カテゴリー「145千浪」の記事

2010.08.21

〔銀波楼〕の女将・小浪(3)

午餐(ひる)を食べていってくれ、と〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 30歳)と小浪(こなみ 38歳)が口をそろえてすすめるので、好意に甘えることにした。

「日没までは盃を手にしないことにきめている」
平蔵(へいぞう 32歳)の言葉に、いささか気ぬけした面持ちですすめたのが、すずめのたたき煮だんごであった。
口の中でくずれるようにほどけ、鳥とはおもえない香ばしさがひろがった。

「初めて口にした味。舌が驚いておる」
「これやったら、お向いの〔金浪楼〕はんに負けてェしまへんどっしゃろ?」

〔金浪楼〕への対抗意識は、いまは帳場をすっかり小浪にゆずって隠居をきめこんでいる先代の女将・お(ちょう 59歳)以来の執念であった。
もっとも、〔金浪楼〕は江都高名料亭番付の上位をとっているから、すずめのたたき煮だんごぐらいでその牙城がくずせるものではない。

参照】2008年10月24日[うさぎ人(ひと)・小浪] (

隣の膳で箸をつかっている今助に、
「毎日、このような珍味を口にできて、幸せだな」
「とんでもねえ。朝昼晩、お茶づけに毛がはえたほどのお膳でやす」
苦笑いが返ってきた。

「料亭のご主人はんが、こないなぜいたく料理を三度さんど口にしてはったら、料亭はやってェいけしまへん」
齢上女房は、けろりとしたものであった。

「そやそや、長谷川はん。〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 61歳)はんが江戸くだりしてはるのん、ご存じどすか?」
平蔵はしらなかった。

いまは、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 57歳)の継妻のかたちでおさまっているお(しず 29歳)の父・金兵衛(きんべえ 60歳)が歿したので、その後始末に下ってきているのだという。
飛脚便で事情を報せたのは、もちろん、小浪であった。、

金兵衛は、深川の東の平井新田(現・江東区東陽町2~5丁目)の漁師であったが、むすめのおが〔狐火〕の世話になって京都へ移ってからは、その仕送りで独り暮らしをしていた。

「宿は--?」
「いつもの、通旅篭町菊新道(きくじんみち)の〔山科屋〕はんどす」

参照】2008年5月28日~[〔瀬戸川〕の源七] () () () (
2009年8月1日~[お竜の葬儀] () (2) (

「女将どの。相すまぬが、源七どのに、数日のうちの夕刻でも、ここで会える手くばりを願えまいか?」
請けたのは今助であった。
「合点でさあ。日にちの案が出たら、お屋敷へお知らせしやす」


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2010.08.20

〔銀波楼〕の女将・小浪(2)

「その〔船影ふなかげ)〕一味の孫八とやら、ひと仕事の分け前を手に、江戸へでも白粉の匂いをかぎにでてきたのだろろ」
平蔵(へいぞう 32歳)の推測に、うなずいた小浪(こなみ 38歳)が、
「ひと仕事---いうたら?」

「上野(かずさ)の高崎城下---」
長谷川さまは、上野にまで手ェだしてはりますのん?」
「そうではない。今日の話の主(ぬし)は、〔蓮沼はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ )だ」

蓮沼〕だけがしっている内緒ごとが、どうして〔船影〕一味の者に伝わったのか、そこの筋が読めない---というと、小浪は笑って、
長谷川さまほどのお方が、口合人(くちあいにん)をご存じやおへんの、信じられしまへん」

口合人とは、間口を盗人だけにかぎってあつかう口入れ屋のことである。

ニョーヨークできいたところでは、広告のクリエイターだけを専門のしているパーソナル・エージェンシーというのがあり、たとえばAコピーライターをB社に口利きすると、B社からAの給与1年分相当額を紹介料として受けとるとか。
1年分を高いとみるかどうかは、B社が独自に求人した場合の、新聞広告料、高給を得ている幹部社員数人の面接・選考時間などについやされた目に見えない金額をどうかんがえるかによる、といわれた。

