カテゴリー「146不明」の記事

2009.04.27

19歳の〔掻掘(かいぼり)〕のおけい(3)

長谷川さま。八幡さま境内の二軒茶屋のうちの、〔伊勢屋〕倉右衛門のほうをあたってみやしたら、驚くではござんせんか。おけいは後妻の座に居すわっておりやした」
町駕篭〔箱根屋〕の主人におさまった〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 38歳)が、銕三郎(てつさぶろう 25歳)から頼まれた翌日、三ッ目通りの長谷川邸へやってき、報告した。


参照】2009年4月13日[風速(かざはや)〕の権七の駕篭屋業] () () () (

_360
(深川八幡社内 二軒茶屋〔伊勢屋〕)

「おけいは、20歳そこそこにしか見えなかったが---」
「座敷女中頭の弁では、19歳だそうでやす」
「19歳で、あの高級料亭の女将がつとまるのか」
「女中や板場の包丁人たちも、ころっとなびいちまったらしいんでやす」

「ところで、倉右衛門の前妻は、病死かなにか?」
「20年連れそったあげくの、三下り半だそうで---」

「倉右衛門は幾つなんだ?」
「53とか---」
「53歳に、19の後妻か---」
「うらやましいかぎりでやす」

どの。うらやんではいかぬ。同情してやれ。毎晩、ねだられたのでは、53歳の躰がつらかろう」
「まったく。38歳のあっしでも、もちやせん」

権七の〔箱根屋〕は八幡宮の境内茶屋も常得意の一つで、出入りしている駕籠舁(か)きたちの耳にはいろんな風評がはいっている。

A_120けいが倉右衛門とできたのは、仲居としてつとめた5日目だったという。
一度、その躰の味をおぼえた倉右衛門は、これまでの人生がつくづく無駄な52年とおもえたとこぼしてはばからなかった。
もう、座敷に出すのもおしそうで、いっときでも離れていてはほかの男に連れさられると、前妻に200両(3400万円)を渡して離縁し、おけいを本妻になおした。(歌麿 おけいのイメージ)

けいもこころえたもので、まず、女中頭をまるめこみ、つぎには板長を手なづけ、女将の座を安泰にした。
そのために、50両(800万円)以上の金がつかわれたろうとの、もっぱらうわさという。

それから2ヶ月後、倉右衛門が〔伊勢屋〕を売りに出しているらしいとの風聞を、権七が聞きこんできた。
なんと、おけいが、店の金の130両(約2080万円)、持ち逃げしたのだ。

「やはり、〔たらしこみ〕であったか---」
銕三郎の言葉に、権七は首をすくめ、
「お見とおしでごさいやしたか。それにしやしても倉右衛門は、あんなすごいおもいをした男は、江戸中に、わし、ただ一人---首をくくって、いつ死んでも悔いはねえと、うそぶいているそうでやす」
「〔掻掘(かいぼり)〕のおけいが生きているかぎり、何人の男たちが、倉右衛門と瓜ふたつのたわごとを冥土へのみやげにする羽目になるやら」
(あやうくおれも、その中の一人になるところであったかも)


参照】2009年4月25日~[19歳の〔掻掘(かいぼり)〕のおけい] () (

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2009.04.26

19歳の〔掻掘(かいぼり)〕のおけい(2)

掻掘かいぼり)〕のおけい(20歳がらみ)が出ていってから、銕三郎(てつさぶろう 25歳)が訊いた。
「あのおけいは、どの頭(かしら)の下で盗(つと)めていているのだろう?」

(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 50歳がらみ)が、じろりとにらんで答えた。
っつぁん。訊かねえ、言わねえ---って、つきあい方もありやすんで」
「すまなかった。訊かなかったことにしておいてほしい」
「盗(つと)めは辞めたといっても、むかしの仲間への義理ってもんもござんすので---」
「承知しているつもりであったが、つい、口がすべった」

