〔小浪(こなみ)〕のお信(のぶ)(7)
「〔戸田(とだ)〕の房---なんとか---」
「房吉とか、房五郎とか、だ。江戸へ帰ったら、たしかめてみよう」
実りのなかった松造(まつぞう 26歳)だが、平蔵(へいぞう 31歳)はかまわず注いでやった。
「聞き込み先で、けっこう呑まされましたから---」
それでも、平蔵が徳利を傾けると、ちゃんとうけた。
今宵、湊の呑み屋の老女将と交わしたあれこれは、尾ひれがついて3日のうちに〔神崎(かんざき)〕一味の耳に入っていよう。
(お信(のぶ 36歳)の働き場所は市ヶ谷八幡社の下とごまかしておいたが、ひと月もあれば、御厩河岸の茶店〔小浪(こなみ)〕にたどりつくだろう。帰ったら、さっそくに対策を講じないといけないな)
「これほど生きのいい刺身は、とてもじゃないが、江戸では口にできません。ひと切れでいいから、お通(つう 10歳)と善太(ぜんた 8歳)に食わせてやりたいものです」
「いつか、連れてきてやればいい。もっとも、木更津くんだりまで、わざわざ来なくとも、深川の東の砂村あたりの海辺の料理屋でも出してくれよう」
「さようでございました。こんど、連れてってやります」
新しい銚子をさげた番頭が遠慮がちに顔をだした。
「さきほどのご知行地の寺崎に近い戸田村のことでございますが---」
「おお。先刻はお世話になった。でなにか---?」
番頭が酌をおえてから話したことをかいつまんで書くと、6年前に平蔵が宿泊したとき、連れの役人が火盗改メだったのをおもいだし、ひょっとしたら、3年前に大多喜城下で処刑された〔戸田〕の房五郎にかかわりがありそうと気がついた。
それで、まわりの者たちにそのことをたしかめてみたが、3年前に大多喜城下で捕まり、処刑された〔神崎(かんざき)〕の伊之松(いのまつ 44歳)一味の中に、〔戸田〕の房五郎という若い者頭の名もあったと断ずることができた。
「城下の商店通りの久保町の小間物屋を襲い、でてきたところを、夜廻りの火の番に見つかり、「火事だ、火事だ」と騒がれ、町内の力自慢の男たちに叩きふせられたらしい。
久保町という町名で、平蔵は6年前に顔をあわせた呉服商〔大原屋〕茂兵衛をおもいだしていた。
茂兵衛は、あのとき44,5歳に見えたから、いまは50歳を越えていよう。
苦労人とは見えない風格をただよわせていた。
呉服のほかに小間物もあつかっているといっていたが、襲われたのが〔大原屋〕でなければいいが---。
【参照】2009年5月24日~[真浦(もうら)の伝兵衛] (4) (5) (6)
「番頭どの。その処刑の顛末をもっとくわしく存じている人というと---」
「さて、7里も東へ離れた大多喜城下のことでございまいすから---湊の船持ち衆のところには、大多喜藩では食えなくなり、荷役の者として流れてきているのが結構おりましょう。明日にでも、そちらでおたしかめになってはいかがでございましょう?」
【参照】2010年9月1日~[〔小浪(ひなみ)〕のお信] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (8) (9)
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「079銕三郎・平蔵とおんなたち」カテゴリの記事
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コメント
なるほど、平蔵さんは盗賊の情報ネットに通じていらっしゃる。
その利用法も心得ていて、うまくお使いになるわけですね。
いまの用語でいうと、リークとか逆リーク。
投稿: 文くばり丈太 | 2010.09.07 09:33
>文くばりの丈太 さん
そうになんです、史実をしらべてみても、平蔵が盗賊側とか、アンチ平蔵側の情報ネットを利用していたことがうかがえます。
情報ということの大切さを、よほど身にしみて自分のものとしていたのでしょう。
これは、現代のわれわれも、平蔵の先どりを見習うべきでしょう。
投稿: ちゅうすけ | 2010.09.07 13:33