カテゴリー「122愛知県 」の記事

2012.02.24

〔夜鴉(よがらす)〕の仙之助

鬼平犯科帳』文庫巻23[炎の色]で、おまさを夢の中で苦しめる夜鴉(よがらす)の正体---〔夜鴉〕の仙之助は、流れづとめであった20歳前後のおまさが、〔荒神(こうじん)〕の助太郎の下で名古屋で連絡(つなぎ)役をしていた時に、しびれ薬をいれた酒で身体の自由をうばったうえで犯した男。
おまさファンにとっては許せない男の一人。
〔荒神〕の助太郎が歿した祥月命日の(陰暦)7月10日に、2代目〔荒神〕のお夏(なつ)をもりたてる集まりでおまさは仙之助に再会するが、現実の夜鴉の鳴き声は、その前兆であった。
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年齢・容姿:いわゆる白子というのであろうか、色素の薄い、それこそ気味が悪いほど白い顔。唇まで白く、梅雨どきの床下からただよってくる湿った瘴気(しょうき)のような体臭の持ち主。中年。
生国:名古屋か。その城下で役者をしていた。厚い白粉と紅化粧で白子の顔を隠してたのであろう。

結末:2代目〔荒神〕のお夏の一統が〔峰山(みねやま)の初蔵(はつぞう)一味と組み、箱崎町の醤油問屋〔野田屋〕卯兵衛を襲ったときに捕らえられた。

つぶやき:f長谷川組のはげしい拷問にも口をわらなかったとあるから、盗賊としては根性のあるほうであろう。
池波さんは、名古屋の三園座kの公演の演出によくでかけたらしいが、印象があまりよくなかったか、[妖盗葵b小僧]の芳之助にしても色好みが強すぎるというか、色情の発露が尋常ではない。もちろう、性格がくずれた男にはよくある例だが、犯される女性のほうはたまったものではない。こころの傷は一生ものであろう。
ゆえに、読み手はこの種のキャラを平蔵とともに許さないが、その実、いつか仙之助のようなレイプをするのではなかろうかと自分の性欲の深淵さにおどろきもする。

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2009.10.18

〔千歳(せんざい)〕のお豊 (12)

「〔千歳(せんざい)〕のおどののことで、お願いにあがりました」
銕三郎(てつさぶろう 28歳)が、烏丸蛤ご門前の粽司(ちまきつかさ)〔川端道喜(どうき)〕の10代目(60がらみ)に頭をさげた。

参照】2009年8月1日[お竜の葬儀] (
2009年8月29日[化粧(けわい)指南師・お勝](

「あらたまらはって、なんぞ、むつかいことでも出来(しゅたい)しよりましたかいな?」
世なれている道喜・10代目は一拍おき、
「花見は、どこぞですませはりましたか?」

きのうは、御室(おむろ)仁和寺(にんなじ)の遅めの桜を、辰蔵(たつぞう 4歳)と久栄(ひさえ 21歳)を連れ、目付与力の嫡男・浦部彦太郎(ひこたろう 20歳)に案内されて、看てきた。
10代目は、そのことを訊いている。

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(御室仁和寺 『都名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

「御室へ、人ごみにもまれに行ったようなものでした。京には風流人が多いようで---」

「は、ははは。風流なお人らは、八瀬(やせ)あたりへ遠出して、窯風呂あがりに一杯やりながら、山ざくらを楽しんではりますやろ。それはそうと、ご用件を承りまひょ」

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(八瀬・窯風呂 『都名所図会』 塗り絵師::ちゅうすけ)

祇園社の北の茶店〔千歳〕が、奉行所から「盗人宿(ぬすっとやど)と目をつけられているから、お(とよ 25歳)に、急いで身をかくすように伝えてもらえまいか---と打ち明けると、
長谷川はんは、身分を、どないいうてはりましたんや?」
「浪人の息子と---」

「それやったら、奉行所の名ぁをだすわけにはいきまへん、わなあ」
10代目は、銕三郎の眸(め)をじっと見て、
「あんたはん、いくど、抱かはったん? おんないうもんは、抱かれた数によってあきらめがついたり、つかへんかったりしますのんや」
ずばりと訊かれ、思わず指を折って勘定するのを、笑顔で見て、
「片手の指で足りそうやさかい、安堵々々。両方の指にあまったら面倒なところでおした」

10代目は、祇園の茶屋で夕(ゆうげ)をとる前の喉ならしに寄っていただけで深いかかわりはなが、35,6歳の恰幅のええ、眼光のするどい男を何度か見かけたことがある---あの男が店とおの持ち主であろう、と初めてあかした。

ちゅうすけ注】10代目がいう男こそ、2代目〔虫栗むしくり)〕の権十郎(ごんじゅうろう 35歳)であろう。
彼が、情婦・お銕三郎の情事を知ったら、たぶん、刺客を向けたろう。
銕三郎貞妙尼(じょみょうに 25歳)とのあいだのことをお豊が知ったら、おんなの嫉妬は、相手のおんなに向かうというから、権十郎を焚きつけ、貞妙尼が危なかったかもしれない。

