〔お人違いをなさっていらっしゃいます」(3)
「お昼餉(ひるげ)を督促してまいります」
里貴(りき 30がらみ)は、夏目藤四郎信栄(のぶひさ 22歳 300俵)が席につくかつかないのに、避けでもしているように座を去った。
信栄は気にもとめず、
「明日のご逢対日には、いの一番に参上させていただくと、お礼参りのときに、用人どのに先手をうっておきました。しかし、長谷川お支配のお屋敷は立派ですなあ」
藤四郎は、平蔵にとっては叔父にあたる小普請8の組の支配・長谷川久三郎正脩(まさひろ 63歳 4070石)に属したのであった。
「納戸町の長谷川家は、行人坂の大火を蒙っておりませぬからな。 蒙っておらぬといえば、ここ〔貴志〕が建ったのは大火の前? あと?」
「女将がきたらお聞きになればよろしいでしょう」
信栄は、組支配のよい人柄に対して、与(くみ 組)頭の本目権兵衛直記(なおのり 48歳 200俵)の底意地の悪いのには参った---、
「長谷川どのも、あの日、焼火の間で、ぎょろ目の与頭をご覧になったでしょう。なんと、本目(ほんめ)というのが本姓ですよ」
「あのときはあがっていて、よくは覚えていないのです。人こごちが戻ったのは、書院ご門を出てからでした」
他家のことにかかずわわってはならぬ---と、いつも亡父からたしなめられていた平蔵は、たくみに逃げたつもりであった。
【参照】2009年12月21日~[夏目藤四郎信栄(のぶひさ)] (1) (2) (3)
しかし、信栄はつづけて、お礼廻りの来かたが遅いの、音物(いんもつ)の出し方がまちがっているのと、やられたというのである。
配膳する女中とともにあらわれた里貴が、
「夏目さま。廊下端まで聞こえております。幸い、お客さまはまだいらっしゃっていませんが、もうすこし小さい声でお話しくださいませんか。長谷川さまにもご迷惑がかっては取り返しがつきません」
「将たるものは、大声でないと、戦場で卒が動かぬのだ」
「ここは、戦場ではございませぬ。茶寮でございます」
(武家のむすめの地をだしたな)
平蔵は、里貴へうなずいて微笑み、
「夏目うじ。ご本家に訊いてくださるといわれた、三方ヶ原での例の記録、いかがでしたか?」
一瞬、気まずがった信栄が、救われたように、
「本家で調べたが、長谷川勢のことは記されていていないとのことでした」
「やっぱり---。300人ほどが、駿河の田中城から大権現さまの旗下へ参じていたのですが---」
【参照】2008年6月12日~[ちゅうすけのひとり言] (13) (14) (17) (18) (32)
「あ、うかつでした。長谷川さま。お供の方が、なにか、ご指示いただきたいと申されていたのに、私としたことが---」
平蔵が立つと、里貴もついて廊下へ出、角をまがったところで腕をとって立ちどまらせ、白い手をあわせた。
「先刻は、お救いくださいまして、この通りでございます。命びろいをいたしました」
「そりより、里貴どののたしなめ方がみごとでした。やはり、武家育ちとお見受けした」
平蔵の胸にたなごころを沿わせ、
「またも、お人違いをなさっていらっしゃいます」
その手に手をそえた平蔵が、
「里貴どのこそ、人違いをされておろう」
「いいえ。私は違えてはおりません」
「さて、松造はどこ?」
「あれは嘘。こうしてお礼を申したかったのです」
里貴は、平蔵の手の甲に軽く唇を触れた。
(この大胆なしぐさは、武家のむすめのやりようではないような。人違いかなあ)
鼻の近くにきた里貴の髷からの伽羅の香油が匂った。
それまでは、里貴というおんなが秘めている秘密めいた雰囲気をたしかめることに気持ちがかたむいていた平蔵は、とつぜん、男として、生身の里貴を意識した。
想像のなかで、光を透きとおらせる里貴の裸体がうきあがったのである。
いや、貞妙尼(じょみように)の裸躰に、里貴の顔がのった、それであった。
(目前にしても、やすやすとはくずれないと、決心したばかりではないか)
平蔵の迷いを見透かしたように、里貴がつぶやくように、
「三河町2丁目の御宿(みしゃく)稲荷脇---」
途中で首をふってやめ、廊下の向こうの帳場へ消えてしまった。
【ちゅうすけ注】三河町2丁目(現・千代田区内神田1丁目6)にある御宿(みしゃく)稲荷は、『鬼平犯科帳』巻22長篇[迷路]p113 新装版p108 で、平蔵とおまさが待ち合わせの場所---御宿(しく)稲荷として登場。
【参考】御宿稲荷神社
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