〔うさぎ人(にん)〕・小浪(7)
「小浪(こなみ 29歳)が〔狐火(きつねび)〕に加わった経緯(いきさつ)というのは、ちょっと変わっていましてね」
〔狐火〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳 初代)は、忠助がおぎなった新しい付きだしのそら豆の塩ゆでを一つつまみ、皮を飯台に置いてから話しはじめた。
6年前のことというから、宝暦12年(1762)、小浪は23歳の年増ざかり、勇五郎は42歳で脂がのりきってい、盗(おつと)めがおもしろいように運んでいた時期である。
浜松の銘酒〔天女の水〕の醸造元へ押しこんで、全員を縛りあげて一ヶ所へあつめた中に、小浪がいた。
配下のひとりが、耳元でささやいた。
「美形がいます」
勇五郎があらために行くと、おんなは縛られたまま、
「お頭ですか? しつけが手ぬるいですねえ」
と話しかけた。
「お前さんの内股でもさわった者(の)がいたかい?」
「ふん」
おんなは横をむいてしまった。
しかし、後ろ手にまわされている手の指を、勇五郎にだけ見えるように、おいでおいでをした。
引きあげるとき、配下たちがひとりずつ胸の下の急所につきをいれて気絶させるのだが、小浪だけはのこすように、〔瀬戸川(せとがわ)の源七(げんしち 46歳=当時)にそっと指示しておいた。
小浪をのぞく全員が気絶したのをみとどけて、
「何が言いたい?」
と問いかけると、
「城下の町奉行所のお調べがおわる---そう、10日後の暮れ六ッ(午後6時)に舞坂宿(しゅく)の旅籠〔めうがや〕に、小頭ともども、小浪といっていらっしゃって---」
それだけつぶやいて、気絶したふりをして倒れた。
指定された日の昼すぎから、配下の気のきいたのの4,5人に〔めうがや〕のまわりを見張らせておき、捕り方がいないことをたしかめた上で、勇五郎と源七は小浪を呼び出した。
「すまないが、新居(あらい)宿までの舟の上で聞かせてもらう」
小浪はすなおに応じた。
「みなさん、言葉にそれぞれ、なまりがありすぎます。あれでは、押しこみ先に耳のいいのがいたら、何人かの出身がしれてしまいます。それぞれ、生国が発覚(ば)れないように、なまりをとりのぞくことが肝心です。それと、言葉をつかわないでも指令がとおるようにしないと---」
「お前さん、どちらの---?」
「北河内の〔堂ヶ原(どうがはら)〕のお頭のあと、〔帯川(おびかわ)〕の源助(げんすけ 57歳=当時)お頭の下で3年、修行させてもらいました」
「おお、伊那のお方と聞いている、あの〔帯川〕のお頭の---」
「はい。2年前に一味をお解きになったので、いまは独り盗(ばたら)きです」
「あの醸造元へも?」
「ですが、そちらさんにさらわれてしまって---」
「悪かった。で、どうだろう、うちの配下たちのお国なまりを矯正してもらえるかな?」
「それには、別のお人がいましょう。あたしは〔うさぎ〕なら---」
「長谷川さま。小浪もお竜(りょう)も、ともに美形です」
「認めます」
「どちらも、賢い。しかも、芯がつよい。が、こころねは、まるで異なります」
「はあ---?」
「小浪は、おのが美形を存分に遣いこなすこころえがあります」
「お竜どのは?」
「美形を、まったく、意に介しておりません」
「---?」
「おなごには、きわめて珍しいことです。それだけに、こころねが真っすぐです。だから、ものごとがよく見えます」
「お逢いするのが、ますます、たのしみになってきました」
そろそろ、酒客のくる時刻になったらしく、忠助があいさつをして、板場へ引っこんだ。
銕三郎も潮時とみて、
「(狐火)のお頭。ついでのときに、〔蓑火〕のお頭へお伝えください。向島の料亭〔平岩〕へ押し入るのは、おやめなさったほうがお身の安全と。捕り方が手ぐすねをひいて、押しこみを待っております」
勇五郎の眼の光がまして、銕三郎を見つめた。
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