カテゴリー「162小説まわりの脇役」の記事

2007.08.07

銕三郎、脱皮(3)

みやこのお豊さんから、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以)が、餞別返しに求めてきた、小田原名物の 虎屋の〔ういろう〕について、以下のようなコメントとともに、貴重な素材をお貸しいただいた。

銕三郎のお土産は小田原の透頂香「ういろう」ですね、東海道を往来する諸大名はもとより庶民もあの薬を求めて道中の常備薬やお土産としてし諸国に知れ渡っていたようです。

今でも小田原の旧街道国道1号線沿いに『東海道名所図会』そのままの八つ棟造りのお城のようなお店があり、薬コーナーとお菓子コーナーにわかれています。

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(秋里籬島『東海道名所図会』  小田原・虎屋 絵師:春暁)

銕三郎が購いに行ったときも、上の絵にあるように、天守閣じみた破風づくりを載せた店構えであったろう。『東海道名所図会』は、こうも記している。「北条氏綱の時、京都西樋洞院錦小路外郎(ういろう)という者、この地へ下り、家方透頂香(とうちんこう)を製して氏綱に献ず。その由緒は、鎌倉建長寺の開山大覚禅師、来朝の時供奉し、日本へ渡り、家方をこ弘(ひろ)む。氏綱これを霊薬とし、小田原に八棟の居宅を賜り、名物として世に聞ゆ---」 八っ棟づくりのゆえんだな)。

同店---外郎(ういろう)藤右衛門の概歴はこうも詳述。
「わが祖先は、支那台州の人陳氏延祐といい、元の順宗に仕え、大医院とり、礼部院外郎(礼部院という役所の定員外の郎)という役であったが、明が元を滅すと二朝に仕えることを恥じてわが国に帰化して陳外郎(ちんういろう)と称した。その子宗奇が後小松天皇の御代・足利義満の命に応じて明国に使いしたて家方の〔霊宝丹〕を伝えた。効能顕著であったから、朝廷、将軍家をはじめ皆これを珍重した。これにより、時の帝より透頂香の名を賜った(後略)」

薬の「ういろう」は銀色の極小粒の仁丹のような丸薬であらゆる症状に効能があるといわれています。

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(虎屋のリーフレット。銕三郎は印籠は求めない。それぞれの家が家紋入りのを持っているからである)。

西川柳雨は『川柳江戸名物』で、虎屋外郎の江戸の支店は両国横山町角にあったとしているが、『江戸買物独案内』には、その薬名はない。たぶん、類似薬を触れ売りしたのであろう。

虎の威をかりて外郎売りあるき
虎の威を五種香売りもちっと借り

小田原の店で買ってきたということで、信用されたとおもう。
店の屋号は虎屋、 『図会』にも描かれているように、虎の絵の衝立が飾られていた。

リーレットの歌舞伎絵は、市川団十郎家の[ういろう]売り。

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2007.03.04

兎忠の好みの女性

『鬼平犯科帳』の前半のコメディ・リリーフ---兎忠こと木村忠吾は、同心としては頼りなくても、なんとも憎めない性格の持ち主である。

この兎忠、出番が文庫では第10話、背景となる時代は寛政3年(1791)、すなわち、長谷川平蔵が先手弓の第2組の組頭に着任してからだと5年目、火盗改メの長官に発令されてからでも4年目と、なんともしまらない。

いや、シリーズでの登場は、役柄からいって決して早くはないが、さればとて遅くすぎもしない。
ありようは、当初、池波さんがこの連載を1,2年で終えるつもりだったから、歳月を急いだにすぎない。

連載をつづけると腰をすえてからは、それまで発表した各篇のあいだあいだに、つじつまあわせの篇を挿入していった。

以上のことは、木村忠吾のにすでに明かしておいたが、とにかく[2-2 いろは茶屋]での登場は24歳。18歳の時に跡目を継ぎ、登場時には母・あさもこの世にいなかった。
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〔いろは茶屋〕。遠景は五重塔(『歳点譜』を彩色 塗り絵師:ちゅうすけ)