そろそろ、呑み客がくるころなのに、どこまで使いに行っているのか、おまさ(14歳)が帰ってこないので、銕三郎は、如意輪観音のお札の礼の言葉を忠助にたくし、〔盗人酒屋〕を出た。

竪川ぞいの北河岸を三ッ目ノ橋のほうへ歩いていると、柳原町1丁目の小間物屋〔川越屋〕から、
っつぁんの旦那」
呼びかけたのは、20歳のおんなには似合わない乾き気味の声の〔掻掘〕のおけいであった。
(煙草の吸いすぎだ)
銕三郎の家では、だれも吸わないから、よけいに気になる。

「先刻は失礼いたしました。お家は、こちらのほうでございますか?」
「そうだが、おけいどのは?」
「深川八幡宮境内の二軒茶屋〔伊勢屋〕さんのお世話になっております」
「それでは、三ッ目ノ橋をわたったほうが近い---」
「いいえ。きょうは非番なので、帰りが遅くなってもかまわないのですよ」

「おつきあいしたいが、これから、御厩(おうまや)河岸まで、野暮用に参るので---」
「お差し支えなければ、ごいっしょさせてください」
「拙はかまわないが、おけいどのは、人目につくと困るのでは?」
「いいえ。ちっとも。っつぁんこそ、こわい女性(ひと)がいらっしゃるとか---」
「まあな」

とんだ行きがかりで、新辻橋のたもとから猪牙(ちょき)舟を雇った。
並んで座ると、おけいは腕をとって太ももへおかせ、右胸を押しつける。
銕三郎の躰に雷に打たれかとおもえるほどの稲妻が走った。
おんなの躰がこんなに柔らかいものとは!
舟の揺れにあわせたように、、
(骨がないみたいに包みこんでくる、とはこのことだ)

けいは、銕三郎の肩に躰をあずけ、袴の前においた掌を開いたり握ったりして触れる。
たちまち股間が緊張しはじめた。

それと察していながら白々しく、その掌を拍子とりの動きに変え、
袴を打ちながら小唄を口ずさむ。

 三笠の松はしょんがいな
 ほれ、しょんがいな
 待つとしっていて、背伸びをわすれ---

舟着きで舟からあがるとき、わざとよろめいて、手をかした銕三郎に真正面からすがりつき、両の乳房をもろに押しつけた。
茶店〔小浪〕に入るまで、こんどは横からすがりついている。

_130驚き顔の小浪(こなみ 31歳)に目くばせした銕三郎が、
「おけいどの。拙のこわい情人(いろ)の、小浪でござる」
(歌麿 小浪のイメージ)

けいは、小浪の美貌にたじろいだ。

「おけいはんといわはりますの。うちのがえろうお世話なったみたいで、おおきに。もう、お返ししてくれはったかて大事おへんえ」

つぎの渡し舟がでるのを機(しお)に、仏頂顔(ぶっちょうがお)のおけいが立ち去った。
小浪が供した茶に手もつけていなかった。

舟が大川の半ばまで達したのを見とどけた銕三郎小浪は、声をそろえて笑った。
「あ、ははは」
「お、ほほほ」

杭に翼を休めていた都鳥が驚いて飛び立った。
それで2人は、また、笑いなおした。


参照】2009年4月25日~[19歳の〔掻掘(かいぼり)〕のおけい] () (

参照】[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (6)  (

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2009.04.25

19歳の〔掻掘(かいぼり)〕のおけい

〔盗人酒屋〕へ入った途端、銕三郎(てつさぶろう 25歳)は、ふしぎな気分になった。
欲望が触発されたというか、股間があったかくなったのである。

奥の飯台で、こちらを背にしたおんなと向きあって話している〔(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 50がらみ)が、銕三郎をみとめて、
「ああ、っつぁん。お引きあわせしときやしょう」

