〔鷹田(たかんだ)〕の平十
『鬼平犯科帳』文庫巻14の[尻毛の長右衛門]にちらっと顔を見せ、次篇[殿さま栄五郎]で主役をはる〔口合人〕。
(参照: 〔尻毛〕の長右衛門の項)
初めて〔口合人〕という仕事師名で登場した〔鷹田(たかんだ)〕の平十の印象は強烈である。
〔火間虫(ひまむし)〕の虎次郎の使いの〔長沼(ながぬま)〕の房吉がやってきて、「急いで、腕っ節の強いのを一人、頼む」といわれたところから、〔口合人〕稼業15年にもおよんでいる平十の悩みがはじまる。なんとなれば、〔火間虫〕一味の盗めは荒っぽいからである。それが気にいらねえ、のだ。
(参照: 〔火間虫〕の虎次郎の項)
(参照: 〔長沼〕の房吉の項)
年齢・容姿:57歳。容姿の記述はないが、年齢そうおうの老顔。
生国:江戸。
谷中・三崎坂下の法受寺門前の小さな花屋を捨てて、〔火間虫〕一味から身を隠したいとおもっても行き先がない。つまり、田舎に故郷がないということである。
(三崎坂 法受寺 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
25年連れそっている53歳の古女房おりきは、品川の女郎あがりで、江戸のほかに住みたい土地はないといいきる。
探索の発端:悩みきって不忍池ばたを歩いているとき、知りあってこのかた気のあった付きあいをつづけてきた〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治に声をかけられた。
不忍池(『江戸名所図会』 塗り絵師:a(ちゅうきゅう)
(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)
困りはてている事情を打ち明けると、利平治に心あたりがあるというので、まかせた。
利平治が連れてきたのは、なんと、〔蓑火〕の喜之助の知恵袋だった浪人あがりの〔殿さま〕栄五郎ではないか。
(参照: 〔殿さま〕栄五郎の項)
〔蓑火〕の下で正統派のお盗めをしていた者までが、血を見る急ぎばたらきに手をそめる時勢になったかと、平十はやけ酒を重ねる。
結末:鬼平が化けた〔殿さま〕栄五郎がニセ者であることは、〔火間虫〕一味には知れており、なぜ、なんのためにニセの〔殿さま〕栄五郎を口合いしたか、〔鷹田〕の平十は痛めつけられるが、もちろん、彼にはなんのことかわかるはずがない。
芝・方丈河岸の盗人宿へ打ち込んだ火盗改メは、11名の一味を捕縛。平十は縄を解かれたのを機に、海へ身を投げた。
つぶやき:谷中・三崎坂下にあった法受寺は、元禄期に尾久から越してきた浄土宗の寺だが、檀家はもたず、徳川家の庇護で成り立っていた。
檀家のいない寺の門前で花屋を開いてもやっていけまいとおもうが、坂のとっかかりから上までずっと寺が並んでいるから、坂下で花を求める気ぜわしい人もいたろう。
が、そのことよりも、幕府崩壊後、庇護者を失った法受寺は荒れ放題で、円朝が『牡丹灯篭』の舞台に見立てた。池波さんはこの秘話を知っていて、〔鷹田〕の平十の花屋をこの寺の門前に置いたのだろう。
法受寺は、震災後の昭和初期、浅草の安養寺と合併し、足立区東伊興町狭間 4-14-8へ移転。
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コメント
〔鷹田〕の平十には、逃げて行ける土地がないから、「江戸生まれ」とお断じになった勇気には、満腔の敬意を表します。
指摘されてみると、たしかに、そのとおりなのですね。
こういうことって、注意力というより、推理力とおもいしらされました。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.07.30 16:33