カテゴリー「116新潟県 」の記事

2006.01.27

〔羽黒(はぐろ)〕の九兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻10に入っている[五月雨坊主]で、絵師・石田竹仙(35,6細)が自分を描いた似顔絵から、事件の主役の〔羽黒(はぐろ)〕の九兵衛へとつながっていく。
(参照: 絵師・石田竹仙の項)
ことは、妻恋明神裏に転居した竹仙の庭に倒れこんだ男から始まった。もちろん竹仙は、その男の似顔絵も描いてはいる。しかし、鬼平の推理は別だった。

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年齢・容姿:40男。馬面。髭あとが青々としている。がっしりした体格。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこおり)羽黒村(新潟県北蒲原郡中条町羽黒)。
羽黒山系が走る越後には、「羽黒」という名の地区がいくつもあるが、江戸期からそう呼ばれており、戸数の少なさから中条町を採った。
ここは、池波さんが『堀部安兵衛』の取材に訪れた新発田市に接している。

探索の発端:竹仙が自分を描いた似顔絵を見た、提灯店〔みよしや〕の娼妓およねが、善達坊主(50がらみ)に似ていると証言したことから、谷中の天徳寺へ疑惑がかかった。

結末:天徳寺の善達和尚の弟が、越後から岩代(福島県)信州へかけて荒らしている〔羽黒〕の九兵衛で、江戸での一仕事を狙って出府、天徳寺の住職を殺害して寺を乗っとっていた。
一味6名はことごとく逮捕。死罪であろう。

つぶやき:またしても他人の空似が使われている。本篇では、竹仙→善達→九兵衛の三段飛びである。

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2006.01.13

浪人・塚田要次郎

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[泥鰌の和助始末]で、〔泥鰌(どじょう)〕の和助(60がらみ)を助(す)ける剣客・松岡重兵衛(50前後)らが、南新堀(中央区)の紙問屋〔小津屋〕に押し入り、2000両近くを盗みとり、亀戸村の一軒家へ引き上げてきた。
(参照: 剣客・松岡重兵衛の項)
待っていたのは、仲間とおもった〔不破(ふわ)〕の惣七(45,6)が手配した、浪人・塚田要次郎らの横取り組みだった。
(参照: 〔不破〕の惣七の項)

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年齢・容姿:40前。精悍な容貌。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこおり)村松(現・新潟県中蒲原郡村松町)。
村松藩(3万石)は、村上藩(5万石)から分知された外様の藩。

探索の発端:坪井道場へ現れた剣客のことを辰蔵(20歳)から聞いた鬼平は、かつて高杉道場の食客で剣を教えてくれた松岡重兵衛と推察。重兵衛が現れた市ヶ谷田町1丁目の鰻屋を見張るが、〔不破〕の惣七は、まんまと消えられた。
しかし、惣七の女房が天現寺へ出した女房の茶店から、あらたな糸口が開ける。

結末:塚田要次郎たちの動きを監視していた火盗改メは、〔泥鰌〕の和助たちの盗め金の横取りをたくらんだ惣七や塚田一味を斬ってすてる。

つぶやき:高杉道場がらみの剣客のリスト。
岸井左馬之助
谷五郎七
大橋与兵衛(久栄の父親)。
井関録之助
菅野伊助
松岡重兵衛(剣客。道場の食客)
春慶寺の和尚=宗円
小野田治平(多摩郡布田の郷士の三男)
妾の子:鶴吉。
長沼又兵衛 盗賊の首領。
先輩:野崎勘兵衛。
小野田武吉(鳥羽3万石の家臣)
御家人:八木勘左衛門(50石取り。麻布狸穴住)
堀本伯道(師:高杉銀平の試合相手)
池田又四郎(兄は 200石の旗本)。行方知れず
滝口丈助
井上惣助
横川甚助(上総・関宿の浪人)

