カテゴリー「132岡山県 」の記事

2010.07.06

〔殿(との)さま〕栄五郎(7)

京の五条大橋・東詰の宿屋〔藤や〕である。
そこは、伏見・大和への街道の起点でもあり、利用客はひきもきらなかった。

秘密の地下部屋への階段のふさぎ板がわずかに開き、一番番頭・源吉(げんきち 43歳)が、ひそめ声で呼びかけた。
「旦(だん)はん」

地下にしつらえられた部屋では、3人の男が相談ごとをしていた。

階段の降り口から(旦はん)と呼ばれた、5尺2寸(1m56cm)ほどの小柄で白髪の主は、盗賊の世界では〔蓑火(みのひ)〕のお頭(かしら))と尊称されている喜之助(きのすけ 55歳)であった。

声をかけた藤吉の手には、仕立て飛脚でとどいたばかりの書状が握られている。
仕立て飛脚とは、その書状の届けのためにのみ走る飛脚で、それだけに料金も目玉が飛びでるほど高かった。

6尺(1m80cm)はあろうかという〔大滝おおたき)〕の五郎蔵(ごろぞう 39歳)が立ち、手をさしのべただけで受け取り、喜之助へわたす。

その身動きでおきた風にあおられた燭台の炎につれ、男たちの影がゆれた。

喜之助は、眉間にかすかな縦じわをつくり、書状を炎に寄せ、あらためた。
老眼が一段とすすんでいるらしい。

その所作を冷静に見守っているのは、軍者(ぐんしゃ 軍師)・〔神畑(かばたけ)〕の田兵衛(でんべえ 48歳)である。

喜之助が、ぽつりと吐いた。
(いわ)め、素人(しろうと)衆を巻きぞえにしおった」

浦和の小さな商人旅籠〔藤や〕を関八州の盗人宿として預かっている〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 38歳)からの、料亭〔草加屋〕事件の続報であった。

亀吉がじかに江戸へ出向いて集めたこまごました手がかりが記されていた。

〔草加屋〕に飯炊き男として引きこみにもぐりこんだ岩造こと岩次郎(いわじろう 52歳=当時)は、〔殿(との)さま〕栄五郎(えいごろう 30代半ば)から、
「こんどは、しくじるなよ」
きつく念を押されていたという。

「怖れごころを植えつけられたら、失敗(しくじ)るに、きまっておるのに---」
喜之助が、また、つぶやきに似たぼやきをもらし、書状を五郎蔵に手渡した。

【参照】【参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16

「お頭。色じかけでたらしこんだ女中頭は、の奴が寝床でしゃべったことを、ありこまっち吐いちまっているようですが---」
「素人はそれだから---」
なじった喜之助に、
「そのことですが、浦和の〔藤や〕は始末したほうがよろしいかと---」
神畑〕の田兵衛が提案した。

浦和宿の〔藤や〕を始末するとともに、中山道ぞいにくさりでつなげたように8軒にもひろげた〔藤や〕という屋号の商人宿をまかしている店主たちを、交互に入れ替え、その機に旅籠名もばらばらにつけ替え、表向きにはそれぞれ別々の金主がやっているようにしておかないと、やがて、火盗改メが〔藤や〕しらべを始めることにまでなるかも---と。

蓑火〕は、中山道をこのんで往来する近江商人たちの噂ばなしから、盗み(つとめ)の商舗をさぐりとるために、旅籠を買い増してきていた。

すぐに決断した喜之助は、それぞれの宿をまかせている配下の者たちに伝えるように、田兵衛にいいつけた。

栄五郎どんが、なにかを隠しているように書かれていますが---」
「そのことは、わしが始末をつける。〔神畑〕のは、命じられたことの手くばりを急ぐことだ」

それとともに、五郎蔵に、浦和宿へ旅立つように命じた。

五井〕の亀吉と2人で、〔ならび頭(がしら)〕として独立の方途を立てること、〔殿さま栄五郎を京都へ上らせることをいいつけ、地下部屋からあがっていった。

「〔大滝〕の。お頭も、齢のせいか、だいぶ、気が短くおなりなった---」
「いや。齢のせいではなかろう。7年前にお千代(ちよ 享年43歳)姐(あね)さんがお亡くなりになってこのかた、だんだんと覇気が薄れてきてきているようにおもえて仕方がないいのですよ、〔神畑〕の---」


参照】2008年9月14日[中畑(なかばたけ)のお竜] (
2008年9月18日[本多組の同心・加藤半之丞] (


参照】2010年7月1日~[〔殿(との)さま〕栄五郎] () () () () () 


