カテゴリー「079銕三郎・平蔵とおんなたち」の記事

2011.12.11

{備前屋〕の後継ぎ・藤太郎(2)

「われが公務で与板へおもむいたとき、そなたのお母ごは後家となって2年もたっておられなかったが、あれほど器量よしで、みずみずしさと家産をおもちの女性(にょしょう)であったから、男どもが降るように誘いをかけていたらしい」
「幼いながら、うすうすは感じておりました」

湯桶の平蔵(へいぞう 40歳)が並んで浸かっている藤太郎(とうたろう 17歳)の腕を引いて樋口から離し、
「熱い湯を足してもらおう」
手をうって風呂番を呼び、湯加減を告げた。

樋口からの熱い湯の流れがとまり、
藤太郎どのはしっていたかどうか、母者・佐千(さち 34歳=当時)どのは、男どもの狙いが〔備前屋〕の財貨と躰であることを見抜いておられた。夫がいたおんなの34歳といえば、独り寝はわびしい。佐千どのがそれに耐えておられたのは、おぬしに〔越前屋〕を無傷で引き継ぐまでとおもいきめておられたからだ」
「でも、私はまだ、〔越前屋〕を相続いたしておりません」

「だが、佐千どのの男友だちが〔越前屋〕の財産を狙ってはいない仁であれば、佐千どのの応(こた)えも変わったであろうよ。われはその男友だちをしらないし、しりたくもないが、佐千どののお考えは推測がつく。お母ごのこころと躰を自由にしてあげられるのは、おぬしだけだ。そうではないか、藤太郎どのよ」

「はい」

湯の中で股間のものをやさしく握られると、藤太郎は前方のあらぬほうをにらんで身を硬くした。
その腕を引き、
藤太郎、われのものをつかめ。刀身を打つのに代えた、男と男の約定がための作法だ」

参照】2011年3月15日~[与板への旅] (11) (14

藤太郎が顔を赤らめながら、平蔵のものをつかんだ。

「よし。お母ごのことは放念しろ。それより、〔備前屋〕を相続しても番頭たちをはじめ、奉公人一同から信頼される店主となるこころがけをみがけ」

「はい。誓って---」
「よし。手はじめは、おんなというものをしることだが、この旅亭のあたりの商売おなごに手をだしてはならぬ。おぬしを男にしてくれるおんなは、われが当てるから、1l両日待て」
「待ちます」


平蔵は呑みながら、14歳のときに父・宣雄(のぶお 享年55歳)の入念な手配でさなぎから男に孵化した体験を語って聴かせた。

参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)] 

それから、それがいい夢で終わったことも、たんたんと述べた。

参照】2007年7月24日[仮(かりそめ)の母・お芙沙] (

「閨事(ねやごと)というものは、清らかにも薄汚くも行えるものだ。藤太郎どのの初陣は5月の晴れた日のように、うららかでありたい」

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2011.12.10

{備前屋〕の後継ぎ・藤太郎 

「ちょっと、人に会ってくる。今夜は帰れないかもしれない」
手文庫から黒い小石をとりだし、懐紙Iに包んで懐へなおした平蔵(へいぞう 40歳)に、書状と松造(よしぞう 34歳)への指示でおおよそを察した久栄(ひさえ 33歳)はもおおように、
「ごゆっくりと--」
送りだした。

大川端の旅亭〔おおはま〕への道すがら、冬木町寺裏の茶寮〔季四〕へ寄り、女将の奈々(なな 18歳)の耳へ、
「今夜、泊めてもらうことになりそうだ。八ッ半(午後9時)までには着けるとおもう」
双眸(ひとみ)を煌めかせた奈々の胸のふくらみをぽんと叩いておいて、隣の船宿〔黒舟〕の猪牙(ちょき)舟で大川を横ぎり、豊海(とよみ)橋南詰であがった。

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(旅亭〔おおはま)のある北新堀大川端 近江屋板)


4年ぶりで見る17歳の藤太郎(とうたろう)は、少年からすっかり青年に変容していた。
部屋におんなっ気きなかった。
どうやら、佐千(さち 38歳)づれではなかったらしい。

「どうした?」
余計なあいさつを抜きで、訊いた。
そういうあいだがらと断じてである。
情意は藤太郎にもたちまち通じたが、目は涙で潤んでしまい、声もかすれぎみで、
「母が------」
絶句した。

「亡じなされたのか?」
首がふられた。
「病いか?」
また、ふった。

「黙っていてはわからぬ。はっきりいえ」
「母は---密通しています」
「密通---?」
うなずいた。、
「おかしなことをいう。密通というのは、夫がいるおんなが別の男と通じることだ。佐千(さち)どのは、そなたたちのお父ごとは死別なされたと聴いた。再縁なされたのか?」
また首をふった。