おんながこちらをふりむいた。
美人というほどではない。
下がり気味の目じりの流し目で、男ごころを誘う。
白粉をはたいていない首すじあたりの肌が、抜けるように白い---というより透きとおって骨まで見えようかという風情で、江戸のおんなには珍しい。

これまで抱いたことのあるおんなでは、三島宿のお芙佐(ふさ 25歳=当時)に近いといえようか。
あれは、銕三郎にとっては10年以上も前、14歳のときの初めての性体験で、しかも、1夜きりのことであったから、しかとは比べられない。

参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ

「おけいさん。こちらは、銕三郎とおっしゃる、旗本の3男坊で、厄介ぐらしの身の上。ただし、蔭にすごい女性(にょしょう)がついてるから、手だしは無用」

けいと呼ばれた20歳そこそこと見えるおんなは、齢に似合わず、色気の塊といえそうなほどだが、それもどことなく崩れた妖気じみたものを感じさせる。
男に、溺れてみたいとおもわせる色気である。
銕三郎の股間は平常に戻っていたが、独身のときなら、溺れるほうを選んだかもしれない。

そんな銕三郎を見通したように、
「おけいでございます。おけいのけいは、親は恵むの〔恵(けい)〕のつもりだったようですが、わなの〔罠(けい)〕だろうっておっしゃる男衆が多いんでございますよ。おほっ、ほほほ」
(しょってやがる。おもいしらせてやりたいと、男におもわせるところが、〔罠〕なんだな)

「罠とかにかかってみてえものだが、こええ情婦(いろ)に殺されてもつまらねえからな」
伝法に受け流しておき、目で忠助を板場へ誘った。

どん。おまさに心配させてはいけないよ。あの娘(こ)のいうとおり、10日ごとに店を閉めるんだな。遊びたいさかりのおまさにとっても、いい休養日になるしな」
「わかりやした。ところで、っつぁん。あのおけいの〔通り名(呼び名とも)〕は、〔掻掘かいぼり)〕といわれていやす。男の精をあますところなく掻いだすんだそうで---」
「掻いだされる男がだらしない」

「そりゃあ、そうにちげえねえが、なんでも、骨がねえみてえな躰だといわれていやす」
どんは、まだ試していない?」
「趣味じゃねえから---」

「ふふ。それはそうと、宮参り祝いのお返しにきたのだ」
「もう、そんなになりますか。久栄おっ師匠(しょ)さんは、お変わりなく?」
「おお。宮参りをすませたら、早々に〔罠〕をしかけてきている」
「う、ふふふ。ご馳走さまでやす」


参照】2009年4月25日~[19歳の〔掻掘(かいぼり)〕のおけい] () (


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2007.03.09

剣客盗賊・石坂太四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻6に収載の[剣客]で、過去の遺恨から、病身の松尾喜兵衛を一刀のもとに殺害したのが、この石坂太四郎である。
老齢を理由に、3年前に道場を閉め、深川・清澄町の藍玉問屋〔大坂屋〕の持家である貸家に隠棲していた松尾喜兵衛の愛弟子が同心・沢田小平次だったから、長谷川平蔵も手をつくして石坂の所在をつきとめ、沢田に仇討ちをさせた。
Photo_310
『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊) 池波さん座右の史料
松尾喜兵衛は、〔大坂屋〕の持ち家に隠棲していた。