「これが最後だとおもうと、もう何度でも、何度でも、何度でも---」
と、谷中の感応寺門前町の娼家・いろは茶屋〔菱屋〕のお松にいどむ。

このお松、ぽってりとした色白の忠吾とは対照的に、あさぐろい細(ほ)っそりと引きしまった躰つき。目もとはぱっちりとしているが、鼻は低く、唇もぽってり---初手は忠吾の好みではなかったのだが、男の躰を吸いこんでしまうような秘技に、いっぺんにはまってしまった。

つぎに忠吾が惚れたのは、1年後の寛政4年晩秋の物語である[2-6 お雪の乳房]のお雪。18歳の処女(もっとも、はやばやと忠吾を受け入れてしまったから、生娘で通したわけではない)。

このお雪---、

ぱっちりと大きく張った双眸(りょうめ)はさておき、化粧気もないあさぐろい肌、細身の小づくりの躰(からだ)、そのころのむすめとしては大きくふくらみすぎているくちびる---p241 新装p253

どこやら娼妓お松を彷彿とさせる描写だが、お雪は町内で「美しい」と評判を立てられたことはないらしい。

うーん、兎忠の女の好みは、お松が初めての女ではあるまいに、どうやら、彼女に刷りこまれてしまったか。
いや、池波さんがそうと決めたのかも。

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2007.02.22

養女・お順

[1-1 唖の十蔵]の事件は、天明7年(1787)の春から初冬へかけての事件である。

長谷川平蔵は、この前年の6月に41歳という若さで先手弓の第2組の組頭に抜擢されたばかり。
翌7年の9月19日には、火盗改メの冬場の助役(すけやく)に任命された。
『鬼平犯科帳』が、前任の火盗改メ・堀帯刀に替わって---としているのは、池波さんに魂胆があっての誤記とみる。つまり、火盗改メというこれまでほとんどなじみのなかった役職を登場させた。これに本役(ほんやく)、助役(すけやく)があるなどと書いては、読み手が混乱するとの配慮であろう。

[唖の十蔵]の篇末で、平蔵は妻女・久栄と、こんな会話をかわす。

年があけた天明8年(1788)の正月五日。
役宅の一間で朝飯をしたためつつ、平蔵が妻女の久栄(ひさえ)に、
「あのな---」
「はい?」
「去年死んだ小野十蔵と、ほれ、かかわり合いになり、仙台堀へ浮かんだおふじという女な」
「はい」
「その女は、あの小間物屋の助次郎の子を生んだ」
「はい。そのようにうけたまわりました」
平蔵夫婦はニ男ニ女をもうけていた。p46 新装p49
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明けて平蔵は43歳、長男の辰蔵は19歳だから、久栄18歳のときの出産とすると、夫より6歳下の37歳。長女は17歳か。
夫婦にニ男ニ女がいたという出典は『寛政重修諸家譜』である。次女は小説ではお清と名づけられている。
次男の正以(まさため)は同族の長谷川正満(まつみつ)の養子となっている。

「それで、な---」
「はい?」
「盗賊の子と知って、押上村の喜右衛門は、そのお順という子を持てあましはじめたそうだ」
「まあ---」
「おれたちがその子を引き取ってやろうとおもうが、どうだな」
「はい。おこころのままに」
「こころよく、引きうけてくれるか、そうか」
あたたかい、冬の朝の陽ざしが縁いっぱいにながれこんでいるのをながめつつ、長谷川平蔵は。つぶやくように、こういった。
「おれも妾腹(めかけばら)の上に、母親の顔も知らぬ男ゆえなあ---」

お順の存在を、池波さんは『寛政譜」の左に、ぽつんと記されている女子に見たのであろう。すべての子を久栄が生んだとは考えられないが、養女ならそれなりの手続きを記すのが至当である。