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2010.07.05

〔殿(との)さま〕栄五郎(6)

数日後。

京都では、〔蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 55歳)が、持ち家の五条大橋東詰jの宿屋〔藤や〕の地下に設けられた秘密の部屋で、2人の男と、しきりに首をひねりながら話しこんでいた。

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(五条大橋 〔藤や〕は橋の手前なので描かれていない。
『都名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

手には、浦和宿の旅籠〔蓑や〕に陣どって江戸での仕事(おつとめ)を仕切っている〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 38歳)から送られてきた[読みうり]があった。

いうまでもなく、[読みうり]は、〔耳より〕の紋次(もんじ 33歳)の手になったものである。

「〔大滝おおたき)〕の。〔五井〕のが、わざわざの仕立て飛脚(したてびきゃく)でよこしたこの江府の読みうりなんだよ。うちの者たちがやってもいない薬研堀の料亭〔草加屋〕の仕事(おつとめ)を、火盗改メは〔蓑火〕の仕業と断じている。どういうことだとおもう?」

自分では分かっていても、一応は、主だった幹部の存念を訊いてみるのが、喜之助のやり方であった。

身の丈6尺(180cm)はあろうかという大男の〔大滝〕の五郎蔵(ごろうぞう 39歳)は、問われて腕組みをとき、
「お頭の[お慈悲の六分・七分盗法]は、盗人(つとめにん)仲間の手本になっております。もっとも、きちんと真似る奴ぁいやしませんが---。しかし、真似られちまえば、〔蓑火〕が濡れ衣を着ることになるのは、いたし方がございません」

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』で、〔蓑火〕の喜之助の下で、小頭として腕を磨いてきていた〔大滝〕の五郎蔵と〔五井〕の亀吉が、「ならびお頭」となって組んだのは〔草加屋〕事件のあとであろうか。

喜之助がもう一人の男に視線を向けた。
喜之助と同郷の軍者(ぐんしゃ 軍師)・〔神畑(かばたけ)〕の田兵衛(でんべえ 48歳)は、五郎蔵からまわされた[読みうり]の595両の数字をさし、
「お頭。おかしいじゃありませんか。なんぼ[お慈悲の六分・七分盗法]とはいえ、うちの連中なら、算盤をはじきでもしたみてえに、七分きっちりにやるはずがねえ。有り金が850両とふんだら、550両とか600両とかの区切りのいいところで見切ります」
「そのとおり」
喜之助が、不機嫌顔でうなずいた。

参照】2008年8月29日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () () () () () (
2008年10月26日~[うさぎ人(にん)・小浪] () () () 

「気にくわねえのは、押し入りの時刻が五ッ半(午後9時)前だったってことです。世間がまだ眠りこけてはいないこんな時刻に盗(みおつとめ)をする、間抜けた仕事人(つとめにん)なんざぁ、聞いたことがねえ。〔大滝〕のの尻馬にのっていわせてもらいます。(いわ)の奴が賊を引き入れたって書いてありますが、30年からこの仕事をしてきているが、つなぎ(連絡)もしているえ押しこみや、うちの者とそうでない者を間違えるようなドジをふむわけはありません」
「引きこんだ途端に、どうかされたんだろうよ」

神畑〕の田兵衛としては、〔殿(との)さま〕栄五郎(えいごろう 30代半ば)が重用されているのが、気にいらなかったから、さらに、
「去年、いわれもなくくドジったを、また使ったのは?」
訊かなくてもいいことまで口にした。

さすがに〔大滝〕の五郎蔵がとりなし顔で、
「死んだ子の齢は数えないものだ」

中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 享年33歳)を手ばなしたことへのあてこすりを、暗にたしなめた。
五郎蔵のこの台詞を聞いたら、平蔵(へいぞう 31歳)は苦笑したろう。

「だれがなんのために、2度もこちらの手のうちを読んで邪魔したのだろう?」
田兵衛をさとすように、〔蓑火〕が、
「江戸のたまり宿と、浦和の〔蓑や〕にいる〔五井〕のに、当分、江戸での仕事(おつとめ)はひかえるように、仕立て飛脚を立てておくれ」

手配を命じたものの、〔蓑火〕の喜之助の疑心暗鬼はとめどもなくつづいた。


参照】2010年7月1日~[〔殿(との)さま〕栄五郎] () () () () (

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2010.07.04

〔殿(との)さま〕栄五郎(5)

