カテゴリー「113神奈川県」の記事

2006.06.05

藤沢宿の本陣・蒔田源左衛門

藤沢宿旧・東海道筋は、鉄道駅舎が遊行坂からうんと南によった地点に設けられたため、結果的にさびれてしまい、いまでは歯抜けのように商店が並んでいるだけで、自動車が列をなしている埃っぽい通りになってしまっている。

そうした風景の中の一店---本陣とは縁もゆかりもない商店の前iの車道寄りに、
「蒔田本陣跡」と黒地に白文字で記された標柱を、藤沢市教育委員会が立てている。

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藤沢市教育委員会が立てた〔蒔田本陣跡〕の標柱

池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』文庫巻15の長篇[雲竜剣]p208 新装版p216に、

 相州・藤沢宿〔前田源左衛門〕は、火付盗賊改方の連絡所にな
 っていて---

とある〔前田源左衛門〕は、じつは〔蒔田源左衛門〕を誤記したものであることがわかる。
誤記の<源(みなもと)> は、岸井良衛さん『五街道細見』(青蛙房)にあるようだ。

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岸井良衛編『五街道細見』(青蛙房)

同書はじつによくできた編著書で、時代小説家が重宝してしばしば利用している。が、千慮の一失であろうか、たった一字、藤沢宿の本陣<蒔田源左衛門>を、<前田>と誤植しているのである

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碩学のあの司馬遼太郎さんも、初期作品『風の武士』(1960 講談社文庫)上巻p242で、

 藤沢の宿(しゅく)は、江戸から十ニ里ある。昼夜を通してこ
 の宿まできた紀州隠密の一行は、ちのの乗物をかこんで、 
 本陣前田源左衛門屋敷の門をくぐった。

と、 同書にしたがって〔前田源左衛門〕としているのである。

引用されることはリファレンス本の著者にとっては名誉だが、校訂は入念にしておかないと、逆効果の場合もあるから、こわい。

つぶやき:
もしや---と、岸井良衛さん著『東海道五十三次』(中公新書 1964.9.30 手持ちは19版)の[藤沢]の項の本陣も、やはり、前田源左衛門と書かれていますね。


ちゅうすけ補言】『五街道細見』版元---青蛙房には、発見した2年ほど前に電話で誤植を伝えておいたから、その後に増刷されていれば訂正されているとおもいます。

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2005.12.08

〔蓑虫(みのむし)〕の久

『鬼平犯科帳』文庫巻1の第2話をかざっている[本所・桜屋敷]は、鬼平(43歳)の本格登場篇であるとともに、古いなじみの〔相模〕の彦十(50すぎ)が、約20年ぶりに鬼平と再会を果たす。
手配中の〔小川や〕梅吉がそのあたりで消えた、本所・南割下水の御家人・服部角之助の家をさくるようにいいつかった彦十は、面倒をみてやっているこそ盗の〔蓑虫(みのむし)〕の久が、服部一味から本町の呉服問屋〔近江屋〕を襲う仲間へ誘われていることを聞き出した。
(参照: 〔小川や)〕梅吉の項)

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年齢・容姿:彦十が「若い者(の)」というから、30歳前後か。容姿の記述はない。
生国:彦十が「面倒をみている」というから、同郷でもあろうか。相模国(現・神奈川県)のどこか。

探索の発端:鬼平がまだ銕三郎(てつさぶろう)を名乗っていたころのマドンナ・ふさが再縁した御家人・服部角之助の家のあたりで、〔野槌(のづち)〕の弥平一味の残党で、手配中の〔小川や〕の梅吉が消えたということから、警戒が強まった。
(参照: マドンナ・ふさの項)
(参照:〔野槌〕の弥平の項 )
服部の家には、素性のしけない浪人が4,5人とぐろをまいているし、博打も行われているらしい。