ついでにいうと、「おれも妾腹(めかけばら)」の子---というのは正確ではない。
亡父・宣雄は、先代の三弟の子として生まれた。ふつうなら、家督の目はなかった。それで家女に平蔵を生ませ、一つ家で暮らしていた。
ところが、従兄の当主が病死、家名を守るために、急遽、従姉妹の婿となって家督したが、家女もそのまま居座った---というより、病身の妻が家婦の務めができないので、彼女がすべてをとりしきったふしがある。これは妾という存在ではないとおもうが。

いや、お順のことであった。
寛政5年(1793)の梅雨明けのころ事件である[4-1 むかしの男]に登場したときは7歳。その後、杳(よう)として姿をあらわさないのはどうしたことか。
 

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2007.02.21

小間物屋のおふじ

おふじは盗賊ではない。ただ、殺人を犯した。殺したのは、盗賊の亭主・下総無宿の助次郎である。
「手前(てめえ)の腹の子なんぞ、ほしかあねえ」とほざき、身重なおふじを捨てて別の女とどこかへ行くという。それでかっとなったおふじは、酔いつぶれて寝ている亭主の首を絞めた。

ここまで書くと、ほとんどの鬼平ファンは、[1-1 唖の十蔵]の彼女だ---と察しがつく。
なにしろ、『鬼平犯科帳』文庫第1巻は150万部以上も刷られている。池波さんの生前にざっと50万冊、歿後に100万冊。
その冒頭に収録されているのが[唖の十蔵]である。読み手は強烈な印象を受ける。

おふじは、相州藤沢宿の荒物屋の常市のひとりむすめであったが、4歳で母を失い、17歳で父を亡くした。ある人の口ききで江戸へ出て、東両国の小間物屋〔日野屋〕へ下女奉公に上がり、縁あって助次郎に嫁いだ。
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この〔日野屋〕は[2-4 妖盗葵小僧]に登場する店だが、第1話ではその予定はなく、東両国の問屋として屋号を使ったのだろう。

上記の経緯で亭主を殺したとき、火盗改メ・堀帯刀組の同心・小野十蔵が行きあわせた。

なよなよとか細いからだつきの---そして大きな双眸(りょうめ)が、大きければ大きいほどにもの哀(かな)しいという---こういう女にひしとすがられたら、
(おれはどうなっちまうだろう---)
と、どんな男でもおもうような---おふじはそういう女であった。p12 新装同。

婚期が遅れていたくせに、持参金を鼻にかけた、出来悪の冬瓜(とうがん)のような女房・お磯に対するおふじの設定とはいえ、これでは小野十蔵とおふじが出来てしまうのは、とうぜんといえる。

火盗改メの長官が堀帯刀から長谷川平蔵になった---というのは、池波さんの史料の読み間違いで、このとき平蔵が任命されたのは、冬場の助役(すけやく)だった。

しかし、そのことと小野十蔵とおふじの自滅せざるをえない運命は関係ない。

それより、 その後の『鬼平犯科帳』163篇を通して、おふじのような男心に訴えかける、か細い女性が登場しないのが不思議。

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2007.02.18

あばたの新助と妻女お米の婚儀

[4-5 あばたの新助]は、寛政元年(1789)の春から初夏へかけての事件である。

寛政元年の春といえば、長谷川平蔵が火盗改メの本役を拝命したのが天明8年(1788)10月2日だから、その役目について半年経ったか経たないかという時期。

あばたの新助こと佐々木新助同心は、同篇で29歳、女房お米(よね)とのあいだには、3歳になるむすめ・お芳(よし)がいる。p165 新装p175

新助の家は、平蔵の亡父・長谷川宣雄(のぶお)の代から御先手組(おさきてぐみ)の長谷川組に属していて、そのころは新助の亡父・佐々木新右衛門が同心をつとめてい、だから平蔵も、新助が少年のころから見知っている。(同)

亡父・宣雄が御先手組頭を勤めたのは、『柳営補任(りうえいぶにん) 三』(東京大学史料編纂所 1964.3.25発行 1997.9.25復刻 )を信じると、明和2年(1765)4月11日から同9年(1772)10月15日まで、すなわち、[あばたの新助]事件の23年から16年前のこと。