年齢・容姿:40歳前後---とあるが、上総・佐貫(さぬき)藩・阿部駿河守への仕官をかけた試合時の、相手方・松尾喜兵衛の年齢を50歳前と仮定すると、15年以上は昔のはず。石坂は25歳前後か。
精悍な風貌。総髪。、小ざっぱりした身なりで、外出時には袴をつける。羽織さえまとうこともある。
生国:不明。上総国天羽郡の佐貫藩へ仕官を所望というから、同藩が転封前、三河国刈谷藩時代に縁があったと考えられないでもない。
というのは、仕官の道を絶たれて盗みの世界へ入ったのが〔野見(のみ)〕の勝平一味。首領・勝平の出身地が、尾張(おわり)国碧海郡(あおみこおり)野見(のみ)村(現・愛知県豊田市野見町)。
3年前に駿府から流れてき、小千住・山王権現社のかたわらで足袋づくりをしている留吉も〔野見〕の手の者。
〔野見〕一味の江戸での盗(つと)めのために先発してきて、深川・木場に近い入船町に住む。
Photo_308
近江屋板(部分) 赤○=深川・入船町、青○=富岡八幡宮
左端のブルーは海、下端は木場。
(参照:〔野見〕の勝平の項)
(参照:〔滝尻〕の定七の項)

探索の発端:最初は、仙台堀にそった松平陸奥守の蔵屋敷の横から出てきた石坂太四郎の羽織の袖にの血痕を見た鬼平が、同心・木村忠吾に尾行させたが、富岡八幡の境内でまかれてしまう。
松尾喜兵衛の葬儀の手伝いに来ていた密偵・おまさが、大坂屋へつなぎにあらわれた〔滝尻(たきじり)〕の定七を見つけ、彦十に尾行を依頼、小千住の留吉に隠れていた石坂浪人が見つかる。

結末:石坂は沢田小平次のとっさの剣技に破れて殪される。〔野見〕一味は、留吉の隠れ家に次々に現れては、張り込んでいた長谷川組に、文字通り、順繰り逮捕された。

つぶやき:[5-5 兇賊]で初めて登場し、「真刀では、おれも危なかろう」と鬼平がいうほどの遣い手---沢田小平次だったが、この篇ですさまじいばかりの剣技を示した。
以後、鬼平が支援を頼みとするときは、岸井左馬之助か沢田小平次の登場となり、連載にさらにもう一つの幅ができた。
つまり読み手は、沢田小平次の登場を心待ちにするわけだ。

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2007.03.08

〔青坊主(ぬのや)〕の弥市

『鬼平犯科帳』文庫巻2の[密偵(いぬ)]は、寛政3年(1791)の事件である。
主人公、一膳飯屋〔ぬのや〕の亭主・弥市は、いまは長谷川組の筆頭与力・佐嶋忠介の下で働く密偵だが、佐嶋が前火盗改メ・堀帯刀組の与力を勤めていた天明6年(1786)に捕縛され、きびしい拷問に耐えかね、属していた〔荒金(あらがね)]の仙右衛門一味のことを吐く。
ために〔縄ぬけ〕の源七を除く全員が処刑されていた。

一方、当時〔青坊主(あおぼうず)〕の「通り名(呼び名〕)で呼ばれていた弥市は、佐嶋与力に見込まれて密偵となり、人通りの多い奥州・日光両街道の下谷・坂本町3丁目にめし屋〔ぬのや〕を与えられ、女房・おふく(25歳)、少女・おさいとともにしあわせな日々をおくっている。
Photo_306
近江屋板・坂本町3丁目あたり。横に延びている奥州・日光街道。
赤○〔ぬのや〕その左、切れ込んでいる道の先は英信寺。

そこへ、〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門一味K〔乙坂(おとさか)〕の庄五郎があらわれ、生き残った〔縄ぬけ〕の源七の居所が知りたかったらと、合鍵づくりを強要。
(参照:〔荒金〕の仙右衛門の項)
(参照:〔縄ぬけ〕の源七の項)
(参照:〔夜兎〕の角右衛門の項)
(参照:〔乙坂〕の庄五郎の項)

年齢・容姿:むっくりと肥えた躰。女房・おふくより15歳上の40歳。盗人時代は青坊主だったがいまは髷を結っている。
生国:捨子(すてご)なので不明。拾って育ててくれたのは、町を流して歩くつけ木売りの老人---とあるから江戸育ちかも。7歳のときに老人は病死し、弥市は悪の道へ。