薬研堀不動前の料亭〔草加屋〕の飯炊き・岩造(いわぞう 53歳)こと岩次郎は、幾度も犯してきた引き込みの罪状で、島送りとなった。
当人が白状したわけではない。

〔草加屋〕の女中頭・お(きん 38歳)が、島で男たちのなぶりものになってもいいのかと脅かされて、吐いた。

は女盗(にょとう)ではない。
6年間も女中頭を無事に勤めていた。
下ぶくれの浅黒いお多福顔---当時いわれていた女中づら---が、男客たちの好きごころをそそらないできたのであろう。
18のときに、盆踊り晩、数人の村の若いのに顔に手拭をかぶせて犯されてから、おもそのことを心得ていた。
男を忘れた分、江戸へでてきて、仕事に打ちこんだ。
なるべく客の前にいる間合いを少なくし、料理をはこぶ手ぎわのよさで満足してもらうようにつとめた。

ところが---、
去年の秋、〔草加屋〕の飯炊きに、岩造(53歳)が雇われ、裏庭の物置小屋に住みこんだ。
昼間の客が帰り、夕べの仕事の始まりまで、おが庭に咲いていた花を:く眺めていると、岩造が通りがかりに、
「おさんって、6つのときに死にわかれた母親の面ざしにそっくりだ。いまでも、乳をのませてもらっている夢をみるよ」
ほつりと洩らし、小屋へ入った。

その晩、みんなが寝静まってから、おは小屋へ出むき、乳首を吸わせてやったが、乳房だけでおさまらず、38歳の大年増Iに、おんなとしての火がつけられた。

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(栄泉『古能手佳史話』部分 イメージ)

10年前の盆踊りの夜のそれは地獄であったが、小肥りの岩蔵の性戯はやさしく、手間をかけたもので、おの躰からすべての力をうばった。

つぎの晩には、おが力めばりきむほど、いいおんなになれる部所を教え、試させた。
たしかに、甘美さが増した。
それからも、短いうちに次つぎと秘技を伝授し、おをすっかり色ごと好きに仕こんだ。

自分が盗人の一味で、どんな役割りを果たしてきたか、金もずいぶんたまったから、この仕事(おつとめ)がおわったら引退し、田舎で小さな畑を買い、のんびりと暮らしたい。
「おめえも、いっしょにくるかい?」
一も二もなかった。
もっとも、〔蓑火(みのひ)〕の名は教えなかった。

明晩は、江戸のほとんどの香具師'(やし)の元締衆が集まり、なんでも、旗本の長谷川という若いのをもてなすらしいから、忍んでこれるのは4ッ(午後10時)をすぎるかもしれない。宴会がそれよりのびたら、あすは独りで寝て---と告げたことは、そっくりつなぎ(連絡)の者に伝わり、〔殿(との)さま〕栄五郎(えいごろう 30代半)の耳へはいった。

平蔵は、岩造に元締衆の宴席の顔ぶれを洩らした者がいると睨み、お(くめ 35歳)から岩造とおの仲をひそかに訊きだしていたのである。

火盗改メ方が岩造とおを引き立てた2日後の読みうりの大見出し--、

〔蓑火〕の犯行は歴然。7分盗(と)りの3分残し


蓑火〕の喜之助という首領は、武田信玄公の「六分七分勝ちは十分の勝ちなり。八分の勝ちはあやうし。九分十分の勝ちは味方の大負けの下づくりなり」という軍法に惚れこんでいた。

だから盗みも、盗賊仲間で名を高めるには、押し入った先から奪うのは、「六分か七分にとどめる」と公言しているとおり、〔草加屋〕では、850両の有り金のうち、数えたように595両を持ち去り、255両が残されていた。

参照】2009年1月28日[〔蓑火(みのひ)と〔狐火(きつねび)〕] (

賊徒を引きいれたのは、飯炊きとして昨秋、請宿(うけやど)・亀井町の堀ぞい:竹森稲荷(現・中央区小伝馬町194)横の〔天狗屋〕茂兵衛が入れた男・岩造(53歳)であった。

〔天狗屋〕茂兵衛のいい分によると、小諸から江戸へ仕入れにきて、〔草加屋〕に宿泊していた細面で小柄な中年の客・太物商〔亀屋〕五兵衛の頼みであったと。

五兵衛と〔草加屋〕のお(しん 33歳)との情事は伏せてあるばかりか、紙面を大きく占めた賊に縛られたおの仇婀(あだ)な絵姿は、数等上の美婦に描かれており、おの自慢となった。