ただし、宣雄が組頭を勤めた先手組は、弓の第8組で、いっぽう、鬼平こと平蔵宣以(のぶため)のほうは弓の第2組の頭だった。

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市ヶ谷へん(近江屋板)

弓の第8組の組屋敷は市ヶ谷本村町(切絵図の赤○)で、長谷川家の居宅は南本所三ッ目の菊川だから、少年時代の新助を見知っていたというのは、いささか、あやしい。まあ、父の使いで市ヶ谷本村の組屋敷へ行ったときに見知ったという解釈もできなくはないが。

いや、辻褄があわないのは、弓の第8組の同心・佐々木新助が、平蔵宣以の弓の第2組に配属替えになっているらしい点である。平蔵の組の組屋敷は、『武鑑』によると目白台である。組屋敷ごと引っ越したのであろうか。

疑念は、もう一つある。

四年前に父母が相次いで病歿(びょうぼつ)してのち、新助は父の跡をつぎ、妻を迎えた。
この妻のお米は、同じ御先手組の与力・佐嶋忠介(さじまちゅうすけ)の姪(めい)にあたる。
この結婚には、長谷川平蔵が仲人(なこうど)をつとめてもいるのだ。(同)

むすめのお芳が3歳なら、挙式は4年前とみてさしつかえあるまい。天明6年(1786)である。この年の7月26日、41歳の平蔵宣以が先手組頭に抜擢された。火盗改メ助役に任じられたのはその翌年であった。

佐嶋忠介は、弓の第1組の堀帯刀の下で、火盗改メ・与力として腕を振るっていた。ただし、平蔵宣以との接点はまだできていない。
佐嶋与力の拝領屋敷は、牛込二十騎町。同心たちの組屋敷は牛込山伏町。

お米は佐嶋与力の姪ということだが、家筋は同心に嫁いだのだから、同役か御家人あたりか。つましく育ったろう。

佐嶋与力との接点がまだできていない長谷川平蔵に、仲人を頼むなんて、考えもおよばなかったと推測するのだが。

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2007.02.17

お八重という女

『鬼平犯科帳』に登場している脇役で、想像力をくすぐられ、ついつい気になる女性が何人かいる。
うちの一人が、[3-1 麻布ねずみ坂]で、指圧医師・中村宗仙(62歳)が下ってくるのを待ちこがれているお八重。

3年前、お八重は26,7歳の塾女。京の東寺の境内で〔丹後や〕という料理屋をとりしきっていた。
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東寺(『都名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

お八重の、細(ほ)っそりとした肩から胸乳(むなぢ)のあたりのなよやかさ。
にもかかわらず、「尻が背中(せな)にくっついている」。
いや、女に目の肥えている宗仙の、お八重の発達した下半身の見立てである。

『商人買物独案内』(天保5年 1834刊)には、東寺の境内に料亭がたしかに載っている。池波さんは、それを〔丹後や〕に見立てたのだろう。
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宗仙は、お八重が急病で寝込んでいるところへおしかけ、下腹を指圧しているうちに、双方、その気になってしまった。
30歳もの年齢差にもかかわらず、宗仙の鍛えられた指先の秘技に、お八重は夢ごこち。

が、お八重が、大坂の香具師の元締〔白子(しらこ)〕の菊右衛門の妾だったからたまらない。
五百両で売ってやるといわれただけでも「よし」としなければいけない。

金策のために江戸へ下った宗仙は、必死に稼いだ金を浪人・石島精之進へ渡すが、持ち逃げされてしまう。
菊右衛門は、惜しげもなくお八重を始末。
間男した女に未練はないということか。
それとも、宗仙の指技を知ってしまったお八重は、菊右衛門では物足りない顔をしてしまったか。

事態を知った宗仙は、ねずみ坂の自宅(下の赤○)からほど近い光照寺(上の赤○)にお八重の墓をつくり、供養を欠かさない。
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近江屋板 麻布・ねずみ坂あたり