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2005.10.22

〔櫛山(くしやま)〕の武兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻8で[明神の次郎吉]と、タイトルにまでなっている腕っこきながら他人への親切にも骨惜しみをしない盗人・次郎吉が、お頭と仰いでいるのが〔櫛山(くしやま)〕の武兵衛。
(参照: 〔明神〕の次郎吉の項)
密偵おまさは、流れづとめの現役(いまばたらき)だったころに〔櫛山〕の武兵衛を助(す)けたことがあり、彦十によると、武兵衛は「地味なお人だが、真(まこと)のお盗(つと)めをしなさるそうな」。
(参照: 女密偵おまさの項)

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:越後(えちご)国魚沼郡(うおぬまこうり)城山(じょうやま)新田村(現・新潟県南魚沼郡大和町城山新田)。
〔櫛山〕の武兵衛一味のテリトリーは関東一円から奥羽へかけてとあるので、その範囲で探索したら、ここが見つかった。城(じょう)ノ平(ひら)の標高300メートルの山頂に櫛山城跡がある(平凡社『日本歴史地名体系 新潟県編』)。
鬼平の時代より30年ほどさかのぼった宝暦の記録によると、村は家数11戸、男29、女19であったと。女の数の少ないのが異常である。

探索の発端:〔明神の次郎吉〕が行きがかりで遺品を預かり、小梅の春慶寺に寄宿している岸井左馬之助にとどけた。感激した左馬之助が次郎吉を〔五鉄〕へ招待。
次郎吉に見覚えがあったおまさが、彦十へそのことを告げた。
彦十は翌朝、次郎吉を尾行して千駄ヶ谷八幡の裏の盗人宿をつきとめた。
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千駄ヶ谷八幡宮(『江戸名所図会)』より 塗り絵師:西尾 忠久)

結末:剣友・岸井左馬之助への配慮と、おまさ・彦十の顔をたて、鬼平は〔櫛山〕一味の逮捕に火盗改メを出動させなかった。心ゆるしている数名の密偵、さらに逮捕は町奉行所を出張らせた。
そのうえ、町奉行・池田筑後守へ〔櫛山〕一味の計の軽減を依頼し、死罪をまぬがらせて遠島に。とりわり、〔明神〕の次郎吉は軽い刑にと、申しおくった。

つぶやき:連載も5年目に入っている。時代を反映し、凶悪な賊の血なまぐさい事件がつづいていた。
そこへ、久びさの本格派の一味の登場である。
池波さんも、つい、筆がすべった。
10両以上盗んでいる者が、町奉行の一存で死罪をまぬがれるはずがない。
将軍吉宗・大岡越前守忠相以後、裁判一事一様---つまり、同じ犯罪には同じ判決が幕府のとりきめとなっているのだ。
もっとも、『鬼平犯科帳』は小説であって、評定所(幕府の最高裁判所)の御仕置記録ではない。池波さんの人情家ぶりがもろに出てもいっこうに差しつかえない。

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2005.10.21

〔竹尾(たけお)〕の半平

[『鬼平犯科帳』文庫巻22、特別長篇[迷路]の影の首領〔猫間(ねこま)〕の重兵衛(50代半ばか)の配下〔竹尾(たけお)〕の半平は、組んでいる〔法妙寺(ほうみょうじ)〕の九十郎(50がらみ)一味との連絡役をつとめている。
(参照: 〔猫間〕の重兵衛の項)
(参照: 〔法妙寺〕の九十郎の項)
現役をよそおってお熊の茶店〔笹や〕に居候をしている密偵〔玉村(たまむら)〕の弥吉へ、九十郎の使者として連絡にきたのも、半平だった。
(参照: 〔玉村〕の弥吉の項)

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年齢・容姿:50前か。ていねいな口調。するどい眼光。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこうり)竹尾村(現・新潟県新潟市竹尾)。
紀伊国伊都郡高野口町竹尾(現・和歌山県)ももっともな候補地だが、〔猫間〕の重兵衛一味ということで、関東により近い越後とした。

探索の発端:九十郎の伝言をもって弥吉のもとへあらわれた半平を尾行(つ)けた同心・松永弥四郎が、深川・黒江町の釣具屋〔竹吉〕を探りあてた。
さらに尾行をつづけ、半平が年増の女房と住んでいる京橋・柳町のしもたも発見された。そこで半平は、表の仕事としてご用聞きの書物屋をやっていた。若い頃から15年間、上野・山下の五條天神門前にある書物問屋〔和泉屋〕でやった修行を生かしたのである。
決定的な確証は、〔玉村〕の弥吉が、かつて〔赤堀(あかほり)〕の嘉兵衛一味にいたときに顔見知りだった座頭・徳の市が、鉄砲洲の薬種屋の〔笹田屋〕から出てくる姿を見かけたことによるのだが。
(参照: 〔赤堀〕の嘉兵衛の項)

