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2009.08.01

お竜(りょう)の葬儀

朝、旅籠〔津国屋〕の主人・長吉(40歳)と顔があったので、粽(ちまき)司〔川端道喜〕の名をだしてみた。
「お求めにならはりますんどすか?」
「いや、どういう店舗(みせ)かと---」
「お昼すぎにはきょうの分は売れてしもうた、いうて、お店の表戸をたててしまわはりますんどす。そら、天子さまもご贔屓のお店どすさかいできることで、ほかのお店やったら、1年ともたしまへん」

「禁裏は、粽の代金をお支払いになっているのかな?」
「いえ。200年のむかしから、毎朝、できたてのあつあつのんを、奉供なさってる、と聞いてます」
「ほう、お代をとっていないのか---」

(そういう商舗の主人が、利が目あてのご用達(ようたし)の商人たちとつながりがあるのであろうか?)
霙(みぞれ)もよいの空であったが、丸太町まで出向くことにした。

〔川端道喜〕は、間口3間(5..4m).ほどの小じんまりとした店がまえであった。
案内を請うと、店主の道喜(10代目 60歳がらみ)が、
「何か、手前にお訊きになりたいことがおますとか---」
店につづく部屋へみちびいた。

細い眸(め)で、じっと銕三郎(てつさぶろう 27歳)を射るように瞶(みつめ)たまま、口をきかない。
しかたなく、江戸の火盗改メ・長谷川平蔵宣雄(のぶお 54歳)の継嗣であることを打ち明けた
「この夏の初めに、大火の付火人(つけびにん)をおあげなって、お手柄どした」
商人に似合わず、業績を知っていた。

「それで、手前の名をどなたはんがお耳に---?」
祇園社の東の茶店〔千歳(せんざい)〕のお(とよ 24歳)というと、
「おはんどしたか。それやったら、お役に立たへんわけにはまいりまへんなぁ」

には身分を伏せているというと、また、じっと眸の奥を射すえ、
「秘密のご用のようでおますな。禁裏のことやったら、お役に立てしまへん」
やんわりと、断った。
「わかりました。いつか、父とともにお伺いします」
道喜がうなずいた。

店を出るとき、粽を3本ほど、紙にのせて渡した。
銕三郎が、銭袋を取りだすと、その手を抑え、
「御所には、毎朝、6本ずつ奉供してます。これは、手前の志でおます。気持ちよう、受けてやっとくなはれ」
初めて、笑った。
その顔が、なんとも魅せた。

〔津国屋〕へ戻ると、〔瀬戸川(せとがわ)の源七(げんしち 56歳)が待っていた。
今夜、お(りょう)の通夜、明日は野辺送りをするが、同業のお頭衆が集まるので、追悼・香華はお控えくださるようにとの、〔狐火(きつねび)}の勇五郎(ゆうごろう 52歳)の伝言をつたえ、銕三郎の手首をにぎり、情のある声で、
「お辛いでしょうが、お耐えください」

「このあたりで、線香を求めます。せめて、それだけでも手向けてやってください」
うなずいた源七は、
「知恩院さんの門前に置いている店がありましょう」
白川ぞいに連れ立った。

_360
(知恩院 『都名所図会』)

「お骨(こつ)には?」
「鳥辺野(とりべの)です」
「線香を一束、いっしょに入れてやってくださいますか」
「承知しました。かならず」
「それから、小さな骨壷に分骨していただけますか?」
「できるでしょう」

線香を渡して別れてから、
(そうか。源七どのは、おとのあいだ察していたのか。お(かつ 31歳)がばらしたかな)

ちゅうすけ補】銕三郎は、おの分骨を、翌年初秋、四谷・戒行寺の長谷川家の墓石の霊室に、父・宣雄を安置するとき、こっそりとまぎれこませた。
それから23年後、久栄(ひさえ)が夫・平蔵宣以(のぶため)を骨壷を納める時、小さな骨壷を見咎めたが、そのまま、その横に平蔵の骨壷を並べて安置した。
銕三郎とすれば、おの父は酒毒で正体がなく、母・飛佐(ひさ)は行方しれずで、故郷で供養してやる者がなく、哀れとおもったのである。


参照】2008年5月28日~〔〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七] () (2) (3) (4)

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