光照寺は、東京オリンピックの道路拡張にひっかかって、都下・八王子市絹ヶ岡3丁目へ移転した。墓をまもるために、宗仙も移住したかも。

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2007.02.04

主役をふられた同心たち

本来は脇役のはずなのに、ある篇で主役をふられた同心は14人。うち、自裁・殉職したのが2人。木村忠吾は3編、それだけ物語のネタになるということ。

同心が主人公になっている篇のリスト

[1-1 唖の十蔵]……………小野十蔵
[2-2 谷中・いろは茶屋]……木村忠吾
[2-6 お雪の乳房] …………木村忠吾
[3-1 麻布ねずみ坂]………山田市太郎
[3-3 艶婦の毒]……………木村忠吾
[4-5 あばたの新助]……… 佐々木新助
[5-4 おしゃべり源八]………久保田源八
[6-3 剣客]…………………沢田小平次
[8-2 あきれた奴]………… 小柳安五郎 
[10-6 消えた男]…………… 高松繁太郎
[11-4 泣き味噌屋]…………川村弥助
[12-1 いろおとこ]………… 寺田金三郎
[12-6 白蝮]…………………沢田小平次
[13-3 夜針の音松]…………松永弥四郎 お節
[18-1 俄か雨]………………細川峰太郎
[20-1 おしま金三郎]……… 松波金三郎

同心筆頭の酒井祐助が主役をはっていない理由の推測はすでに述べた。

池波さんは、『鬼平犯科帳』を書き始めるにあたり、泥棒と同心を順次、物語の中心に置いていけば篇がつながると思った。さらに、粂八、彦十、伊三次、おまさなどの密偵が加わる。

なぜ、それで書こうとおもったか---長谷川平蔵の史料があまりに少なすぎたからである。
これには、池波さんも、ほとほと、困ったろう。

ところが、『オール讀物』からは「長谷川平蔵が主役ではなかったのか」と催促される。そこで、『江戸会誌』にあった「平蔵は幹事の才あり」をヒントに、池波さんが理想とするリーダー像を平蔵に仮託したとみる。

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長谷川伸師の書庫で、池波さんが手にとった『江戸会誌』(明治23年6月号 これに「平蔵は幹事の才あり」の記事が掲載されていた)

推測は、大きくは間違ってはいまい。

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2007.02.02

掏摸(すり)の原典

100_17 三田村鳶魚『泥坊づくし』(河出文庫 1988.3.4 原典は青蛙房)から、池波さんがネタを得ていたらしいことは、すでに何度も言及している。

今回のは、『週刊朝日別冊』1961年秋風号に掲載された[市松小僧始末]から『鬼平犯科帳』[2-3 女掏摸(めんびき)お富]にまで発展する、池波小説のいわゆる掏摸ものに関連する[艶福家市松小僧]の紹介である。
ついでに記すと、池波さんの掏摸ものは、[市松小僧始末]が初出のはず。長谷川伸師に掏摸ものがあるかどうかは、まだ調べていない。

江戸中の評判になったことから言えば、稲葉小僧より市松小僧の方が四十年早いのです。

前者は天明期(1780年代)に大いに盗(つと)め、市松小僧は寛保期(1740年代)だったとするが、泥棒の優劣(?)は、活躍期の早い遅いで決まるわけのものではなく、手際の鮮やかさ、組織の統率力が語られるべきであろう。ところが、

同じ泥坊でありましても、市松小僧は掏摸であるだけに、盗みについての話も伝わりません。

では、どうして泥坊として名が高まったのか。

勿論無宿ですけれども、ただ麹町に住んでいたというだけで、その本名も知れないのです。

[市松小僧始末]では、池波さんは又吉という名を与えている。勝手につけられた名前であろう。

掏摸という以上、鈍重なやつはいない、いずれも敏捷なやつにきまって居りますが、身体にしても骨の細い、締まった肉づきの小男、小屋の軽い様子が想望されます。
初代佐野川市松が好んだ石畳模様、あれを市松染といいまして、寛保元年以後の流行でありました。
それが渾名になったので、流行の模様を渾名に呼ばせるだけでも、小綺麗に聞こえますが、よっぽど男ぶりがよかったとみ見えて、麹町四丁目の伊勢屋重右衛門の娘、当年十八歳になるのに惚れられました。