結末:芝・田町7丁目の盗人宿の宿屋〔摂津屋〕の盗人宿も発見され、半平の住まいもふくめて、すべての根城が火盗改メに急襲され、ほとんどの盗賊が捕縛された。

つぶやき:〔竹尾〕の半平が、〔法妙寺〕の九十郎一味だったら、和歌山県の「竹尾」のほか、徳島県美馬郡木屋平村竹尾の出身としてもよかった。

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2005.07.03

〔稲谷(いなたに)〕の仙右衛門

『鬼平犯科帳』文庫20に収められている[顔]は、かつての同門で、評定所の裁きにより切腹して果てた井上惣助に瓜二つの泥棒---〔嶋田(しまだ)〕の惣七を品川宿で捕らえてみると、父親は同じ旗本・井上惣左衛門であったという筋書き。
〔嶋田〕の惣七は、上方の首魁〔稲谷(いなたに)〕の仙右衛門の片腕とも軍師ともいわれていた男だが、頭の仙右衛門と仲たがいをし、仙右衛門の盗人宿から500両余をかすめて姿をくらまし、東海道すじ・南品川宿の品川(ほんせん)寺の脇へ潜んでいた。
(参照: 〔嶋田〕の惣七の項)

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品川駅(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

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年齢・容姿:どちらも記載されていないが、年齢は惣七が50歳代のようだから、60前後であろうか。
生国:越後(えちご)国頸城郡(くびきごうり)稲谷(いなだに)村(現・新潟県上越市稲谷)
池波さんは(いなたに)と濁らないでルビをふっているが、地元では(いなだに)とにごる。稲ができる谷なんて、西日本ならどこにでもありそうな村名だが、ここしか残っていない。まあ、日本海側と上方は海運でつながっていたから、江戸へ出るのと同じぐらい便がよかったし、池波さんは上杉謙信の史料集めに、しばしば越後を訪れてもいる。

探索の経緯:
〔稲谷(いなたに)〕の仙右衛門は、持ち逃げされた500両余を取りもどすために派遣した3人が、鬼平の眼の前で〔嶋田(しまだ)〕の惣七を襲ったものだから、仙右衛門の存在がバレ、大坂や京都の奉行所へ連絡がとられた。

つぶやき:〔嶋田(しまだ)〕の惣七が500両余を持ち逃げしたのは、2年前のこととある。3人の追手のために費やした2年間の捜査費用はいかほどであったか。旅籠代や酒手・娼妓など年間1人50両では足るまい。2年で120両ほどか。3人で360両。このほかに飛脚代やらなにやらで---収支決算とんとんといったところか。
放置しておいたら、自分の存在を隠しとうせたかも知れないのにねえ、〔稲谷〕の仙右衛門どん。

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2005.04.15

〔暮坪(くれつぼ)〕の新五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻24に所載の[二人五郎蔵]で、まわり髪結いの五郎蔵の女房おみよを拐かして、火盗改メ役宅や大店に出入りしている亭主の五郎蔵を脅迫する盗賊。さきに密偵・伊三次を刺殺して処刑された〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵の実弟。

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(参照: 〔強矢〕の伊佐蔵の項)

年齢・容姿:41歳。おだやかそう。へちま顔。女のような声。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこおり)暮坪(現・新潟県五泉市暮坪)

探索の発端:上記したとおり、〔暮坪(くれつぼ)〕の新五郎が、まわり髪結いの女房おみよを誘拐して亭主をおどし、意のままにあやつろうとした。その五郎蔵の所作に不審を抱いた鬼平が、身辺を探らせて、〔暮坪〕の千駄ヶ谷の仙寿院脇の盗人宿で〔強矢〕の下にいた〔戸祭〕の九助と、引きこみの〔長尻〕のお兼がつなぎをつけた神田・旅篭町の菓子舗〔桔梗屋〕に見張りがついた。