「それでは、密通ではない。躰を接しあう男友だちができたということだ」
「許せません」
「許さないとか、許すとかの問題ではない」
「------」
佐千どののためには、祝賀してあげてもいい」
「殺してやりたい」
「だれをだ---母者をか?」
首をふった。

「男をか?」
うなずいた。

平蔵は、ふところから黒い小石を取りだし、示した。
「覚えておるか? われが与板を離れる日、藤太郎どのが、渡船場でくれた黒川の小石だ。われは、佐千どの、藤太郎どのとおもい、大切にしまってきた」
藤太郎が胸をつまらせて泣いた。

「その母子に、もしものことがあったら、黙ってはいまいとおもっていた」

参照】2011年3月15日~[与板への旅] (11) (14) (15

しばらく泣かせておいた。

藤太郎どの。この宿には2人で浸(つ)かれる湯殿がある。もちろん、男とおんなが共湯するためにしつらえたものだが、男同士で浸かってもおかしくはない。帳場へいいつけてきてくれ。涙を拭いてからゆけ」
平蔵が笑うと、藤太郎も泣き笑いになった。


2人で並んで湯桶に浸かり、耳元でささやいた。
「この湯殿には、除きの隠し穴があるそうな。男同士で入れば、きっとぞかれていよう」
「男同士を---?」
「そういう趣味の者たちもいるのだ。ところで、藤太郎どのは、おんなを抱いたことはあるか?」
首をふった。
「抱きたいとおもったことは---?」
うなずいた。

「正直にこたえてくれ。お母ごが男友だちに抱かれているとしったとき、それほどなら、自分が抱いてもいいとおもわなかったか。もちろん、母と子が番うのは畜生道であることは承知ておる、しかし、ほかの男に母が汚されているのであれば、自分が---とおもうのも、子として孝道といえないこともない」

藤太郎平蔵を凝視した。

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2011.08.17

蓮華院の月輪尼(がちりんに)(8)

「昨夜、お(せん)の笑顔は童女のようで、齢が10歳は若くなるとおっしゃってくださいました。童女か一人前のおなごか、お試しになってみてください」
つま先立ちになり、平蔵(へいぞう 38歳)の肩においた手で躰を支え、耳元てささやいた。

「その、われの言葉にはいつわりはない。だが、ここで試みるわけにはまいらぬ」
「患(わずら)いの人は、ちゃぼとけい草であと2刻(4時間)はお目がさめません」
腰を抱き、すりつけてきた。

「気持ちはわかる。だが、ここではあの匂いがのころう。病人は五感が敏感になると聞いておる」
「外へまいりましょう。1刻半で戻れば---」
腰にまわしている腕に力がこもった。

「2階の行灯を消してくる。病室の行灯を弱め、病人の手のととかないところへ移し、昼着に着替えて玄関で待て---」
多紀元簡(もとやす 29歳)へのことづけが無駄になったか)

奈々は着物の前をはだけ、大股をひろげて眠っていた。
寝衣をかけてやり、行灯を消すと、一瞬のうちに暗闇に溶けた。


行き先は、浄心寺裏の山本町の宗徒旅荘〔甲斐山〕しかなかった。
先ほど、奈々を支えてわたった亀久橋を、こんどはおとならんで逆にわたった。
1丁半(150,m)ほどであった。

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(緑○=茶寮〔季四〕、青○=里貴宅、赤○=旅荘〔甲州山〕 近江屋板)


風呂と酒を頼んだ。

箱形の板の湯舟で、向き合った。
の裸躰は、乳房は盛り上がっていたが、子を産んでいないために乳頭は小さく、左のは房にめりこんでいた。
腕をのばし、つまんで引きだし、もんでいると硬くなり、つきでてきた、
「いつも、こうか---?」
「ですから、男にはめったに胸を見せません」
の息つがいが昂ぶるのがわかった。

挙立してきたものに、おが触った。
「待ちきれません」

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(長谷寺の塔と桜)

同じ時刻---;蓮華院の沙弥壇(しゃみだん)の前。

ふだんは秘して手をとおさない淡い桜色の短い寝衣をまとった月輪尼(がちりんに)が、懺悔といてうより法悦に浸(ひた)りきったように唱えていた。

観世音菩薩さま。
また、きょうも抱いてしまいました。

あの子を見ると、初瀬(はせ)村で修験中にふとしたことから睦みあった、長谷川藤太宣久(のぶひさ 21歳=当時)がおもいうかび、どうしても抱かずにはいられなくなるのです。

