〔高萩(たかはぎ)〕の捨五郎
『鬼平犯科帳』文庫巻20に収められている[高萩の捨五郎]のタイトルにもなっている、一人ばたらきの盗人〔高萩(たかはぎ)〕の捨五郎。
年齢・容姿:54,5歳。へちまのように長い顔。長身。背筋ものびている。
生国: 甲斐(かい)国八代郡(やつしろごおり)高萩村(現・山梨県西八代郡三珠町高萩)。
高萩という地名は、武蔵国(埼玉県日高市)、下総国(千葉県香取郡)、常陸国(茨城県高萩市)、下野国(栃木県佐野市)などにもある。高い萩がしげっていた土地だ。
当初、高萩市高萩に目をつけて市役所へ問い合わせてみたが、盗人にまつわる話には乗れないと考えたか、忙しすぎたかして、返事が来なかった。
聖典を読み返した。17歳の時に気が触れた実の兄を殺して故郷を捨てた(捨五郎という名のゆえん?)。
けっきょく、盗人で身すぎをすることになった。3カ条は守っているが、畏れおおいといって江戸ではお盗めをしていない。とすると、絹市などでうるおっている高崎、結城、館林などが仕事場だったろう。近い甲斐国を採った。
探索の発端:向島の秋葉大権現の近くで鯉料理を摂った鬼平と彦十は、寺島村で、子どもとその父親の百姓を斬ろうとした侍に体当たりの抗議、で、脚を切斬られた捨て五郎を介抱することになった。
秋葉大権現の秋(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)
秋葉社門前(庵崎いおざき)。生簀をしつらえた鯉料理店。(同上)
捨五郎は、畜生ばたらきが専門の〔籠滝(かごたき)〕の太次郎からの助(す)けの依頼を断る手紙を、彦十に託した。
結末:それで〔籠滝〕一味の盗人宿が知れ、筆頭与力・佐嶋忠介の指揮で全員逮捕。死罪だろう。
火盗改メの役宅の一と間で養生し、鬼平手づからのびわの木の杖を贈られた〔高萩〕の捨五郎は、密偵に。
つぶやき:〔高萩〕の捨五郎という、30年間も本格派のお盗めをしてきた盗人と、鬼平とのあいだには、気脈の通じるものがある。不埒な行為は、身をは張ってでもゆるさない、という純粋さだろうか。
当初、捨五郎の前に生まれていた兄・姉が病気か事故で早くに逝ったので、「この子は捨てますから、病魔、厄魔の神々、ともに見すごしてくだされ」と逆張りした名かとおもったが、狂って周囲に迷惑をかけていた実兄を17歳のときに殺したとあったので、この説を捨てた。
〔相模〕の彦十がかつての仕事仲間の〔高萩〕の捨五郎を見かけた、秋葉大権現・千代世稲荷の境内はずれの鯉料理茶屋〔万常〕を、池波さんが創作したのは、掲示した、境内につらなる「庵崎」の絵からだ。
「庵崎」の料理茶屋は、いずこも生簀を構えて鯉を泳がせていたとある。
同じく生簀を構えていたのは、亀戸天神社の表門、裏門の料亭群と、『江戸名所図会』は記す。こちらは、天神表門脇の席亭『玉屋』として聖典に登場するが、広重の『江戸高名会亭尽』には〔玉屋〕は「裏門前」とある。
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コメント
異見は? とのことなので。
武蔵国入間郡高萩村---現:埼玉県日高市高萩に1票。
池波先生ご愛用の吉田東伍『大日本地名辞書』の上記「高萩」の項に、
「高萩 今高萩村と云ひ、女影(をんなかげ)、大谷沢(おおたにざわ)、田木等を含合す(以下略)」
この「女影」に池波先生の空想力が大きく刺激されたのでは?
つづく「女影(をんなかげ)」の項には、
「今高萩村の大字とす、多摩郡府中にも女影原古戦場の説あり、合考すべし(略)」
面白そうでしょう?
投稿: 文くばり丈太 | 2005.04.09 09:49
>文くばり丈太さん
文くばりさんに触発されて、『大日本地名辞書』の「女影」の項をあらためて精読してみました。
北界に「鹿山(かやま)村、とありました。これって、3月31日にアップした〔鹿山〕の市之助の生誕地じゃないですか。
池波さんが、なにかの折に『大日本地名辞書』の「高萩」「女影」「鹿山」の項に目をとおしたことは間違いなさそうですね。
投稿: ちゅうすけ | 2005.04.10 09:03
あの役、テレビでは菅原謙二さんがやったのよねえ。よかったよぉ!
好きなキャラの1人だったのに、ますます好きになった。でも、粂八さんのオーラにはかないなぁ。
小むずかしい話になってるけど、関係ないんじゃないのぉ。
投稿: 岩井町裏店 おこん | 2005.04.10 11:41
>おこんさん
武蔵国(埼玉県日高市)だったか、下野国(栃木県佐野市)だったか、ものの本に、萩が高く茂っていたので「高萩」と呼ばれたってありましてね、それ、白萩? 赤萩? って想像したことも事実です。
関係なかったか?
白萩は高貴な赴きがある、っていったの、おこんさんじゃなかったですか?、
投稿: ちゅうすけ | 2005.04.10 17:45
千葉県香取郡栗原町高萩に1票
塚原卜伝の取材で香取郡を訪れたときに、印象に残ったのではないでしょうか。
投稿: 練馬の加代子 | 2005.04.11 13:09
>練馬の加代子さん
初期のころの池波さんは---というか、当時の小説雑誌編集者は、剣豪ものを注文していました。
で、池波さんも諸羽一刀斎とか、塚原ト伝などの剣豪の地を取材していました。
でも、そのときに香取郡高萩村に立ち寄ったかどうか。
こんごのリサーチによりましょう。
投稿: ちゅうすけ | 2005.04.11 16:47
書き込み帳に書いてしまいましたがブログにも。
埼玉県日高市高萩と推理。
池波さんは埼玉県に土地勘があったと思います。
先生の作られた[池波正太郎 旅行記録]では1971年に「忍びの風」の取材旅行で小川町、川越に行っており、また池波さんのエッセイ「よい匂いのする一夜」には寄居の旅館「京亭」出てきており何回が訪ねているようです。
「大日本地名辞書」ご覧になって親しんでいる埼玉県を選択という理由です。
ちょっと無理かな。
投稿: 靖酔 | 2005.04.12 11:53
>靖酔さん
埼玉県日高市高萩と推理のもとは、『よい匂いのする一夜』の寄居の旅館〔京亭〕でもありますか。
年譜でたしかめたら、最初に〔京亭〕に泊まったのは、読売新聞夕刊に連載する『忍びの旗』執筆のためのロケーション取材だったようです。
いま、『忍びの旗』が収録されている手元の『完本池波正太郎大成 21』を確かめてみようとおもったら、その巻だけがどこかにまぎれこんでしまっていて---のちほど、ゆっくり探してみます。
投稿: ちゅうすけ | 2005.04.13 19:30
昨日はうちのblogにおいでいただき、ありがとうございました。
『盗賊』のblog!!とっても素敵です!!これから少しずつ(一気にはもったいないので)拝見させていただきます。
私は粂八と五郎蔵が好きなのですが、その他には、この高萩の捨五郎と馬蕗の利平治が好きです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
投稿: ふみさと | 2005.04.14 14:55
原作のあと、テレビの「高萩の捨五郎を見ました。
原作のイメージどおり、菅原謙次さん素晴らしかった。
いい作品です。泣きました。
投稿: おっぺこと那の津のお加代 | 2006.02.16 15:16