火盗改メ・中野監物清方(きよかた)(4)
白粉問屋〔福田屋〕は、日本橋通りの三丁目・箔屋町の南角を曲がった1軒目で、間口6間(約11m)の大店(おおだな)であった。
裾に分銅をつけた日除け大暖簾(のれん)を幾枚も張り、表から店内が見えないようにしているが、1箇所だけは、出入りをかね、〔福田屋〕で買っていることを見せびらかしたいおんな客のためにあけてある。
容貌に自信のある女客ほど、その、見えるところで試し化粧(けわい)をしてもらいたがるらしい。
田口耕三(こうぞう 30歳)同心と銕三郎(てつさぶろう 26歳)が大暖簾が切れたところから店内にはいると、ちょうど、お宮(じつはお勝 30歳)が、町むすめの顔をつくっているところであった。
男の気をそそるような甘く濃厚な香気が店いっぱいに満ちている。
お宮は、何度かの訊き取りで顔なじみになっている田口同心にちょっと頭をさげたが、銕三郎のほうは無視した。
そのそぶりが、銕三郎には、わざと知らぬふりをよそおったとしかおもえなかった。
田口同心を認めた番頭がかけよってき、脇の通路から奥座敷へ案内する。
店の奥の部屋のすみずみにまで、香気が染(し)みていた。
(雑司ヶ谷の(ぞうしがや)の鬼子母神堂脇の料理茶屋〔橘屋)の離れの客間にも、このような香気がただよっていたのをおもいだした銕三郎は、つい、苦笑した。
(人間、匂いや色とか音を忘れないものだな。ことに、肌をあわせたおんながからんでいたとなると、よけい---)
【参照】2008年8月15日~[〔橘屋〕のお仲] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
「番頭さん。ご当主の文次郎(ぶんじろう 38歳)さんを呼んでもらおうか。きょうは、盗賊考察の巧者・長谷川うじもいっしょと伝えるように---」
(ははあ、この男が主人の供をして京へのぼった一番番頭・常平(つねへい 45がらみ)だな)
番頭は、中庭をへだてた奥の別棟へ、渡り廊下をわたっていく。
待つ間もなく、太りぎみの中年男がすり足でやってきた。
田口同心に、
「ご苦労さまにございます。お茶でよろしゅうございますか? それとも---」
「ううーん。お茶を所望いたそう。〔福田屋〕のお茶は、とりわけ美味だからな」
とってつけたような返事をすると、番頭が、また奥へ消えた。
お互いの紹介がすんだところで、銕三郎が、
「化粧指南という考案は、お宮を見る前からのものですか、それとも、お宮に会っておもいついた?」
「かねがね、考えておりましが、ふさわしい人に出会いませんで。それらしい女性もあったことはあったのでごさいますが、うちの者の気にいらなくて---」
「しかし、お宮は、ご新造に会わないで決めたように聞いておるが---」
「はい。掛川城下で話を切りだしましたおり、男にはまったく気がなくて、おんな男の相方がいると言われたので、これなら、うちの者の悋気(りんき)の心配もないということで---」
「本人の口から、男ぎらいと申したのですな」
「はい。はっきりと---で、なんでございますか、お宮が、盗賊を招きよせたとでも---」
「いや、そうでないことは、事件のあとも、そのまま店にのこっていることで、はっきりしておる。お客さま化粧指南という仕事がおもしろいとおもったので、つい---」
「いや、もう、絵に描いてようにぴったりの仕事ぶりで、うちの者ともども、よろこんでおります」
銕三郎は、お宮にこだわりすぎたことにちょっと気がひけ、話題を切り替えた。
「賊たちは、どのようにして侵入してきたのかな?」
番頭の常平が答えた。
おんな客相手の白粉問屋に長くつとめてきた者らしく、声がなめらかである。
しかも控えめで、男を感じさせないように、馴らした口調も自然のようだ。
店側の建屋の2階のそれぞれの間で寝ていた者たちが、異様な気配に目を覚ましたときには、賊は枕元にいて、抜き身でそれぞれをおどし、しばりあげてたという。
もちろん、一番番頭の常平は通いで、五丁目の南鞘町の路地裏の一軒家に所帯をかまえているから、当夜のことは、店で寝起きしている若手の番頭や手代、小僧たちから聞いてまとめたものである。
「化粧指南のお宮は、どこで寝起きしておるのかな」
「奥の建屋の2階でございます。あの人は、そこでしばられていました」
「なるほど。で、賊はどこから侵入したのかな」
引き上げるときに、小僧の一人が表の大戸のくぐり口の戸締りをあけさせられたから、表からはいってきたのではないという。
猫道ぞいの横手の戸も破られてはいない。
とすると、勝手口の戸締まりをあけた者がいるか、庭の塀をのりこえたか。
「賊たちが押し入った翌(あく)る朝、姿を消した者がいたそうだが---」
「飯炊きのお杉(すぎ)婆(ばあ)さんですが、あの人も縛らました」
翌朝、40がらみの男が会いにき、それきり、持ち物一つもたないで、ふっといなくなったのだという。
「請け人はだれです?」
「お宮さんです」
「お宮?」
前の飯炊きが3ヶ月前に、嫁に出したむすめが子を産んだからその世話をするといって暇をとった翌日、お宮が、4丁目の上槙町の於万(おまん)稲荷の鳥居のところで倒れていたと、連れてきたのを雇うことにしたという。
「それでは、ろくな持ちものもなかったであろう」
「それでも、冬物の着物やこまごましたものを持っておりました」
「それをすべて置いて消えたと?」
「はい」
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