たまたま、遠国盗(づと)めに出かけているあいだのおの浮気でよかった。

10代目が、どう、おを説いたのか、10日のうちに茶店〔千歳〕は、居ぬきで持ち主がかわっていた。
老爺ィ(じつは、〔男鬼おおに)〕の駒右衛門(こまえもん)も姿を消していた。

銕三郎が礼に訪れると、10代目は、
「相変わらず、おんな遊びィ、やってはりますか? 遊ぶのんは、若いうちにすましとかんと、齢くってからのおんな遊びィは手がつけられしまへん」
「10代目どのの貴重な体験談として拝聴---」
半分もいいおわらないときに、まだ30代とおぼしい細面(ほそおもて)の女性(にょしょう)が茶と粽を捧げてきた。

「わての嫁はんどすねん。よろしゅう」
女性が引きさがってから、
「手がつけられなくなった口のお女(ひと)ですか?」
「はっははは。うっかり手をつけたら、抜きさしならんようになりよって---ははは。男とおんなの仲いうもんは、抜きさししてたら、すぐに、抜けへんようになりよります---あ、その粽、奥方へのお土産につつみませまひょ」


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2009.07.30

〔千歳(せんざい)〕のお豊(11)

浴衣を羽織っても、お(とよ 24歳)は帯をつけないで、前をひらいたまま、
「湯あがりのお酒(ささ)は、冷やでおよろしいでしょう?」

部屋には、布団が延べてあった。
(湯屋へ来る前にすませていたのであろうか。とすると、文を寄こした時からそのつもりでいたのだ。お(りょう 33歳)の事故のことは、まだ、しらかなかったのだから、仕方がなかろう)
そう推測した銕三郎(てつさぶろう 27歳)は、悪い気はしなかった。

裾(すそ)をひらめかせながら、板場から、衣かつぎと銀杏(ぎんなん)と片口をもってきた。

「宿に断ってきていない。四ッ(午後10時)までには帰らねばならぬ」
「とどけ文で、察しているでしょう?」
「いや。明日、出直したほうがよさそうです」
「四ッ前まで、1刻(とき)半(3時間)あります。和歌より実(じつ)を---」

池波さんから、再度---。

お豊の情欲の烈(はげ)しさは、そのころの女として瞠目(どうもく)に価(あたい)するもので、あそびなれた平蔵(銕三郎=この時期)が目眩(めまい)するようなしぐさをしてのける。

(これまで、どのような世すぎをしてきたのか)
横です裸のまままで余韻を陶然と味わいつくしているをおの顔を盗み見ながら、銕三郎は、想像をめぐらせた。

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(清長『柱絵巻物』右部分 イメージ)

(この家と店が買えるほどのものを惜しまなかった男とは?)
銕三郎が、下床の縁までそっと太刀を引きよせたのに気づいたらしく、
「だれも参りはしません。心おきなく、お味わいくださっていいのです」

「さようか。狐に化かされているのかも---」
「いいえ。真葛ヶ原の鬼婆ァでございますぞ」

銕三郎は、昨日の朝がた見た夢の半分を語ってきかせた。

参照】2009年7月25日[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (

くっくっと笑ったおが手をみちびいて、
「ふさふさでしょう?」

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(同上 部分)

「そうそう。ご禁裏に出入りの商舗(みせ)をお探しでしたね。こころあたりがお一人ございます」
祇園の料亭へ食事にくるついでに、〔千歳(せんざい)〕でお茶を飲んでいく、烏丸蛤御門前(現・左京区下鴨南野々神j町2丁目)の粽(ちまき)司の〔川端道喜〕が客だといった。

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(〔川端道喜〕 『商人買物独案内』天保4年(1833)刊)

「道喜さんは、御所の南門の脇に、道喜門というのがあるほど、禁裏とのかかわりが深いお舗(みせ)です。ほかの出入り商人のことも、商人同士でよくご存じではないでしょうか」
「おみごと!」
「私って、実がみたされると、頭がよくまわるのです」、
「明日の夜、目眩するほど、まわるようにして進ぜよう」
「うれしい。きっと、ですよ」


参照】2009年7月20日~[〔千歳(せんざい)〕のお豊] () () () () () () () () () (10

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2009.07.29

〔千歳(せんざい)〕のお豊(10)

「この人も、忘れられないおなごの一人になりそうな---」
脱ぎながら、銕三郎(てつさぶろう 27歳)は、予感をおぼえた。

「浴衣を用意しますから、先に浴びていてくださいな」
浴室の柱に行灯をかけたお(とよ 24歳)は、出ていったままである。

湯舟が、つねの家のものよりも大きいのは、2人が入れるということだ。
(この湯舟におといっしょに入っているのは、だれだ? 丸腰のいま、襲われたらひとたまりもないな)
つかりなから、防具を、目で探した。
湯舟の垢おとしのための、先端にぼろぎれをしばりつけた棒しかない。
そこまでの距離を頭に入れた。

