〔戸祭(とまつり)〕の九助
『鬼平犯科帳』文庫巻24に収録されている[二人五郎蔵]に顔を見せている盗人。はじめは〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵の配下だったが、伊佐蔵が火あぶりの刑に処せられたあと、伊佐蔵の弟の〔暮坪(くれつぼ)〕の新五郎の配下となる。
(参照 : 〔強矢〕の伊佐蔵の項)
年齢・容姿:中年。小肥り。鼻の下に大きな黒子(ほくろ)がある。
生国:下野(しもつけ)国河内郡(かわちごおり)戸祭(とまつり)村(現・栃木県宇都宮市戸祭)。
(下野国宇都宮城下の真北の戸祭村 日光街道ぞい)
探索の発端:女密偵おまさの手引きで密偵となったお糸の初仕事---筋違御門外でお糸に見かけられて尾行され、千駄ヶ谷の百姓家へ入ったところまで確かめられた。
一方、〔大滝〕の五郎蔵が、神田・旅籠町の菓子舗〔桔梗屋〕に引きこみに入っている〔長尻〕のお兼を認めた。
お兼を見張っていると、御成道の黒門町のあたりで、すれ違った〔戸祭〕の九助がかすかにうなづいたのを、五郎蔵は見逃さなかった。
〔暮坪〕一味の、〔桔梗屋〕への押し入りは今夜と知れた。
結末:菓子舗〔桔梗屋〕へ押し入りかけた〔暮坪〕一味は、待ちかまえていた火盗改メに全員逮捕。首魁の新五郎は火あぶりの刑。九助らは死罪。
つぶやき:池波さんが、〔戸祭(とまつり)〕という風雅でいわくありげな地名に目をつけたのは、博徒ものの取材で下野地方を取材して見つけたともおもえないこともない。が、吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治33年-)の、以下の記述に目をとめたからとも推察する。
「戸祭(ト マツリ) 今宇都宮の西北郊の里名なるも、割けて一部は市中、一部は国本村へ編入す(中略)。宇都宮の庶流に、戸祭氏あり、天正十七年(1589)、戸祭備中は、多気城へ拠り、北条勢を拒ぎたり」
付記:奈良博多さんからの「戸祭」の土地についてのリポート。
1、「戸祭」の地名の由来
由来に関しては、諸説があるが、代表的なものをあげると、
①「土」の「祭」「土祭」が、転訛し「戸祭」となった
②宇都宮氏の一族、戸祭備中守高定の領地であったため。
③宇都宮築城に際し、各家々の戸神を祭って、城(村)の繁栄を祈願したため
現在の地名の付く地域の広さからと、他の地方に無い地名であることから、 ②の説が有力であろう。
2、地形的な事実
現在、「戸祭」が付く地域(例、戸祭元町等)は、二荒山神社から北に続く丘陵地帯の西側で、 釜川に沿った平地である。
ここは、東の丘陵地帯には、古墳や、洞穴住居等の遺跡があることからも、古代より人々が集う地域であった。したがって、農業にも適していたと考えられる。
江戸時代にも、 大きな庄屋が南北に一軒ずつあったことから、豊穣な土地であったと推察できる。
また、日光杉並木の始めでもある。江戸時代には、杉並木の間に緑の田畑が広がる光景が みられたのではないだろうか。
昭和の後半まで、田畑がそこかしこに見られていた。平成の現在でも、少ないが田畑は残っている。
3、歴史的な事件
まず、平蔵の任期中の1787年~1795年に中年である
<戸祭>の九助に関する調査なので、 1790年頃に、
30から40歳と仮定した場合、宇都宮の歴史において、1750年以降の状況を調査すれば良い。
歴史上の事件として、当該年代にあったことは、
①宝暦3年(1753年)「籾摺り騒動」が発生した。
これは、戸田氏に替わって、島原藩から移封されてきた松平氏が、藩財政再建のために、 年貢米の籾摺りの割合を変更し、2割の増税をしようとしたために起きた農民一揆で、 市内4箇所で一斉蜂起し、一部が宇都宮城に迫る大規模なものだった。
また、醸造業も商い、繁栄していた戸祭の庄屋も、一揆衆に襲われた。
この一揆は、二日ほどで平定されたが、首謀者の
一人鈴木源之丞だけは、抵抗した後、捕らえられ、
日光の僧侶の助命嘆願の使いが表門に届く前に、
処刑場に向かうため出た城門(裏門)を振り返り、
その門を「処刑された後で、必ず流してやる。」というようなことばを残した。
(この件は、②の洪水の後からの創作ではないかと個人的には思う)
②宝暦7年(1757年)、明和元年(1764年)、に宇都宮が洪水に襲われた。
どちらも市街地が冠水する洪水だったそうだが、明和の洪水は城門が流されそうになるほどで、400人を超える犠牲者がでたと記録されている。
(これらの洪水は、当時、籾摺り騒動で処刑された庄屋の鈴木源之丞のたたりと思われたらしく、源之丞を供養する碑がこの後建てられ、現存している。)
4、<戸祭>の九助に関する考察
前回は、名前を考慮していなかったことを反省し、「九助」という名前に拘ってみる。
「九」ということは、単純に考えると、「九男」であろう。子沢山は農家に多い。
ここで、洪水である。
洪水でも、実家が無事であったとするならば、
食い扶持を減らすために、子供を外に働きに出したと考えられ、働きにでた子供が、いつしか悪の道に入ることはよくあるお話か。
または、洪水で家族が犠牲になり、生活のため、盗人家業に踏み入ったか?