もっとも、パーソナル・エージェンシーは紹介手数料でなりたっているので、紹介したAクリエイターを3年もするとC社へ転じさせるようなあこぎなこともやるらしい。

「江戸で実績の高い口合人というと---?」
「仁義いうのんがおます。なんぼ長谷川さまやかて、名ァはお教えできしまへん」
小浪は、相変わらず口が硬い。それに相変わらず美しい」
小浪は睨んでから、夫の今助(いますけ 30歳)に、いまさらのような流し目をおくった。

受けとめて、
「仲間うちの仁義もあろうが、江戸に何人ほど口合人がいるかぐらいのことは、長谷川さまへ洩らしても、仁義をやぶったことにはなるまい?」

うなずいた小浪は指折って、
「かかりきりのお人が3人。片手間仕事でやってはるのが4人ほど---」
「片手間仕事というと---?」
「嘗(な)め役も兼ねてはるんどす」
「かかりきりの口合人のところには、日に何人ほどの頼み人(にん)が出入りしておるとみればいいかな?」
「盗(つと)め口頼みが3人から5人。受け手ェの側が---ひと口かふた口」

平蔵は、盗人仲間の風聞が江戸から伝わっていくのは3日もあれば高崎や大月、小田原、宇都宮へ達するとふんだ。

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2010.08.19

〔銀波楼〕の女将・小浪

それから10数日後の九ッ半(午前9時半)。

非番の日に平蔵(へいぞう 32歳)は、浅草・今戸橋の料亭〔銀波楼〕に、女将の小浪(こなみ 38歳)を訪ねた。

浅草・今戸・橋場をとりしきっている香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 30歳)ともども、待っていてくれた。

_100手なれたあいさつを交わし終えると、さっそくに切りだした。
「なにか、長い耳にはいりましたか?」
小浪が首をふった。
「やっぱり---」
ととのった京美人ふうのところは、大年増になっても失われるどころか、いよいよ濃艶さをましていた。(歌麿 イメージ)

小浪は、御厩河岸の舟着き前で茶店の女将をやりながら、〔狐火きつねび)〕〔の勇五郎(ゆうごろう 57歳)一味のうさぎ人(にん)を勤めていた。

店を火盗改メの隠し拠点にゆずり、〔不入斗(いりやまず)〕のお(のぶ 36歳)が女将になっている経緯(いきさつ)は、5年前の〔神崎(かんざき)の伊之松(いのまつ 50歳=当時)に記した。

参照】2009年6月25日~[〔神崎(かんざき)の伊之松] () () () (

小浪については、〔狐火〕の勇五郎から、お役にたつことがあったら、いつでも使ってくれといわれていた。

2008年10月23日~[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)

長谷川さま。〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ 50すぎ)お頭の風評(うわさ)でのうてもよろしゅおすか?」

平蔵とすれば、深川・高橋(たかばし)近くの小料理〔蓮の葉〕で、火盗改メ・土屋組(先手・弓の7番手)の同心・多田伴蔵(ばんぞう 41歳)と打ちあわせたことが、女将・お蓮(はす 31歳)の口から〔蓮沼〕のに伝えられ、盗賊たちのあいだでどのようなさざ波がたつかを知りたかったのである。

【参照】2010年2月11日~[〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛] () () () () () () () (

つまりは、盗賊組織の伝達網を試してみるためりに投じた一石であった。

「かまわぬ。話してくれ」

小浪によると、3日前の昼どきの2人づれの客のことであった。
座敷にあいさつにで、その一人が〔馴馬なれうま)〕の三蔵(さんぞう 40歳すぎ)という、左官あがりのひとり働きの盗人(つとめにん)とわかった。