宣久とは、初瀬川の隠口(こもりく)の渕で、秋の夜、大伴坂上郎女の、

 隠口の泊瀬(はつせ)の山は色づきぬ時雨の雨は降りにけらしも

初瀬川の渕で湯文字ひとつで水浴びして吟じていた時に、闖入してきた裸体の若者でした。
十九夜の月光の下、水をかきわけてき、私を掴むと、湯文字を奪いとり、抱きあげました。

そして、乳房を吸われているうちに、おもわず、若者の首に腕をまきつけてしまったのです。
若者は名乗りました。
長谷川の嫡男・宣久です。この3夜、比丘尼の水浴みを盗み看ておりましたが、今夜の月光の下の裸身があまりに美しいので、たまらず---」
宣久は、抱いたまま、唇を秘部へ移し、舌をやさしくふるわせました。

「どこで覚えたの?」

私は訊きました。
宣久は、応える代わり,に、

 隠口の泊瀬(はつせ)の山に照る月は盈戻(みちかけ)しけり人の常無き

宣久は、私が14歳のときに受けた性の傷をさっぱりと癒してくれました。
それからは、夜の水浴びが待ちどおしくなったものの、永くはつづきませんでした。

密会は、長谷川一族のしるところとなり、長谷寺の長老へ告げられ、私は禁足させられました。
放逐でなく下知すんだのは、都の朝廷における父の権力のお蔭でした。

宣久の面影を色濃くにじませたあの子をあきらめることはできません。
一夜でもいいから、いっしょに眠りたい。

終りそうもない性の煩悩地獄です。
でも、こうした煩悩に苦しむ者がいればこそ、観音さまはおあらわれくださったのでございましょう。
お許しください。 

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2011.08.16

蓮華院の月輪尼(がちりんに)(7)

〔外出着(そとゆきぎ)に着替えるのん、面倒やしィ---」
奈々(なな 16歳)のいい分をとおし、歩いて2丁と離れていない、〔季四〕の裏手の支堀ごし、海福寺門前の一本うどんの〔豊島屋〕にした。

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(海福寺 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)


上方育ちの奈々が、蕎麦よりうどんのほうが口慣れしているのと、一本うどんははじめてということもあった。

〔五鉄〕もかんがえないでもなかったが、久栄(ひさえ 31歳)と顔なじみの三次郎(さんじろう 33歳)に奈々を引きあわすのは、もっと先でいいようにおもえたので、見合わせた。
もっとも三次郎は、お(りょう 享年33歳)も見知っていたが---。

参照】2008年11月23日[〔五鉄〕のしゃもの肝の甘醤油煮

〔豊島屋〕では、奥の離れと酒を頼んだ。
「外で、おじさまと2人でお酒を呑むの、初めて。なんや、逢引きしている感じ---」
「昨夜のこと、お(せん 24歳)は、酔いつぶれていても察していたかもな」
「自分があんな恥ずかしい姿態をさらしたんやし---」
「おのことはいえまい? 奈々も見せたのだから」
「ぷっ。おじさまが最初(はな)に見せたんちゃう? そやよって、おあいこにしたん」

話とともに酒がすすんだ。
一本うどんがきたときには、奈々はかなり酩酊していた。

Ipponudon

「太い。10歳の男の子のおちんぽほどの太さ---」
「見たのか?」
「村の子は、みんな平気なん」

奈々も見せたか?」
「月の徴(しる)しがはじまるまでは、見せていたかも---」
「よく、無事でこられたな」
「危ないのは、男の子より、婆さのほう---」
「山の女神の丹生(にう)さまか?」
「あ、その話、なし---」
奈々が泣くような声でさえぎった。

参照】2011年7月15日[奈々という乙女] (

それでほぼ察した平蔵は、さっと話題を、月輪尼(がつりんに)に転じた。
奈々は、里貴おばさんには教えないと誓えるか?」
「おじさまの新しいおんなのことだと、誓えない」
「われのおんなではない。辰蔵のおんなだ」
「そんなら、誓える。おもしろさそう。わくわくしてきた」

真言密教の秘法で、夢の中で交接した気持ちにさせるのだというと、双眸(りょうめ)を輝かせ、
〔自分がおもっている男の人と、している気持ちになれるの?」
「そのようだ」
「わあ、いい、いい。奈々も受けたい」
「誰と、するのだ---?」
「教えたら、おしさま、連れていってくれる---?」
「うむ」

「いやだ、いえない。自分で夢の中でするから、いい---」

本気でふらついているのか、演技なのか、平蔵もはかりかねたが、亀久町の家へまっすぐに帰ると、おや遅組の寮のむすめたちに会いそうな時刻だったので、奈々の乳房を右腕に感じながら、遠回りし、3丁ですむところを倍も歩いた。
不思議なことに、奈々は黙したまま双眼(りょうめ)をつむり、陶酔したようにもたれかかっていた。

