〔戸祭(とまつり)〕の九助(きゅうすけ)(6)
「畑仕事が暇に時期には、百姓や水呑みは、大谷石(おおやいし)の切り出しにでると聞いたが---?」
轡(くつわ)をならべて宇都宮へ向かいながら、平蔵(へいぞう 33歳)が、郡(こおり)奉行所の代官見習い・羽太(はぶと)金吾(きんご 22歳)に語りかけた。
「石を切出ししているのは、大谷寺のある荒針(あれはり)村のほかには、その子(ね 北)つながりの岩原村と新里(にっさと)とですが、岩切り人全部が切り出しにあたるとはかぎりません」
「ほう---?」
「江戸や上方の問屋へご機嫌うかがいを兼ねて売りこみにいく者もあります」
「その旅の費(つい)えは---?」
「岩切り人仲間が持ちます」
「岩切り人仲間---のう」
岩切り人たちの組合のようなものであろうと、平蔵は理解した。
「戸祭(とまつり)村の九助(きゅうすけ)も、岩切り人仲間に入っていたろうか?」
「仲間に組みしていない者は、村では生きていけませぬ」
大谷寺の近くまで帰ってきた平蔵は、岩切り人仲間の世話役の名前を訊かせた。
九助が入っていたのは、岩原村ので、世話人は宇蔵(うぞう 42歳)とわかった。
切り出し現場まで呼びにやると、宇蔵はいぶかしげに戻ってきたが、羽太心得を認めると、とたんに腰を低くした。
「こちらは、ご在府の殿さまのご用で江戸からくだってみえた長谷川どのである。お尋ねのことには、ありていにお応えするように」
平蔵が、戸祭村の岩切り人であった九助は、売りこみに出ていたかと訊くと、
「はい。江戸から小田原までの問屋を受けもっておりました」
九助の旅の費えの書付けやら受けとり控えなどがのこっていたら、のこらず、今夕までに、下本陣へ持参するようにいいつけた。
本陣・篠崎伝右衛門方の門で馬を返しがてら、
「七ッ半(午後5時)までには、先刻の岩原村の世話人がいいつけたものをとどけてこよう。確かめがてら、一献、さしあげたいが---」
羽太心得は、一も二もなく、承(う)けた。
下級藩士たちは、そうとうに家計をきりつめさせられ、酒も満足には呑んでいない様子がうかがえた。
本陣で、羽太金吾と酌(く)みかわしていると、別の部屋で受けとりを調べていた松造(まつぞう 27歳)が、いくつかの紙片を手に入ってきた。
「ご苦労であった。ま、一杯やってから話すがよい」
金吾の酌を受け、
「殿、妙です。村抜けの3年前から、江戸での宿を、森川追分の〔越後屋〕にとっております」
「中山道口だな。日光街道からの安旅籠だと、小塚原か三味線堀あたりにとりそうなものだが--」
江戸の地理に不案内な金吾に、松造がかんたんな道筋を描いて説明した。
「中山道をよくつかう誰かと、〔越後屋〕で会っていたのやもしれぬ。帰府したらすぐに調べてみよう」
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