板の間ですっかり脱いだおがはいってきた。

全身を、行灯の灯にさらす。
手ぬぐいも手にしていない。

池波さんの文章を、ふたたび、引く。

裸身になったお豊は、骨格意外にとのい、肩や胸の肉(しし)おきはすんなりしていても、乳房もゆたかで、腰まわりから太股(ふとももにかけて白い肌が女ざかり凝脂(ぎょうし)にみちて、みごとなふくらみを見せていた。

もちろん、これは、寝室での姿である。
立ち姿だと、乳房がたっぷりとして見える。

そのことを、お自身もこころえており、裸身をわざと見せつけるかのように、湯舟のわきに立ったまま、前をかくしもしないで、
「おかげんはいかがですか? この家の前の持ち主の好みの造作なのです。でも、銕三郎さまといっしょにつかるのを、待っていたような湯舟---」

銕三郎
が、視線を外しながら、躰を引いて余裕(あき)をつくった。
「寒いだろう。早くあたたまりなさい」

縁(へり)をまたぐとき、片方の足は湯舟に差し入れたまま、また、とまって、黒い茂みを銕三郎の目の前にさらし、話しかけた。
「私、ぬるめのの長湯が好きって、言いました?」
かけ湯に濡れた茂みが先細りになり、その先端からしずくが、ぽとり、ぽとりとたれている。

「聞いてはいないが、湯加減はぬるめ。早く、つかりなさい」
銕三郎が、がまんしきれずに、せかした。
直立しきってしまったのである。

全躰が湯につかるや、銕三郎のものをつかみ、
「先手の衆はかかれ! の太鼓待ちですね。こちらもそう---」
薬指を秘部にみちびく。

「先手組と?」
「私、武家の子と信じているのです。武家のむすめならと、自分の中だけで話をしてきました。銕三郎さまがお武家さまだから、口にだしてみたのです。 お嫌?」

「武家の子女にしては---」
「秘めごとが、あからさますぎる---とおっしゃりたいのは、分かっています。でも、これを愉しむのは、武家も町方もありません。男もおんなも、できるだけ深く、長く、たっぷり、堪能したいとおもっているはず---ただ、口にしないし、いざとなると、恥ずかしがってしまって---」

浪人する前の父ごの藩はわからないのかと、訊きながら、親指が花芯にふれている。
左の指が乳首を軽くなぶる。
5,6歳のときに捨て子されたので、ほんとうは、いまの年齢も自分できめたのだと答え、銕三郎の首に手をかけて顔を引き寄せ、乳首を吸わせる。

銕三郎は、「風呂」でなく「湯」と2度ほど自然に口にしたから、西国生まれとおもう---といいかけて、口をふさがれた。
耳は、店や部屋のほうの物音に聞きのがすまいと研ぎ澄ましていた。


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2009.07.28

〔千歳(せいざい)〕のお豊(9)

_100「お顔の色がさえませんが---」
いつものように飯台の左手の片側に坐lり、冷や酒を注いだ片口から酌をしたお(とよ 24歳)が、首をかしげて科(しな)をつくった。(歌麿 お豊のイメージ)
深い黒瞳(くろめ)が銕三郎を見据える。

「ゆうべ、寝ていないのです」
「どう、なさったのですか? お差支えなかったら、お聞かせくださいな」
の盃を満たしてやる。

銕三郎さまの心痛事が晴れますように---」
目の高さまで盃をあげた。
「かたじけない。しかし、酒では、この悲しみは癒すことができないのです」
盃を一気にあけて飯台においたその手首に、おがつっと白い手を置き、
「お話しになれば、いくらかは、お気も晴れましょう。でも、聞き役が私ではご不足?」

の手の甲に右手を重ね、
「大切なひとが死んだ」
の手に力がはいった。
「奥方でございますか?」
「いや。奥は江戸にいます。なにごとも相談できたおなごでした」
「お察しします。このたびのご上洛は、そのお方にご相談ごとがおありだったのでございましたか?」
言って、もう一方の手を重ねた。

「うむ」
「私では、代役がつとまりませんか?」
銕三郎は、ちらっと板場へ視線を走らせた。

察したおが、声を投げる。
どん。あとは私がするから、帰っていいよ。帰る前に、表戸をぜんぶたててしまっておくれな」

「仔細は言えない。そのおなごの知恵者に、助(す)けてもらうつもりだったのです」
「そのお人とは---?」
「あるところの軍者(ぐんしゃ)を勤めていました」
「軍者---?」
「さよう」
「もしや、して---」
「うん?」

