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2009.04.15

〔風速(かざはや)〕の権七の駕篭屋業(3)

駕篭屋を開業する〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 38歳)は、銕三郎(てつさぶろう 25歳)も目をみはるほど慎重であった。

大川から東の横川までの西深川に点在する辻駕篭屋7軒のすべてを、紋付羽織に角樽をさげ、ゑ組の組半纏をまとった頭(かしら)・仁吉(にきち 38歳)同道でまわった。
「お手をお借りすることもあろうかとおめえます。その節は、よろしゅうにお助(す)けくだせえますよう---こっちには、お声をいただけば、いつにてもお役に立つつもりでおりやす」
つまり。駕籠舁(か)き人の貸し借りを通じて、商売がたきとなりそうな芽を摘みとっていていしまったのである。
世話人に、最長老を立てたので、これには反目しあっていた亭主連も賛同するしかなかった。、

深川八幡宮前の料理茶屋や木場の旦那衆のところは、土地(ところ)の香具師(やし)の元締・〔丸太橋(まるたばし)〕の源治(げんじ 55歳)のところの小頭の雄太(ゆうた 36歳)がつきそった。
丸太橋〕へは、銕三郎が発案した駕篭切手の販売権を、通用額の1割5分の販売手数料を引いて卸した。

銕三郎は、自分の発案だけに、
「そんなに大きな利幅をわたして、内証は大丈夫なのか?」
心配すると、
「なに、地回り代をはらったとおもえば、売り子をかかえなくてすみやすから、かえって安いものです。それに、駕篭切手は、現金で〔丸太橋〕に引きとってもらっとりますから、貸しだおれはありやせん」
権七は、もと、箱根山道の雲助頭であっただけに、度胸がすわっていた。
その上、江戸の暗黒街の仕組み、下町の商家の金(かね)繰りの知恵が加わったから、鬼に金棒といえた。

蛇足を書くと、権七が創案して羽織につけた家紋は、屋標と同じで、単なる □ だった。
右上の角から左下の角へ線が引かれていれば、枡紋なのだが、その斜線はない。
銕三郎が訊くと、
「箱でやす」
「たしかに箱、ではあるな」
「〔箱根屋〕という屋号にしやすんで---」
「〔風速〕ではないのか?」
「そんな、自慢たらしい屋号をつけたら、同業者(なかま)に何を言われるかわかりやせん。箱根の山猿---と、へりくだって、ちょうどいいんでやす」


参照】2009年4月13日[風速(かざはや)〕の権七の駕篭屋業] () () (http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2009/04/post-ac1f.html">4)

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