探索の発端:〔荒金〕一味だったときのことは書かれていない。
〔乙坂〕の庄五郎のことは、佐嶋与力に伝えてあり、合鍵づくりのために家をあける亭主を疑って尾行した女房おふくが佐嶋与力に疑われ、〔ぬのや〕が見張られる。

結末:〔乙坂〕の庄五郎へ連絡(つなぎ)をつけに行く弥市が長谷川平蔵と同心・山田市太郎が尾行され、住吉町・へっつい河岸の奈良茶漬屋〔巴〕で、〔乙坂〕と〔縄ぬけ〕の源七が捕縛された。
死罪であろう。

つぶやき:密偵は旧仲間からは〔いぬ〕と呼ばれ、いつ仕返しされても仕方のない身分である。
そのやるせない境遇にある弥市の人生が、突然に、明から暗へ転じるさまが、みごとに描かれていて、ともすればさっそうともみえる密偵の真の運命が浮き上がる。

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2007.03.07

〔ぬのや〕の弥市と剣客・石坂太四郎

このココログ、2006年3月31日までの15ヶ月間のタイトルは[盗賊探索日録]といい、池波小説に登場している盗人たちの生国を調べ、日報していた。

その名ごりは、当ブログの右サイドバーに登録された県名となって全記録が残っている。
あなたの出身県名をクリックで、たちどころに、あなたの出身県生まれの盗賊たちのリストが現れる。

発想のもとは、2002年10月から、静岡市にも〔鬼平クラス〕(SBS学苑パルシェ)が誕生し、ぼく自身が静岡県になじみができ、地名になじみができるとともに、その多くが盗賊の「通り名(呼び名)」となっていることに気づいたこと。

そのまえに、雑誌に載った池波さんの書斎の写真に写っていた本の背文字をルーペで調べていて、明治30年代に刊行がはじまった吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)を見つけたときから、その地名辞書と盗賊たちの「通り名(呼び名)」との関連が胸中にしこっていはした。

[1-7 座頭と猿]の〔五十海(いかるみ)〕の権平
[3-2 盗法秘伝]〔伊砂(いすが)〕の善八
[4-2 五年目の客]の〔羽佐間(はざま)〕の文蔵
[6-4 狐火]の〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七
[11-3 穴]の〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛
など、400余名の盗賊のうち、30人近くが静岡県出身と判明した。

いや、静岡県が盗賊の産地というわけではまったくない。
静岡県への池波さんのなじみ度が高いというにすぎない。

たぶん、若い頃の池波さんが忍者ものの取材で、徳川家康らを調べるために静岡県になんども足を運んでいるうちに親しんだ地名とおもわれる。

その証拠に、甲賀忍者が出た滋賀県、武田信玄の山梨県と長野県、上杉謙信の新潟県、お好きだった京都、ご自身の先祖の出身・富山県も上位にランクされている。

_2_1ところが、最近になって、

[2-5 密(いぬ)偵]の密偵〔ぬのや〕の弥市

[6-3 剣客]の剣客盗賊・石坂太四郎

のような準主役の探索洩れがあることがわかった。

漏らしたのではなく、出身国が特定できなかったために後回しにしたのだとおもう。
その後、カテゴリーに「不明」の項をつけざるを得なくなって設定したのに、2人を忘れていたらしい。

ほかにも、生国未特定で後回しにした準主役級がいるに違いない。
これから盗賊に総当りしてみないと。えらい仕事がふえてしまったが、ここまできたら、やるしかないだろう。

