道に通じている者らしく、どの板にも、お披露目枠に〔小町紅〕と窯元白粉〔延吉屋〕がでんと居座っているのを指して、
「この枠の買い切り料はいかほどです?」

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松造、覚えておるか?」
平蔵の問いかけの真意を察し、
「8枠のうちの半分の4枠を独り占めでしたから、6両(96万円)でした」
5割、下駄---というより高下駄をはかせて応えた。

参考】2009年8月22日[〔左阿弥(さあみ)〕の角兵衛] (

「これっぽっちで、6両!」
さすがの権七も、驚きの声をあげた。
紋次は落ち着いていて、
松造さん。刷り数は何枚ですか?」
「2000枚」
「ふむ。で、紅屋さんの売り上げの伸びは?」
「ならすと、1板ごとに5割増しの60両(960万円)以上と聞いたような」
「化粧の品や薬は、原価の9層倍というから、もとは充分にとれている。それで、紅屋へお披露目枠を持ち込んだのは?」
「祇園一帯をシマにしている〔左阿弥(さあみ)〕 の元締二代目・角兵衛さんです」
「元締の扱い手数料は?」

これには、平蔵が答えた。
「お披露目枠料の2割」
「とすると、お披露目枠全部で12両だから、2両1分2朱ちょっと。〔左阿弥〕の若元締が、それっぽっちの金のために動きますかねえ」
紋次の読みは、さすがに鋭い。
しかし、平蔵はけろりとして、
「8枠のうちの4枠は買いきりみたいなものだし、お披露目したがている店舗のほうから若元締のところへ頼みこんでいたくらいくでな」
「なるほど。濡れ手に粟って感じ---」
「お披露目したがっている店舗をこなすために、月に2板も板行する始末でな」

「絵は?」
「狩野派くずれの町絵師・北川冬斉。なんでも、祇園や北野天神前にできている新顔の色町の売れ妓(こ)を描いてやって、その妓からの袖の下が大きかったらしい。しかし、紋次どには、こころやすい絵師が---」
「ああ、奇泉師匠のことを覚えてくだってやしたか」

参照】2008年8月12日[〔菊川〕のお松] (11

「ご健勝かな?」
「もちろん。ところで、文章は?」
「拙です」
初瀬川(はつせがわ)さんが?」
「いけませぬか?」
「恐れいりやした。弟子入りしてえぐらえで---」

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