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仙寿院庭中(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)
(参照: 〔戸祭〕の九助の項)

結末:〔桔梗屋〕に押し入ろうとした〔暮坪〕一味15名は、待ち伏せていた火盗改メに全員捕縛。役宅を襲ってきた盗賊浪人8名も酒井、沢田、松永同心たちと辰蔵によって斬り伏せられた。
暮坪(くれつぼ)〕の新五郎は火刑。

つぶやき:新潟県の「暮坪」は簡単に割り出せたが、迷ったのは、ネット検索で知った、〔暮坪蕪(かぶ)〕とも呼ばれる岩手県の花巻産のかぶ、それを摩り下ろして〔つゆ〕へ入れてたぐる遠野そば---別名〔暮坪そば〕の存在であった。
この2品については、地元の鬼平ファンの方の郷土自慢のコメントがいただけるとうれしい。
で、けっきょく、実兄〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵と生国をそろえることで決着させた。

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2005.04.12

〔津川(つがわ)〕の弁吉

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収録の[五月闇]で、〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵が命をねらっていることを、京の四条河原で出会ったときに伊三次につげた、ひとりばたらきの盗人。

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(参照: 〔強矢)の伊佐蔵の項)
(参照: 〔朝熊〕の伊三次の項)

年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこおり)津川村(現・新潟県東蒲原郡津川町津川)。
〔強矢〕の伊佐蔵の盗めの区域は、上信2国から越後・越中へかけて---とある。弁吉が出会ったすると、そのあたりであろう。
池波さんの土地勘は、[五月闇]に先立つ13年前に発表した独立短篇[金太郎蕎麦](『小説現代』1963年5月号 角川文庫『にっぽん怪盗伝』に所載。テレビでは『鬼平犯科帳』の1篇として放映)の、肌が抜けるように白いヒロインお竹(テレビ・池波志乃)の出生地を、「越後の津川」としていることからもうかがえる。
池波さんは、町制を昭和30年(1955)に敷いて津川町となった津川を訪れ、肌のきれいな女性を目にしたか、あるいは津川郷出身のそういう人を知ったか。

探索の発端:〔強矢〕の伊佐蔵が「今度、どこぞで見つけたら、なぶり殺しにしてくれるといっていたぜ。おれはな、伊三さん、お前さんとは盗めの義理があるし、向うの伊佐蔵どんとは別にどうということもねえ(中略)。ともかく、このことをお前さんにつたえることができて、おれはうれしい。ま、くれぐれも気をつけておくれよ。じゃあこれで、おさらばだ」といって去っただけなので、探索も処刑もない。

結末:〔津川(つがわ)〕の弁吉から伊佐蔵の復讐心を聞いた伊三次は、助(す)るときめていた〔須賀(すが)の笠右衛門との盗めの約束も反故にして、上方から逃げ出す始末。

つぶやき:伊三次の死にまつわって、いろいろつたわっている読者の反応のエピソードとはまるで関係のないことを。
池波さんと親しかった司馬さんのエッセイ集『司馬遼太郎が考えたこと 1』(新潮文庫 2005.01.01)の[大阪的警句家]に、こんな一節がある。

 滝ノヨウニナガレデタパチンコダマ
といったような、手あかのついた形容は、大阪の庶民はつかわない。

「パチンコ台が、消化不良になりよったみたいに玉がむさんこ(とめどなく)出てきたがな」
とかいう。(1961.07.01 『松竹新喜劇』パンフレット)

司馬さんから似たような話を聞いたことが頭の片隅に海苔(のり)の芽のようにこびりついていたか、[五月闇]で鬼平が伊三次に〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵の盗めぶりを、こう、たとえる----