かつて、〔狐火〕が東海道の藤枝で仕事をしたときに助(す)けにきたので顔をしっていた。
「〔馴馬〕の三蔵---?」
「はい。.常陸(ひたち)国稲敷郡(いなしきこおり)の馴馬村(現・茨城県竜ヶ崎市馴馬町)の生まれやら、いうてはりいましたんえ」
「もう一人は---?」
粂八どん---と呼ばれてはまりしたけど、引きあわされしまへかったよって、通り名のほうまでは---」
「いや、かまわぬ。で、〔馴馬〕がどうした---?」

小浪があいさつをすますと、席をはずすように三蔵が目顔でうながしたので部屋をで、廊下で聞き耳をたてたら、
「〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(ちゅうべえ 30代半ば)どんのとこの孫八どんから仕込んだのだが---」
---まで聞きとれた。

「ふーむ」
「「長谷川さま。〔船影〕の忠治(ちゅうじ 60がらみ)お頭はんは、江戸では盗(おつとめ)してやおへんと聞いてましたよって---うちの耳まちがいかもしれしまへん」

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2008.10.29

〔うさぎ人(にん)〕・小浪(7)

小浪(こなみ 29歳)が〔狐火きつねび)〕に加わった経緯(いきさつ)というのは、ちょっと変わっていましてね」
狐火〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳 初代)は、忠助がおぎなった新しい付きだしのそら豆の塩ゆでを一つつまみ、皮を飯台に置いてから話しはじめた。

6年前のことというから、宝暦12年(1762)、小浪は23歳の年増ざかり、勇五郎は42歳で脂がのりきってい、盗(おつと)めがおもしろいように運んでいた時期である。
浜松の銘酒〔天女の水〕の醸造元へ押しこんで、全員を縛りあげて一ヶ所へあつめた中に、小浪がいた。

_120配下のひとりが、耳元でささやいた。
「美形がいます」
勇五郎があらために行くと、おんなは縛られたまま、
「お頭ですか? しつけが手ぬるいですねえ」
と話しかけた。
「お前さんの内股でもさわった者(の)がいたかい?」
「ふん」
おんなは横をむいてしまった。

しかし、後ろ手にまわされている手の指を、勇五郎にだけ見えるように、おいでおいでをした。

引きあげるとき、配下たちがひとりずつ胸の下の急所につきをいれて気絶させるのだが、小浪だけはのこすように、〔瀬戸川せとがわ)の源七(げんしち 46歳=当時)にそっと指示しておいた。
小浪をのぞく全員が気絶したのをみとどけて、
「何が言いたい?」
と問いかけると、
「城下の町奉行所のお調べがおわる---そう、10日後の暮れ六ッ(午後6時)に舞坂宿(しゅく)の旅籠〔めうがや〕に、小頭ともども、小浪といっていらっしゃって---」
それだけつぶやいて、気絶したふりをして倒れた。

指定された日の昼すぎから、配下の気のきいたのの4,5人に〔めうがや〕のまわりを見張らせておき、捕り方がいないことをたしかめた上で、勇五郎源七小浪を呼び出した。
「すまないが、新居(あらい)宿までの舟の上で聞かせてもらう」
小浪はすなおに応じた。

「みなさん、言葉にそれぞれ、なまりがありすぎます。あれでは、押しこみ先に耳のいいのがいたら、何人かの出身がしれてしまいます。それぞれ、生国が発覚(ば)れないように、なまりをとりのぞくことが肝心です。それと、言葉をつかわないでも指令がとおるようにしないと---」
「お前さん、どちらの---?」
「北河内の〔堂ヶ原(どうがはら)〕のお頭のあと、〔帯川おびかわ)〕の源助(げんすけ 57歳=当時)お頭の下で3年、修行させてもらいました」
「おお、伊那のお方と聞いている、あの〔帯川〕のお頭の---」
「はい。2年前に一味をお解きになったので、いまは独り盗(ばたら)きです」
「あの醸造元へも?」
「ですが、そちらさんにさらわれてしまって---」
「悪かった。で、どうだろう、うちの配下たちのお国なまりを矯正してもらえるかな?」
「それには、別のお人がいましょう。あたしは〔うさぎ〕なら---」