帰りつくと、寝着のおが出迎え、行灯の火で蝋燭を点(とも)してわたし、そのまま病間へ引き下がった。
裏の階段を、平蔵奈々の尻を片手で押しながら、のぼった。

布団をのべ、奈々の帯を解き、着物のまま抱きあげてそっと寝かし、階段をおりると、下におが立っていた。

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2011.08.15

蓮華院の月輪尼(がちりんに)(6)

護持院の惣門を出ようとして、富士見坂を下ってきた辰蔵(たつぞう 14歳)の姿をみかけた。
春日通りの近道をたどったらしい。
足取りが生き生きしていた。

扉に身を隠した。
月輪尼(がちりんに 23歳)に会えば、われがきたことは発覚(ばれ)る。われからいうより比丘尼の口から聴かされたほうが、辰蔵の齢ごろだと素直にうけとるであろう)
平蔵(へいぞう 38歳)の即断であった。

覚えがあった。
父・宣雄の独創ぶりが褒(ほ)められると、誇らしい気持ちとともに、妬(ねた)ましいさがその倍も湧いたものだ。
いや、父を尊敬しないというのではなく、超えなければならない高みにふるえるのかもしれなかった。

参照】2007年12月18日~[平蔵の五分(ごぶ)目紙] () () (
 
(われは辰蔵にとって、亡父・宣雄(のぶお 享年=55歳)ほど考え深い父親ではないかもしれない。亡父は、少年のわれを、老中を罷免された前老中・本多伯耆守正珍 まさよし 50歳=当時 前田中藩主)侯にお目通りさせてくれていた)

参照】2007年6月19日~[田中城しのぶ草] () (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) (20) (21) (22) (23) (24) (25)

翌年、宣雄銕三郎(てつさぶろう 14歳)を駿州・田中城と長谷川家のかつての拠点・小川(こがわ)へ旅をさせ、箱根で〔荒神こうじん)〕の助太郎(すけたろう)との生涯にわたる因縁ができたし、三島宿では若後家・お芙沙ふさ 25歳)から性の手ほどきをうけた。

兄者格として、佐野与八郎政親(まさちか 25歳=当時 1100石)を頼んでもくれた。

参照】2007年6月5日~[佐野与八郎政親] (1) (2

(そうだ、辰蔵に指南役をつけねば---)
このとき、性の指南役として月輪尼平蔵がかんがえていたかどうかは、ちゅうすけにはわからない。

辰蔵がいそいそと惣門をくぐり、蓮華院のほうへ消えるのを見とどけ、江戸川橋下に待たしていた小舟で、亀久町の里貴(りき 39歳)の病床へ座った。


看護婦のお(せん 24歳)は昨晩の醜態をおぼえていないのか、いつもと変わらない几帳面な所作で里貴の世話をしているので、胸をなでおろした。

ゆうべ、奈々(なな 16歳)が頭(かしら)をしている座敷女中の4人組が、きょうから昼づとめに代わるといっていたから、帰ってくるのは七ッ(午後4時)前であろう。

湯を手桶に入れてき、
「お躰をお拭きします」
が布団をめくり、里貴の寝衣の帯紐をほどいた。

光を透かすほどに青白かった胸元は、白いことは白いが艶がなく、どことなく萎(しぼ)んだでいるようであった。
「毎日のことか---?」
「はい。毎日拭かないと、匂います」
平蔵の問いかけに応えながらも、おの手はとまらなかった。

胸から腹、横たえて背中をすませたおが、手拭を湯につけなおしながら、平蔵に視線を流した。
下腹から脚にとりかかるらしいと察し、表の部屋へ移った。

(そうか、この拭きで、里貴の局所の絹糸の本数を数えたな)
苦笑するとともに、できることならわれの手で清めてやりたいとおもいもし、今朝方、多紀安長元簡(もとやす 29歳)に吹きこんでおいたから、おが辞めると申しでるはずはないと断じた。

奈々が帰ってきた。

奈々。おかしい話というのを、里貴にも聴かせてやろう」

普段着に着替えて降りてき、女中師範のお(えい 51歳)が4人組の座敷女中の名を、おお春、お、お、おに変えたことを話した。
「お店の名が〔季四〕で、女中が4人だからちょうどいいって」
里貴が苦しげに笑った。

その笑いを、平蔵は承諾と受けとめた。
(おも、〔季四〕のためによかれと考えてくれている)

A_120「しかし、おが2人、おが2人では、どちらのおか、混乱するのでは---?」
平蔵が呈した疑問に、
「それはうちうちのことやから、ええ,ねん。うちうちやと、奈々の組のむすめ(こ)は同じ名前のこよりはちいとは若いよって、初春(はつはる)、初夏(はつなつ)、初秋(はつあき)、初冬(はつふゆ)って呼びあうん」
里貴がまた笑った。