「いえ。お人ちがいのようです」
が眸(め)をそらし、手を抜き、酌をし、自分の盃にも注いだ。
そぷりの変化を、ふだんの銕三郎らしくもなく、気にとめなかった。

参照】軍者としてのお 
2008年11月1日[甲陽軍鑑] () () (
2009年1月3日[明和6年(1769)の銕三郎] (
2009年1月28日[〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火)〕] (

は、銕三郎の相方(あいかた)が〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 33歳)ではないかと推測したが、そうなると、自分も盗賊の仲間であることを明らかにすることになるので、我慢した。

「いつ、お亡くなりになったのですか?」
(うわさに聞いていたおさんが逝った?---このお武家が、おさんのいい人だったのだろうか? あの人はおんな男と聞いているが。信じられない)
「きのうの夕方---」
「おいたわしゅう---」
「うむ」

「それで、そのお人に、なにをご相談なされたかったのでございましょう?」
「御所に出入りしている商人」
「ご禁裏に?」
「他言は無用である」
銕三郎が言葉をあらためた。
「誓って---」

手のひらを、こんどは、銕三郎の右掌の下にいれ、つよく握った。
「誓って---」
さらに言うと、銕三郎が握り返した。
その手を、おは、頬に押しつけ、じっと銕三郎を瞶(みつ)めたまま腰をすり寄せ、襟元から乳房へみちびく。

「おどの」
一方の手で肩を抱いた銕三郎が、
「初めて会ったときからお訊きしたかったことがありました」
「なんでございましょう?」
まさぐられている乳首を押しだすように胸を近づけた。

「お生まれは、どちらかな? 上方育ちの女性(iにょしょう)とも、さりとて江戸生まれともおもえない---」
「しらないのです」
「冗談で訊いたのではありませぬ」
「冗談で応えたのではありません。ほんとうにわからないないのです」
「ほう?」
「五つか六つのときに、尾張・鳴海の宿はずれで、捨て子されたのです」

が、乳房を銕三郎になぶらせながら、太い息づかいをもらしもらしのあいだに語ったところによると、それは、父との旅の途中であったという。
覚えているのは、父は2本差しで、袴をはいていたことと、夜、旅籠の湯舟にいっしょにつかると、

  今は吾は 死なむよわが夫(せ) 恋すれば
       一夜(ひとよ)一日(ひとひ)も 安けくも無し
      
つぶやくように言い、おを抱きしめてくれたことぐらいであると。

拾って育ててくれたのは、浜松の城下で小間物屋をひらいていた権十郎・おだい夫妻であった。
義理の母親・おだいはお豊が17歳のときに病歿した。
権十郎も2年前に歿した。

「お湯を浴びますか?」
「拙には、和歌の素養はないが---」
「和歌より、実(じつ)でございます」

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2009.07.27

〔千歳(せんざい)〕のお豊(8)

「お(りょう)なら、どうしたろう?」
銕三郎(てつさぶろう 27歳 家督後の平蔵宣以 のぶため)は、天井におの姿を描きながら、おの気持ちになって思案をつづけている。

ともすれば、睦みあったときの姿が浮かんでしまう。

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(国芳『江戸錦吾妻文庫』改 イメージ)

(いかぬ。そのことではない)

「御所役人に閒者(かんじゃ 密偵)を入れるのは、早すぎましょう? 気づかれては元も子もありません」
の声がそう言った。
「そうだな」
「そのことは、いっとう後でいいのです。それより、納入側の商人を探りましょう」

「どうすれば、商人が分かる?」
「それこそ、〔狐火(きつねび)〕のお頭(かしら)の商人顔をお使いなさいませ。商人仲間の付き合いを利用するのです」

(かたじけない。父上がご着任になるまでに、御所出入りの商舗を調べあげておこう)

いささか安堵したか、暁を告げる鶏声を耳にした銕三郎は、眠りにおちた。
そこで見た夢でも、お竜と睦んでいた。

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(国芳『葉名伊嘉多』 イメージ)

しかも、寝言では、
「供養だぞ、お---」
いい気なものである。
若いから、仕方がない---ともいえる。
(許せ、いまは仏の、お------これは、ちゅうすけの詫び)

目覚めたのは、夕方近くであった。
初冬の夕暮れは、七ッ半(午後5時)前である。

女中が、結び文をわたしてくれた。
「さきほど、どこやらの小女はんがとどけてきやはりました。名ァはいわはらへんどした」

不審におもいつつほどくと、

 をみなへし 佐紀(さき)沢のへ辺(へ)の 真葛ヶ原 
        いつかも繰りて 我が衣(ころも)がに着む

「なんだ---これは」
銕三郎は、和歌にうとい。

なんどか読みかえしているうちに、〔真葛ヶ原〕の鬼婆ァ---と悟った。
(〔千歳(せんざい)〕とかいったな。お(とよ 24歳)め。味なことを---)

