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2010.01.17

お逢対の日(3)

(〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 41歳)どんのご内儀・多美(たみ 32歳)どのの手伝い人(てつだいびと)に、上野山下から広小路一帯を仕切っている元締・〔般若(はんにゃ)〕の捨吉改め・猪兵衛(いへえ 26歳)どんの情人・髪結いのお(しな 25歳)はどうだろう?)

平蔵(へいぞう 28歳)が、
「名案だぞ」
おもわず、つぶやいたので、供の松造(まつぞう 22歳)が驚き、
「何か、おっしゃいましたか?」
「いや、ひとり言だ。気にいたすな」

2人は、ほとんど人けのない江戸川べりを服部坂に向かっている。
坂上には、小普請9の組の与(くみ 組)頭・朝比奈織部昌章(まさとし 54歳 500石)の屋敷がある。
音羽から帰りに立ち寄ると告げてあった。

平蔵がおもいついた髪結い・おとは、3年前に知り合った。
 
参照】2009年6月23日[〔銀波楼〕の今助] (

を情婦にしている同郷の〔般若〕の猪兵衛は、前の元締や小頭が流刑に処されたので、ところてん式にシマを預かることになり、前の元締・〔衣板(きぬた)〕の宇兵衛のむすめ・おの婿になったのだが、おとの仲を公然とさせることを合点させていた。

参照】2009年6月29日~[〔般若(はんにゃ)〕の捨吉] () (

石切橋の西に、赤提灯がみえた。
松造。ちょっと考えごとがある。あそこで一杯やって、別かれよう。わしは、朝比奈さまのあと、一人で帰る。おぬしは、適当にやって帰れ」

小粒を一つ、にぎらせた。
平蔵はお茶を頼み、松蔵には酒を注文してやった。

平蔵の考えごととは、日本橋通り3丁目箔屋町の白粉問屋〔福田屋〕文次郎のお披露目枠の権利を、どの元締にわたすかという思案であった。
化粧(けわい)指南師をおもいついたのは、〔福田屋〕の文次郎が掛川城下でお(かつ 31歳=当時 そのときはおを自称)を見かけたからであった。

参照】白粉問屋2009年6月6日[火盗改メ・中野監物清方(きよかた)] () (

上野・広小路や浅草・今戸は、枠を買いきる店にはこまらないであろう。
それで、〔般若〕と〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 26歳)どんは外していい。
新橋・銀座一帯をシマにしている〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵・伸太郎親子も、心あては充分にあろう。
のこったのは、〔丸太橋(まるたばし)]の源次(げんじ 51歳)と音羽の元締である。

(〔丸太橋〕の元締には会ったこともないが、この際、地元の〔風速(かざはや)の権七(ごんしち 41歳)の顔をたて、源次どんに恩を着せておくか)

参照】2009年4月15日[〔風速(かざはや)の権七の駕篭屋業] (

ふんぎりがついたところで、松造に声をかけ、屋台店を出、石切橋を来たほう---東へわたり、
「さて---」
と独り言を洩らした。
このところ、次の案件にとりかかるときに、つい、口ぐせになっている、意味のない科白である。
それだけ、かわっている案件が増えたということかもしれない。
意味のない科白はしかし、革(あらた)めないといけないとおもいつつ、油断すると、やはり独りごちている。

朝比奈与頭の門を敲いたときには、〔化粧(けわい)読みうり]の雑念は、頭からきれいに消えていた。
平蔵は、気分の切り替えが、ますます早くなっている。

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