与詩(よし)を迎えに(20)
「長谷川さま。お申しつけの馬力が参っております」
駿府の脇本陣〔大万屋〕の番頭が取りついだ。
銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵 18歳)の荷は、供の藤六(とうろく 45歳)が馬の背にくくりつけた。
「いささか早いが、遅れるよりはましであろう」
本町通りを北へ6丁(600メートル)ほど行ったところに、町奉行所の脇門がある。待ち合わせ場所だ。
門は閉まっていた。
藤六が表門へまわって、番所へ声かけた。
しばらく待つと、年増が少女をつれてあらわれた。笹田左門(さもん 50歳)が後ろについている。継母・志乃(しの)は見送りにも出ないつもりらしい。
「お傳役(もりやく)の竹(たけ)でございます。与詩(よし 6歳)さまをお渡しいたします」
年増があいさつをした。
銕三郎は、包んでいた金子(きんす)を2個、竹にわたして、
「一つは、賄所(まかないどころ)の者たちで分けるようにいってください。これまで、与詩によくしてくだされた、寸志です」
角樽は、左門が受けた。
「おお、鶯宿梅(あうしゅくばい)ですな。これは銘酒中の銘酒。竹はここにいますから、あと、松だが---梅、竹、笹でも--まずは、めでたい。ははは」
くだらないしゃれを言って、ひとり悦にいっているふりをして、志乃が欠けているのをごまかしている。
「与詩、馬に乗ったことはあるか?」
銕三郎の問いかけに、少女は頭をふった。
「与詩は、江戸まで馬だが、こわいか?」
また、頭をふる。
「そうか。では、乗せてやるが、しばらくは、兄といっしょに乗る」
うなずいた。
馬の両脇に荷がくくりつけてあるため、乗馬にはちょっとしたコツが必要だが、銕三郎はなんなく乗り、藤六が与詩の脇から持ちあげて銕三郎へわたした。
銕三郎は、馬上から左門と竹にあいさつを述べ、藤六に目で「やれ」と合図をする。
与詩のためにも、一瞬でも早く、この雰囲気を去りたかった。
東海道は、駿府城の追手門の前をすぎると北へ向きを変え、さらに東へとつづく。
駿府の城の天守閣は、失火で焼けて以来、再建されていない。だから、すこし離れると松の巨樹しか見えなくなる。
そのころを見計らって、前に乗せている与詩に、
「与詩。今日から、拙がそちの兄者だ。これからは兄上と呼べ。言ってみろ」
少女は黙っている。
「与詩は、耳なしか、それとも、口なしか?」
「若。たぶん、舌切り雀なのでしよう」
藤六も口をそえた。
「ちがう。舌はある」
少女は赤い小さな舌をだした。
「後ろからでは見えないぞ。藤六には見えたか?」
「いいえ。見えませぬ。やはり、舌切り雀でしょう」
「ちがう。ほら---」
与詩が振りむいてだした舌を、すばやく銕三郎がつかみ、
「とってつけた偽の舌か、ほんとうに与詩の舌か、検分してやる」
与詩はしゃべれなくなった。う、う、うう---うめく。
銕三郎が指をはなすと、与詩は涙を浮かべながら、
「ほんとに与詩の舌でちょ」
「では、兄上といってみろ」
「あにうえ」
「それでいい」
「いいえ。藤六の耳にはきこえませなんだ。与詩さま、もういちど、お願いします」
「あにうえ」
「聞こえました、しっかり、聞こえましたぞ、与詩姫さま」
少女は、くしゃくしゃの泣き笑い顔になった。
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