眠気をはらうと自分にいい訳した銕三郎の足は、白川ぞいを南に、真葛ヶ原にむいていた。

〔千歳〕は、板戸が半分しまっていたが、灯はともっていた。
「よろしいかな」
銕三郎の顔をみたおが、
「やはり、来てくださいました」
そのくせ、寄ってはこず、じっと銕三郎を瞔(みつめ)ている。

「どうかしたかな。拙が〔真葛ヶ原〕の狐に見えますかな?」
「うしろを見せて、尻尾をたしかめさせてくださいな」
銕三郎がうしろを向き、尻をつきだすと、
その尻を袴(はかま)の上から手のひらでなぜ、
「たしかに、銕三郎さまです。どうぞ、お掛けくださいな」

飯台につく前に、銕三郎も左手でおの肩をつかみ、右掌(たなごころ)を顔の前でいくどか振り、
「このおんな、たしかに、真葛ヶ原の婆ァ---ではない」

笑いがおさまったところで、問いかけた。
「拙が〔津国屋〕へ宿をとっていることが、どうしてわかったのかな?」
「せんに、おっしゃいました」
「そうだったかな?」
「ええ、おっしゃいましたとも。で、昨日もお待ちしていましたのに、お出かけくださらなかったので、出すぎたことを---とおもいましたが---」

悪い気はしなかった。
懐から、おからの文を出し、
「これかな?」
「お分かりになりました?」
「なにが---?」
「いつかも繰りて、我が衣(ころも)がに着(き)む---」
「とんと---」

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「『万葉』でございます」
「ふむ」
「樹皮を剥いて、糸につくり、織って、まとう」
「拙を、か?」
が嫣然(えんぜん)と微笑み、
「おささを用意してきます」
立って、奥へ消えた。


【参照】2009年7月20日~[千歳(せんざい)のお豊] () () () () () () () () (10) (11

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2009.07.26

〔千歳(せんざい)〕のお豊(7)

夢の話をお(とよ 24歳)に聞かせたくて、茶店〔千歳(せんざい)〕へ、いくど、足が向きかけたことか。
そのたびに、
(待て。お(りょう 33歳)が先だ)
の帰洛を待ち、2日目は、京都見物についやした。
二条城の近くにある、東町奉行所も西町奉行所も、門の前を素通りした。

_130_2寒気がきびしいので、遠出はできない。
石清水八幡宮や嵐山、大原村などへは行かない。
いまだと、『池波正太郎が歩いた京都』(淡交社 2002.7.27)なんて便利な手引き書もあり、適当なところを選んで歩けるのだが。

銕三郎(てつさぶろう 27歳)はまず、仙洞院の東端の荒神口へ行ってみた。
〔荒神屋〕という太物(木綿類)屋をさがした。

河原町通りから東へ入って賀茂川へ出る手前にあった。

参照】2007年7月14日~〔荒神(こうじん)〕の助太郎 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) () (10
2009年12月28日[与詩(よし)を迎5に] (
2009年1月8日~[銕三郎、三たびの駿府]()  () () () () () () () () (10) (11) (12
200年1月21日~[銕三郎、掛川で] () () () (4http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2009/01/post-55dd-1.html

のぞくと、大年増のおんなが刺し子をしているだけで、とうぜんのことだが、助太郎(すけたろう 50すぎ)の姿はない。
思いきって入り、
助太郎さんはおいでですか?」
店のおんなは、ぽかんとして、応えない。
再度、問うと、おんなは、
「あんた。ちょってきとぅくれやすか」

奥から、中年の、人のよさそうな男がでてきた。
「なんぞ、ご用で---?」
助太郎というお人はおられますか?」
「そのお方なら、いィはらしまへん。この店の前の持ち主はんどしたが、うちに売らはったんどす」
「いま、どこに---?」
「しってぇしまへん。お金払うた時がご縁の切れ目どしたんどす」

銕三郎はあきらめて、北野天神社へむかった。

_360_3
(北野天満宮 『都名所図会』)

鬼平犯科帳』を読んでいたら、天神のうらの料亭『〔紙庵(しあん)〕で一息いれたかもしれないが、銕三郎にはそのような土地勘はない。
帰りに本能寺へ参詣し、信長公をしのんだだけであった。

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(本能寺 『都名所図会』)

翌日は、本願寺や東寺などに参詣して〔津国屋〕へ戻ってみると、旅支度をした〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 56歳)が、上がりかまちに腰かけて待っていた。
長谷川さま。えらいことになりました」

帳場で番頭が聞き耳をたてている。
とりあえず、部屋へ連れた。
「おが死にました」
「なにッ! どうして?」
「舟が旋風(つむじかぜ)にまきこまれ、琵琶湖に投げだされたのです」