「おお師範はんのすごいとこは、女中衆の座敷着を無地にきめ、おは若葉色、おはつゆくさ色(水色系)、おはべに色、お冬はりんどう色(藤色系)に決めはったこと。寒ければ袷(あわせ)、 暑ければ絽(ろ)ということもあるやろけんど、年中、ひと色ですせられるから、着物代が:倹約できるゆうて---」
里貴は、笑いよりもあきれ顔であった。

が、里貴に薬湯をあてがい、しばらくして薬が効いて眠りにお落ちると、
「殿さま。奈々さまをお連れになり、どこか美味しい店でお召しあがりになっきてください」

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2011.08.14

蓮華院の月輪尼(がちりんに)(5)

翌日。

松造(よしぞう 33歳)。休仕届けを牟礼(むれい 郷右衛門勝孟 かつたけ 64歳)与(くみ 組)頭へ差し出してきてくれ。われは火急の用で多紀(安長元簡 もとやす 29歳)どのと面談したいことが出来(し(ったい)した」

里貴(りき 39歳)の容態が急変でもしたのかと心配顔の松造に、頭(こうべ)をふってそうではないことを伝えた。


なにごとかと構え顔の多紀元簡は、病人の回復遅々てしてすすまないことを通りいっぺんに詫びたあと、口ごもりながら、
「薬は万端のはずですが、どうも、病巣がわからないのです」
「お(せん 24歳)どのには、昼夜をわかたずに看護いただき、感謝の言葉もありませぬ」
「お気づかいくださるな。あれも、気持ちよくつとめさせていただいているというております」

元簡が初日に処方した薬草の品書きを見分した表番医・中村立泉(りゅうせん 69歳)は、おれが診(み)ても同じ処方になるとの言辞をもらったことは、明かしていない。
医師としての元簡の衿持(きょうじ)を傷つけるとおもったからであった。

平蔵(へいぞう 38歳)としては、里貴の病状は口実で、おの辞職の事前封じの訪問であった。

躋寿館(せいじゅかん)のある神田佐久間町を出ると、和泉橋詰から舟を雇い、神田川をさかのぼって江戸川の江戸川橋詰まで揺られた。

江戸川橋から護国寺まで音羽(おとわ)町を9丁北行し、東へ折れると富士見坂下が護持院であった。

庵主(あんじゅ)・月輪尼(がちりんに 23歳)は、まるで待っていたように柔和な笑顔で迎えた。

「昨日、申しわすれたことがござって---」
「なんでおます---?」
「昨日、比丘尼どのは和州・長谷寺で修験されたと申されました」
「あい。長谷川家のご先祖が数代、旦那をおつとめどした」

「ご承知でしたか?」
「ご支族がいまでも旦那をおつとめどす」
「深い縁(えにし)を感じます」
「ほんに---」

「ところが、わが先祖は、初瀬(はつせ)村を出て三河へ移り住んでより、誰ひとり、尋ねた者がおりませぬ」

長谷寺は初瀬(はせ)山(548m)の中腹にあること。
観音信仰に篤い都の公家の信仰参詣が多いこと。
とりわけ、女性の参詣人が多いこと。
それゆえ、受戒を長谷寺で受けたこと。
古い文書には、初瀬川渓谷の北側が泊瀬(はつせ)の里とも記録されているが、いまは「はせ」と呼んでいること。
たぶん、最初の瀬のあたりだったからであろう。
村をでていった長谷川家が「はつせ」と語りつたえているのは、それだけ早くに次の栄誉を求めた進取の気性にとんだ氏族であった証拠であること。

細長く深い渓谷だから、初瀬に、陰口(こもりく)という地名のあること。

  土形(ひぢかたの)娘子(をとめ)を泊瀬山に火葬(やきはぶ)る時、柿本人朝臣人麿の作る歌
 陰口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹(いも)にかもあらむ

「御師。豚児に初瀬を訪れさてみようとおもうのですが---」
「40日の旅になりょうりますなあ。それに、いまからやと、正月がかかりますえ」
「年があけると、15歳、元服となります」
「うちは、24歳や」

「来年は40歳になるおなごが伏せっております。ついでのおりにご祈祷いただけましょうか?」
「おつとめしまひょ」

平蔵が紙包をすべらせた。
2両(32万円)包まれていた。

比丘尼は軽く会釈し、紙包のまま、小さな沙弥壇(しゃみ)へ奉納し、念仏を唱えた。

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2011.08.13

蓮華院の月輪尼(がちりんに)(4)

