カテゴリー「081岸井左馬之助」の記事

2008.10.22

〔橘屋〕のお雪(6)

御厩(おうまや)の渡しは、大川の対岸の石原町の舟着きとを結んでいる。
いまからなら、四ッ目の〔盗人酒屋〕は、看板には、まだ、時間がある---南割下水ぞいに、四ッ目通りへ急いだ。

っつぁん。ここだここだ」
という声の主は、なんと、岸井左馬之助(さまのすけ 23歳)であった。
隣に、お(ゆき 23歳)が寄りそっている。

銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)が飯台の向かい側に腰をおちつけると、
「まだ、見つりませんのですよ」
が、自分の杯をほしてから、飯台ごしに渡し、なれた手つきで酌をしながら言った。
まわりの耳もあるから、さすがにおの名は伏せている。
このあたりの気づかいも、2年ごしの客座敷の商売で身についている。

「毎日、ご足労をかけて、申しわけなくおもっております」
銕三郎も、なぜだか、〔小浪〕でおの所在がしれてしまったことは隠した。

参照】〔お勝(かつ)〕というおんな] (1) (2) (3) (4)

_130「ほんと、お雪さんには、文字通りの足労だぞ、っつぁん。なにしろ、片道小1里(4kmたらず)を3往復だからな」
「すまぬ。で、見込みはどんなものかな?」
空とぼけた。
うそが下手な左馬之助は、おの顔としめしあわせた目くばせのあとで、
「あと、4、5日はかかるかもな」(清長 お雪のイメージ)

「そうか。頼むよ。ところで、左馬さん。(ろくのすけ 19歳)が、おどのが帰ってこないと心配していた。音沙汰だけはしてやったほうがいい」
「それも、そうだな。じつは、3往復目のおわりを、秋葉権現の隣りの料亭〔大七〕あたりにしているもので、あそこからだと、小梅村へ戻るより、押上の春慶寺のほうが近いので、な」
「それでは、明日にでも、おどのに、おどのの下着のたぐいを運ばせよう」
「なん刻(どき)ごろかな?」
「なん刻ならいい?」
「えーと、 午後の2回目の探索から帰ってくるのは---七ッ(午後4時)かな、おさん?」
「そうね---長谷川さま。おさんに洗いものをお願いしていいですか?」
「春慶寺では、洗いものまではむりでしょうからね」
(お(もと 32歳)こそ、いい面(つら)の皮だ)
銕三郎は、そのおもいも口にはしなかった。

は、日本橋室町2丁目の茶問屋〔万屋〕源右衛門(げんえもん 47歳)が女中に産ませた子・鶴吉(つるきち 7歳)を、小梅村の寮で乳母として育てている。
源右衛門の女房・お(さい 42歳)は家付きむすめで、鶴吉に家業を継がせることになるのを嫌い、香具師の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 59歳)に依頼して襲わせた。
いろいろあって、井関録之助が用心棒として住みついたはいいが、おとできてしまった。
銕三郎も、そのほうが録之助のためにいいと、みとめてしまっている。
中年増の後家が、男なしですむはずはないし、片や録之助は、貧乏ご家人が妾に産ませた子なので、父親の家には身のおき場所もない。
家禄を継げるはずもない代わりに、身持ちがどうのこうのと小普請与(くみ)頭に言われはしないが、精があまっている若い男のこと、道をふみはずさないともかぎらない。
まあ、両人には適切な解決策であった。

_130_3おまさ(12歳)が、新しい酒を運んできた。
兄(にい)さん。お父(と)っつぁんが、薩摩芋の梅干和え、召しあがりますかって---?」
「ちょうど、空きっ腹{だ。急いで頼む。ほかに2、3品---」
おまさ坊、ことらにも2人前---」
左馬之助が、おの意向をたしかめてから、便乗した。
おまさ坊じゃなく、おまさって呼びなおしてくださったら、ご注文をとおします」
おまささん、お願いします」
とっさに、おが言いなおした。
2人の呼吸は、早くも、ぴったりあっている。(清長 おまさのイメージ)

薩摩芋の梅干和えに、はいっている百合の根が香ばしかった。

が板場へ入り、おまさの父親で亭主の忠助(ちゅうすけ 45がらみ)につくり方を訊いている。
〔橘屋〕へ帰ったときに、板前に教えるつもりらしい。
(なるほど、こう気がまわるのでは、主人の忠兵衛どのも目をかけるわけだ。昼間逢ったのでは、真夜中にゆらゆら歩きをするとは、とてもおもえない)
これまで銕三郎は、おのお茶目な面しかみていなかった。
しかし、〔橘屋〕の女中頭のお(えい 36歳)から、夜行のことを聞かされ、おのまったく別の面をしったのだが、こう気がまわるのでは、嬰児を流したことも精神にこたえたろろ---同情するかたわら、左馬之助の相手としての評価もしていた。
左馬は、まだ、免許をとっていない。女房などはまだ早かろう)

左馬さん。おどのとは、どうなんだ?」
「どう? ---とは、どういう意味だ?」
「夜のことだが---」
「言ってもいいのか?」
「まあ---」
「だいたい、夜明け近くまで、眠らない」
「う---」
左馬は勘違いしている。ゆらゆら歩きのことを確かめたのだが、出事(でごと 交合)のことを答えている。ま、抱きあっていれば、ゆらゆら歩きもでまい)

板場から戻ってきたおが、
「芋を線切りにしてから湯煮するのがコツなんですって。その芋のいくらかとを裏漉しにしたものと、梅干も裏漉しにして摺り鉢でよく摺るんです」

[〔橘屋〕のお雪] (1) (2) (3) (4) (5)

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2008.10.21

〔橘屋〕のお雪(5)

「やっぱり---とは?」
銕三郎(てつさぶろう 23歳)が低い声で、お(えい 36歳)に反問した。
ここは、雑司ヶ谷の鬼子母神、一の鳥居脇の参詣人相手の小さな茶店である。
夕刻が近いので、参詣客はほとんど絶えているが、おがこの先の高級料理茶屋〔橘屋〕忠兵衛方の座敷女中頭なので、店のものも聞き耳をたてているかもしれない---銕三郎は、そう、こころくばりしたのである。

「あら、そうではなかったのですか?」
のほうが不審顔だった。
「おどのは、なにがやっぱり---と思ったのですか?」
「夜中のゆらゆら歩き---」
現代でいう、夢遊病のことか。
「いや。その沙汰は、寄宿を頼んだ家からは、いまのところ、うけていません」
「それでは、おのなにを---?」
「生まれた土地とか、家とか、〔橘屋〕で働くことになった経緯(ゆくたて)とか、仮親(身元引受人)といったことです」

 〔橘屋〕が酒を仕入れている霊巌島銀(しろがね)町3丁目の下り酒問屋〔尼屋〕の主(あるじ)・久兵衛の口ききで、おがやってきたのは、3年前、20歳の時であった。
〔尼屋〕の納め先の一つである麹町の蒲焼の老舗〔丹波屋〕から相談をうけたのだという。

_300
(霊巌島銀町の下り酒問屋〔尼屋〕 『買物独案内〕)

_300_2
(麹町4丁目の蒲焼の老舗〔丹波屋〕 同上)

_150
は、〔丹波屋〕の女将の姪だが、18歳の時に、京橋あたりの店で料理人をしている者の女房になった。
当初は、美貌と明るい性格に、夫も大満悦で、家での膳も、ほとんど亭主がつくってやるほどののぼせようであった。
それが、初めての子を流してから、おかしくなった---というのは、深夜に起き上がって、家の中をふらふらとさまよいはじめたのである。
亭主の話しかけには答えず、押さえつけても抵抗しない---しばらくすると、床に入って朝まで眠り、夜中のことはまるで記憶にない。
そんなことが半年もつづき、離縁となった。(清長[風呂あがり] お雪のイメージ)

