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2009.05.24

〔真浦(もうら)〕の伝兵衛(4)

次にきた、佐貫藩(藩主・阿部駿河守正賀 まさよし 23歳 1万6000石)の佐貫町奉行所(現・千葉県君津市佐貫)の小者は、届け先として指定されていた舟番所へ、書状をおいて、そのまま帰っていった。

有田同心(祐介 31歳 先手・永井組)が怒り狂った。
「藩内のことは藩にまかされており、火盗改メに届けでる義理はないとはいえ、わざわざ訊きあわておるのに、この返事の仕様は、あまりといえばあまり。外桜田、山下門前の藩邸が火事で焼けても、火盗改メは面倒をみないからな」
有田どの。ここで言っても先方には聞こえませぬ。それより、書付を改めるのが先です」
銕三郎(てつさぶろう 26歳)が汗馬をとりなすようになだめた。 

たしかに、各藩はそれぞれで仕置(政治)と公事(裁判)を行っている。
盗難なども、各藩で処理して間違いではない。
火盗改メが出張るのは、幕臣の知行地での犯人逮捕と受けとりのときである。
こんどの出張りは、幕臣・浅野家の要請にもとずいたもので、佐貫藩の求めに応じたものではない。
とはいえ、火盗改メは、幕府の機関である。
それなりの対応があって、しかるべきともいえる。

書状には、去年の初夏と秋の終わりにあった、藩内の2件の盗難が記されていた。

天羽郡(あまはこおり)初夏の1件は、海岸ぞいに南北に通じている房総往還の湊川を、数馬村、望井村と東へ30丁(3km)ほど遡行した天羽郡(あまはこおり)六野(むつの)村(現・千葉県富津市六野)の名主の家がやられていた。
風を通すために雨戸をは3,4枚引かないところから侵入してきた2人組が、抜き身で庄屋・善兵衛(ぜんべえ 45歳)に手文庫の13両(200万余)を出させて去ったという。
賊に気がついた表使用人棟にいた者も、見張りをしていた男に太腿(ふともも)を刀で突かれ脅されために、身動きができなかった。

秋の終わりの件は、同じ天羽郡の村だが、こちらは海岸に接した篠(ささ)毛村(現・千葉県富津市笹毛)の大きな農家で、祝いごとがあり、みんなが酒をすごしてて寝入ったところを3人組に襲われた。
祝儀の金を18両(300万円弱)持っていかれていた。

有田祐介同心が、うらやましさもこめて、
「久留里城下の分もあわせると、去年だけで54両(約860万円弱)もさらっておる。貧農の次・三男にしたら大金だが、さて、何に使ったか?」
「きまっています。女です」
銕三郎が、書付を有田同心へ戻した。
「すると、淫売宿をあたってみなければなりませぬな」
「淫売屋がどこと、どここの宿場にあるか、船問屋へ、松造をやってたしかめさせましょう」

からす山〕の寅松(とらまつ)改め、松造(まつぞう 20歳)は、目明しの下働きのような仕事を初めて言いつかり、肩をそびやかして出かけていった。

「あとは、大多喜藩からの使者ですな」
有田同心がつぶやいたところへ、船番所の小者が、その使者を案内してきた。

来たのは、大多喜藩士ではなく、町人風の、物腰の丁寧な中年男であった。
「手前は、大多喜城下・久保町で呉服と小間物の店をひらかせていただいております〔大原屋〕茂兵衛と申します。藩の奉行さまより、江戸へ商用で上るのであれば、木更津の船番所へとどけるようにと、申しつかりました。番所では、お役人さまへじかにお渡しするようにとのことでございましたので、ぶしつけながら、参上させていただきましてございます」

書状を受けとって開披した有田同心は、
「苦労であった」
それだけであったので、銕三郎が言葉をおきなう。
「〔大原屋〕さんは、藩のご用もおつとめかな?」
「とんでもございません。手前どもは、大喜多街道ぞいの、手前がまだ初代の小さな店でございます。藩のご用などもおもいもよりません。ただ、町奉行所の鎌田与力さまと碁仇(ごがたき)でございまして、昨夕も白黒を戦いまして、きょうの江戸上りのことを口をすべらせましたら、好都合だから、お届けするようにと、頼まれまして。
九ッ半(午後1時)の江戸行きの便船に乗るつもりであります」
「ついでながら、今朝のお発(た)ちは?」
「明け七ッ(午前4時)でございました」
「幾里です?」
「7里(28km)とちょっとで---」
「それはお疲れのところを、わざわざ、大儀でありました。お礼を申しあげます」
「めっそうもございません。鎌田与力さまから、火盗改メのお役人さまへ、くれぐれも無礼をおわびしておくようにとのことでございました」

〔大原屋〕が去ってから、有田同心が、
「大喜多藩主・備前守正升(まさのり 32歳 2万石)さまから、きびしい節約令がでており、盗難なしの書状をわざわざ木更津まで使いをだすこともなかろうと、〔大原屋〕に言伝(ことづ)たようですな」
「盗難なしをとどけるために、わざわざ藩士を遣(よこ)すことはありませぬからな」

大多喜藩の財政は、正升の父で隠居した正温(まさはる)が多くの側室に女子を産ませすぎ、その婚儀の出費もたいへんであったらしい。

「ぬかった。〔大原屋〕に訊きそびれました。追っかけて、訊いてきます」
銕三郎が、ややあわて、船着場へ走るようにしていそいだ。


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