結末:〔蓑虫〕の久の手引きで、火盗改メが討ち入り、全員逮捕。梅吉は磔刑。ほかは死罪。ふさは遠島。

つぶやき:『鬼平犯科帳』が、ほとんど準備なし、スタートしてしまった経緯は、どこかに書いたとおもうが。

中堅作家になっていた池波さんは、1967年(昭和42)に、『オール讀物』から4回、短篇の依頼されている。
その年の12月号用に渡したのが、鬼平がちらっと出る[浅草・御厩河岸]だった。

原稿を受け取りにきたのが、その後、『週刊文春』の編集長として名をなした花田紀凱さん。文春に入社して2年目の駆け出し。
原稿を渡すとき、池波さんがいった---。
「長谷川平蔵という面白い幕臣がいてね。火盗改メなんかもやってね」(花田さんの記憶)。
池波さんの言葉を、花田さんが杉村友一編集長へつたえると、 杉村編集長は即座に、
「その、長谷川平蔵で連載を頼もう」

池波さんが手にしていた史料としては、長谷川伸師の書庫の『寛政重修諸家譜』の長谷川平蔵の項と、『江戸会誌』の合本---明治23年(1890)6月号の「長谷川平蔵逸事」くらいのはずで、それを使い、平蔵がちらっとでる[江戸怪盗記]と[白浪看板]を他誌に書いてはいた。
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長谷川伸師の書庫の合本された『江戸会誌』。池波さんはこの中の「長谷川平蔵逸事」で鬼平のイージをつくった

それほど、平蔵についてのデータは少なかった。
『オール讀物』から連載をいわれても、第1話[唖の十蔵]では、平蔵はあいかわらず、ちらっ、だった。
池波さんとしては、平蔵データの少なさは、悪漢小説として、盗人側から12回ほど書けばいいぐらいにおもっていたのである。

さて、[唖の十蔵]を新年号に載せるについて、通しタイトルが必要---というので、『鬼平捕物帳』とか『入江町の銕』とか、編集部内でいろいろでたらしい。
降版ギリギリに、誰かが、『犯科帳』とつぶやいた--その4年前に出ていた岩波新書『犯科帳---長崎奉行の記録---』がネタだった(花田さんの証言)。
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シリーズ名のヒントとなった岩波新書『犯科帳』

つまり、『鬼平犯科帳』という通しタイトルには、池波さんはかんでいなかったようだ。

同時に、第1話の[唖の十蔵]を下読みした『オール』の編集長がいったとおもう。
「面白い幕臣といって売り込んだ長谷川平蔵は、どこにいるんだ?」
それで、池波さんは、あわてて、[本所・桜屋敷]を書きあげた。けれど、データなしでやったので、長谷川平蔵の屋敷や組屋敷の位置など、ずいぶん、ムリしている。
第3話以下も、しばらくは盗賊主体の悪漢小説の形をとっている。

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2005.10.17

〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻8に所載の[白と黒]に登場する〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎は、〔門原(もんばら)〕の重兵衛一味にいたが、火盗改メが捕縛にむかったとき、ただ独り逃れえた。というのも、軽業一座で鍛えた身の軽さが難をすくったのである。
(参照: 〔門原〕の重兵衛の項)
本所・小梅の西尾隠岐守下屋敷の仲間部屋で根が好きな博打をやっていると、かつて〔門原〕一味で助(す)けばたらきをしたことのある女盗人のお今(27,8歳)に声をかけられ、押しかけてきた女2人と性の饗宴をたのしんでいた。
(参照: 下女泥お今の項)

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年齢・容姿:27歳。鼻すじは陥没しているが鼻の頭や小鼻きむっくり張っている。
生国:相模(さがみ)国津久井県小渕村のうち(現・神奈川県津久井郡藤野町関野)
当人の申したてでは甲州・関野だが、『大日本地名辞書』にも『旧高旧領』にも、甲州には「関野」という地名はない。甲州街道の宿駅だったので、池波さんが甲州と記憶してしまったか。
ほかには伊豆国加茂郡(現・静岡県田方郡中伊豆町)と武蔵野国多摩郡(現・東京都小金井市)に「関野」がある。