〔丹波屋〕の女将から〔尼屋〕の久兵衛に相談があり、両人が仮親となって保証したので、〔橘屋〕忠兵衛が引き受けた。
それなりに美形だし、昼間の性格は明るく如才がなく、男とのことも経験しているので、座敷女中としてはうってつけであった。
世話をしたいという客も何人もあらわれたが、夜のことをうち明けると、みんな手をひいた。男たちは、夜の相手としてのぞんでいただけなのである

「なるほど。そういう過去をもっての、明るさだったのですな」
(それにしては、夜を共にすごしているはずの左馬がなにも言ってこないのは奇妙だ)

仕事がはじまるから、と帰っていったおを見送り、銕三郎は、おにも逢わないで茶店をあとにした。
_1503春慶寺の離れへ行き、左馬をたしかめたいが、おの時のように、おとのあられもない場面を目にするのは気にそまない。(国芳『葉奈伊嘉多』口絵 部分 お紺のイメージ)

永代橋東詰の居酒屋〔須賀〕へ寄り、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)の顔をみようかとおもったが、日本橋川にそって歩いているうちに、虫がしらせたのか、三好町・御厩河岸の茶店〔小浪〕へ足がむいてしまった。

銕三郎を認めると、女将の小浪(こなみ 29歳)が嫣然と寄ってきた。
たった一度しか顔をあわせていないのに、さすがに客商売だ。
この店をだしてもらうまでは、どこでなにをしていたのか。
「ここへくれば、〔五井(ごい)の亀吉(かめきち)どのや今助(いますけ)どのと逢えるかとおもったので---」
「どちらからのお帰りですか?」
「わかりますか?」
「だって、裾にほこりが---」
「なるほど、鋭い」
銕三郎は、いったん表へでて、袴の裾のほこりをはらい、入りなおした。

_120「あら。そういう意味で申したのではございませんのに---」
「ところで、亀吉どのや〔尻毛(しっけ)の長助(ちょうすけ)どのは?」
「あれっきり、ですの。なにかご用でも---?」
「女将どのへ頼んでおけば、伝わるのですか?」
今助さんが、仲立ちしてくれましょう」
今助(21歳)は、浅草・今戸一帯の香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 59歳)の若い者頭格である。
林造は表向きは今戸で、女房・お(ちょう 51歳)に〔銀波楼〕という料亭をやらせている。
小浪に店をださせているのも、女房は、自分の年齢を考えてあきらめ、承知していると聞いた。

今助どのは、毎日、あらわれるのですか?」
小浪が返事をしかけた時に、入ってきた中年増が、割りこんだ。
_150_3小浪さん」
「あら、お(りょう)さん。お(かつ)さんは、まだなんですよ」
「あたしのほうが、早く終わったもので---」
銕三郎は、まともに見ないようにしながら、おをうかがったとたん、おと視線があってしまった。
は、澄んだ黒目で軽く目礼をしただけで、小浪に、
「あれ、お借りできます?」
うなずいた小浪が、帯の間から鍵をとりだして渡す。
「向島のおのところへ、遣いをやってくださいな。あ、あちらではお(つた)でおつとめしています」

参照】〔お勝(かつ)〕というおんな] (1) (2) (3) (4)

「お話中の無作法、失礼申しました」
は、銕三郎に軽く会釈をして出て行った。
「きれいな人ですね」
「あれで、男嫌いなんですよ。もったいない」
(まちがいない。〔中畑(なかばたけ)のおだ)
しかし、きれいな顔を拝んだからといって、どうなるものでもない。
こだわってきたのは、おんなおとこ(女男)の筋道のついた考え方を、話しあっているうちに聞きとることであった。

おもいきって、小浪に暗示をかけてみた。
「女将どの。さきほどのおどのへ伝わるように、あとでやってくるらしいおどのとやらへ、伝言(ことづ)けてくださいませぬか」
「内容しだいでございますよ」
「なに、かんたんなことです。高輪沖の松明について、拙が話しあいたがっていると。逢ってくださる決心がついたら、日時と場所を、女将に伝えておいてくだされ---と」
「高輪沖の松明---でございますね」
「さよう。そう伝えていただけば、おどのにはわかるはず---」

日暮れが遅くなって、六ッ半(午後7時)が近いというのに、川面はまだ明るさがのこっている。
銕三郎は、〔小浪〕の前から渡しに乗りながら、苦笑していた。
(おstrong>雪と左馬の濡れ場にさけて〔小浪〕へ逃げたら、おという大魚にでくわし<た。
これも、お功徳かな)


[〔橘屋〕のお雪] (1) (2) (3) (4) (6)

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2008.10.20

〔橘屋〕のお雪(4)

長谷川先輩。おさんが、この2夜、帰ってこないのですよ」
銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)が、高杉道場の裏庭の井戸端で、上半身を裸躰にし、稽古でかいた汗を拭きとっていると、井関録之助(ろくのすけ 19歳)が声をかけた。

参照】〔橘屋〕のお雪 (1) (2) (3)

「2夜も帰ってこないとは、どういうことだ?」
「どういうことといわれても---おとといの朝、探索にでていったきり、音沙汰がないのです。うちへ泊まったのは最初の一晩だけ---」
「なぜ、もっと早く言わなかった」
「おさんには、岸井先輩がつき添っているわけでしょう? なにかあったら、岸井先輩から、長谷川先輩に連絡がいっているとおもって---」
左馬さんからは、なんの沙汰もをない」

左馬之助(さまのすけ 23歳)は、お(ゆき 23歳)につきっきりでお(かつ 27歳)の働きどころを捜しをしており、その間、道場の稽古も休むように、高杉銀平師の許しを得てある。

参照】〔お勝(かつ)〕というおんな] (1) (2) (3) (4)

を見つければ、その情人(いろ)の男役・〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 29歳)の手がかりがつかめるとふみ、おの顔をしっているおを、勤め先の〔橘屋〕忠兵衛から借りだしていたのである。
左馬と組ませたのは、猫にかつおぶしだったか---いや、猫はおのほうだ。これまでも、なんとなくおれのく気)を引いていたが、純情な左馬なら、手もなくおとされよう)

_140銕三郎は、自分のことは棚にあげている。

銕三郎のこれまでの女躰体験は、三島の若後家・お芙沙(ふさ 25歳=当時)のことからして、14歳の初穂を食べてみたいという彼女ののぞみだったのである。
風呂場で、芙沙も身にまとっていたものすっかり脱いで、背中を流してくれ、その背中に乳房がふれ、銕三郎のまだ芝生も生えそろっておらず、亀頭もみせていないものが、弓なりに痛いほど直立した。
芙沙は、仮(かりそめ)の母に甘えているとおもえと、少年の銕三郎に気づかいをみせてくれた。(歌麿[美人入浴] 芙沙のイメージ)

参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ) 

_16018歳のときの、人妻・阿記(あき 21歳)との出会いも、彼女のほうからいっしょに湯へはいりたいとのぞみ、共湯したのであった。
阿記は、背から銕三郎の太ももへ乗ってきた。
その尻の割れ目が、銕三郎のものを強く刺激した。(栄泉[水中流泳] 阿記のイメージ)

参照】2008年1月1日[与詩(よし)を迎えに (12) (13)