[市松小僧始末]で、市松小僧又吉に惚れるのは、大柄すぎて婚期を逸しているおまゆだが、こちらは22歳、身の丈6尺(180CM)、体重22貫(88kg)。
小柄な市松小僧は、おまゆに抱かれると、その豊満に体に母親に甘えているような気分になる。

これは[1-5 老盗の夢]で、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助が大女に魅かれた原型でもあろうか。

[市松小僧始末]には、弥七という御用聞きも登場する。『剣客商売』の四谷の親分さんも弥七だ。

こういう読み方が邪道であることは重々、承知の上で、余興として記している。

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2007.01.25

鬼平の夜鷹へのヒューマニティ

[5-5 兇賊]で鬼平が、柳原堤の神田・豊島町1丁目の〔芋酒・加賀屋〕で、亭主の九平と話していると、老夜鷹のおもんが入ったきて、隣に座る。

「おさむらいさん、ごめんなさいよ」
頬(ほほ)かむりの手ぬぐいをとった顔は、しわかくしの白粉にぬりたくられ、灯の下では、とてもとても見られたものではない。 p166 新装p175

このおもんに、鬼平は酒をおごる。
で、おもんが年齢相応のしんみりした口調で、いう。

「旦那。うれしゅうござんすよ」
「なぜね?」
「人なみにあつかっておくんなさるからさ」
「人なみって、人ではねえか。お前もおれも、このおやじも---」

共産党の不破哲三さくんも「ヒューマニズムにあふれた、しびれるセリフ」と、どこかに書いていた。
舞台だと、大向こうから声が飛ぶところだ。

舞台といえば、池波さんが心酔していた長谷川伸師の代表作『瞼の母』で、江州阪田の番場生まれの渡世人〔番場(ばんば)〕の忠太郎が、柳橋・水熊横丁の料亭〔水熊〕の女将をせびりにきた50歳過ぎの夜鷹おとらに銭を恵む。と、おとらが、いう。

「兄さんちょっと待っておくれ。お前さんは嬉しい人だ。夜鷹婆だ何だ彼だと、立番の野郎までが嗤(わら)うあたしに、よく今みたいな事を聞いておくれだった。何年ぶりかで人間扱いをして貰った気がするんだ---」

池波さんは、この戯曲を幾度も観て、どこでどういう観客がうなずくか、涙するか、学んでいたにちがいない。

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2007.01.19

葵小僧の展開(5) 声色

みやこのお豊さんと所沢のおつるさんコンビの研究発表---

【1】から【3】への発想の膨らませ方。

【1】 三田村鳶魚の槍を持たせた葵小僧
【2】 池波正太郎の江戸怪盗伝
【3】 池波正太郎の妖怪葵小僧(鬼平犯科帳)巻2-4


三つの骨子は---、
葵の紋のいでたちで押し入った先の妻や娘を必ずなぶり者にし,中々捕まらず,江戸の町で怖れられていた稀有の大盗・葵小僧。
ようやく火盗改めの長谷川平蔵が捕え、被害者保護のため早々に平蔵の独断で処刑し、供述を記録に残さなかった。

どのように膨らませたか。
1、ストーリーの長さ
 【1】 原稿用紙 2枚
 【2】       31枚
 【3】       135枚

2、期間
 【1】寛政3年4月16日~5月3日 
 【2】寛政3年夏~年末
 【3】寛政3年7月15日~寛政4年9月
                   
3、襲われた店
 【1】おびただしい
 【2】日野屋、玉川屋、戎屋、他10余軒、神出鬼没
 【3】9軒,10軒目は未遂,他多数.神出鬼没

4、被害の状況
 【1】女房,娘を犯す.葵の紋入り駕籠、提灯を持つ
 【2】日野屋(小間物塗り物問屋)女房おきぬを2度にわた
    りなぶりものにする。
    猿轡,手足を結わかれた身動きできない主人の前でお
    かす。
    奉公人は気絶させられ,猿轡手足を結わえる。