探索の発端:巣鴨の三沢仙右衛門宅で夕食を終え、富の市とつれだって感応院・子育稲荷の門前で、鬼平は、{門原〕一味の逮捕のときに取り逃がした軽業゜あがりの〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎を見かけた。
亀太郎は富の市のお顧客だったから、亀太郎の家も知れ、見張りがついた。

結末:火盗改メが踏みこんでみると、女2人とかめ太郎の3人ともまっ裸でふざけあっており、そのままの姿で逃げ出したところを鬼平に捕まった。

つぶやき:取調べがすむと、鬼平が佐嶋与力へ「あの、もんどりの亀太郎は、密偵に使えるとおもう。考えておいてくれ」といった。
元盗賊を密偵に仕立てる条件の一つが、一味がすっかり処刑されていて、正体がバレにくいことであろう。その点、〔門原〕一味は1年前に根こそぎ処刑されているから、亀太郎の前身を知っている同業者は数少ないといえる。

〔翻筋斗(もんどり)〕の〔筋斗〕は、歌舞伎用語では(とんぼ)と読む。いわゆる「とんぼがえり」である。歌舞伎に通じていた池波さんのこと、亀太郎に〔翻筋斗(もんどり)〕とつけたのは、彼の特技である(とんぼ)を頭に描いていてのことだったろう。

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2005.09.13

〔苅野(かりの)〕の九平

『鬼平犯科帳』文庫巻16に収められている[網虫のお吉]で、お吉(35歳だが25,6にしか見えない)が引退を願い出たのをこころよく許したばかりか、25両もの見舞い金をわたした話のわかるお頭。
女密偵おまさも、かつて〔苅野(かりの)〕の九平のお盗めを2度ばかり手伝ったことがあり、そのとき、〔網虫(あみむし〕)のお吉と知りあった。
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔網虫〕のお吉の項)

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年齢・容姿:60に近い。容姿の記述はない。
生国:相模(さがみ)国足柄郡(あしがらこうり)苅野村(現・神奈川県南足柄市苅野)。
お盗めのとき、殺傷はできるだけ避けているが、盗め先が江戸から名古屋、上方と東西におよんでいるのは、相模の生まれだからとみる。

探索の発端:小柳安五郎(33歳)は、亡妻の実家からの帰り、神田川ぞいの船宿〔井ノ口屋〕から出てきた2人連れに見おぼえがあった。男のほうは同僚・黒沢勝之助(40歳)。女は〔網虫〕のお吉で、3年前に取り逃がした女賊である。
3年前、おまさが浅草寺の境内でお吉を見かけ、木挽町4丁目の旅籠〔梅屋〕に宿泊していることまでつきとめたが、網を大きく張って〔苅野〕一味を一網打尽に---と手くばりしているあいだに、お吉にまんまと逃げられた。小柳同心はそのときに、お吉の顔を記憶したのだった。
2人は、不忍池のほとりの出合茶屋〔月むら〕へ消えた。

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不忍池・中島弁財天社(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

いまお吉は、盗みの世界から足を洗い、琴師・歌村清三郎(52歳)の後妻におさまって女としての幸せをつかんでいた。その弱みにつけこんだ黒沢同心は、口止め料50両をまきあげたうえ、お吉の裸躰をいたぶりつつ〔苅野〕の九平の居所を吐かせようとしていた。