_150_2雷雨にずぶぬれの衣類を浴室で脱ぎすてたあと、雷光をさけて蚊帳の中で時をすごしていた2人に、近くに落ちたかおもうほどの音に、怖がったお(しず 18歳=当時)が抱きついてきた。
素肌にちかい形での抱擁だったから、19歳の銕三郎に手びかえろと言うほうがむりというものであった。
は、盗賊の首領〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 45歳=当時)の囲い女だったから、無事に終わったのが奇跡といっていい。(栄泉[ふじのゆき] お静のイメージ)

参照】2008年6月2日~[お静という女] (1) (2)

__150そういえば、お(なか 33歳=当時)---まだ改め名まえのお(とめ)だったが---とは、船酔いだというので、音羽の小料理茶屋の2階の蚊帳の中に伏せさせて気分がおさまるのを待っているうちに、初めて躰をあわせたのであった。
その時の銕三郎は22歳で、それなりに経験も経ていたが、なにしろおはむすめも産んでいるし、男との数も豊富らしかったから、青年にはわからない微妙なツボの手練まで教わることになlり、いまにいたっている。

参照】2008年8月7日~[〔梅川〕の女中・お松] (7) (8)

B_150
(おの手管に、たわいもなく、おちたはいいが、左馬のほうはしばらくおんなっ気から遠ざかっていたから、力みすぎて、荒々しく振舞っていたりしたら恥っさらしだが---いまごろは、春慶寺の離れでやにさがっているかな)。
まさしく、自分のことは棚にあげて---だ。
自分は、おの師範の成果で、いっぱしの皆伝持ちみたいにうぬぼれている。

左馬のぶきっちょを想像して、独り笑いがこぼれたらしい。
この道の、若い男のひとりよがりは手がつけられない。

「先輩。は、どうすればいいでしょう?」
録之助が訊いてきた。
_150_5銕三郎は、照れかくしに、
。おどのが帰ってこないのをいいことにして、お(もと 32歳)とたっぷりたのしんでおるな?」
「そんな無茶を言わないでください」

どれもこれも、春先の猫もどきにそのことばかりを考えている。
ま、若さの象徴というものかもしれない。

「着替えの下着などは、どうなっているのだ?」
「置きっぱなしです」
「それでは、まもなく戻ってくるだろう。なにも聞かないでおいてやれ」
銕三郎としては、男女の仲のことはそっとしておくにかぎる、と、左馬と〔物井(ものい)〕のお(こん 29歳)のことで悟っていた。
なまじ、気をつかいすぎたために、友情が冷えかかったのである。
躰の結びつきなら、いずれは離れる。

それよりも、気になったのは、おというおんなの素性について、なにもこころえていないことであった。
〔橘屋〕忠兵衛の目ききにかなったということで安心しきっていた。
目ききをされてから、2、3年はすぎている。あの齢ごろの2、3年は、変わりがはやく、大きく変わることもある。
とりわけ、客商売のおである。どんな客の誘いにのっているか、しれたものではない。

衣服をあらためると、雑司ヶ谷の〔橘屋〕へむかったが、女中頭のお(えい 36歳)の仕事時間前に行きつくために、両国橋の東詰から駕籠にのった。
浅草・今戸あたりの香具師(やし)の元締(もとじめ)・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 59歳)のところの若い衆に木刀術を指南する手当てを、井関録之助から半分めしあげているので、困ることはない。

鬼子母神(一の鳥居)脇の茶店の小女に、呼び出し文をとどけさせた。
座敷着のおが、息をつかせながらなやってきた。
の身上がしりたいのだと告げると、眉をひそめたおが口にしたのは、
「やっぱり---」
ため息であった。

[〔橘屋〕のお雪]  (5) (6)


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2008.10.19

〔橘屋〕のお雪(3)

向島を隅田川ぞいに往還をはじめて3日目。
四ッ(午前10時)すぎ。
三囲(みめぐり)稲荷社(現・墨田区向島2丁目5)の社前。

612
(三囲稲荷社 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

向島・七福神の恵比寿と大黒天をまつっている。

江戸時代は、竹屋の渡しが、今戸橋ぎわから往復していた。
社地を白ギツネが3回まわったという伝説が社号となった。
余談をつらねると、社号を「ミツイ」と読み、三井財閥系の日本橋・三越本店の屋上に分祀されている。

「おさん。腰はけだるくないかな?」
「だって、左馬さんが飽きないんだもの」

_200一夜をともにしただけで、お(ゆき 23歳)と左馬之助(さまのすけ 23歳)は、親しさがすっかり深まった。
言葉づかいにも軽みがでている。
「腰がけだるいようなら、昼餉(ひるげ)をとったあと、部屋を借りてほぐしてあげようか?」
「それにことよせて、また---はげみたいんでしょ?」
「おさんの、せっかくの髪が、くずれなければな」
今朝、おは髪結いを呼び、ゆうべ、乱れるだけ乱れた髪を結いあげた。

は返事をひかえた。
「いい」と言ってしまうと、いかにも好きものとおもわれそうだったからである。
出しおしみは、おんなの手管の一つでもある。
しかし、躰は返事をしたがっていた。
ゆうべは、堪能するほど数をこなしたのに。
いちど堰が切れると、やはり、躰の芯がとめどなく欲しがる。
話題を変えた。

「三囲さんへ、お参りしていきませんか? 日に何度も前をお通りして、まだ、お賽銭をあげていないんですもの」
「若い美女が詣でると、白ギツネが憑(つ)くといわれているが、いいのかな」
「憑いたら、左馬さんに木の葉を小判にしてさしあげます」
「小判よりも、白い裸身のほうがありがたい」
「うふ、ふふふふ。すぐにそこへ結びいてしまうのね」
「あは、ははは」
他愛もない会話で遊びながら、鳥居をくぐったおが、左馬之助の袖を引いて、絵馬堂の蔭に身をかくした。

「どうした?」
_100_4「拝殿でしゃがんで拝んでい.る人、おさんみたい---」
「えっ?」

参照】〔お勝(かつ)〕というおんな] (1) (2) (3) (4)

そっとのぞき、声をひそめ、
「あのおんなか?」
「そうです。この近くにあった料亭は?」
「境内の北に〔平岩〕があるが---東へ帰ったら、〔武蔵屋〕と〔大七〕」

Photo
(三囲稲荷社の北隣りの料亭〔平岩〕 『買物独案内』)

Photo_2
(秋葉権現脇の庵崎の料亭〔武蔵屋〕 同上 文政7年(1824)刊)

_360
(向島の西区域 庵崎の〔大七〕〔武蔵屋〕、三囲稲荷北の〔平岩〕、諏訪明神脇〔大村〕=ただし、ここだけは小説中のり料亭)

「東は秋葉権現さん(現・秋葉神社 墨田区向島4丁目9)でしたね」
「千代世(ちよせ)稲荷も---あのあたりの料亭は、鯉が有名だよ。そうだ、きょうの昼餉は、あそこにしよう」
「のんきなこと、おっしゃってないで---立って、横顔が見えたら教えて。おさんが秋葉さんのほうへ帰ったら、危なくて、鯉どころではないでしょ」
「そう、おさんは料理茶屋〔橘屋〕で、料理は見飽きているんだったな」

やはり、お(かつ 27歳)であった。
陽光の下でみると、年増は年増である。
しかし、左馬之助は感想を口にしなかった。
ゆうべ、おが、ここ1年ほどのあいだに腹部ににうっすらあらわれたといって、新月のように細い浅い線を気にしていたからである。