    玉川屋(醤油問屋) 逃げる途中町方に発見され同心、
    捕り手に死者

    戎屋(傘問屋)娘を犯す

    何れも金品はあるものだけを持ち去る。

    葵の紋付き服装、若党を従え、旗本の品のよいいでたち

【3】押し入り方に変化
    10軒中4軒は声色を使
             
    竜淵堂(文具店)戸田家用人の声色
    女房お千代を犯す、お千代の態度
    世間体を気にして被害届け出さず。
         
    小田原屋(乾物問屋)親戚伊豆屋専衛門のまね
    14歳の娘おみな 主人新助斬り殺される.届ける

    高砂屋(料亭)女房の実家玉屋の料理人のまね
    女房おきさ。

    花沢屋(傘問屋)番頭卯三郎の真似
    未遂

    他の6軒は声色なく何時の間にか押し込まれ、猿轡、
    手足を拘束される。女房、娘を必ず犯す。

    そのうち日野屋(高級玩具屋」は葵小僧の(尚古堂)
    の隣りの家女房おきぬ2度犯される。

    被害にあった女性たちの苦悩、それを見ていた主人や
    親達の苦悩は金品には変えがたい被害である。
    この中で竜淵堂の夫婦は心中をする。

5、平蔵の探索方 
 【1】は記述はない、火盗改め本役長谷川平蔵が逮捕
 【2】葵小僧は配下を与力宅に住み込ませ情報を得ていた。
 平蔵が巡回中に偶然に逃走中の葵小僧達を見つけ、
 棍棒を投げて自慢の鼻を落とし虚脱状態の葵小僧を
 捕縛
 【3】始めから密偵を使う
 与力、同心、を使う
 加役として桑原主膳が加えられた
 目撃者からの証言で人相書きを作成し、
 そこから探索の幅を広げ、綿密な計画のもと
 犯人を発見、密偵達の働きにより現場を抑え
 小刀で背中を差し、自慢の鼻を蹴上げて、捕縛。

6、葵小僧
 【1】では記述なし、
 【2】、【3】とも役者の子
 鼻が低い為に役者として成功せず。
 付け鼻で変装して、鼻の低さを笑い、蔑すみ冷た
 扱った茶汲み女に対する恨み憎しみが
 女への不信感になり、押し込み先の女房、娘を弄んだ。

7、処刑
 【1】【2】【3】とも葵小僧がしゃべる事によって
 被害者の被る恥辱を思い、平蔵の一存で、早々と
 首をはねる。

最後に
【1】から始まって短編の【2】になり【3】の短編小説3冊分にもなる
ほどにふくらみました。

池波さんは「葵小僧」という妖盗をテーマにして、
火盗改めの長官、長谷川平蔵について、
書きたかったのではないかと思います。

それはこれまでの作品と違ってストーリーの最初から平蔵がが関わっています。
平蔵の火盗改めとしての信念は「無宿無頼の輩を相手に面倒な手続きなしで刑事にはたらく荒々しきお役目、軍事の名残をとどめおるが特徴でござる」という。
上司の圧力、世間の風評などびくともしないのです。

与力、同心、密偵、友人(岸井左馬之助)、知人(井上立泉)この先の作品に登場する多くの人たちの協力をえて綿密な計画の下に推し進める探索方法。
そして彼らに対するねぎらいと気くばり。

被害者の心情に対する配慮、それによって町民との信頼関係。

長谷川平蔵の姿を描いて、この先のシリーズをおもわせるようです。

(付言)
Photo_271 葵小僧の特徴の1つは、「声色」。

声色は、池波さんが芝居作家であった事からの発想かと思うのですが。

平蔵が声色に気づくきっかけは玉川屋で貸し本屋亀吉が、当時の人気役者の5世市川団十郎と女形の瀬川菊乃丞の声色をしたことから発覚していきました。

当時の役者の肉声は無理ですので、似顔絵でもと探してみました。
春章「5世団十郎の助六」(集英社 浮世絵大系)

三田村鳶魚『泥坊づくし』(河出文庫)

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