最後に、ほとんど可能性は無いが、戸祭備中守の子孫というのはいかがだろうか?
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コメント
「戸祭」---書き手・ちゅうすけさんの文にあるように、たしかに[風雅でいわくありげな地名]です。
戸祭氏という武将の氏姓によっているとのことですが、その氏姓は、地名からつけられたものなのか、あるいは何かの職業---たとえば、祭司をつかさどっていたとか---からきたものなのでしようか?
投稿: 文くばり丈太 | 2005.03.15 09:09
私のブログを見ていただいてありがとうございます。
看護学校の面接で今まで印象に残った本を
「鬼平犯科帳」と答えて合格したまゆぞうと
もうします。
鬼平ファンのブログがあることも知り
感動です。
盗人サイドの鬼平へのアプローチ,私は
考えたことがなかったんですが,いいですねえ。
じっくり読ませていただきます。
ちなみに私のハンドルネーム”まゆぞう”は
感じでかくと”まゆ蔵”です。
ふふふ
投稿: まゆぞう | 2005.03.15 09:36
>まゆぞうさん
ようこそ。
まゆぞうさんの日記スタイルのブログと異なり、こちらは、著書にまとめるための下書きみたいなもので、すみません。
まあ、『鬼平犯科帳』は文庫だけでも2,290万部(昨年11月末現在)売れており、それだけファンの方もおおいので、ひとりぐらい、盗人の側を調べてもいいのではないかとおもい、始めました。
それというのも、全国にいらっしゃる鬼平ファンの方が、盗人の生国にことよせて、それぞれの土地の情報をお寄せくだされば、おのずからしっかりした著作ができると、虫のいいことも狙っています。
が、ほんとうは、盗人の生国は、池波さんが興味を抱いていた土地でもあります。静岡県や滋賀県、三重県などの出身の盗人が多いのは、家康や信長、それに甲賀の忍者に強い関心があったからでしよう。
ということで、盗人の生国を調べることは、池波文学論をやることでもあると、考えてもいるのです。
今後とも、よろしく、ご指導ください。
投稿: ちゅうすけ | 2005.03.15 17:00
既に先生がご指摘のことかも知れませんが、文庫14の[さむらい松五郎]P.237に「威得寺は、木村忠吾の家の菩提所で、木村家の墓のうしろ、伊三次の墓標が立っている」とありますが、文庫24[ふたり五郎蔵]ではP.58に「いまの伊三次は、木村忠吾の菩提所でもある目黒・感得寺の墓の下に眠っている」とあります。
尾張屋版の切絵図では威得寺ですが、近江屋版では威徳寺となってます。
池波さんは威得寺と感徳寺と二つの名前を使っていますが切絵図の読み違いだったのでしょうか。
髪結いの五郎蔵の出を越中の井波にしてますが、池波さんの父方の出は確か井波でした。
髪結いの五郎蔵の新しい名前を平太郎にしましたが、これは平蔵と正太郎からのネーミングですね。
投稿: 靖酔 | 2005.03.16 08:22
>靖酔さん
まず、威得寺と感徳寺ですが、文庫巻2から16まですなわち、[蛇の眼]から[影法師]までは威得寺、巻18から24すなわち、[俄か雨]から[ふたり五郎蔵]は感徳寺です。
なぜ、変わったのかは、不明です。
近江屋板の目黒図には、威得寺も感徳寺も載っていません。
尾張屋板は、威得寺。
で、考えられるのは、池波さんは、近江屋板は目黒近辺が弱いことを知っていたので、[蛇の眼]を執筆するときにかぎって、尾張屋板の「白金・目黒」を見たということ。
それで、威得寺を記憶していたが、[俄か雨]のときに切絵図を確かめることなく、感徳寺と書いてしまい、以後、そのように記憶した。
ちなみに、威得寺は明治20年に廃寺となり、白金台3丁目の瑞聖寺へ引きつがれました。
投稿: ちゅうすけ | 2005.03.16 16:41
戸祭はアイヌ語地名ではないでしょうか?
もともと宇都宮市は、河内郡だったことでもわかるように、畿内の河内の国、つまり物部氏の子孫が移り住んだ郡(こおり)だと思われます。だとしたら、戸祭は、もしかして、アイヌ語のトマム(沼、湿地)という言葉と関係があるのではないでしょうか?(しかし、全然はずれかもしれませんが。(笑))
投稿: 鵺 | 2008.01.29 22:14