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2006.03.13

〔数珠(じゅず)屋〕乙吉

『鬼平犯科帳』文庫巻2に所載されている[谷中・いろは茶屋]は、寛政3年(1791)、愛すべきコメディー・リリーフ役の兎忠こと同心・木村忠吾(24歳)が1番手柄を立てる篇である。
忠吾は、〔いろは茶屋〕の娼妓お松の色香を忘れかねて、役宅の長屋を抜け出して谷中へ急ぐ途中で、あお盗めを終えた〔墓火〕の秀五郎(50男)一味を見つけ、善光寺坂の上聖寺(台東区谷中1-5-3)の前の数珠屋の〔油屋〕乙吉方へ消えたのを、寺の塀越しに見張る。
(参照: 〔墓火〕の秀五郎の項)

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年齢・容姿:60がらみ。足が不自由で歩くとき躰が傾く。
生国:不明。あえて推察すると、数珠ょを商っているところから京都あたりの生まれかと。いや、三河でも越中ということもある。

探索の発端:先述したとおり、忠吾が偶然に出会い、尾行・見張りをし、急報させた。

結末:鬼平が数珠を求めに入り、金を渡すふりをして、差し出した乙吉の手を取り押さえた。それを合図に、火盗改メの面々が打ちこんだ。死罪であろう。

つぶやき:〔墓火〕の秀五郎の処世訓の一つが、「人間と生きものは、悪いことをしながら善(よ)いこともするし、人にきらわれることをしながら、いつもいつも人に好かれたいとおもっている---」。
長谷川伸師ゆずりの、池波さんの人間観でもある。

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2006.03.10

仏絵師(ぶつえし)・細金小五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻12に収録されている[高杉道場・三羽烏]に登場して、物語に艶っぽさを添えているのが〔砂蟹(すなかに)〕のおけい(40女)だが、その亭主に設定されているのが、仏絵師(ぶつえし)という一風変わった職業の男・細金小五郎である。
(参照: 〔砂蟹〕のおけいの項)
細金小五郎名義で家を借りているが、当の小五郎はいっかな姿を見せないばかりかち、どういう盗人かも、まるで池波さんが放念したように、書かれない。借りた家は、日本橋・高砂町の菓子舗〔恵比寿屋〕の持ち家で、細い路地の突きあたりの、瀟洒な二階屋である。
おけいのみごとな色事の相手は、名古屋の役者くずれの〔笠倉(かさくら)〕の太平(40がらみ)。
(参照: 〔笠倉〕の太平の項)
太平を剣友盗賊・長沼又兵衛一味に引き入れるための濡れ場(?)というより、おけいはそのこと自体を楽しんでいる。亭主ということになっている小五郎はどうおもっているか書かれない。
(参照: 剣友・長沼又兵衛の項)

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探索の発端:〔小房〕の粂八が預かっている船宿〔鶴や〕へあらわれたおけいを、粂八は〔野槌〕の弥兵衛一味にいたとき見知っていた。尾行して、日本橋・住吉町の路地の奥まったところにある住まいを見つけた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
さっそく、路地の出口にある筆・墨・硯の商舗〔木屋〕の裏二階の一と間に見張り所が設けられたが、細金小五郎の姿は依然として現れない。

結末:押し込み先の巣鴨の徳善寺(架空)で長沼又兵衛は惨殺、〔笠倉〕の太平は捕縛、おけいも住吉町の二階家で捕まったが、小五郎については書かれていない。

つぶやき:ただ単に見張り所として部屋を貸しただけの〔木屋〕について、「店舗は小さいが、扱う品物は筆にしろ硯・墨にしろ、最高級のものばかりで、京都から直接仕入れをした物が多く、顧客の中には大名も旗本もいるという」と、わざわざ注釈している。
池波さんの頭には、室町の塗物の〔木屋〕があったのではなかろうか。大正の震災で消えた大老舗で、暖簾分けされた打物の〔木屋〕は現在も盛業中。
2600
鬼平のころには「室町につらなる木屋の紺暖簾」とはやされたほど、木屋の分店は多かった。住吉町の〔木屋〕も前2店と同様に『江戸買物独案内』に広告を出している。