結末:黒沢同心は役宅で切腹させられた。
お吉は、品川宿で旅支度をととのえて、いずこかへ消えた。
火盗改メは、またも、〔苅野〕の九平の消息をつかみそこねた。

つぶ゜やき:この篇は、黒沢同心の汚れた功名心が主題てはあるが、女賊時代におまさが助(す)けたお頭のうちの1人がスケッチされているのがなによりうれしい。

ついでながら---。
琴師・歌村清三郎を少年のころから仕込んだ京・の名人・歌村七郎右衛門のモデルは、京師の商店名鑑『商人買物独案内』(文政12年刊 1829)に載っている、建仁寺四条下ルの御琴三味線所・歌村卯之助であろう。
『江戸買物独案内』の成功にならって、5年遅れで刊行されたもの。

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2005.08.04

〔長沼(ながぬま)〕の房吉

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収録の[殿さま栄五郎]は、口合人[鷹田(たかんだ)〕の平十と、〔火間虫(ひまむし)〕の虎次郎一味の蹉跌から生じた、盗人界の掟てを描いている。
平十と虎次郎を結んだのが、〔火間虫〕一味でも幹部級の〔長沼(ながぬま)〕房吉である。「腕っ節の強いのを1人、大急ぎで世話してほしい」との虎次郎の手紙を持って、平十に頼みにきた。
(参照: 〔鷹田〕の平十の項)

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年齢・容姿:どちらにも描写がおよんでいないが、〔火間虫〕の腹心とすると、中年。眼が鋭い。
生国:相模(さがみ)国大住郡(おおすみこうり)長沼村(現・神奈川県厚木市長沼)
別に、武蔵国葛飾郡や下総国埴生郡の長沼村も考えたが、文庫12の〔高杉道場・三羽烏〕で〔砂蟹(すながに)のおけいや〔笠倉(かさくら)〕の太平がからむ浪人盗賊・長沼又兵衛を探索するときまで取っておくことにした。
(参照: 〔砂蟹のおけいの項)
(参照: 〔笠倉〕の太平の項)

探索の発端:なやみきっている〔鷹田(たかんだ)〕の平十と出あった密偵〔馬蕗(うまぶき)が助人(すけっと)のことを引き受け、〔殿さま〕栄五郎に化けた鬼平が乗り出したはいいが、たちまちに化けの皮がはがれて---。
(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)
(参照: 〔殿さま〕栄五郎の項)

結末:芝・方丈河岸の盗人宿は火盗改メに踏みこまれて、〔火間虫〕の虎次郎一味は房吉も逮捕。死罪であろう。

つぶやき:この篇は、〔鷹田〕の平十を描くことで、口合人という裏の世界のパーソナル・エージェンシーの存在を示すことが、池波さんの創作動機だったのだろう。
「口合」は、「口入」以上に「保証する責任」が含まれている。この言葉を見つけたときの池波さんのにんまり顔が見えるようだ。

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2005.04.22

〔名瀬(なせ)〕の宇兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収められている[墨つぼの孫八]で、タイトルにもなっている首領の〔墨斗(すみつぼ)〕とその一味13名が、2年前の寛政8年(1796)に上州・高崎城下の紙問屋〔関根円蔵〕方を襲って1200余両を奪い、2手に別れて逃走したとき、盗み金をもったほうの〔名瀬〕の宇兵衛たち8人が消えてしまった。

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(参照: 〔墨斗〕の孫八の項)

年齢・容姿:中年。容姿の記述はない。
生国:相模(さがみ)国鎌倉郡(かまくらこうり)名瀬村(現・神奈川県横浜市戸塚区名瀬)

探索の発端:本所・二ッ目の橋の近くで〔墨斗〕の孫八が密偵おまさを見かけ、夫の〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵とともに、孫八の盗めを手伝うことになった。
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
その打ち合わせ場所しゃも鍋屋〔五鉄〕へ行くために、今戸の料亭〔三好屋〕で酒を飲んでいた孫八が、舟で今戸橋をくぐるのを、〔名瀬(なせ)〕の宇兵衛と3人の盗賊浪人が見つけた。
〔五鉄〕から竪川の北河岸道づたいに亀戸へ帰る孫八へ斬ってかかった浪人2人は、これも浪人姿の鬼平に追っ払われたが、逃げ帰る浪人たちの後を、〔相模〕の彦十と伊三次が尾行、竜泉寺町の隠れ家をつきとめた。
(参照: 〔朝熊〕の伊三次の項)

