「お顔の色がさえませんが---」
いつものように飯台の左手の片側に坐lり、冷や酒を注いだ片口から酌をしたお豊(とよ 24歳)が、首をかしげて科(しな)をつくった。(歌麿 お豊のイメージ)
深い黒瞳(くろめ)が銕三郎を見据える。
「ゆうべ、寝ていないのです」
「どう、なさったのですか? お差支えなかったら、お聞かせくださいな」
お豊の盃を満たしてやる。
「銕三郎さまの心痛事が晴れますように---」
目の高さまで盃をあげた。
「かたじけない。しかし、酒では、この悲しみは癒すことができないのです」
盃を一気にあけて飯台においたその手首に、お豊がつっと白い手を置き、
「お話しになれば、いくらかは、お気も晴れましょう。でも、聞き役が私ではご不足?」
お豊の手の甲に右手を重ね、
「大切なひとが死んだ」
お豊の手に力がはいった。
「奥方でございますか?」
「いや。奥は江戸にいます。なにごとも相談できたおなごでした」
「お察しします。このたびのご上洛は、そのお方にご相談ごとがおありだったのでございましたか?」
言って、もう一方の手を重ねた。
「うむ」
「私では、代役がつとまりませんか?」
銕三郎は、ちらっと板場へ視線を走らせた。
察したお豊が、声を投げる。
「駒どん。あとは私がするから、帰っていいよ。帰る前に、表戸をぜんぶたててしまっておくれな」
「仔細は言えない。そのおなごの知恵者に、助(す)けてもらうつもりだったのです」
「そのお人とは---?」
「あるところの軍者(ぐんしゃ)を勤めていました」
「軍者---?」
「さよう」
「もしや、して---」
「うん?」
「いえ。お人ちがいのようです」
お豊が眸(め)をそらし、手を抜き、酌をし、自分の盃にも注いだ。
そぷりの変化を、ふだんの銕三郎らしくもなく、気にとめなかった。
【参照】軍者としてのお竜
2008年11月1日[甲陽軍鑑] (1) (2) (3)
2009年1月3日[明和6年(1769)の銕三郎] (3)
2009年1月28日[〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火)〕] (2)
お豊は、銕三郎の相方(あいかた)が〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 33歳)ではないかと推測したが、そうなると、自分も盗賊の仲間であることを明らかにすることになるので、我慢した。
「いつ、お亡くなりになったのですか?」
(うわさに聞いていたお竜さんが逝った?---このお武家が、お竜さんのいい人だったのだろうか? あの人はおんな男と聞いているが。信じられない)
「きのうの夕方---」
「おいたわしゅう---」
「うむ」
「それで、そのお人に、なにをご相談なされたかったのでございましょう?」
「御所に出入りしている商人」
「ご禁裏に?」
「他言は無用である」
銕三郎が言葉をあらためた。
「誓って---」
手のひらを、こんどは、銕三郎の右掌の下にいれ、つよく握った。
「誓って---」
さらに言うと、銕三郎が握り返した。
その手を、お豊は、頬に押しつけ、じっと銕三郎を瞶(みつ)めたまま腰をすり寄せ、襟元から乳房へみちびく。
「お豊どの」
一方の手で肩を抱いた銕三郎が、
「初めて会ったときからお訊きしたかったことがありました」
「なんでございましょう?」
まさぐられている乳首を押しだすように胸を近づけた。
「お生まれは、どちらかな? 上方育ちの女性(iにょしょう)とも、さりとて江戸生まれともおもえない---」
「しらないのです」
「冗談で訊いたのではありませぬ」
「冗談で応えたのではありません。ほんとうにわからないないのです」
「ほう?」
「五つか六つのときに、尾張・鳴海の宿はずれで、捨て子されたのです」
お豊が、乳房を銕三郎になぶらせながら、太い息づかいをもらしもらしのあいだに語ったところによると、それは、父との旅の途中であったという。
覚えているのは、父は2本差しで、袴をはいていたことと、夜、旅籠の湯舟にいっしょにつかると、
今は吾は 死なむよわが夫(せ) 恋すれば
一夜(ひとよ)一日(ひとひ)も 安けくも無し
つぶやくように言い、お豊を抱きしめてくれたことぐらいであると。
拾って育ててくれたのは、浜松の城下で小間物屋をひらいていた権十郎・おだい夫妻であった。
義理の母親・おだいはお豊が17歳のときに病歿した。
権十郎も2年前に歿した。
「お湯を浴びますか?」
「拙には、和歌の素養はないが---」
「和歌より、実(じつ)でございます」
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