「おじさま--」
奈々(なな 16歳)がかすかに声を発した。

奈々。そうではないのだ。ここへこい」
平蔵(へいぞう 38歳)が小声で呼んだ。

近づいた奈々へ、
「手を貸せ、お(せん 24歳)を寝転がす」

2人して膝から降ろし、寝させ、裾をあわせ、
奈々。そなたも心得ていよう、出事(でごと)のことは---」
平蔵は裾をひらき、下帯の前を片寄せ、
「このとおり、起きてもおらぬ」
示した。

「わかった。おじさま、上で呑みなおそ」
片口に注ぎたし、小椀を2ヶかかえ、玄関へまわろうとする奈々を引きとめ、
里貴(りき 39歳)は眠り薬で深く眠っておる」
寝間から薄布団をとってきておにかけ、行灯を持ち、里貴の寝息をたしかめ、2人で上階へ直行した。

落ちつくと、
奈々。さっき見たものは忘れよ。そうしないと、おがこの家におられなくなる。困るのは、奈々とわれだ」
「そやね。忘れよぅ」

お互い小椀に口をつけたところで、
「おじさま。お願い、おじさまのもの、もう一度、見せて---」
「見て、どうする---?」
「よく、見たいん---」
「おかしな乙女(こ)だ」
「うん、怪(け)ったい乙女(こ)やの、うち---」

硬直しないことを念じながら、裾を割った。
息をつめた奈々が、双眸(りょうめ)を輝かせて瞶め、つばを呑みこんだ。

「あ、動いた」
むくむくと挙立してしまった。

奈々に驚いたんね---ええ子やん、ええ子や」
触(さわ)られた。
ますます、反りかえった。

奈々のんに会わせてあげっから、ちょい待ちィ---」
帯を解きはじめた。

奈々。よしなさい」
「でも、おじさまのん、奈々に会いたがっとるやん」
いいながらも、着ているものをすっかり脱ぎすて、腰丈の閨衣(ねやい)をはおっただけで片膝を立て、座った。

「ええ子、見てみぃ、奈々よ。あいさつ、しい。あ、ぴくぴく、あいさつしとぅる。可愛いィ---」
手をのばして引き寄せようとしたので、平蔵があわてた。、

「もう、遅い。帰らないと、木戸が閉る---」
「つまらへん。おもろい話、聴かせてあげよおもうて、ごっつうせいて帰ってきたんよ---」
「明日、里貴といっしょに聞く」

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2011.08.12

蓮華院の月輪尼(がちりんに)(3)

「行って、添うてやるがよい」
蓮華院の襖をしめきった施療の部屋で、月輪尼(がちりんに 23歳)にいわれた平蔵(へいぞう 38歳)は、看護婦のお(せん 24歳)に、
「大事ないゆえ、しばし、座をはずしていてくれ」

不審顔のおにうなずきかえし、消えると襖をしめ、着物を脱いだ。
その気配を、里貴(りき 39歳)が弱々しい笑みでうけとめた。

下帯もとり、里貴の横に添った。
掌で秘部を蓋うと、うめいた里貴が腰をあげてきた。
「無理をしなくていい」
「でも、うれしい、のです」
口を寄せてきた。
「じっとしておれ」
口は薬湯の匂いが強くかった。

里貴が、平蔵の硬くなっていないものをつまんだ。
「ごめんなさい」
「いいのだ。よくなれば、いくらでもできる。われたちは、まだ若いのだ」
かすかに笑み、うなずいた。

平蔵の耳には、
(そなたには、その女性の夜叉の形相が見えないようじゃ)
月輪尼の声が、社頭の大鈴のそれのように響いた。

ふっと、15年前の芦ノ湯村の病室が浮かんだ。

参照】2008年7月27日[明和4年(1767)の銕三郎] (11) (12

阿記(あき 25歳=当時)の茂みは濃かったが、里貴の少ない絹糸になじむと、こっちのほうが無防備ですむし、快くなっていた。
多紀安長元簡(もとやす 29歳)から好女(こうじょ)説を聞いたせいもたぶんにあろう。

参照】2010年12月25日[医師・多紀(たき)元簡(もとやす)] (

里貴の寝息を耳にした。
そっと抜け、着衣をととのえ、隣部屋で待っていたおに、
「すまなかった。眠ったようだ。多紀安長元簡 もとやす 29歳)医には、このこと、告げるでない」

片口から小椀に注ぎ、
「ま、すこし、呑(や)るがいい」

は呑(い)ける口らしく、喉を鳴らした。
「呑けるじゃないか」
注ぐと、初めて笑みをみせ、
多紀先生には、内緒にお願いします」

「どこで、覚えたかの?」
「先夫が大酒ぐらいだったもので、つい---」
「それが離縁の因(もと)かな?」
「いいえ。ほかのおんなを孕ませたのです」
「そこもと、子は---?」
「できませんでした」

「余計なことを訊いたようだ」
「そんなとはありません。でも、こちらを拝見していますと、うらやましくて---」
「なにが---?」
「患い人(びと)を安心おさせになることに一所懸命ですもの」