結末:三ノ輪・竜泉寺町の隠れ家に討ち入った火盗改メは、〔名瀬〕の宇兵衛、その妾おせきと浪人者たちを捕まえ、孫八から横取りした盗み金の使い残り500余両も発見した。盗人たちは死罪であろう。

つぶやき:〔墨斗〕の孫八は、彼の下で15年も働いていた〔名瀬〕の宇兵衛を信頼しきっていた。それなのに、宇兵衛が孫八を裏切ったのは、独立してもやっていける自信がついたからだろう。
孫八にしても18歳のとき、8年間も世話になった大工の棟梁〔大喜〕のもとを逃げだして関東諸方をさすらい、20歳のときに八王子で盗賊の首領〔影信(かげのぶ)〕の伝吉に拾われ、8年後に伝吉が病死したら、その後釜にすわって一味を束ねてきた。
宇兵衛が「そろそろ」とおもうのは、むしろ当然だったかもしれない。宇兵衛の独立願望を見抜けなかった孫八が甘かったかも。
しかし、大工にしろ、盗賊にしろ、一種の技術職であるが、技術を習得したからといって、人の上に立てるものではない。頭になるには、人使いの要諦と器量が必要。孫八でいうと、配下を信じきる度量である。それには、鬼平も魅せられていた。

『鬼平犯科帳』は、人の上に立つ者の、要諦と器量の教科書として読むこともできる。

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2005.03.20

〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(2代目)

『鬼平犯科帳』文庫巻6に収められた[狐火]の主人公・又太郎は、10代が終るころ、いまは女密偵になっているおまさ(21歳)に男にしてもらった過去がある。一味の中で色ごとをやった罰としておまさは〔狐火〕一家を追放された因縁をもつ。
又太郎は、先代が逝った4年前に〔狐火〕の勇五郎の2代目を継いだが、ちかごろ、〔狐火〕を名乗って非道な「畜生ばたらき」をつづける盗賊が出現した。

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その正体をあばくべく、引退して江戸川・新宿(にいじゅく)の渡し場で茶店の亭主におさまっている〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七に相談しようと、京都から下ってきた。源七は先代〔狐火〕の右腕といわれた男である。

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〔瀬戸川〕の源七の茶店のある「新宿(にいじゅく)」の渡し場(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

(参照: 〔瀬戸川〕の源七の項)

年齢・容姿:(寛政3年 1791)32歳。しなやかな躰つき、てきぱきとした身のこなしは20代のもの。顔貌は10も老けていて落ち着きがある。
生国:相模(さがみ)国小田原城下のどこか(現・神奈川県小田原市のどこか)。母親は先代〔狐火〕の妾だったお吉。

探索の発端:市ヶ谷田町の薬種店〔山田屋〕に押し入り、一家皆殺しにして金を奪い、〔狐火〕の札を遺して去った賊がいた。
かつて〔狐火〕一味にいたことのある密偵おまさは、火盗改メのお頭に〔狐火〕の内情を聞かれ、又太郎に10日遅れて正妻お勢が産んだ文吉がいることをおもいだした。「畜生ばたらき」はこの文吉かもしれないと、鬼平には黙って〔瀬戸川〕の源七を訪ねると、なんと、京都から下ってきた又太郎(2代目〔狐火〕)とばったり出会い、焼ぼっくいに火がついた形になってしまった。

結末:2代目〔狐火〕の勇五郎(又太郎)とおまさ、それに〔瀬戸川〕の源七が、向島の木母寺の近くに盗人宿をかまえている文吉を質しに行き、けっきょく、又太郎が文吉を刺殺する。
盗人宿にたむろしていた凶悪な浪人たちは、〔狐火〕たちを尾行(つ)けていた鬼平と〔小房〕の粂八に殪された。
又太郎はお目こぼしになるが、左肘から切断され、京都でおまさと仏具店の主人として再出発。