耳より〕の紋太が案じ、刊行した「[江戸名物読みうり]のお披露目の大枠を〔草加屋〕が買い占めつづけてくれたという。


参照】2010年7月1日~[〔殿(との)さま〕栄五郎] () () () () (

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2010.07.03

〔殿(との)さま〕栄五郎(4)

その夜。
半月は、ほとんど雲に隠れていた。

薬研堀不動前の料亭〔草加屋〕は、なぜか、早ばやと客が絶え、通いの女中、帳場、料理人、下男たちは五ッ(午後8時)には、それぞれの家へ帰っていった。

ちょうど、その時刻に、1筋西の寄合旗本・。村越頼母房成(ふさしげ 36歳 2500石)の表門へ3丁の町駕篭が入っていき、すぐに閉じられた。
小半刻(30分)もしないのに、脇の潜り戸から鼠色の盗み装束(おつとめぎ)の8人が辻番小屋のない道を料亭〔草加屋〕へ走り、鍵のかかってなかった大戸の脇口から侵入した。

酒を呑んでいた主人・安兵衛(やすべえ 48歳)、内風呂からあがったばかりで浴衣姿のままのお新(しん 33歳)それに〔草加屋〕で寝起きしていた女中頭・お(きん 38歳)がたちまち縛りあげられた。

裏庭の道具小屋で寝酒を喫していた岩造---じつは〔蓑火みのひ)〕一味の岩次郎は抵抗したが、岩次郎だけに狙いをつけていた盗人の一人に、たちまち、棍棒で鳩尾を衝かれ、気絶してしまった。

賊たちは、店の有り金850両から、きっちり7分にあたる595両だけを奪って出ていった。

賊は、村越家の潜り戸から中へ入り、表門が開くと3丁の駕篭が出ていき、薬研堀の掘留で2人の客をおろし、そのまま新大橋のほうへ消えていった。
すべての木戸は、空の戻り駕篭ということで難なく通された。

降りた2人の客は、薬研堀の大川口に迎えにきていた舟に乗りこんだ。
いつもの袴姿の長谷川平蔵(へいぞう 31歳)と〔箱根屋〕の権七(ごんしち 44歳)であったことはいうまでもなかろう。
岩次郎を気絶させたのは平蔵であった。

もっと驚いたことに、薬研堀留の辻番小屋の前を2人が通りすぎるとき、火盗改メ・菅沼組の見廻りの同心が話しこんでおり、番人は2人の姿を見ていなかった。

また、〔草加屋〕へも服部儀十郎与力と同心2人、小者5人が入り、安兵衛夫妻の縄を解き、岩次郎と女中頭・おを引き立てていった。

そのとき、うまくしたもので、読みうり屋の〔耳より〕の紋次(もんじ 33歳)も随っており、訊き調べのいっさいを書きとり、2日後の読みうりで報じた。


参照】2010年7月1日~[〔殿(との)さま〕栄五郎] () () () () (

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2010.07.02

〔殿(との)さま〕栄五郎(3)

(ごん)どの。さきほどの〔殿(との)さま栄五郎(えいごろう 30代半ば)だが、どうして尾行(つ)けることができたのだろう?」

菊川橋たもとの船宿〔あけぼの〕で舟に乗りかかった権七(ごんしち 44歳)へ、平蔵(へいぞう 31歳)が問いかけた。
舟からあがってき、、
「元締衆の手下(てか)の中に、〔蓑火(みのひ)〕に通じているも者がいやすと---?」
「いや。〔草加屋〕の使用人の中であろうよ」

「あたってみます」
「火盗改メが手がけては、ことが大げさになる。拙からだと、こっそり、安兵衛・お新夫妻にいいつけ、この5年のうちに雇い入れた者のすべての名前、齢、職、生地、請宿(うけやど 口入れ屋)、住みこみか通いか、を書きださせておいてくれると助かる」
「承知いたしやした」

(〔蓑火みのひ)の喜之助(きのすけ 55歳)が企(たくら)んだ盗(つとめ)ではなく、軍者(ぐんしゃ 軍師)の一人である〔殿さま栄五郎と小頭の一人---〔五井ごい)〕の亀吉(かめきち 37歳)あたりが手柄を立てようと仕組んだものかもしれない)

平蔵がそう勘ぐったのは、仕事(つとめ)よりも私怨を優先した栄五郎の先刻の仕打ちによってであった。

しかし、あ奴らに、なにごともなく〔草加屋〕から手を引かすための知恵は、しぼりださないといけない。
(しかも、それが、おれの細工としれないように。そうでないと、お(くめ)に危害がおよぶかもしれない)

