銕三郎、ニ番勝負(2)
「銕(てっ)つぁんの旦那。〔蓑火(みのひ)〕一味のおおかたは、あきらめて〔蕨屋〕を引きはらったようでやす」
〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 34歳)が鼻をうごめかして、銕三郎(てつさぶろう 24歳)に告げた。
銕三郎が小浪(こなみ 30歳)へ、月番少老(わかどしより)・加納摂津守久周(ひさのり 60歳 伊勢・八田藩主 1万石)が、先手組はじめ番方(武官系)へ市中見廻りを命じたことを教えた3日目である。
[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (8) (7)
伊勢屋への押しいることを、とりあえず見合わせた〔蓑火〕の喜之助(きのすけ 47)一味が江戸での盗人宿とおもえる南本所の商人旅籠〔蕨屋〕から姿を消した---と告げているのである。
「でもね、旦那。〔殿(との)さま〕栄五郎(えいごろう)って浪人者は、まだ腰をすえてやがるみてえですぜ」
「ほう。今度は、なにをたくらんでいるのかな」
「何者でやす?」
備州・岡山の浪人---と教えると、
「そういやあ、そんな奴が軍者(ぐんしゃ 軍師)としてへえったって、聞いたような気がしやす」
栄五郎が〔蓑火〕の喜之助の知恵袋となったために、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 30歳)が〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 49歳)へゆずられたという経緯(ゆくたて)は、彦十にはまだ話していなかった。
そこへ、仕込みが一段落した三次郎(さんじろう 19歳)が、板場から顔をだ゜し、冷や酒を彦十の前に置いた。
「おっ。三(さぶ)公、気がきくようになったでねえか。ごっつおさんだぜ」
彦十の裏長屋は、〔五鉄〕の脇の二ッ目ノ橋を南へわたっ右折、竪川ぞいに2丁ほど行った弁天社裏である。
〔蕨屋〕は川をはさんだ北側---相生町1丁目にあった。
「彦どの。一息ついたら、見張りをたのみます」
「合点。まかしておいておくんなさい」
銕三郎は、両国橋をわたり、蔵前通りから三好町の〔小浪〕へ急いだ。
女将の小浪は、浅草一帯の香具師の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 60歳)に、御厩河岸の茶店を買わせていた。
〔蓑火〕の小頭・〔尻毛(しりげ)〕の長助(ちょうすけ 27歳)たちが〔蕨屋〕を引きはらったことをたしかめると、小浪が声をひそめて、
「東軍流とかの遣い手の栄五郎って浪人者が、まだ残っているんですよ。長谷川さまに訊きたいことがあるらしいのです。お気をおつけになってください」
「訊くって、刀で訊くのですかな」
「どうも、そうらしゅうございます」
「ご忠告、かたじけなく---」
翌日、高杉銀平(ぎんぺい 63歳)師の前に、銕三郎がいた。
「先生。東軍流の秘太刀をご存じでしょうか?」
「どうしたのだ?」
師の問いかけに、備州・岡山の浪人と、近々、決闘することになりそうだと、〔蓑火〕一味との経緯を打ち明けた。
「岡山の浪人なら、東軍流も坂口某が流祖の、東軍無敵流を修行している者かもしれぬぞ」
「無敵流といいますと---?」
「いや。わしもよくは知らぬ」
高杉師はそう言い、添え状をしたためてやるから、御徒町に東軍流の道場をかまえている斉藤五郎左衛門どのに会って教えを乞うてみるがよい、とすすめられた。
【参照】『剣客商売』文庫巻7[決闘・高田の馬場]に、東軍流の道場主・斉藤五郎左衛門が試合の審判として出ているので、名を借りた。
岡山の東軍無敵流の始祖は坂口八郎右衛門勝清である(綿谷 雪・山田忠史『武芸流派大事典』)
【参照】2009年2月26日~[銕三郎、二番勝負] (1)
2008年12月21日~[銕三郎、一番勝負] (1) (2) (3) (4) (5)
【参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) 9)
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