つぶやき:この篇は映画化にも選ばれほどで、起伏に冨んだストリーと、正邪のめりはりがきいたわかりよさをもつ。

彦十がおまさにいう、
「男と女の躰のぐあいなんてものは、きまりきっているようでいてそうでねえ。たがいの躰と肌が、ぴったりと、こころゆくまで合うなんてことは百に、一つさ。まあちゃん、お前と二代目は、その百に一つだったんだねえ」 p134 (新装版p142)
珍しく、彦十が吐いた人生論だが---。

〔狐火〕という「通り名(呼び名)」は、地名を指さしてはいないみたいだが、ヒントとなったのは、『江戸名所図会』の王子稲荷の[衣装榎]の絵で燃えている「狐火」あたり。大晦日の夜、関東一円の命婦狐が階位をもらいに集まり、走りまわる灯火が一晩中消えないという。が、ありようは掛取りの提灯の灯火とも。
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装束畠衣装榎(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
そして、池波さんの頭に、上方の伏見稲荷社が浮かび、あのあたりを初代〔狐火〕の勇次郎の出生地と定めたか。

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2005.02.23

〔泥亀(すっぽん)〕の七蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻9にはいっている[泥亀]の主人公。足を洗って、三田寺町の魚籃観音堂・境内の茶店〔泥亀茶や〕の亭主。

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境内に〔泥亀茶や〕のある魚籃観音堂(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
(参照:魚籃観音(楽天))

年齢・容姿:52歳。あだ名のとおり、ずんぐり肥えた胴体に、愛らしいほどの短い手足がついている。
生国:上野(こうづけ)国那波郡(なわごおり)南玉村?(現・群馬県佐波(さわ)郡玉村町南玉(なんぎょく)?)
上記には自信なし。地元の鬼平ファンのご教示をまつ。

探索の発端:{泥亀〕の七蔵は、偶然に出会った〔関沢(せきざわ)〕の乙吉から、かつてのお頭〔牛尾〕の太兵衛が亡くなり、藤枝にいた遺族が苦境におちていることを知らされた。
(参照: 〔関沢〕の乙吉の項)
(参照: 〔牛尾〕の太兵衛の項)
いっぽう、密偵・伊三次は、芝の宇田川町で〔関沢(せきざわ)〕の乙吉とばつたり出会った。7、8年前、伊三次が房州の盗賊〔笹子(ささご)〕の新右衛門のところへいたときに、乙吉が助(す)けばたきにきて、知り合ったのだった。
伊三次は、乙吉を船宿 〔鶴や〕へ誘って〔泥亀〕の七蔵が〔中尾〕の太兵衛の遺族のためにお盗めをくわだてていることを聞きだした。
(参照:伊三次の項)

結末:〔関沢(せきざわ)〕の乙吉は、〔鶴や〕で御用。乙吉が持っていた分配金50両が伊三次の手で七蔵へ渡された。
七蔵は、痛む痔の尻をだましだまし、三河の御油へ。50両を太兵衛の遺族へ届けるためである。

つぶやき:〔泥亀〕の七蔵の純真、愚直、真剣ぶりがなんともユーモラスに描かれていて、おもわず笑ってしまう。
さきに、小中学生に読ませたい篇を挙げた。この篇もとうぜん含まれてしかるべきとはおもうが、なんせ、痔持ちの話なので、小中学生にはいささか、ね。

かつて痔疾は字(痔)のごとく、「寺へ入るまで癒らない病い」(やまいだれの中へ寺の字がはいっている)といわれていたものだが。

火盗改メの白州で、放免をいいわたした鬼平が、いたずらごころを発揮、
「伊皿子の中村景伯先生へ、よろしくな」
と付けたして、七蔵を、
「げえっ---」
と驚かせた、池波さんの手練の技!