権七が、聞きだした人別を屋敷へもってきた。
商売が商売だけに、雇い人の出入が多い。

その中で、去年の秋に雇われた信州・佐久の生まれの飯炊き・岩造(いわぞう 53歳)に平蔵の目がとまった。

去年の夏、〔蓑火〕の小頭の一人・〔尻毛しりげ)〕の長助(ちょうすけ 31歳=当時)を見つけ、南伝馬町2丁目の両替為替商〔門屋(かどや)〕へ潜入していた岩次郎(いわじろう 52歳=当時)と手代・由三(よしぞう 19歳=とうじ)を暴いた。

参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16

岩次郎岩造、齢も符合する。
請宿(うけやど 口入屋)は、いちおう亀井町の堀ぞい:竹森稲荷(現・中央区小伝馬町194)横の〔天狗屋〕茂兵衛となっていたが、あとで〔草加屋〕の女将・お新(しん 33歳)が、小諸から江戸へ仕入れにきたという細面で小柄なちょっといい男の中年の客・太物商〔亀屋〕五兵衛にたのまれ、[天狗屋〕を通したことにして雇ったという。

「女将が、〔亀屋〕五兵衛と乳くった末のことでやしょうよ」
笑いながら権七が推察を述べた。
たしかに赤ら顔の亭主の安兵衛は、太りすぎてもおり、そっちのほうより酒かもしれない。

非番の日、平蔵が大塚吹上の火盗改メの役宅を訪ね、お頭・菅沼藤十郎貞亨(さだゆき 47歳 2025石)、それに筆頭与力・脇屋清助(きよよし 48歳)と綿密な打ち合わせをした。

要は、田沼意次 おきつぐ)侯の息のかかっていた茶寮の女中頭の再就職先の〔草加屋〕への襲撃をあきらめさせ、かつ、お(くめ 35歳)に危害がおよばないような手段を構ずることであった。

打ち合わせた案にしたがい、脇屋与力が〔草加屋〕を説得し、盗まれる金を用意させた。

それとともに、薬研堀の埋立地に店をはっている[草加屋]の一筋西の通り、元矢ノ倉に武家門を張っている寄合・村越頼母房成(ふさしげ 36歳 2500石)を訪問し、ある了解をとりつけた。

参考】武家門

村越家は、譜代の家柄で、その屋敷は1300余坪。

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(緑○=寄合・村越家 元矢ノ倉 赤○=料亭〔草加屋〕
池波さん愛用の近江屋板切絵図)

当主・房成は一風変わっており、書院番士を体調をいいたてて34歳の若さで辞したものの、隠居はせず、たまに登城はするが役にはついていないことを幸いと、謡曲と釣りに打ち込んでいる仁であった。
それというのも、丹後国加佐郡(かさこおり)田辺藩(3万5000石)の藩主・因幡守明成(あきしげ 卒年47歳)の3男として生まれるとすぐに、親類筋の村越家へ養子に入って跡目相続をしており、何歳になっても気ままさが抜けていなかった。

脇屋与力が持ちこんだ案を、
「面白い。これは、おもしろい」
少年のようによろこんだ。

村越さま。絶対に口外なさらないこと、お誓いください」
「わかっておる。奥にも家臣にも、話すものではない」

「事後も、でございますぞ」
「洩らしたときには、腹かき斬ってみせるわ」
芝居がかった仁ではあった。


参照】2010年7月1日~[〔殿(との)さま〕栄五郎] () () () () (


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2010.07.01

〔殿(との)さま〕栄五郎(2)