「血なまぐさいまねを、まるで自分(おの)が洟(はな)を擤(か)むようにしてのける奴なのだな?」

こういう比喩は、池波さんはふつうは、書かないのだが。


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2005.03.17

〔鳥坂(とりさか)〕の武助

『鬼平犯科帳』 文庫巻10に載っている[五月雨坊主]の首領〔羽黒(はぐろ)〕の九兵衛一味の連絡(つなぎ)役。〔羽黒〕が手を組んでいっしょにお盗めをしようとしていた〔荷頃(に)ごろ〕の半七に女房おしんを寝取られ、「おしんは、お前が物足りなかったのだとよ」と、男のプライドを傷つけられて刺し殺したが、そのまま、一味に居つづけた。

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(参照: 〔荷頃()〕の半七の項)

年齢・容姿:40がらみ。容姿は記されていない。
生国: 越後(えちご)国北蒲原郡(きたかんばらごおり)鳥坂(とっさか)山(現・新潟県北蒲原郡中条町野中の鳥坂山麓あたり)

探索の発端:いまは、湯島の妻恋明神(文京区湯島3丁目)の脇へ住んでいる絵師・石田竹仙の庭へ、瀕死の男が倒れこんでいた。
男は、竹仙の腕の中で、「武助に、やられた---と、十日のお盗めは、だめ----」と告げてこと切れた。
竹仙は、男の人相書を役宅へとどけたが、密偵たちも見覚えのない者であった。
鬼平がおもいついて、竹仙に自分の似顔絵を描かせると、上野山下の岡場所・提灯店のおよねが似た男をおもいだした。道灌山の貧乏寺〔天徳寺〕(架空)の僧・善達だった。
火盗改メが天徳寺へ向かった。

結末:善達坊を物置へ押し込め、住職を殺して、天徳寺を盗人宿代わりにしていたのは、善達の弟の越後生まれで、越後から岩代、信濃へかけてあらしまわっていた〔羽黒〕の九兵衛一味6名で、全員捕縛。その中に〔鳥坂〕の武助もいた。死罪。

つぶやき:「鳥坂山」を地元では(とっさかやま)と呼んでいるようだが、ここは池波さんのルビにしたがって〔鳥坂(とりさか)〕とした。

「羽黒」という地名は、新潟県下にいつくかある。
村上市羽黒町
西蒲原郡中之口村羽黒
北蒲原郡中条町羽黒
北蒲原郡笹神村羽黒
で、池波さんがらみで検討すると、『堀部安兵衛』の取材で新発田(しばた)市を訪れたときに知ったか、そのとき求めた地図からひろったか、取材に行く前にひろげた吉田東伍博士『大日本地名辞書』で読んだか、あたり---とすると、中条町羽黒がもっとも近いような気がするのだが、地元の鬼平ファンの方々のご意見を徴したいものである。

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鳥坂山麓の中条町と羽黒(明治20年の地図)

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2005.03.15

〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収められている[五月闇]で、火盗改メ・長官の鬼平の信頼の篤い密偵・伊三次を刺殺した、急ぎばたらきの盗賊。上信の2州から越後・越中へかけてが縄張り。
(参照:密偵・伊三次の項)

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年齢・容姿:上野山下の下谷2丁目の提灯店にある岡場所の女・およねの見立てだと37,8歳。
色白ですこし肥っている。胸に刃物の傷痕。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらごおり)暮坪(くれつぼ)村(現・新潟県五泉市暮坪)

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(越後国蒲原郡の暮坪の小里)

鬼平が活躍していた寛政期の家数は18だったというから、小さな貧しい郷だったにちがいない。
[五月闇]には伊佐蔵の生国は明かされていないが、文庫巻24の[二人五郎蔵]に登場している〔暮坪(くれつぼ)〕の新五郎が、伊佐蔵の実の弟とあるので、「暮坪」生まれと見た。
(参照: 〔暮坪〕の新五郎の項)

探索の発端:下谷2丁目の提灯店の私娼家〔みよしや〕のおよねの客になったことから、伊佐蔵のことが伊三次に告げられ、伊三次から鬼平へ報告された。
しかし伊三次は、自分と伊佐蔵のかかわりあいは、死の直前まで、鬼平に打ち明けることができなかった。
〔みよしや〕に網が張られた。そして、伊佐蔵が現れた。

結末: 現れた伊佐蔵を、〔みよしや〕で待ちぶせていた〔大滝〕の五郎蔵が追ったものの、すんでのところで逃げられそうになった摩利支天横丁へ、運よく入ってきた鬼平が、捕まえた。火あぶりの刑。

