カテゴリー「093森山源五郎 」の記事

2006.06.08

『鬼平犯科帳』のもう一つの効用

小説『鬼平犯科帳』が学術的な面へも功績をもたらした点をひとつあげる。

森山源五郎(300石と廩米100俵)という筆のたった幕臣がいた。長谷川平蔵が死の床にあったとき、火盗改メ代行をもぎとった仁だ。

そう、老中首座・松平定信へとりいり、文字どおり「もぎとった」のだ。

なぜそういえるか、って? せっかく火盗改メになったのに、1年ちょっとで塩入大三郎(100石と廩米100俵)にその役をもっていかれたときの大仰な残念がりようでわかる。

罷免された経緯を手をまわして調べあげ、老中の戸田侯(美濃大垣藩主。10万石)の存在をつきとめた。侯は館林藩主の五男で、大垣藩へ養子に入った人。

そこで森山のいい分……塩入は母親が館林藩の重職・松倉某のむすめだった縁をたくみに利用し、松倉から戸田侯へ働きかけて成果をえたというのだ。

自著『蜑(あま)の燒藻(たくも)』で、塩入大三郎を気が強いだけの総身に知恵がまわりかねる大男で無芸無学とこきおろす。
この部分だけ読むと、塩入というのは森山が書いているとおりの仁かな、とつい思いこむし、事実、これまで幾人もの学者が『蜑の燒藻』を珍重・引用してきた。

前任者の平蔵についても、火盗改メ在職8年のあいだに「さまざまの計りごとをめぐらした」と非難。

『鬼平犯科帳』ほかで平蔵の人柄と立派な業績をすでに知ってしまっているぼくたちとしたら、森山には自分の意にそまない者はバカとかよこしまなこころの持ち主とこきおろす習癖があるとしか考えられない。

『蜑の燒藻』で口ぎたなく罵詈雑言(ばりぞうごん)をあびせかけられている人たちについても、はたして森山のいうとおりの人物だったか、疑ってかかったほうがいい。

小説『鬼平犯科帳』が学術的にも貢献したとするのは、森山の記述内容、とりわけ人物評価の真偽をめぐり、平蔵がリトマス試験紙の役割を果たしたからだ。

人物論は立場立場で毀誉褒貶(きよほうへん)がわかれるのはいたしかたがないとはいうものの、森山のように自分だけが清廉潔白の士であるかのように主張するのはいかにもあざとい。

そういえば森山が火盗改メに任命されたのだって、和歌の縁を通じて定信に働きかけたからで、他人のコネ活用をとやかくいえた義理ではないはず。だいたい森山は人の長所を認めることができないようだ。先手組頭―中間管理職としてこれでは下がついていくまい。部下は長所を見てやってこそ慕ってくる。

和歌の縁といったのは、森山は冷泉家の門人で、中秋の名月の夜に定信が催す観月の歌詠みの会に、小禄の幕臣ではひとりだけ参加させてもらっているからだ。

平蔵に短歌づくりの素養がないからといって、それとは無関係の火盗改メの仕事ぶりにまで批判の矢を向けるのは見当ちがいもはなはだしい、というもの。

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2006.05.04

マニュアルづくり

■大川の隠居
■瓶割り小僧
■盗法秘伝
■山吹屋お勝
■本門寺暮雪

作者・池波正太郎さん自身による「鬼平ベスト5」だ。
『オール読物・平成元年7月臨時増刊号・鬼平犯科帳の世界』に載った(のち、ほとんどの記事を同題の文春文庫が収録)。

「瓶割り小僧」をのぞき、ぼくのベスト5も右のとおり。まあ、こういうベスト選定は好きずきだから…。「瓶割り…」にかえてぼくが入れているのは「あきれた奴」。

盗法秘伝は、テレビでひとりづとめの伊砂(いすが)の善八に扮した故フランキー堺さんの飄逸な演技が特筆ものだった。

Photo_4
左下・小窓の第16話が[盗法秘伝]

よく、まあ、おぼえているなって? 『鬼平犯科帳』のビデオテープを購入、くりかえし観ているのだ。
幸いなことに中村吉右衛門丈=鬼平のビデオ化は第8期だかまですすんでいて、 120話前後が観賞できる。購入するなりビデオショップで借りてご覧になっては。

池波自選ベスト5に「盗法秘伝」が入ったわけは容易に想像できる。

一、つとめ(盗み)するときは、まず、月の出入りの時刻を、よくよく知りわきまえおくべきこと。夜のつとめには月のひかり大敵なり。
一、家やしきへ忍び入るには、やしき内の人のねむりふかければ、もっともよし。で、中春の末あたりと冷気が帰ってくる中秋がいい。夏は暑さのために寝つきにくいから、真の盗人は夏ばたらきはしない…など。

少年時代から白浪(しらなみ)ものが好きだった池波さんのこと、自身が泥棒になったつもりで、盗みの極意マニュアルを考案している。

もっとも小説で公開されている「盗法秘伝」は右のくだりだけ。未公開の後半部はどこにあるのだ…と真顔で質問した文化センター[鬼平]クラスの受講生がいたのには泡をくった。

盗賊を白浪と呼ぶのは、漢末のむかし、陝西省・白波谷(はくばこく)にたてこもって略奪をはたらいた者たちを白波の賊と名づけたから。

さて、善八にすっかり見込まれ、盗みのマニュアルを譲られそうになった鬼平は、盗賊逮捕マニュアルもつくるべきだと思ったかどうか。小説はそこのところまでは書いていない。

長谷川平蔵の政敵で後任者となった森山源五郎は「前任の火盗改メ(長谷川組)が、引きつぎの事件簿を一通ものこしていないのは怠慢きわまる」といいたてて、筆が立つことを利して書類づくりにはげんだ。

平蔵にしてみれば、盗みのやり方は盗人の数だけあり、それぞれ異なっているのだから、探索マニュアルなどさほど役には立つまい、と断じていたフシがある。

マニュアルをつくるボスになるか、身をもって範を示すことで教えるリーダーになるか、あなた次第だが、森山マニュアルが実戦の役に立ったという記録はない。

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