提灯の灯を消し、2人が家蔭の躰を移すとともに、尾行者も足をとめた。

新月で、星明りだけである。

平蔵(へいぞう 31歳)は、相手のいるほうをすかしてみながら、権七(ごんしち 44歳)を押し、家と家のあいだの猫道へ押しこんだ。

掌で権七に動くでないと伝え、道の真ん中で大刀を抜いて星の光をうけとめてから背中へ隠し、川側へ移り、数歩出、柳の幹に添った。

近寄ってきた曲者は、大刀が光ったあたりの10歩手前で抜刀して上段にふりかざし、じりじりとすり足で出る。

平蔵の前を行きすぎたとき、
「そこではない」

曲者がふり向き、青眼に構えなおそうとした刀を、平蔵が峰ではねあげ、飛びこんで体当たりをくわせ、左に飛びぬける。

よろめいた相手の腰のあたりを、峰打ちで殪した。
あっけないほどの勝負であった。

権七に、
「行こう」

猫道からあらわれ、
「うっちゃっておきやすんで?」
「わかったのだ」
「誰です?」

それには応えず、曲者に、
栄五郎うじ。親指の傷は、もう、すっかり、癒えているであろう?」
曲者は倒れたままで、返事をしなかった。

「機会があったら、また、会おう。〔蓑火(みのひ)〕のお頭によしなに、な」

三ッ目ノ橋の橋灯台が見えてき、権七が、
「あの栄五郎という者---?」
「うん。7年ほどまえにな---」

いまは老蒙の身となって幽閉されている隣家の松田彦兵衛貞居(さだすえ 62歳=当時 1150石)が火盗改メに任じられていたとき、首領・〔蓑火〕の喜之助(きのすけ 45歳=当時)たちが練りあげた意図を、銕三郎(24歳=当時)が見やぶって未然に防いだ事件をかいつまんで話した。

参照】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] () () () () () () () () (

その仕返しとして、〔蓑火〕の軍者(ぐんしゃ 軍師)としてその押し入りの手順を組み立てた〔殿さま栄五郎(30代半ば)に斬りかけられ、その左親指を傷つけて追い払ったことも、さりげなく聞かせた。

参照】2009年3月2日[殿さま栄五郎] (

(左親指を半分失っていなかったら、はねあげは、ああもみごとにきまらなかったろう)

こちらは、事件に栄五郎がかかわっていると知らず、未遂に終わらせた1件なのだが---。

参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16

殿さま栄五郎のために、〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 享年33歳)が〔、狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう)にゆずられたことも伏せた。

平蔵---というより銕三郎にとって、いいおんなであったおを偲んでいたときに、栄五郎があらわれたのも因縁かもしれにない。

三ッ目ノ橋の橋灯台の明かりが、おの魂のようにおもえた。
その灯に、平蔵は、胸の中で合掌した。

参照】2010年7月1日~[〔殿(との)さま〕栄五郎] () () () () (

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2009.03.02

〔殿(との)さま〕栄五郎

「よく、やられた」
小野田治平(じへい 40歳前後)が、銕三郎(てつさぶろう 24歳)の酌をうけ、面高(おもだか)の細い目をいっそう細めて称讃した。

3夜前、浪人盗賊・〔殿との)さま〕栄五郎(えいごろう)の居合をかわしえた事件の顛末の報告と教導のお礼に、小野田食客と剣友・岸井左馬之助(さまのすけ 24歳)を、銕三郎が本所二ッ目ノ橋際の軍鶏なべ〔五鉄〕へ招待しているのである。

というのも、今回の〔蓑火(みのひ)〕一味の〔伊勢屋〕襲撃を未然にふせげたので、隣家の火盗改メ・松田彦兵衛貞居(さだすえ 62歳 1150石)の筆頭与力・土方万之助(まんのすけ 50歳)から、金一封が出た。
「お手前の手くばりで、予告された日の押し入りは回避できたが、賊をとらえたわけではないので、お上からのお褒めはござらん。したがって、これは、小職のこころざしとしての才覚でござってな---」
土方筆頭は、もったいをつけてわたしてよこした。
(ふざけるんじゃないよ。賊に襲われないほうが手柄が大きいはずではないか。お上は間違っている)
銕三郎は思ったが、この例で、論功行賞は派手な解決に厚いことを肝に銘じた。

1両のうち、半分の2分(1両=16万円換算て8万円は〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 34歳)へ、見張り賃としてわたしずみである。
1分(4万円相当)は、あの夜、栄五郎に斬り裂かられた袂のつくろい賃として、新妻・久栄(ひさえ 17歳)の口をふさいだ。
今夜の軍鶏なべは、三次郎さんじろう 19歳)に、これでまかなってくれと、残りの1分を先払いしておいて、2階へあがっているのである。

「いえ。小野田さんのご師範の成果です」
銕三郎は、また、酌をする。
小野田剣客は、酒は嫌いではないから、注がれればいくらでも呑む。

「どんなふうに抜きましたな」
左馬之助が立って、栄五郎の剣筋を実演してみせる。
「鞘の引き出し方が、わが不伝流とはいささか異なり、短かすぎる気味があるが、それが東軍無敵流かも---」
「その浪人、背丈が5尺1寸(153cm)ほどの小柄だったので、短く見えたのかもしれません」
左馬之助は逆に、5尺7寸(170cm強)もある、当時としては大柄な躰形をしている。