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2005.02.03

〔野川(のがわ)〕の伊三次

独立短篇[ 女毒](『アサヒ芸能 問題小説』 1969年9月号)の主人公。発表された1969年といえば、『鬼平犯科帳』シリーズが始まった翌年である。そのころには池波さんの作家としての声価も高まっていたろうに、『アサヒ芸能』から頼まれて引き受けたとは、まさに義理がたい。
『江戸の暗黒街』(角川文庫)収録。純然たる白浪ものではなく、香具師ものだが、裏の世界ものということで取りあげてみた。

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年齢・容姿:26歳。引きしまた体躯。ぬけるように肌の色が白い。眉もきりりと濃い。切れ長の両眼はいつもやさしげなひかりをやどしている。
生国:相模国・野川とあるが、江戸期の相模にはなく、武蔵国橘樹郡にある(現・神奈川県川崎市高津区野川か、同市宮前区野川か)。

探索の発端:浅草一帯を縄張りとしている香具師の元締〔聖天〕の吉五郎(57歳)の一人むすめ・お長(22歳)が、一家の若い者(の)の〔野川〕の伊三次を婿に迎えて、跡目をつがせたいという。
伊三次にいなやはない。兄貴分の〔船形〕の由蔵も祝ってくれた。

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真土山聖天宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

ところが、伊三次が、新堀端の竜宝寺門前の汁粉屋〔松月庵〕の小座敷で汁粉をすすっていると、隣室からお長の声が---。
「あの伊三次が、このあたしをことわる理由があるものか---」
その美貌を鼻にかけてかさにかかった傲慢ないいぐさに、伊三次は反発、
(いさ次はえさにかまわず飛びつくような、さかりのついたおすねこじゃ、ございません」
と置手紙をして姿を消した。

お長が、仕掛人〔田町〕の弥七に伊三次殺しを依頼したのは、おんなの誇りを傷つけられた怒りからだった。
弥七は、安倍峠へと向かう。伊三次が江戸へくる前にいた小田原の香具師の元締・和市から、伊三次が下ノ諏訪
生まれでいまは帰農している豊太郎と親しかったことを聞いたからだ。

結末:伊三次は運よく、弥七を刺したが、自分も片腕を斬り落とされた。
そりから五年後、安倍峠の駿河側の峠のとっかかりに梅ケ島の温泉場がある。そこで由蔵を襲っていた仕掛人2人を射殺したのは、猟師になっていた伊三次と義父であった。

つぶやき:「伊三次」は、『鬼平犯科帳』の密偵・伊三次と同名だが、じつは、こっちのほうが早い。松本幸四郎(白鴎丈)=鬼平で映画どりがはじまったとき、台本に「密偵」とし書かれていなったので、画面で名前を呼ぶときにこまるからと、誰かが「伊三次」とつけたのが、そのまま小説にもつかわれるようになったと----これは、そのときの監督だった高瀬昌弘さんから、じかに聞いた。

甘いものに目のない伊三次が入った、新堀端の竜宝寺門前の汁粉屋〔松月庵〕も、『鬼平犯科帳』文庫巻2[お雪の乳房]で兎忠がお雪と乳繰りあった店である。もっとも、兎忠のほうが半年ばかりはやかったが。

仕掛人・弥七は、『剣客商売』の四谷の御用聞き〔武蔵屋〕の弥七と同名だが、やはり、[女毒]のほうが3年半はやい。

安倍峠の麓の「梅ケ島」の温泉場へ池波さんが行き、安倍峠を越したいきさつは当サイト[〔雨乞い〕庄右衛門]に書いているので、そちらを参照していただきたい。
ぼくが訪ねた翌朝早く、安倍川上流を猿の群れが餌をもとめての移動だろう、瀬渡りをしていた。

前夜には、宿の車庫の床を小マムシが這っていた。

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