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2006.02.28

旅籠の番頭・梅次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収められている[おしゃべり源八]でで、畜生ばたらきが専門の〔天神谷(てんじんだに)〕の喜佐松一味で、駿府の仏具店〔今津(いまづ)屋〕の主人・佐太郎を保証人として、2年前から平塚の旅籠〔米屋〕の番頭に入り込んでいたのが梅次郎である。
(参照: 〔天神谷〕の喜佐松の項)
(参照: 〔今津屋〕佐太郎の項)
同心・久保田源八から〔小房〕の粂八あての手紙をことずかった藤沢の茶店〔とみや〕の亭主・仁助には、かならず粂八へ渡すといいながら、その晩から姿を消していた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

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年齢・容姿:「若いに似ず気もつく---」とあるから、30代前半か。まじめそう。
生国:不明。地縁でいうと、〔今津屋〕佐太郎は近江、〔天神谷〕の喜佐松は越中だが、単に梅次郎とだけしか書かれていないので、どちらともきめがたい。しいていえば、保証人(請け人)となった佐太郎には近江弁があったろうから、近江説をとりたいが。

探索の発端:藤沢の茶店〔とみや〕の亭主・仁助の証言に、手紙は受け取っていないと粂八がいったことから、佐太郎が妖しいということになり、探索がはじまった。しかし、駿府の佐太郎も消えていた。

結末:〔天神谷〕の喜佐松の本拠である川崎宿の小さな旅籠〔大崎屋〕へ、火盗改メが打ち込んで捕らえた一味7名の中に、佐太郎老人がいたかどうかは書かれていない。

つぶやき:梅次郎の〔米屋〕での役目は何だったのであろうか。川崎と駿府との単なる連絡(つなぎ)の中つぎか。それにしても、2年ものあいだ、さしたる役目を果たしていたようにもおもえないのだが。
というのは、〔天神谷〕一味は、駿府でもお盗めをしていないし、江戸でもやっていない。

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2006.02.24

金貸し・松井四郎兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に入っている[寒月六間堀]に登場する金貸し・松井四郎兵衛の本当の姿は、さる藩の藩士だった山下藤四郎時代に、妻子がありながら美貌の市口伊織に男色をしかけて抵抗されたために伊織を殺害して江戸へ出奔、深川・西平野町で高利貸しをしている。
その四郎兵衛(藤四郎)を、息子・伊織の20余年にわたって敵(かたき)と探し求めてきたのは、伊織の父親・瀬兵衛(71歳)であったが、本所・二ッ目通りの弥勒寺前のお熊の茶店の隣の〔植半〕の庭に空腹のために倒れこんだ。
580
弥勒寺門前の〔植半〕。画面中段からやや下寄りの右端。
(〔『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:50がらみ。肥え、あぶらぎった大男。太い華、厚い唇。右の耳がないのは、抵抗した伊織に斬られたため。
生国:瀬兵衛老人は、京都の知人宅に老妻を待たせているというから、山下藤四郎も西国の藩の出身とおもうが、逆敵討ちをはじた瀬兵衛老人が藩名を明かさないので、不明。

事件の経緯:瀬兵衛老人の目的を聞いた鬼平は、逆敵討ちが法に触れるとしりながら、助力を申し出た。藤四郎の一行を六間堀に架かる猿子橋のたもとで待ち伏せ、4人の用心棒浪人を打ち倒した鬼平。瀬兵衛老人もようやくに藤四郎を刺殺した。
その瀬兵衛老人に、鬼平は紙入れを押しつけ「巡礼にご報謝いたす」。

つぶやき:子の敵を親が討つことを逆敵討ちと呼んで、幕法は禁じていた。鬼平は、それを承知で市口瀬兵衛に助力したのは、単に、20余年にわたる瀬兵衛老人まの苦労に同情したからではあるまい。逆敵討ち禁止令そのものを人情に悖るものとかんがえていたからであろう。いや、鬼平というより、池波さんが、だが。

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