〔風速(かざはや)〕の権七の駕篭屋業(4)
「長谷川さま。お気づきのことがありましたら、どうぞ、お教えくだせえまし」
駕篭屋業の店びらきを3日後にひかえた〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 38歳)が、銕三郎(てつさぶろう 25歳)の知恵をかりている。
「権(ごん)どのが箱根で荷運び人足---雲助といったな---あのころの小田原宿から箱根宿までの荷運び賃はいくらであったかな?」
「小田原からの登りが、429文(1万7,1600円=公式換算)、箱根宿からの下りが361文(1万4,440円=同前)という決まりでやした」
「小田原から箱根宿までの距離は?」
「4里8丁---。ああ、江戸の町中での駕篭賃も、1丁(109m)いくらとはっきりさせたほうがいいと、おっしゃっているのでやすね?」
江戸は箱根とちがって平地が多いとはいえ、本郷・湯島や谷中、赤坂や麻布・高輪あたりは坂が多い。
それで、権七は、駕篭舁(か)きたちが1日に3刻(6時間)・6里(24km)、客を乗せているとして、手取りを1人500文(2万円)、2人で1000文(1分=4万円)とおき、水揚げはその倍の2分(8万円)とはじいた。
この計算は、戻り駕篭の客はいれていない。
もし、運よく、戻り客がつけば、その分は増収となる。
もっとも、権七のねらいは、戻り客はなしでもいいから、いそいで店へ戻ってきてもらうことであった。
駕篭屋側の取り分を水揚げの5割とふんだのは、駕篭切手の元請け手数料が1割5分、駕篭の原価償却と修理費が2割、残る1割5分を営業費に引きあてたからである。
この計算には、元の店主から引き継いだ駕篭舁(か)き人足たちも納得した。
どうやら、権七が新しい店主になると、駕篭舁(か)きたちの実入りが、これまでよりも2割前後は増えるらしい。
権七は、駕篭舁(か)きの代表3人にきっぱりと告げた。
「増えるかどうかは、あ前さん方の働きしでえだ。客を乗せている時間が1日3刻、6里を下まわると、そのぶん、実入りが減る日もある」
「しかし、親方。3刻を上まわると、実入りも増える---」
「そういうこと」
もちろん、店側としては、目いっぱい、客つなぎにつとめることも伝えた。
「その代わり、お前さん方は、行き先をきいたら、そこまでは何丁だから、掛け値なしにいくらいくらと、客が乗る前に値段を告げ、納得の上で乗ってもらうように」
権七は、江戸の主要な道々の里程を記した絵図を刷らせて、駕篭舁きに持たせ、客にも示すように言いつけた。
【ちゅうすけ注】「現金掛け値なし」は、駿河町の越後屋・三井呉服店が始めて大成功したので、このころになると、江戸のなだたる大・中店も「掛け値なし」を看板に掲げていた。
が、表向きとはべつに、やはり、現金だとこっそりの値引きも少なくなかった。
また、商品切手のアイデアは鰹節問屋、〔イ(にんべん)〕の伊勢屋伊兵衛の創案といわれている。
開業の前の日には、背中に □ の屋標、襟に〔箱根屋〕と屋号を紺地に白抜きした半纏も届けられた。
「みなの衆。この半纏に恥ねえようにやってもらいてえ」
新しい門出の祝い酒の席で、権七が言った。
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