は、彦根である大店を嘗(な)めていた。
もちろん、お(かつ 31歳)が引きこみに入っている。
狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 52歳 初代)から、銕三郎さんが上洛してき、頼りにしているとの早飛脚の伝言を受けとると、おは、とるものもとりあえず、夕暮れなのに小舟を仕立てて大津へ向かった。
大津の舟着きが視界にはいったところで旋風にまかれて湖水に投げだされ、冬の厚着がたっぷりと水をふくんだ。
その着物に躰の自由をしばられ、溺死したのであった。

「お頭は、大津へ急がれました。源七も、このことを長谷川さまにお告(つ)げしたら、ただちに大津へ走ります。お頭からの、長谷川さまへの申し状ですが、大津へは決しておいでになりませぬように。おの溺死の顔をお目になさらないのが、せめてもの仏への手向(たむ)けと---」

涙をぬぐった源七は、すぐにわらじの紐をしめなおして出ていった。

_100のこされた銕三郎は、東をむいて手をあわせ、
「お
お前のことがいとおしかった。
一生、忘れぬ。
今夜は、お前の言葉のかずかず、しぐさのあれこれ、髪や脇の下の匂い、乳首の皺の数、腰のホクロ、あの襞(ひだ)のぬめりぐあいまで思い出しながら、ひとりで、通夜をするぞ」

参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1) () (3) (4) (5)  (6) (7) (8)
2008年11月1日~[甲陽軍鑑] () () (
2008年11月17日~[宣雄の同僚・先手組頭] () (
2008年11月25日[屋根船
2008年11月26日[諏訪左源太頼珍] (
2009年1月24日[掛川城下で] (
2009年1月26日[ちゅうすけのひとり言] (30
2009年5月21日~[真浦(もうら)〕の伝兵衛] ( (

出仕前の若い男の人生の半分に、おんながかかわっているのは、いたし方がなかろう。
そうでない青春なんて、干からびた目刺しのようなものだ。
見逃してやってこそ、先達の情けというもの。


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2009.07.25

〔千歳(せんざい)〕のお豊(6)

その夜。

銕三郎(てつさぶろう 27歳)は、奇妙な夢をみた。

冬枯れの野原を歩いていると、どこからともなく、しわがれ声がする。
「旅の若いお武家さま、そこなお武家」

立ちどまると、枯れ木の枝に両足をかけてぶらさがっている老婆が、月明かりにぼんんやりとみえた。

「ご用かな?」
「お(りょう 33歳)の母・飛佐(ひさ 51歳)ですだ」
白髪が逆さiに垂れ、葉のない柳の小枝のように風に揺れている。
いかにも武田方の軒猿(忍びの者)の末裔らしい。
「おお、おどのの母ごは、甲州路の大月にお住まいではなかったか?」

参照】2008年10月5日[納戸町の老叔母・於紀乃] (

「それが、相方のむすめのことで、おられなくなっただよ」
「それはお気の毒。して、拙にご用は?」
「そのことよな。おにまことの男の味をおぼえさせたのは、お武家さまじゃろが---だで、おは軒猿(のきざる)として、遣いものにならなくなったぞい」

たしかに、銕三郎と抱きあってときのおは、おんなになりきってきた。
銕三郎の男を、すすんで迎えいれる。
そのことに躰の芯から歓びを感得し、喜悦してきている。
むさぼりさえする。

_360_2
(国貞 月光の舟上 イメージ)

参照】2008年11月17日~[宣雄の同僚・先手組頭] () (
2008年11月25日[屋根舟
2009年1月1日[明和6年(1769)の銕三郎] () () (
2009年1月24日[掛川城下で] (
2009年5月22日[〔真浦(もうら)〕の伝兵衛] () (

「おどのは、軒猿よりも軍者(ぐんしゃ)が似合っておる」
「うんにゃ。血筋は、軒猿だで---いひっ、ひひひ」

飛佐は、躰をひとゆすりすると、その反動で銕三郎に飛びかかってきた。
51歳の老婆とはおもえない身の軽さであった。

飛佐の指がのどに達する寸前に、銕三郎は膝をかがめ、横に飛んだ。
くるりと宙返りしてた立った老婆は、
「お前の男のものが、役立たないようにしてくれるわ」
言うなり、蹴ってきた。
身をひねって倒れながら太刀の柄(つか)で、のびきった足を払った。

悲鳴を発した飛佐の姿が消えた---
---と同時にお(とよ 24歳)が現れた。

「真葛ヶ原の鬼婆ァですぞ。よくぞ、刀を抜きかずしてお防ぎになりました。ご褒美に、わたしを抱かしてあげます。さあ」
ぱらりと着物をおとすと、すっ裸であった。
しばらく、銕三郎を瞶(みつめ)ていたが、ふくよかに微笑むと、着物を枯れ草にひろげ、それに横たわり、両膝をひらいた。
股の茂みが、夜風によそいだ。

