藤沢宿の本陣・蒔田源左衛門
藤沢宿の旧・東海道筋は、鉄道駅舎が遊行坂からうんと南によった地点に設けられたため、結果的にさびれてしまい、いまでは歯抜けのように商店が並んでいるだけで、自動車が列をなしている埃っぽい通りになってしまっている。
そうした風景の中の一店---本陣とは縁もゆかりもない商店の前iの車道寄りに、
「蒔田本陣跡」と黒地に白文字で記された標柱を、藤沢市教育委員会が立てている。
藤沢市教育委員会が立てた〔蒔田本陣跡〕の標柱
池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』文庫巻15の長篇[雲竜剣]p208 新装版p216に、
相州・藤沢宿〔前田源左衛門〕は、火付盗賊改方の連絡所にな
っていて---
とある〔前田源左衛門〕は、じつは〔蒔田源左衛門〕を誤記したものであることがわかる。
誤記の<源(みなもと)> は、岸井良衛さん『五街道細見』(青蛙房)にあるようだ。
岸井良衛編『五街道細見』(青蛙房)
同書はじつによくできた編著書で、時代小説家が重宝してしばしば利用している。が、千慮の一失であろうか、たった一字、藤沢宿の本陣<蒔田源左衛門>を、<前田>と誤植しているのである
碩学のあの司馬遼太郎さんも、初期作品『風の武士』(1960 講談社文庫)上巻p242で、
藤沢の宿(しゅく)は、江戸から十ニ里ある。昼夜を通してこ
の宿まできた紀州隠密の一行は、ちのの乗物をかこんで、
本陣前田源左衛門屋敷の門をくぐった。
と、 同書にしたがって〔前田源左衛門〕としているのである。
引用されることはリファレンス本の著者にとっては名誉だが、校訂は入念にしておかないと、逆効果の場合もあるから、こわい。
つぶやき:
もしや---と、岸井良衛さん著『東海道五十三次』(中公新書 1964.9.30 手持ちは19版)の[藤沢]の項の本陣も、やはり、前田源左衛門と書かれていますね。
【ちゅうすけ補言】『五街道細見』版元---青蛙房には、発見した2年ほど前に電話で誤植を伝えておいたから、その後に増刷されていれば訂正されているとおもいます。
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