つぶやき:この篇の読み手の関心は、伊佐蔵のことより、殺された伊三次へ集中する。周囲を明るく、骨惜しみをしない伊三次の密偵ぶりに惜しみない声援を送ってきたからである。
鬼平も、やることなすことがいちいちつぼにはまってきたと、その働きぶりを高く評価していた。

しかし、池波さんによると、行きがかり上、伊三次はどうでも死なねばならなかったのだと。その理由(わけ)は、伊佐蔵の妻と通じて駆け落ちし、その果てに彼女を殺した罪を、池波さんが許せなかったからかも。
それはいいとして、伊三次の死後、伊三次のような根あかでしっかり者のキャラクターはついに創られなかったのは、どうしてだったのだろう。

「暮坪」という地名は、羽前(うぜん)国田川郡(たがわごおり)温海(あつみ)村(現・山形県西田川郡温海町五十川(いらかわ))にもあった。吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治33年-)は、こう記している。「暮坪(クレツボ) 今温海村の管内にて、駅路に由り、五十川に至る間也○風土略記云、暮坪村は海辺也。立岩とて数十丈高き岩岨あり、上に諸木繁れり、四方に登るべき便見えず(後略)」
しかし、〔強矢〕のテリトリーが上信2州と越中越後とあるので、越後説をとった。

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2005.01.20

〔馬越(まごし)〕の仁兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻8に入っている[用人棒]で、高木軍兵衛をたぶらかして味噌問屋〔佐野倉〕へ押し入ろうとした盗人。

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年齢・容姿:五十男。愛嬌のいい微笑をたえずうかべている。
生国:越後国三島郡黒川村馬越(現・新潟県長岡市与板町馬越)

探索の発端:肥前・唐津藩をしくじり江戸へ上府、深川の味噌問屋〔佐野倉〕の用心棒の口にありついた高木軍兵衛(35歳)は、身の丈6尺(1.8メートル)強、頬から顎へかけての立派な鬚で、いかにも豪傑風の外見ながら、ヤットウのほうはさっぱり。
その高木軍兵衛、須崎弁天社の境内茶屋で、不逞な浪人3人にいいようにいじめられたところを、15年ほど前につき合っていた〔馬越〕の仁兵衛に見られ、適当なつくりばなしで、〔佐野倉〕をごまかしてもらう。


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洲崎弁天社(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

その代わりに、〔馬越〕一味が〔佐野倉〕へ押し込む仲間へ引きずりこまれてしまうハメとなった。
食いつめ浪人のふりをしている鬼平の強さを目にした軍兵衛、助っ人を頼み込む。そして2人で、〔馬越〕一味の来襲を待ちかまえた。

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『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊より)池波さんが借用した〔佐野倉〕の屋号。右手の〔乳熊〕は当シリーズ第1話[唖の十蔵]で〔野槌〕の弥平がやっている料理屋〔乳熊屋〕に借りられている。

結末:軍兵衛が手引きしてくれるものと信じきって先頭に立って〔佐野倉〕へ押し込んできた〔馬越〕の仁兵衛は、鬼平(仮名・木村平九郎)に、一刀のもとに斬り殺されてしまい、一味も捕縛された。
が、すべての手柄を軍兵衛にゆずっておいて、鬼平は姿を消した。

つぶやき:〔馬越〕の仁兵衛を越後の馬越村の出身としたが、口の達者なところは、北陸の人に見えない。
が、昭和30年(1955)、黒川村(字馬越)などをとりこんだ与板町は、長岡市の北西に接している。長岡市は山本五十六元帥の出身地でもあり、熱弁宰相・田中角栄氏の地盤でもあった。中には〔馬越〕の仁兵衛のように、口のまわりのいいのも出てこよう。

そうそう、池波さんには、幕末、長岡藩の家老をつとめた人---[悲劇の英雄 河井継之助](講談社文庫『若き獅子』に[悲劇の英雄]の題名で収録)という好短篇もある。

このあたり、中越地震の震源地に近い馬越島はどうだったのだろう? 一日も早い復興を祈念しよう。

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