とつぜん----、
「ふむ。大人への兆しの、股間の芝生も、なかなかに生えそろってきましたな。しかし、なんだな。一線をはさんで、左右になびくように生えているいる乙女のほうが、風情はまさるな。男の子のは、勝手気ままな生えぶりだからの」
芝・新銭座の表御番医の井上立泉の声が聞こえてきた。
14歳のとき、お芙佐(ふさ 25歳=当時)に初めて男にしてもらったその股間を、しらべられたときに言われたものである。

参照】2007年8月9日[銕三郎、脱皮] (

まともに銕三郎にむけられた、おに化けた真葛ヶ原の鬼婆ァのそれは、齢相応にしなびて黒ずんだ割れ目の周囲に、申しわけのように残っているのは半分以上が白毛で、それもからみあっていた。

銕三郎は、おもわず笑って、目がさめた。

雨戸が、東山おろしに、がたがたと音を立てていた。
(明日、〔千歳〕のおにこの夢のことを話してきかせたら、どうするだろう。いや、4日後に会うおにしたやったほうがいいか)


href="../2009/07/post-97fa.html">1) () () () ( () () () (10) (11

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2009.07.24

〔千歳(せんざい)〕のお豊(5)

白川ぞいに北へとって、旅籠〔津国屋〕へ戻ると番頭が、江戸からの公用早飛脚でとどいた文をわたしてくれた。
「うちらにも、いただきましたよって、つけのことどしたら、ご懸念におよびィしまへんよって---」

_100中庭に面した部屋で披(ひら)くと、父・宣雄(のぶお 54歳)の書簡の表紙から、久栄(ひさえ 20歳)の結び文がころげおちた。
(あいかわらず、父上は久栄には甘い)(清長 久栄のイメージ)

父の書状には、山科代官・小堀数馬邦直(くになお 44歳 600石)へは、勘定奉行(3000石高)・石谷(いしがや)備後守(清昌 きよまさ 58歳)からでは代官所の者たちに大仰すぎるゆえ、この7月に勘定吟味役(500石高・役料300石)に昇進なされた松本十郎兵衛秀持(ひでもち 43歳 100俵5口)どのの名で、銕三郎が密命をもって上洛したことを伝えてある。

したがって、御所の諸品購入の帳票などの調べは、小堀代官どのへ内々、じきじきに申し入れすること。くれぐれもまわりの衆へ密務を気どられないように。
なお、存じているであろうが、松本吟味役どのは、つい先ごろまで、そちらの東町奉行(1500石)高)・酒井丹波守忠高 ただたか 61歳 1000俵)どのと、仙洞御所のご造営を監督なさっておられたから、小堀代官どのとも親しくされていたはずだから、(てつ)を石谷ご奉行の代理として遇してくださるはずである。
なお、松本吟味役どのは、田沼老職も高く買っておられる能才である。
---と、いかにも宣雄らしい、細かい毛筆字で、配慮をつくしたものであった。

仙洞御所という文字で、その東にあったという、荒神口の〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 50すぎ)の細いからだと日焼けした顔を思いだした。
(そうだ、あすは荒神口へ行ってみよう。なにか得ることがあるかもしれない)

【参照】〔荒神(こうじん)〕の助太郎 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10
2009年1月8日~[銕三郎、三たびの駿府] () () () () () () () () () (10) (11) (12) (13
2009年1月21日~[銕三郎、掛川へ] () () () () 

久栄からの麗筆は、淋しくて夜もなかなか寝つけないので、隣家の於千華(ちか 37才)から絵草紙を拝借したところ、それが春本ばかりで、よけいに躰がほてって、ねむれなくなり、困っている。
これを癒すには、銕(てつ)さまに抱かれるほかに手だてはないから、いまにも、鳥になって飛んで行くきたい---とあった。

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(国貞『百夜町仮宅貨通』 イメージ)

N_360
(北斎『させもが露』 イメージ)

(そりゃあ、そんなものばかり寝屋で眺めていた、おんなだって、躰がほてろうよ)

驚いたことに、頭にうかんだのは、久栄のほてった躰ではなく、〔千歳(せんざい)〕のおんな主人(あるじ)・お(とよ 24歳)の紺色の着物の下で、きびきびと動いている姿態であった。
(どうかしているぞ。返事でも書けば、おのことは消えるであろう)

銕三郎は、帳場へ硯(すずり)箱と書箋を借りに立った。
番頭が棚から書箋をとりだすとき、絵草紙が2,3帖落ちた。
久栄が読んでいるものをたしかめるため、
「その草紙も、ついでにひと晩、拝借できるかな」
番頭は、薄笑いをしながら、
「いま評判の冊子でおます」

部屋で披いてみると、塾に悪童連がひそかにもちこで回覧していたもの、そして、雑司ヶ谷の料理茶屋〔橘屋〕のお(なか 34歳=当時)が中居頭・お(えい 36歳=当時)から借りたといって、宿直の夜、睦みの手本にした絵柄と大差なかった。