尾行(つ)けると、おは〔平岩〕の裏口へはいった。
「鯉の洗い、これで、決まりましたね」

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻20[高萩の捨五郎]で、鬼平彦十をつれて秋葉大権現の裏門の〔万常〕で鯉の洗いを食べていて、〔高萩たかはぎ〕の捨五郎を見つける。p176 新装版p182

615_360
(秋葉大権現の隣地の庵崎 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ
キャション 俗間、請地秋葉権現の辺(あたり)をしか唱ふれども定かならず。須崎より請地秋葉の近傍(ちかく)までの間、酒肉店(りょうりや)多くおのおの籞(いけす)をかまへ鯉魚(こい)を畜(か)ふ。酒客おほくここに宴飲す。中にも葛西太郎といへるは、葛西三郎清重の遠裔といひ伝ふれども是非をしらず。むさしやといふは、昔麦飯ばかりを売りたりしかば、麦計(むぎばかり)といふここにて麦斗(ばくと)と唱へたりしも、いまはむさしやとのみよびて、麦斗と号せしをしる人まれになりぬ)

「これじゃあ、もう、木母(もくぼ)寺くんだりまで行くことはなくなりました。よかった」
「ちょっと早いけど、〔大七〕か、あのあたりで生簀(いけす)をしつらえている料理茶屋で、鯉の洗いで午餐(ひる)をすませて、春慶寺へ帰ろう」
「ごほうびですね」
「秋葉さんから春慶寺へは、10丁(ほぼ1km)もないし、腰がけだるければ、舟という手もある」
「権現さんから舟?」
「曳き舟の水路だからね」
「おもしろそう。雑司ヶ谷あたりでは考えられません」
「屋形舟はないから、下腹のひだるさ(空腹)をいやすのは、部屋へ帰ってからに---」
左馬さんのほうこそ、辛抱できます?」

捜しものが片づいたせいか、躰がしりあったためか、2人とも軽口が一層はずみじめた。
長谷川さまには、おさんを見つけたことは、しばらく、黙っておきましょうね」
「そうしないと、おさんが雑司ヶ谷へ帰ってしまうからな。それにしても、っつぁんの勘ばたらきはすばらしい」
「昨夜のことも、もう、感ずかれているかも---」
「感づかれると、困るのかな?」
「いいえ。ちっとも。長谷川さまには、練達のお姉(あね)さんがついていらっしゃいますから---」
「おお、そっちの話も聞きたいな」

親しさが一気にすすむのはいいが、別れの時がきたら、どうなることやら。
いや、左馬之助もおの宿直(とのい)の夜、雑司ヶ谷へ足を運ぶことになるやもしれない。
押上(おしあげ)から鬼子母神(きしもじん)だと、片道2里(8km)近くはありそう。


[〔橘屋〕のお雪] (1) (2) (4) (5) (6)

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〔橘屋〕のお雪(3)

向島を隅田川ぞいに往還をはじめて3日目。
四ッ(午前10時)すぎ。
三囲(みめぐり)稲荷社(現・墨田区向島2丁目5)の社前。

612
(三囲稲荷社 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

向島・七福神の恵比寿と大黒天をまつっている。

江戸時代は、竹屋の渡しが、今戸橋ぎわから往復していた。
社地を白ギツネが3回まわったという伝説が社号となった。
余談をつらねると、社号を「ミツイ」と読み、三井財閥系の日本橋・三越本店の屋上に分祀されている。

「おさん。腰はけだるくないかな?」
「だって、左馬さんが飽きないんだもの」

_200一夜をともにしただけで、お(ゆき 23歳)と左馬之助(さまのすけ 23歳)は、親しさがすっかり深まった。
言葉づかいにも軽みがでている。
「腰がけだるいようなら、昼餉(ひるげ)をとったあと、部屋を借りてほぐしてあげようか?」
「それにことよせて、また---はげみたいんでしょ?」
「おさんの、せっかくの髪が、くずれなければな」
今朝、おは髪結いを呼び、ゆうべ、乱れるだけ乱れた髪を結いあげた。

は返事をひかえた。
「いい」と言ってしまうと、いかにも好きものとおもわれそうだったからである。
出しおしみは、おんなの手管の一つでもある。
しかし、躰は返事をしたがっていた。
ゆうべは、堪能するほど数をこなしたのに。
いちど堰が切れると、やはり、躰の芯がとめどなく欲しがる。
話題を変えた。

「三囲さんへ、お参りしていきませんか? 日に何度も前をお通りして、まだ、お賽銭をあげていないんですもの」
「若い美女が詣でると、白ギツネが憑(つ)くといわれているが、いいのかな」
「憑いたら、左馬さんに木の葉を小判にしてさしあげます」
「小判よりも、白い裸身のほうがありがたい」
「うふ、ふふふふ。すぐにそこへ結びいてしまうのね」
「あは、ははは」
他愛もない会話で遊びながら、鳥居をくぐったおが、左馬之助の袖を引いて、絵馬堂の蔭に身をかくした。

「どうした?」
_100_4「拝殿でしゃがんで拝んでい.る人、おさんみたい---」
「えっ?」

参照】〔お勝(かつ)〕というおんな] (1) (2) (3) (4)

そっとのぞき、声をひそめ、
「あのおんなか?」
「そうです。この近くにあった料亭は?」
「境内の北に〔平岩〕があるが---東へ帰ったら、〔武蔵屋〕と〔大七〕」

Photo
(三囲稲荷社の北隣りの料亭〔平岩〕 『買物独案内』)

Photo_2
(秋葉権現脇の庵崎の料亭〔武蔵屋〕 同上 文政7年(1824)刊)

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(向島の西区域 庵崎の〔大七〕〔武蔵屋〕、三囲稲荷北の〔平岩〕、諏訪明神脇〔大村〕=ただし、ここだけは小説中のり料亭)

「東は秋葉権現さん(現・秋葉神社 墨田区向島4丁目9)でしたね」
「千代世(ちよせ)稲荷も---あのあたりの料亭は、鯉が有名だよ。そうだ、きょうの昼餉は、あそこにしよう」
「のんきなこと、おっしゃってないで---立って、横顔が見えたら教えて。おさんが秋葉さんのほうへ帰ったら、危なくて、鯉どころではないでしょ」
「そう、おさんは料理茶屋〔橘屋〕で、料理は見飽きているんだったな」

やはり、お(かつ 27歳)であった。
陽光の下でみると、年増は年増である。
しかし、左馬之助は感想を口にしなかった。
ゆうべ、おが、ここ1年ほどのあいだに腹部ににうっすらあらわれたといって、新月のように細い浅い線を気にしていたからである。

尾行(つ)けると、おは〔平岩〕の裏口へはいった。
「鯉の洗い、これで、決まりましたね」

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻20[高萩の捨五郎]で、鬼平彦十をつれて秋葉大権現の裏門の〔万常〕で鯉の洗いを食べていて、〔高萩たかはぎ〕の捨五郎を見つける。p176 新装版p182

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(秋葉大権現の隣地の庵崎 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ
キャション 俗間、請地秋葉権現の辺(あたり)をしか唱ふれども定かならず。須崎より請地秋葉の近傍(ちかく)までの間、酒肉店(りょうりや)多くおのおの籞(いけす)をかまへ鯉魚(こい)を畜(か)ふ。酒客おほくここに宴飲す。中にも葛西太郎といへるは、葛西三郎清重の遠裔といひ伝ふれども是非をしらず。むさしやといふは、昔麦飯ばかりを売りたりしかば、麦計(むぎばかり)といふここにて麦斗(ばくと)と唱へたりしも、いまはむさしやとのみよびて、麦斗と号せしをしる人まれになりぬ)