3杯目の多めに注がれた椀を置き、
「患い人にお寝(やす)み前の用をすませていただいてきます」


両手を濡れ手拭いで清めながら、
「お眠りが深くなるお薬をさしあげておきました」
「とけい草か、なにか---?」

参照】2010年2月26日[とけい草

「ご存じなのですか。南蛮渡りのちゃぼとけ草のほうです」
「さすがに、躋寿館(せいじゅかん)---」

大きな笑みで4杯目を受けたので、つい、うっかり、
「おどのの笑顔は童女のごとくで、齢が10歳は若くなる」
ほんとうのことだったが、お世辞にとられたようだ。

「14歳だと、下はまだ生えそろいませんが、17歳なら立派な眺めですよ」
(あ、酔っているな)
平蔵が気づいたときは遅かった。

酔いが羞恥をおさえきれなくなっていた。
立って、裾をまくり股を見せた。
「こちらのの女将さんのは無いにひとしいですが、おさんのは17歳から黒々です」

ちゃんと立っていられなく、ゆらゆらゆれながら開帳していたが、ひらいたままで、平蔵の膝にくずれこんだ。

そのとき、奈々(なな 16歳)が帰ってき、棒立ちで醜態場を凝視した。
(夜叉とは、このことだ)

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2011.08.11

蓮華院の月輪尼(がちりんに)(2)

半月が青く輝いたその夜---。

大塚の筑波山護持院の本堂の前、人びとが「カニの池」と呼んでいる小さな泉に月が映っている刻限に、月輪尼(がちりんに 23歳)が佇み、池の月に向かって口の中でぶつぶつと懺悔(ざんげ)していることを平蔵(へいぞう 38歳)はしらなかった。

観世音菩薩さま。うちは、ひとりの父ごを欺きました。

_360
(比丘尼が受戒した和州・長谷寺の本尊・十一面観世音菩薩)


その父ごの祖先は、比丘尼が受戒(じゅかい)させていだいた総本山・長谷寺の村で、家名を長谷川と名乗った武家でありました。

父ごの嫡男が施療を求めてまいりましたとき、その深い縁(えにし)の若者に、うちの下腹が燃えたのでした。

観世音菩薩さまもお見通しのとおり、うちは、公卿の家の媛(ひめ)として育ち、14歳の春にある男に無理やり乙女の徴しを奪われました。

それからは世をうとい、男をうらみ、わが身を呪っていましたが、神泉苑の老師に、おんなは男によって人をつくり、男はおんなによって人となると教えられ、長谷寺を指されました。

参照】2009年11月18日[三歩、退(ひ)け、一歩出よ。] (

その若者は、性への執着がひとかたなぬおんなによって修羅道に落ちかけておりました。
えにしの子を救ってやるのは、うちしかないと思いました。

うちも、男の性への妄執(もうしつ)のいきにえになったものです。
これを救いみちびいてやらねば、とおもいたったときには、裸になって抱いておりました。

うちは、その若者によって、思い出をよみがえらせたかったのかもしれません。

_140幸い、若者を縛っていたおんなの妄念は消えましたが、こんどはうちの躰が妄執の池に漬かりそうです。

若者の父ごには、若者を抱いたことは告げておりませぬ。
だぶん、父ごは推察しているとおもいますが、早くあきらめさせてやってくれと願っているように見えました。

あきらめるのは若者ではなく、うち、です。
あの若者の、育ちざかりのの獣のような匂いをかぐと、せつのうて、いとしゅうて、芯がもえ、下腹が熱くなってしまいます。

真言密教道には、おんなの昂まりを鎮める秘法はないのでございましょうか。

どうすれば、あきられめられましょうや?
お教えください。

月輪尼は、眉根をよせて観世音菩薩にすがっていた。
しかし、煩悩の道は、長谷寺の登廊のように長かろう。

_360_2
(和州・長谷寺登廊下)


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2011.08.10

蓮華院の月輪尼(がちりんに)

「お見舞いが遅くなりました」
音羽(おとわ)〕の元締・重右衛門(じゅうえもん 57歳)とお多美(たみ 42歳)夫婦が里貴(りき 39歳)を見舞ったのは11月の初旬で、倒れてから3ヶ月も経っていた。

もちろん、それまで、病人の口にあいそうな月々の水菓子(くだもの)はとどけてきてはいた。
顔を見せるのをひかえていたのは、里貴がやつれた姿を見られるのは嫌がるであろうと、お多美が気をきかせていたからであった。