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(北斎『ついの雛形』)

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(北斎『縁結出雲杉』)

参照】【参照】[〔橘屋〕のお仲] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)  (8)
2008年11月29日[〔橘屋〕忠兵衛] 
お仲が〔橘屋〕へ雇われた経緯 [〔梅川〕の仲居・お松] (4) (6) (7) (8)


とはいえ、頭がほてったことは、まちがいなくほてった。
そのうちに、絵の中で恍惚としているおんなの顔が、久栄になり、お(りょう 33歳)に換わり、〔千歳〕のおに変じはじめたので、本をとじた。

参照】2008年11月17日~[宣雄の同僚・先手組頭] () (
2008年11月25日[屋根船
2008年11月26日[諏訪左源太頼珍] (
2009年1月24日[掛川城下で] (
2009年1月26日[ちゅうすけのひとり言] (30
2009年5月21日~゜[真浦(もうら)〕の伝兵衛] () (

けっきょくこの夜は、久栄への文を書かずにしまった。

_360_5
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B__360
(小堀数馬邦直・個人譜)


2009年7月10日~〔千歳(せんざい)〕のお豊] () () () () () () () () (10) (11

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2009.07.23

〔千歳(せんざい)〕のお豊(4)

なにか、気のきいたことを言いたいと、銕三郎(てつさぶろう 27歳)は、あせればあせるほど、言葉がもつれる。
こういう体験は、はじめてであった。
(とよ 24,5歳)は、盃を唇にあてがったまま、動きをとめ、眸(ひとみ)を斜(はす)ぎみに、銕三郎の言葉を待っている。
艶っぽい姿態に、銕三郎はよけいにあせった。

その緊張に耐えきれず、わざと店の中に視線をめぐらせ、おろかな言葉を発してしまった。
「よいお舗(みせ)ですな。どれほどのあいだ、やっておられるのです?」
男とおんなの会話としては、おかしい。

_120_2艶がなさすぎると、おが咽(むせ)た。
口中で酒をころがしたまま、言葉を待っていたのである。
飯台に投げるようにおいた盃には、酒ははいっていなかった。
袂(たもと)から、あわててだした手巾で、咳を覆う。
(歌麿 お豊のイメージ)

さらに手巾で目元の涙をぬぐい、
「わたしの代になって、もうじき、1年になります」
さりげなく飯台においた手巾には、唇の形に移った紅が、銕三郎には、おの秘所にもみえた。

股間が、不謹慎な反応しはじめる。
(そういえば、東海道をのぼる14日があいだ、おんなを絶っていたからな)

「舗の名は、〔ちとせ〕の読むのかな?」
(千歳飴(ちとせあめ)ではあるまいし---)
こんどは笑いを抑えて、
「いいえ。〔せんざい〕です。生年は百に満たないのに、常に千歳(せんざい)の憂いを懐(いだ)く---と歌った古詩からとりました」

「生年は百に満たず---といわれるが、お見うけしたところ、20歳(はたち)を出たか出ないかのようだが---」
「むすめに化けて、お武家さまをたぶらかす、真葛ヶ原(まくずがはら)に棲(す)む鬼婆ァかもしれませんよ?」

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』巻3[艶婦の毒]p99 新装版p104 には、〔千歳〕の床の下の穴は、真葛ヶ原の榎の大木の根方まで通じていたとある。

ものの本にいう。

八坂というは、北は真葛ヶ原、南は清水坂までの惣名なり。その中に八ッの坂あり。祇園坂、長楽寺坂、下川原坂、法観寺坂、霊山坂、山ノ井坂、清水坂、三年坂などなり。

「その鬼婆ァは、幾つのむすめに化けたかのう?」
「24歳の若年増。20歳やそこらでは、出事(でごと 交戯)の手くだが、まだ熟(う)れておりませんでしょう」
(きわどいことをいう。久栄(ひさえ)は20歳だが---、25歳の若後家だったお芙佐(ふさ)とどうちがうものか、自慢の手くだを味わってみたいものだ)

参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙佐(ふさ)〕 () (

(お芙佐と睦んだのは、こっちが14歳であったから、味わうどころか、緊張のしっぱなしであったな。人妻・阿記(22歳)とのときは、味わうよりも目の前の別れのほうがつらかった)
2008年1月2日~[与詩(よし)を迎に] (13) (14

銕三郎が謎を解こうと、とつおいつしていると、おは、
「霙(みぞれ)もどうやら、あがったようです。どん、板戸を戸袋へ納めて---」

ちゅうすけ注】〔男鬼おおに)〕の駒右衛門というのが、老爺ィの名である。

中がたちまち、明るくなった。
がさっと立った。
背丈は、5尺6寸(168cm)の銕三郎とそれほどちがわなかった。

「お鳥目はお近いうちのお越しのおりに---楽しゅうございました」
背中がぽんと叩かれ、追いだされていた。


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