「これじゃあ、もう、木母(もくぼ)寺くんだりまで行くことはなくなりました。よかった」
「ちょっと早いけど、〔大七〕か、あのあたりで生簀(いけす)をしつらえている料理茶屋で、鯉の洗いで午餐(ひる)をすませて、春慶寺へ帰ろう」
「ごほうびですね」
「秋葉さんから春慶寺へは、10丁(ほぼ1km)もないし、腰がけだるければ、舟という手もある」
「権現さんから舟?」
「曳き舟の水路だからね」
「おもしろそう。雑司ヶ谷あたりでは考えられません」
「屋形舟はないから、下腹のひだるさ(空腹)をいやすのは、部屋へ帰ってからに---」
左馬さんのほうこそ、辛抱できます?」

捜しものが片づいたせいか、躰がしりあったためか、2人とも軽口が一層はずみじめた。
長谷川さまには、おさんを見つけたことは、しばらく、黙っておきましょうね」
「そうしないと、おさんが雑司ヶ谷へ帰ってしまうからな。それにしても、っつぁんの勘ばたらきはすばらしい」
「昨夜のことも、もう、感ずかれているかも---」
「感づかれると、困るのかな?」
「いいえ。ちっとも。長谷川さまには、練達のお姉(あね)さんがついていらっしゃいますから---」
「おお、そっちの話も聞きたいな」

親しさが一気にすすむのはいいが、別れの時がきたら、どうなることやら。
いや、左馬之助もおの宿直(とのい)の夜、雑司ヶ谷へ足を運ぶことになるやもしれない。
押上(おしあげ)から鬼子母神(きしもじん)だと、片道2里(8km)近くはありそう。


[〔橘屋〕のお雪] (1) (2) (4) (5) (6)

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2008.10.18

〔橘屋〕のお雪(2)

初日は、成果がなかった。
しかし、べつの成果があった。
岸井左馬之助(さまのすけ 23歳)とお(ゆき 23歳)とのあいだは、若い者同士、遠慮の垣根がとれるのは、1日で足りたからである。

2日目の午後、おが着替え、頭には菅笠をのせて〔さなだや〕からでてきたとき、左馬之助がほめた。
「別人のようになったが、赤い笠紐が、よく似合う」
「笠なんて、この2、3年、かぶったことがありませんのに---」
「いや。おどののまぶしさがかくれて、親しみがました」

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(清長 菅笠のお雪のイメージ)

岸井さまには、相手変われど主(ぬし)変わらず---つまらなくお感じでしょう」
「相手変われど、主変わらずは、もてもてのおどののことであろう?」
「いいえ。わたしは、相手なしの、一人寝---でございます」
「おほどの美形が?」
「美形などと、お世辞を言ってくださったのは、岸井さまが初めて---お世辞でも、うれしい」
「相手なし---とは、まことかな?」
「まこと、に見えませんか?」

こうして、その夕べ、おは、小梅の寮に帰らなかった。

小梅の寮では、お(もと 33歳)と井関録之助(ろくのすけ 19歳)が四ッ(午後10時)まで、帯もとかずに待っていたが、入江町の鐘楼が四ッを打ったので、戸締りをし、どちらともなく寝着に着替え、やがて、その寝着もはだけてしまっていた。
録之助は、禁令を破ることに刺激が高まったのか、おの腰をもちあげてみたりして、興奮のかぎりであった。

[若き日の井関録之助] (1) (2---事故で工事中) (3) (4) (5)

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(北斎『縁結出雲杉』より イメージ)

長谷川さまのお言いつけをやぶってしまいましたね」
「おさんが止宿しているうちは---ということだったのだ。今夜は泊まっていない」
「そうですね---ああ、躰のもやもやが、すっきりと晴れました。ぐっすり眠れそう」

ところ変わって---。
押上の春慶寺の離れ---左馬之助が止宿している部屋である。
土ぽこりがひどかったので、おは庫裏(くり)の湯室をつかわせてもらい、髪を洗った。

櫛をいれている間も、左馬之助は待ちきれないで、おに、あれこれと悪戯をしかけている。

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(歌麿『小町引』 イメージ)

このあとは、報じるまでもない。
が、
「おさんを見つけても、長谷川さまへお報らせるするのは、5日後にしましょうね。5日間は、ここで、こうして、ねっちりと---」

参照】〔お勝(かつ)〕というおんな] (1) (2) (3) (4)

この夜、5の日で、銕三郎(てつさぶろう 23歳)は、雑司ヶ谷の〔橘屋〕のいつもの離れにいた。
(なか 34歳)が、おのことで妬いている。
「おさんといっしょで、きてはくださらないかとおもちってました」
「ばかをいうものではない」
「でも、おさんが、あんなにうれしがっていたんですもの」
「それは、おどのの一人合点というもの」
「でも、若いこのほうがよろしいんでしょ?」
「出事(でごと 交合)の師範をしてくれるといったのは、だれだ?」
「意地悪ッ!」

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(国貞『恋のやつふじ』部分 イメージ)

は、背中からむしゃぶりついたが、裾は、もう、ちゃんと割っている。
指をのばして触れながら、銕三郎が、
「お(きぬ 13歳)だが、納戸町の老叔母の世話をしてもらおうかとおもっている」
「いいようになさってくださいな。あの子はあの子で、生きていけます」
「嫁入りまでは、そうもいかない。手習いも、芸事も、習わないといけまい。老叔母なら、面倒を見てくれよう」
「おより、わたしの面倒の見方を、さ、覚えてくださいな」

若い男たちのこの道の学習欲は、古今、とめどがない。
もちろん、おんなも飽きるということがないから、どっこいどっこいか。
姿態も千幻万化。
 

参照】 [〔橘屋〕のお雪] (1) (3) (4) (5) (6)


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2008.10.17

〔橘屋〕のお雪

「 〔橘屋〕どの。まことに身勝手なお願いをお聞きとどけくださり、かたじけのうございます。拝借したおどのは、7日のうちに、お戻しいたします」
銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)は、料理茶屋〔橘屋〕の主人・忠兵衛(50がらみ)に、こころをこめて頭をさげた。
忠兵衛は、手をふって、
「なんの、なんの。こころおきなくお役立てくだされ。7日といわず、10日でも半月でも---」

参照】〔橘屋〕忠兵衛は、 (A) (B) (C) (D)

(かつ 27歳)の面体を知っているということでは、女中頭・お(えい 36歳)のほうがしっかりしているのだが、まさか、座敷をとりしきっている彼女を借りるわけにはいかない。

参照】〔お勝(かつ)〕というおんな] (1) (2) (3) (4)

岸井左馬之助(さまのすけ 23歳)が、浅草・御厩(おうまや)河岸の舟着き場の茶店〔小浪〕で見かけた、女将と親しげな女が、もしかすると、巨盗・〔蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 46歳)の女軍者(ぐんしゃ)〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 29歳)の情人・お(かつ 27歳)かもしれないと、銕三郎は推量した。
いや、ひらめきともいえる思いつきであった。
銕三郎は、自分のひらめきを、あれこれ検討し、おは、向島の料亭で座敷仲居をしているとふんだのである。

参照】2008年8月29日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭]  (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1)  (2) (3) (4) (5)  (6) (7) (8)