しかし、会う相手は里貴ではなく長谷川さまだと、こんどだけは重右衛門がきかなかった。
それほど平蔵(へいぞう 38歳)は、暇さえあれば里貴の枕元につめていた。

重右衛門が口をききかけると、目顔で別室を指した。

「じつは、辰蔵(たつぞう 14歳)さまのことでございやす」
「あれの辻番所巡りでは、元締衆に厄介をかけていたようで、まことに相済まないとおもっておる」
「とんでもございやせん。そのことでは、みなみなの衆が、すすんでお手伝いをいたしました。じつは---」

辰蔵の気ふさぎによかれと、蓮華院の庵主(あんじゅ)・月輪尼(がちりんに 23歳)を引きあせて施療をうけさせたところ、真言密教の秘法に縛られたようで、慙愧(ざんき)のきわみと恥いっていると告白した。

「真言密教の秘法---?」
〔夢ごこちの中で女躰(にょたい)と交接し、精を放ちつくすのだそうでやす」
゛は、ははは。夢精だな」
「殿さま。笑いごとではすみません。辰蔵さまはお変わりありやせんか?」
「明るさが戻ったと、室は喜んでおったが---」

(たつ)の新しいいおなごがよりに選って比丘尼---? ありえないことではない。げんにわれが27歳のときにいとも簡単に貞妙尼(じみように)と睦んでしまったではないか)

参照】2009年10月14日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに)] (

「殿さまも、百もご承知のことと存じやすが、男とおんなが世間の垣根を越えるのは、理屈なんかではありやせん。性の慾は簡単に燃えあがりよるです」
「で、その比丘尼どのは、いずこの---?」


音羽}の元締のすすめで訪れたというと、月輪尼はあどけなく微笑み、
(たっ)はんの父ごはんでおすか? お顔がよう似てはる---」
辰蔵の悩みごとを解いていただいたようで、お礼に参じました」
「すっかり、癒(い)えたわけやおへん。あと、もうちょびっと施療うけさせてあげておくれやすか」

「ところで、比丘尼どのは真言密教の修験を、いづこでお積みになりましたか?」
「和州・長谷寺で---」
「ほう---」

笑みをかえした月輪尼が、
「親ごはんも悩みがおありと、お顔にだしてはりますが、施療をお望みで---?」
「お差支えなければ---」

つづきの間へみちびかれ、羽織袴はもとより、帯も解いて寝るようにいわれ、そうした。
襖が閉められ、香木が焚かれ、比丘尼の鈴をころがすような読経が始められた。

[自在菩薩------
舎利子(しゃりし)。色不異空(しきふいくう)。 空不異色。
色即是空(しきそくぜくう)。空即是色。
------------

舎利子。是諸法空相(ぜしょほうくうそう)。不生不滅(ふしょうふめつ)。
不垢不浄(ふくふじょう)。不増不減(ふぞうふげん)。
------------]

「そなたは幾歳のときに女躰(にょたい)を識(し)ったか---?」
「14歳です」

「相手の女性(にょうしょう)は幾歳であったか---?」
「25歳と聞きした」

「どのようにして知りあったか---?」
「女性の父ごに引きあわされました」

「人の妻であったのか---?」
「さにあらず。夫を逝かせたばかりでした」

「そなたは、その女性のことを、いまでもおもいだすことがあるか---?」
「いい初体験をさせてもらったと、感謝しております」

「双方、幸せな体験であったのだな---?」
「あのようなこと、辰蔵にもとのぞんでおりました」

「よい父ごよ」
「そうでありたいと願っております」

(たっ)はん、そなたのおもいどおりにはいかなかった---」
「はい」

「人の世とは、そういうもの」
「あいわかりましてございます」

「いま、そなたが内室のほかに睦んでいる女性(にょうしょう)は---?」
「やはり、夫を逝かせたおなごです」

「では、そなたは功徳をほどこしていることになるな---?」
「功徳---?」

「さよう。おんなは男なしでは生きられない」
「そうかも---」

「睦んできている女性は、病んで、そなたに助けを求めてもだえておるな---?」
「もだえて---?」

「そなたには、その女性の夜叉の形相が見えないようじゃな----?」
「見えませぬ」

「行って、添うてやるがよい」
「しかと---」


[----------
菩提薩婆訶(ぼだいそわか)。般若心経(はんにゃしんきょう)]

庭側の襖がひらかれ、光が部屋へ満ちた。

平蔵は額の汗を懐紙でぬぐい、いつのまに移ったのか庭側へ端然と坐し、微笑んでいる月輪尼へ頭をさげた。
比丘尼の脊には後光がさしているようであった。

辰蔵をよろしょゅうにお導きくだされ」


護持院の楼門をで、音羽通りを重右衛門の家へ足をはこんだ平蔵が、元締にいいきった。
「辰蔵の施療は、比丘尼どのにまかせておけばよい。抱きあったとおもっているのは辰蔵だけよ」

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