「斬りあげてきたのを、っつぁんは、左足をひいてかわしておいて、抜く手もみせずに相手の親指を斬っていました」
小野田さん。胴などを斬ってしまうと、あと始末が面倒だし、足を狙っても一生、うらまれます」
「さすがに、よく気づた」
「一瞬の判断でした」
「おみごと。うらみを残しては、あとを引く---」

しかし、〔殿さま〕栄五郎は、終生、銕三郎---いや、のちの長谷川平蔵宣以(のぶため)---鬼平をうらんだ。
蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ)はともかく、一味の盗人たちは気づかなかったが、左手の親指の先をなくしてからの栄五郎の太刀筋は、鋭さを失っていたからである。

_100銕三郎は、高杉師にはもちろん、左馬之助にも、小野田治平にも洩らさなかったが、栄五郎の指を落とすことで、〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 30歳)の無念を晴らしてやったつもりである。(歌麿 お竜のイメージ)

あ、このこと、久栄に、つゆ悟られてはならないのは、言わでもがな---ご同席の貴公もお含みおきを。

参照】2009年1月25日[ちゅうすけのひとり言] (30)
2009年1月23日~[銕三郎、掛川で] (3) (4)
2008年11月25日[屋根舟(やねぶね)}
2008年11月17日~[宣雄の同僚・先手組み頭] (7) (8) (9)
2008年11月7日~[『甲陽軍鑑』] (1) (2) (3)
2008年9月7日~ [〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1) (2) (3) (4) (5)  (6) (7) (8)

参照】2009年2月26日~[銕三郎、二番勝負] () () () (
2008年12月21日~[銕三郎、一番勝負] () () () () (


参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] () () () () () () () () 

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2006.03.09

〔天弓(てんきゅう)〕の政五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録の[山吹屋お勝]のヒロインはタイトルどおりお勝だが、彼女の本名おしのといい、女盗人。
(参照: 〔山吹屋(やまぶきや)〕お勝 の項)
おしのの父親も、〔天弓(てんきゅう)〕の政五郎という盗賊で、錠前はずしの名人級の腕をもち、〔夜兎(ようさぎ)の角右衛門〕の一味にいた。
(参照: 〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門 の項)
おしのも父親につづいて角右衛門の配下だったが、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助のところから移ってきた〔関宿(せきやど)〕の利八とでき、おしのは〔蓑火〕に引きとられて命びろいしたのであった。
(参照: 〔蓑火(みのひ)の喜之助 の項〕)
(参照: 〔関宿(せきやど)〕の利八 の項)

205

年齢・容姿:どちらの記述もないが、もし生きていれば70歳前後か。おしのが〔夜兎〕一味へ加わっているところから推理するに、だいぶ以前に亡くなっていたろう。
生国:おしのが生まれたのが備前・岡山というから、そこらあたりとしておく。

<通り名の由来:「天弓」とは虹のこと、とある。たしかに、弓なりに五彩の橋が天空かかる。それほど鮮やかな手練で、しかも虹のようにすっーと消えていくことから、つけられたのであろう。

つぶやき:ここで特記するまでもなく、池波さん自選のベスト5の篇の一つが[山吹屋お勝]である。おしのと利八の中年男女ラブ・ロマンスとしてではなく、お勝が鬼平の手をかわした思いつきが、池波さんご自慢のものなのであろう。

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2006.01.04

〔殿(との)さま〕栄五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻14の[殿さま栄五郎]で、鬼平がその名をかたって凶悪な〔火間虫〕の虎次郎一味へ潜入しようとするが---。
(参照: 〔火間虫〕の虎次郎の項)
ことの起こりは、〔火間虫〕の使いで、〔長沼(ながぬま)〕の房吉が、谷中・法住寺の門前での花屋を隠れ蓑に〔口合人〕稼業をしている〔鷹田(たかんだ)の平十に、腕っぷしの強い助(す)けばたらきを依頼した。

(参照:〔鷹田の平十
(参照: 〔長沼〕の房吉の項)
〔口合人〕稼業15年にもおよんでいる平十の悩みがはじまる。〔火間虫〕一味の盗めは荒っぽい。それが気にいらねえ、のだ。
悩みきって不忍池ばたを歩いているとき、知りあってこのかた気のあった付きあいをつづけてきた〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治に声をかけられた。
(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)
利平治に心あたりがあるという。利平治が推薦してきたのは、鬼平が化けた、〔殿(との)さま〕栄五郎という大物だった。