それで、おの面体をよく覚えている〔橘屋〕の座敷女中のうちから、お(ゆき 23歳)を借り、向島あたりを歩き、おをみつけてもらうことにしたのである。

はおもしろがり、忠兵衛の許しがでると、銕三郎と連れだち、いさんで本所へ向かった。
もっとも、銕三郎としては、おをひとりで歩かせるつもりはない。
久栄(ひさえ 16歳)の例もあった。
の顔を見たことのある左馬之助といっしょに探索させるようにした。

「な、左馬さん。おが働いている料亭が、両国橋の東詰の〔青柳〕とか、尾上町の〔三河屋〕や〔中村屋〕だったら、なにも、御厩の渡し舟に乗るわけがない。橋の東西どちらかで町駕籠をひろって〔小浪〕へくるはず。それが、わざわざ渡しできたということは、向島あたりから駕籠で石原町の渡し場まできて、舟で三好町へわたってきたと見る」
っつぁん。まさしく」

そういうわけで、左馬之助は、おと連れだって、お捜しをすることになった。
喜んだのは、左馬之助である。
足利で、盗賊の首領・〔法楽寺ほうらくじ)〕の直右衛門(なおえもん 40男)によって女躰のすみずみまで開拓されつくした〔物井(ものい)のお(こん 29歳)に、性の愉悦をあじあわされた左馬之助である。

参照】[〔物井(ものい)〕のお紺] (1) (2)

このところ、おんなっ気がきれ、飢えているところで、銕三郎から、
「おどのは、父の旧友のところの大切なおなご衆ゆえ、くれぐれも間違いのないように---」
と、きつく釘を打たれているが、それに従う気は、さらさらないみたいである。
若い男の性というものは、自制がききにくく、どうしようもない---と、昔からきまっている。

一方で、銕三郎は、火盗改メ・お頭の本多采女紀品(のりただ 55歳 2000石)を訪ね、本所・向島を廻っている同心・生方(うぶかた)三郎四郎(41歳)に、一帯の高級料理屋でこの3年前からここ半年までのあいだに新しく雇いいれた座敷女中の書きだしを、ひそかにとってもらった。
こういうところで働くおんなの出入りははげしい。
もちろん、〔橘屋〕のおのように、じっくりつとめている者も少なくはない。

じつは、銕三郎が、この1年前から半年間---と言ったら、紀品が、
「それでは、探索のねらいが見え見えで、銕三郎どのが目指す相手が気づいてしまう。ねらいをぼやかすために、3年前からということにしなさい。敵をあざむくには、まず見方から---ということもある」
助言してくれた。
たしかに、そのとおりだと、銕三郎は学習した。

本多采女紀品は、銕三郎が打ちあけるまで、探索のわけを訊くような野暮はしない。
話すべきところがくれば、きちんと話してくれ、助けが必要ならそれも頼んでくると信じている。
したがって、本多紀品の部下も、お頭の気質をのみこんでいて、銕三郎に余計な口だしはしない。
この紀品流の心遣いは、のちに銕三郎が火盗改メの長官になったときに、生かされ、配下や密偵からの信頼感が厚かったが、それは20年後の話。

木母(もくぼ)寺境内の〔植半〕と〔武蔵屋〕、諏訪明神脇の〔大村〕、請地・秋葉大権現社わきの〔大七〕と〔武蔵屋〕、それに三囲(みめぐり)稲荷社の北の〔平岩〕から、30数人を超える書きあげがあった。
という名の仲居はいなかった。用心して、名を変えているのであろう。

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(向島かいわいの料亭 上左端から時計まわりに大七、武蔵屋、平岩、大村、植半、武蔵屋)

が、小浪(こなみ)の住まいの仕舞(しもう)た屋を借りた日が休息日にあたっていた座敷女中を書きださせることも、探索をお勝にさとられると消えられるとふんで、やめた。

探索の巡廻は、この6軒の周辺を中心におこなうことになった。
片道30丁(ほぼ3km)。

左馬之助とおは、五ッ(正午)までに1回、そのあと暮れ六ッまでに2度、源森川北の水戸侯下屋敷の正門前から綾瀬川までの隅田川ぞいの道を往還した。
総距離5里(20km)---おんなのおには、けっこう、つらい。

正午までを1回にとどめたのは、夜の仕事が長い料亭の座敷女中の朝はおそいものと、おが言ったからであった。

_130_3も心得ていて、午後の往来には、その都度、着物を変えた。
赤いものの次には、紺の縞もの---。
着替えと休息には、源森川河口に架かる枕橋ぎわの蕎麦屋〔さなだや〕の座敷をかりることができた。
『鬼平犯科帳』巻2[蛇の眼]でおなじみの店である。
_130_2かぶりものも、頭巾であったり、ほこりよけの角(つの)かくしであったり、笠であったり---なるべく怪しまれないように意をもちいた。(清長[埃よけ角かくし] お雪のイメージ)

の宿は、枕橋から遠くない、茶問屋〔万屋〕の小梅村の寮を頼んだ。
乳母のお(もと 32歳)が、持ち主の源右衛門(げんえもん 47歳)の了解をえた上で、引き受けた。(清長[手ぬぐいかぶり] お雪のイメージ )

源右衛門は、おからの使いの者に、
長谷川さまの頼みごとは、どんなことでもお引きしなければならない」
と言ったという。

銕三郎は、寮に入りびたっている井関録之助(ろくのすけ 19歳)に、おが止宿しているあいだは、つらいだろうが、おとの睦みあいはひかえるように厳命した。
ところが---。


[〔橘屋〕のお雪]  (2) (3) (4) (5) (6)

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2008.04.10

岸井左馬之助とふさ

「どうした? 左馬さん。食う気がおきないのか?」
手の草餅を、悲しそうな目でじっと眺めている岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)に、食べ終わった銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が不審げに訊いた。

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いつもなら、こういう時、真っ先にかぶりつく左馬之助なのである。
草餅は、ついいましがた、道場の隣家で出村町一帯の名主・田坂家の孫むすめ・ふさ(17歳)が、横川べりで話しこんでいる2人のために、わざわざ、持ってきてくれたものである。
ふさは、草餅を手わたすと、余計な口にはきかないで、さっさと屋敷へもどっていった。

左馬がかすかに首をふる。食い気がないわけでないらしい。
ふさどのの左馬さんに対する好意だ。おれまでご相伴(しようばん)にあずかった」
「ちがう」
「え?」
ふさどのは、花びらを載っけたほうをっつぁんにわたした」
「花びら?」
「草餅に載せてあった」
「気がつかなかったぞ。胃の腑に入ってしまったものは、たしかめようがないが、ほんとうに花びらがついていたのか?」
「ついていたのではない。載せてあったのだ。それを、ふさどのはっあんに手わたした。ふさどのはっあんが好きなのだ」
「じょ、冗談は、よしてくれ。ふさどのが好意をもっているのは、左馬さんのほうだ」

そういえば、先日、銕三郎が道場の井戸端で、稽古の汗をぬぐっていると、走るようにやってきた左馬が、
ふさどのが髪を洗っている」
一大事でも告げるように言った。
「天女(てんにょ)じゃあるましい、生身のおんなだ、髪ぐらい洗うさ」
「も、双肌(もろはだ)脱いでだぞ」

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(春信『髪すき』部分)

「着物を着たままで髪を洗うおんながどこにいる。ふさどのだって、芋を食えば屁(へ)だってぶっぱなすさ」
そう言ったばっかりに、左馬は口をきいてくれなくなった。
もっとも、4日目には、立会い稽古を催促されたが---。

