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2008.04.04

〔初鹿野(はじかの)〕の音松(5)

(さぶ)どの。これは、このあいだの勘定、それと、きょうの分。つりはとっときなさい」
とっさに、三次郎(さんじろう 15歳)が、指を唇に、つづいて、2階に向けた。
1両を懐紙につつんでさしだした銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)も、その意味を察して、うなづく。
風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)も、〔初鹿野(はじかの)〕の音松と〔軍者(ぐんしゃ)〕と呼ばれている小男が〔五鉄〕にあらわれるようになっていることは知っているから、事態をすぐに悟り、緊張した。

2階に、さっきまで話のたねにしていた2人の盗賊が来ているというのである。
銕三郎が声をひそめてささやく。
権七どの。ふだんのとおりに振る舞うこと。あの者らが降りてきても見ない。きょう、尾行(つ)けるのはよしましょう。バレると、この店に迷惑がかかります」
合点とうなづく。

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(〔五鉄のパース 絵師:建築家・知久秀章 拡大図←クリック)

2人は、わざと、芦の湯村小町だったころの阿記の評判を話しあうようにしたが、会話はとぎれがちであった。

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(国芳『江戸錦吾妻文庫』[おぼこ娘])

(いかぬ。こういう時にそなえて、肝をきたえておくことだ)

ちゅうすけ注】権七は、阿記の芦ノ湯小町時代を、箱根山道の荷運び雲助として実際に見ているので、その姿はたちまちよみがえる。
が、銕三郎のほうは、そうはいかない。阿記の実家である〔めうが屋〕の離れの浴槽に入ってき、そのあと、いっしょに臥せった赤襦袢姿が、先におもいうかぶ。

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(国芳『江戸錦吾妻文庫』[恍惚])

(あ、なんと---袴の奥が熱くなっている)

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(国芳『華古与見』[あられもなく])

(ますますもって---!)

その時である、2階から2人が降りてきた。
三次郎が、
「毎度、ご贔屓さまです」
と、つり銭を渡したらしい。
入れ込みの2人も緊張したが、動きにはそれをだない。

大男と小男が出ていった。
三次郎が戸口の外まで見送ってでた。

入れ込みの2人は、肩で大きく息をする。

もどってきた三次郎が、
「尾行(つ)けなくてよろしかったのです」
とだけ言い、すっと調理場へ消えた。

と、あいたままになっていた戸障子から、小男が戻ってき、調理場へ、
「雪隠をお借りしますぜ」
じろりと入れ込みを見回してから、奥へ抜けた。
銕三郎の目に、5尺(1m50cm)の小男の背丈1尺(30cm)も伸びたように感じられた。
権七は、首筋をひやりとしたものが触れたようにな気分だったと、あとになって告白した。

小男が出て行ってからも、2人はしばらく口をきかなかった。いや、きけなかった。
(あやつとの知恵比べになるのだ)

やってきた三次郎が、卓を片付けるふりでつぶやくように、
「いけません、いけません。外まで見送りにでたはいいけれど、大男が二之橋を弥勒寺のほうへわたりきるまで、後ろ姿に小男が目くばりをしていて、その上もどってきて、雪隠をお借りしますぜ---でしょう。とてもじゃないけど、油断がなりません」

戸口に向いて座っていた銕三郎は、入れ込みの客の中に動く者がいないか、確かめるだけの、こころのゆとりをとり戻していた。
(あやつが、〔軍者(ぐんしゃ)〕か)
なぜだか、
(負ける気がしない)
気づかれもしていない自信もあった。

袴の内側は、すっかり平静さを取りもどしていた。

しかし、ハッと気づいた。
武家姿の自分と軽子(ちから仕事人)風の権七のとりあわせが異様なことに---。

参照】[〔初鹿野(初鹿野)〕の音松] (1)  (2) (3) (4)

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