214

年齢・容姿:45,6歳か。立派な顔だち。無口。何ともいえないほどやさしい目つき。
生国:備前(びぜん)国岡山(現・岡山県岡山市)の浪人あがり。かつて、鬼平があれこそ盗賊中の真の盗賊と折り紙をつけた〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の軍師格だったが、〔蓑火〕が一味を解散してから、消息が絶えている。

探索の発端:これまでとは逆に、鬼平の仮装がばれるのは、かつていっとき〔蓑火〕ではたらいて〔殿さま〕栄五郎を見知っていた〔五條〕の増蔵に見破られた。
(参照: 〔五条〕の増蔵の項)
〔鷹田〕の平十が、なぜ偽者を口合いしたかと、〔火間虫〕一味の拷問されるが、平十としては知らないことなので白状できない。

結末:芝・方丈河岸の〔火間虫〕一味の盗人宿などが手入れをうけ、全員逮捕。死罪であろう。
〔鷹田〕の平十は入水自殺。

つぶやき:〔火間虫〕一味が、〔鷹田〕の平十の口を割らすために、女房のおりきを捉えにきたのを、待ち構えていた火盗改メが逮捕して、方丈河岸の盗人宿が知れる。
そのことを鬼平が予測して手くばりしていなかったら、平十夫婦にとって、鬼平はじつに危険な橋を渡ったことになった。

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2005.12.10

盗賊剣客(けんかく)・堀本虎太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻15は、このシリーズ初めての長篇[雲竜剣]にあてられている。相手役は剣客(けんかく)医師の堀本伯道で、〔雲竜剣〕と名づけられた不思議な剣法を遣う。
(参照: 剣客医師・堀本伯道の項)
ところが、鬼平は、ある夜、金杉川の南岸で、〔雲竜剣〕を遣う曲者に襲われた。
そのときの追い詰められた印象は、夢にまででてくるほど強烈であった。
そのころ、火盗改メの同心・片山慶次郎と金子清五郎が暗殺された。中でも、片山同心の胸の斬り傷は、かつて銕三郎(鬼平の家督前の名前)が、恩師・高杉銀平に見せられた刀傷跡と同じ刀法によるもまであった。
嫌疑は、堀本伯道へかかったが、高杉師が伯道と真剣勝負をしたのは35年ほども前のこと、とすると闇討ちの主は70歳を超えていることになるが、金杉川のそれは40歳そこそこに見えたのだ。

215

年齢・容姿:40歳そこそこ。背丈が高い。筋骨尋常。
生国:備前(びぜん)国御前郡(みまえこおり)伊福村(現・岡山県岡山市伊福町)。
篇中で堀本虎太郎は、「備中岡山出身の医師」(p336 新装版p348)と名乗っているが、岡山なら備前のほうがいいかも。
生母おせきは女賊で、伯道を盗みの道へみちびき、のち、伯道によって成敗された。虎太郎の剣は、父・伯道仕込みである。
おせきの兄・松蔵は、3年前に、虎太郎が住んでいる根岸の寮へ、伯道が寮番として送りこんだ。

探索の発端:西久保町の京扇店[ 平野屋]の番頭・茂兵衛が、近江・八日市村の鍵師・助治郎が訪れてきたとの密告してきた。鍵師・助治郎を尾行することで、背後に剣客医師・堀本伯道の影が見えてきた。深川の足袋問屋〔尾張屋〕が標的らしい。
(参照: 鍵師・助治郎の項)
(参照: 〔馬伏〕の茂兵衛の項)
伯道の足跡をたどるうちに、丸子の剣術道場が割れ、浪人たちを尾行(つ)けることによって、根岸の寮が浮かびあがった。
牛込・若松町の薬種店〔長崎屋〕を襲って一家を惨殺して金を奪ったのも、虎太郎一味の所業と知れた。

結末:伯道は、盗人宿にしている根岸の寮で虎太郎を成敗しようとして、逆に斬られた。対決を、鬼平が引き継いだ。虎太郎の喉もとに血が走った。

つぶやき:この長篇は、『オール讀物』1976年7月号から翌年新年号までの7回にわたって連載された。
『鬼平犯科帳』はいわゆる読切短篇の連鎖形式のシリーズだったが、始まって13年目、ファンもすっかり固定しているというので、長篇の分載---というより、構成を検討してみると、書いているうちに分載長篇になってしまった気味がある。
それにしても、達者なものだ、というのが本当のところの、つぶやき。

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