S_2だいたい、左馬は、17歳の時に下総(しもうさ)・印旛郡(いんばこおり)臼井宿から、同郷の高杉銀平師をたよって上府してき、押上(おしあげ)村・春慶寺の庫裡の離れで独り暮らしをしている。
国許では男兄弟3人で、姉妹はいないまま育ったから、姉妹がはばかりで音を立てていばりをするところなぞにでくわしていない。
いちばん手近な年ごろのむすめというと、田坂家のふさになる。
始末が悪いのは、想像ばかりしているから、ふさを天女ででもあるかのようにあこがれてしまう。
まあ、未体験の若い男性にはありがちなことだが。

「とにかく、花びらのことは、おれは気にもとめていない。ふさどのにしてもそうだとおもう。ここへ運んでくるあいだに、風にのってくっついてしまったに違いない」
「うん」
無理やりに合点したらしく、左馬は草餅を口にした。

「ところで、母上が箱根から帰ってみえた。左馬さんに食事においでとのことだ」
「かたじけない。明日にでも伺う。さいわい、故郷(くにもと)から水蓮の根がとどいている。それを持って行こう」
「わが家に持ってきてくれるのはありがたいが、ふさどのの屋敷へもおすそわけするんだな」
「うん」

っあん。おぬし、ほんとうに、ふさどのに惹(ひ)かれてはいないのだな?」
左馬さん。考えてもみよ。わが家は、400石とはいえ、かりそめにも直参だぞ。しかも、父上は、先手・弓の組頭(役高1500石)を勤めておる。その世嗣(よつぎ)たるおれが、草分(くさわけ)名主とはいえ、幕臣でもない家のむすめを嫁にできるはずがなかろう?」
「理屈はそうだが---」
「武士に二言(にごん)はないッ!」
「このごろの武士は、値打ちが落ちておるからなあ」
「はっ、ははは」
「はっ、ははは」

参照】2008年3月24日~[盟友・岸井左馬之助] () (
2006年9月20日[岸井左馬之助の年譜
2006年9月21日[左馬之助、鬼平と再会す]
2007年4月1日[『堀部安兵衛』と岸井左馬之助
HP(井戸掘り人のリポート) [岸井左馬之助と春慶寺]


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2008.03.25

盟友・岸井左馬之助(その2)

(てつ)っあん。きょうは、稽古をさぼったな」
銕三郎(てつさぶろう 20歳)が、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)を紹介し終わると、すぐに岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)がなじった。

「うん。旅立ちの母上を永代橋西詰まで見送ったあと、権七どのと、いま話した火盗改メの密偵のことで、番町まで行っていたのでな」
「お母上が旅立ちとは---上総(かずさ 千葉県)へのお里帰りなら、永代橋は方角ちがいだな。して、いず゛こへの旅だ?」
「方角ちがいだということが、左馬さんにしては、よく気がついたな」
「それぐらいのこととは、おれにだって推察がつくさ。で、いずこへ? いや、何日間の旅だ?」
「ははは。権七どの。お聞きのとおりです、左馬が気にしているのは、母上が留守だと、訪ねてきても、ご馳走にありつけないからなのですよ。左馬ときたら、家庭料理に飢えているのです」

「あたりまえだ。この寺で出してくれるのは精進料理ばかりだ。育ちざかりの若い者には、ちと、ものたりぬ。どうだ、精をつけるために、これから、ニッ目之橋詰の〔五鉄〕へ行って、しゃも鍋でも囲まないか?」
「いいな。あそこなら、付けがきく。権七どの。しゃも鍋をやったことがありますか?」
「いえ。鳥鍋なら---」
「たいして変わらないが、まあ、しゃものほうが肉がしまっていて、脂がのっておりますかな。ま、ものは試しです。職就(しょくつ)きの祝いといきましょう」

〔五鉄〕の暖簾をくぐると、出汁(だし)の煮える匂いが鼻をつく。
銕三郎は、亭主・伝兵衛(40歳)へ目で合図をして、入れ込みにあがった。

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(〔五鉄〕1階の見取り図 絵師:建築家・知久秀章)

まるで待っていたように、息子・三次郎(15歳)が、燗酒の入ったちろりとつき出しを左馬之助権七のあいだに、銕三郎の前にはお茶を置いた。
(さぶ)どの。覚えてくれたね。こちらは、〔風速〕の権七どのだ」
「箱根の雲助の権七といいます。こんごとも、よろしゅうに」
三次郎が尊敬のまなざしで権七をみつめる。
「雲助だなんて卑下なさっているが、あのあたりではお頭(かしら)で通っていたお方です」
長谷川さま。売りこみが過ぎまさぁ」

つき出しのしゃもの肝の醤油炒めを口にした権七が、歎声をあげた。
「こいつぁ、たまらなくうめえや。酒がすすみそうだ」
三次郎がうれしそうに、も一つ、酌をして引き下がる。
そのきわに、銕三郎がささやいた。
どの。あとで手がすいたら、話があります」

左馬之助権七へ解説したところによると、両国橋東詰には鶏市場があるため、元町から回向院の門前町へかけて、鳥鍋屋やしゃも鍋屋が多いのだと。中でも〔五鉄〕は、亭主の伝兵衛が出汁にする味噌の配合に工夫を凝らしているので、このあたりではもっとも美味と。
「ところで、権七どの。さきほどお聞きした、関所抜けの3人組のことですが、どういう経緯(ゆくたて)で、話しが持ちこまれたのですか?」
銕三郎が、声をひそめて訊く。
「へえ。仙次の奴が---」
仙次というのは、薬舗〔ういろう〕の猫道を調べてくださった若い衆ですね?」

ちゅうすけ注】仙次のことは、2008年1月30日[与誌を迎えに] (38) 

「あいつでやす。賭場でってのに声をかけられたんだそうで---。それで、話しをつないできて---」
仙次どのが箱根山路の荷運び人だということは、賭場ではみんな知っていたんですね」
「へえ」

興味津々とぃった感じで耳をそば立てていた左馬が、口をはさむ。
「賭場は、小田原城下かな?」
「おや。左馬さんは、小田原の城下町がわかるの?」
「10日ばかり滞在したことがあってな」

ゆっくりした口調で枝道にそれがちの左馬之助の話を手っとり早くまとめると、彼が高杉道場に入門した2年目---すなわち一昨年の宝暦13年(1963)夏、小田原から修行に来ていた稽古仲間の鳥飼喜十郎の父親が危篤ということで、道場を引きつぐために帰郷するにあたり、高杉先生の見舞金をことずかって、いっしょに旅をし、葬儀までつきあったのだという。

ちゅうすけ注】剣友・鳥飼喜十郎のことは、28年後の物語---『鬼平犯科帳』文庫巻7[雨乞い右衛門]に書かれている。
鳥飼道場は唐人町の近くの宝安寺の脇にあった。

「唐人町という町名が珍しかったので覚えておる」
権七が受けて、
「賭場は、宝安寺から1丁ほど東にあたる観音堂の庫裡だったそうです」
「その観音堂は、知らんな」
左馬さんは知らなくてもいい。それで、権七どのがその3人組を、裏道から関所抜けさせたことが、なぜ、小田原藩に洩れたのですか? まさか、仙次どのが?」
「いえ。投げ文があったそうで---」
「投げ文?」

そのとき、店の小女が火桶としゃも鍋をしつらえにきたので、話しは中断された。

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(「五鉄」のしゃも鍋の材料)

たがいに酌をしあう。
お茶を先に干した銕三郎も、ぐい呑みに受けた。2年前、芦ノ湯の湯治宿〔めうが屋〕の離れでは、唇をしめらす程度だったのにくらべると、これでも手があがったほうである。

