銕三郎、脱皮(3)
みやこのお豊さんから、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以)が、餞別返しに求めてきた、小田原名物の 虎屋の〔ういろう〕について、以下のようなコメントとともに、貴重な素材をお貸しいただいた。
銕三郎のお土産は小田原の透頂香「ういろう」ですね、東海道を往来する諸大名はもとより庶民もあの薬を求めて道中の常備薬やお土産としてし諸国に知れ渡っていたようです。
今でも小田原の旧街道国道1号線沿いに『東海道名所図会』そのままの八つ棟造りのお城のようなお店があり、薬コーナーとお菓子コーナーにわかれています。
(秋里籬島『東海道名所図会』 小田原・虎屋 絵師:春暁)
(銕三郎が購いに行ったときも、上の絵にあるように、天守閣じみた破風づくりを載せた店構えであったろう。『東海道名所図会』は、こうも記している。「北条氏綱の時、京都西樋洞院錦小路外郎(ういろう)という者、この地へ下り、家方透頂香(とうちんこう)を製して氏綱に献ず。その由緒は、鎌倉建長寺の開山大覚禅師、来朝の時供奉し、日本へ渡り、家方をこ弘(ひろ)む。氏綱これを霊薬とし、小田原に八棟の居宅を賜り、名物として世に聞ゆ---」 八っ棟づくりのゆえんだな)。
同店---外郎(ういろう)藤右衛門の概歴はこうも詳述。
「わが祖先は、支那台州の人陳氏延祐といい、元の順宗に仕え、大医院とり、礼部院外郎(礼部院という役所の定員外の郎)という役であったが、明が元を滅すと二朝に仕えることを恥じてわが国に帰化して陳外郎(ちんういろう)と称した。その子宗奇が後小松天皇の御代・足利義満の命に応じて明国に使いしたて家方の〔霊宝丹〕を伝えた。効能顕著であったから、朝廷、将軍家をはじめ皆これを珍重した。これにより、時の帝より透頂香の名を賜った(後略)」
薬の「ういろう」は銀色の極小粒の仁丹のような丸薬であらゆる症状に効能があるといわれています。
(虎屋のリーフレット。銕三郎は印籠は求めない。それぞれの家が家紋入りのを持っているからである)。
西川柳雨は『川柳江戸名物』で、虎屋外郎の江戸の支店は両国横山町角にあったとしているが、『江戸買物独案内』には、その薬名はない。たぶん、類似薬を触れ売りしたのであろう。
虎の威をかりて外郎売りあるき
虎の威を五種香売りもちっと借り
小田原の店で買ってきたということで、信用されたとおもう。
店の屋号は虎屋、 『図会』にも描かれているように、虎の絵の衝立が飾られていた。
リーレットの歌舞伎絵は、市川団十郎家の[ういろう]売り。
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