古川薬師堂
増役(ましやく)の役宅になっている四谷南伊賀町の建部(たけべ)右衛門広殷(ひろかず 55歳 1000石)の屋敷からの帰路、深川・黒船橋北詰の町駕篭〔箱根屋〕の権七(ごんしち 50歳)のところへ寄った。
「ちょっと付きあえるか?」
「どれほどで---?」
「半刻(はんとき 1時間)たらず---」
すぐそばのお艶(えん 32歳)が女将をまかされている船宿から黒舟に乗った。
かつて平蔵(へいぞう 37歳)に半死半生の裸躰をさらしたこともあるお艶だが、そんなことはにやりと微笑んだだけであとはそぶりにもださない。
【参照】2010年11月17日~[古川薬師堂] (1) (2)
冬木町寺裏の舟着きへ渡った。
茶寮〔季四〕の開店にあわせ、隣のにも権七は船宿〔黒舟〕をおき、こちらはお琴(きん 38歳)がおんな主人であった。
お艶は鉄火肌のおんなであったが、お琴は万事を胸にたたみこむように抑えていた。
真反対のおんなを妾にしている権七の不思議な好みを平蔵は、おんなは昼と夜ではがらりと変わるから---と悟るだけの年齢に達していた。
〔季四〕で、里貴(りき 38歳)にも座にいるようにいい、建部組から頼まれた嶋田行きを打ち明けた。
「与板でのお仕事から3ヶ月と経っていませんのに、もう、お頼まれごとでございますか? お城のほうはよろしいのでございますか?」
里貴の気づかいももっともであった。
平蔵は、西丸書院番の番士であって、火盗改メの与力などではなかった。
「うむ。番頭(ばんがしら)どのは、組の名誉とおもってござる」
「それなら、およろしいけど---」
権七には、箱根の雲助頭の仙次(せんじ 37歳)につなぎ(連絡)をつけておいてほしいと頼んだ。
仙次には、この19年のあいだにいろいろと世話になっていた。
【参照】2008年1月30日[与詩(よし)を迎えに] (36)
21008年7月28日~[明和4年(1767)の銕三郎] (12) (13)
2009年1月4日[明和6年(1769)の銕三郎] (4)
2009年2月10日[〔高畑(たかばたけ)〕の勘助] (9)
2010年10月26日[〔戸祭(とまつり)〕の九助(きゅうすけ)] (7)
「ついでですから、平塚宿はずれの〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛(かんべえ 54歳)どんにもひと声かけておきましょう。なにかの役にたつかもしれません---」
権七は、久栄(ひさえ 30歳)と里貴の前では雲助言葉をひかえている。
【参照】2008年1月31日[与詩(よし)を迎えに] (37)
2009年1月9日[銕三郎、三たび駿府] (1)
「〔馬入〕のには、嶋田の顔役へつなぎを頼んでおいてもらいたい」
「承知しました。香具師(やし)の頭分(かしらぶん)のほうは、〔音羽(おとわ)〕のお頭へお願いしておきます」
「いろいろ、世話をかける---」
「なにをおっしゃいますことか」
里貴が、つい、口をはさんだ。
「ご出立は、いつでございます?」
「3日あとだ」
「せわしないこと」
「いや、12日後に島田宿へ入ればよい」
「六郷の古川薬師さんまで、ごいっしょできますか?」
それで権七はすべてを察した。
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