「関所抜けの前の数日のあいだに、城下で盗人に入られたという店はありませんでしたか?」
「聞いてはおりやせん---」
「おかしいな」
「なにがです?」
「まさか---?」
「まさか---?」
「2年前の、薬舗〔ういろう〕で盗んだ金を運びだしたとも---」
「いえ。あの連中の荷は、あっしが担ぎましたが、何百両もの金が入っている重さではありやせんでした」
「駿府ご城代からの首尾を待つしかありませんが、どうも、身重の女というのが気になります」
左馬之助が察した。
「そうか。ややと見せかけて、小判で腹をふくらませたか!」
左馬。声が大きすぎる!」

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2008.03.24

盟友・岸井左馬之助

「お引き合わせいたしておきたい人がいます」
火盗改メの役宅にもなっている長谷川太郎兵衛正直(まさなお 57歳 1450石)の一番町新道の屋敷を出ると、銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が言った。
火盗改メの密偵として認可されたばかりの〔風速(かざはや)〕の権七(こんしち 33歳)は、急に格式ばった口調で、
「よろしゅうございますとも」

「権七どのに、その口調は似合いませぬ。これからは、無法者が相手です。これまでどおりの伝法口調でやってください」
「それを聞いて、おおきに安心でさあ。で、そのお人というのは?」
「ちょっと、歩きます。押上(おしあげ)村の春慶寺に止宿しているのです」
「押上のほうには、足をのばしたことはありぁしませんが、深川からどれほどです?」
「両国橋東詰から25丁といったところでしょうか。柳橋から舟をつかいましょう」
「冗談でしょう。あっしは、箱根の雲助でさあ。5里(20km)や6里(24km)は歩いたうちにはいりませんぜ。しかも江戸の東側は、ほとんど埋立地らしくって、平べったい」

銕三郎は、鉄砲洲湊町から南本所ニ之橋通りの今の屋敷へ越してから、学問のほうは五間堀ぞい・北森下町の学而塾、剣は南本所・出村町の高杉銀平道場(現・墨田区太平2丁目)へ転じた。

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(池波さんが愛用していた近江屋板・本所、猿江、亀戸村辺絵図。
赤○南出村町=高杉道場、緑○春慶寺、青〇法性寺妙見堂)

高杉道場にしたのは、父・宣雄(のぶお 47歳 先手・弓の8番手組頭)のすすめによる。
前の住まいの時には、南八丁堀の一刀流・横田多次郎道場だったので、同じ一刀流ということで、宣雄が面識のある小姓組番士・小野次郎右衛門忠喜(ただよし 31歳 800石)に訊いて、高杉銀平(ぎんぺい 52歳)の名が出た。
「無名に近い剣士ですが、それがしと試合ったとして、3本に2本は高杉うじにとられましょう。それよりなにより、人品が高潔なのがよろしいかと」
小野次郎右衛門忠喜は、それから11年後に、銕三郎(その時は家督していて平蔵宣以 のぶため)が先手・弓の2番手の組頭に栄進すると、鉄砲(つつ)の17番手の組頭に先任していたという因縁もある。
小野派一刀流の家元であることはいうまでもない。

もっとも、小野次郎右衛門が「3本の2本は高杉うじにとられる」と言っていたと銕三郎が伝えると、高杉師は苦笑して、
「小野どのは、私に花をお持たせになっても、将軍家の前での剣技ご披露の晴れの行事が沙汰止みになるわけでもなし---」と取り合わなかった。

そういう経緯(ゆくたて)で、銕三郎が入門してみると、同年齢の左馬之助がいた。
左馬之助は、下総国印旛郡(いんばこおり)臼井村の郷士の息子で、高杉師が同郷の出生なので、17歳の時から春慶寺に止宿しながら、道場に通っていた。
岸井家は郷士であるとともに、臼井宿の庄屋でもあり、印旛沼から諸川に通じた積荷船問屋も兼ね、格式も高かった。
左馬が、金銭的に不自由なく日蓮宗の春慶寺(墨田区業平2の14)に寄宿し、剣の道に専念できたのは、裕福な実家からの送金が十分だったからである。

ちゅうすけ注】岸井左馬之助につていは (1) (2)

背丈は左馬のほうが3寸(9cm)ほど高かったが、剣の腕がどっこいどっこいにできたのと、同年ということもあって、「」「左馬」と呼び合うほど気があい、たちまち、盟友となった。
盟友というのは、遊び仲間という意味である。

とりわけ、道場の隣の桜屋敷・田坂家の孫むすめのふさ(18歳=当時)のことで、銕三郎はいつも左馬をひやかしていた。

_360
(『江戸名所図会』 押上・法恩寺 高杉道場の出村町=左端)
上の切絵図の青〇 塗り絵師=ちゅうすけ)

_220『鬼平犯科帳』文庫巻1[本所桜屋敷]に書かれているように、なにかの用で「まるでむきたての茹玉子のようや---」ふさが道場を訪れててくると、左馬は緊張してこちこちになってしまうのである。

その点、銕三郎のほうは、14歳の時に、三島宿(みしましゅく)で若後家の芙沙(ふさ 25歳=当時 歌麿の絵は芙沙の入浴図)によって、はやばやと、初体験をすませた。
さらに2年前には、まだ人妻だった阿記(あき 21歳=当時)とまるで蜜月の旅のような旬日をすごした。
だから、女を見る目もすこしは肥えて、ものほしげなところは卒業し、ふさの若い躰にも、まだ目をさましていない女性(にょしょう)が潜んでいることを察していた。

ちゅうすけ注】桜屋敷の孫むすめのふさと、三島宿の本陣・〔樋口伝左衛門の隠し子の名が芙沙というのとは、まったくの偶然である。
いま、こうして並べて書いて、同じ名前の女はいくらもいるとはいい条、筆者・ちゅうすけ自身が呆然としている。
正直言って、いまのいままで気づかなかった。
そういえば、臼井は佐倉(さくら)藩領。道場の隣が〔桜(さくら)屋敷〕---これも偶然にしてはできすぎているような。
いや、こちらは単なる偶然であろう。
しかし、岸井左馬之助高杉銀平師がともに臼井の出というばかりか、おまさの父親・〔(たずがね)〕の忠助までもが佐倉在の生まれというからには、池波さんと佐倉には、何か、因縁がありそうだ。

春慶寺は、本所の切絵図には寺号が記されているいるが、『江戸名所図会』には説明がない。
親寺は、『名所図会』に挿絵まで描かれた柳島の星降(ほしくだりの)松で知られる法性寺(妙見堂)。

Photo
(柳島・法性寺妙見堂 左手が星降(ほしくだり)松
『江戸名所図会』 塗り絵師=ちゅうすけ)

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻1[唖の十蔵]で〔小川や梅吉と〔小房〕の粂八の捕り物が行わるのは、上の近江屋板切絵図の青〇法性寺(妙見堂)門前。
小房(こぶさ)〕の粂八

その支配を受け、身の丈6寸(18cm)ほどの普賢(ふけん)菩薩像が江戸期から有名であった。境内も数1000坪前後あったらしい。

Photo_2
(春慶寺の秘仏=普賢菩薩像)

以上のようなくさぐさを、道中、銕三郎は、権七に語って聞かせた。
「2人は盟友ですから、拙がいない時の刀技(かたなわざ)は、左馬に頼めばよろしいのです」

銕三郎は、権七をうながして、どんどん山門をくぐり、裏の庫裡(こり)の離れへ声をかける。
左馬。いるか!」


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