_130長谷川さま。小浪もお(りょう)も、ともに美形です」
「認めます」
「どちらも、賢い。しかも、芯がつよい。が、こころねは、まるで異なります」
「はあ---?」
小浪は、おのが美形を存分に遣いこなすこころえがあります」
「おどのは?」
「美形を、まったく、意に介しておりません」
「---?」
「おなごには、きわめて珍しいことです。それだけに、こころねが真っすぐです。だから、ものごとがよく見えます」
「お逢いするのが、ますます、たのしみになってきました」

そろそろ、酒客のくる時刻になったらしく、忠助があいさつをして、板場へ引っこんだ。

銕三郎も潮時とみて、
「(狐火)のお頭。ついでのときに、〔蓑火〕のお頭へお伝えください。向島の料亭〔平岩〕へ押し入るのは、おやめなさったほうがお身の安全と。捕り方が手ぐすねをひいて、押しこみを待っております」
勇五郎の眼の光がまして、銕三郎を見つめた。


[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (6) 

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2008.10.28

〔うさぎ人(にん)〕・小浪(6)

主要な用件が無事におわり、気がゆるんだのか、〔狐火きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳 初代)と、〔瀬戸川せとがわ)〕の源七(げんしち 52歳)には、酒がほどよくまわっていた。

本所・四ッ目の通りに近い〔盗人酒屋〕である。

銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)は、もともとはたしなまなかったのだが、付きあう者たちのこともあり、このところ腕がややあがってきたとはいえ、だいじな場ではひかえている。
だから、さほどには呑んでいない。
たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 46歳)は、これから店をやらなければならないので、酌をするばかりで、杯には手をふれもしていない。

話題が一段落したところで、銕三郎が〔狐火〕に問いかけた。
「お頭は、京都が本宅でしたね?」
勇五郎は、機嫌よく、
「さようですが---?」
「もし、よろしければ、京・荒神口で太物(木綿の着物)の店をだしていた〔荒神こうじん)〕の助太郎(すけたろう  49歳)という仁の、その後をご存じでしたら、お教えください」
「〔荒神」のが、どうかしましたか?」

「あの仁の、箱根の関所抜けを手伝ったために、職をうしなった知り合いがおりまして---」
「なんと。助太郎どん、関所抜けまでやりましたか。あは、ははは---」

参照】[於嘉根(おかね)という名の女の子] (1) (2)
[荒神(こうじん)の助太郎] (8) (9) (10)

「いまの住まいをご存じですか?」
「御所の東の荒神口ではないのですか?」
「店は抜け殻同然になっているのです」

源七どん。なにか耳にしているかな?」
「いいえ。一向に---」
どうやら、虚言をつかっている気配でもない。
「三島か沼津のあたりに別宅を構えているという噂はお聞きになっていませんか?」
「はて---」
銕三郎は、脈なし、とふんであきらめた。

長谷川さまは、なにゆえに、〔荒神〕ののことを?」
逆に、〔狐火〕のほうが訊きかえしてきた。
「〔中畑(なかばたけ)のお(りょう 29歳)どのがらみでおもいだしたものですから---」
「これは聞き捨てにできませんな。おがらみといいますと---?」
しばらくためらってから、銕三郎が答えた。
賀茂(かも 27,8歳=当時)というおんなおとこ(女男)に、ややを孕ませたらしいと聞いたもので---」
ぷっ、とむせた勇五郎が、
「失礼。おんなおとこにややを孕ませたというので、つい---で、そのややは、男の子、それとも---」
「そこまでは---」
「いや、他人ごとと笑ってはいけません。手前もおに産ませておりますからな。〔荒神〕のが知ったら、齢甲斐もなく---と笑っておるかも---」

ちゅうすけ注】ご推察のとおり、、〔荒神〕の助太郎賀茂に産ませた女の子が、のちに、2代目を襲名した〔荒神〕のおなつ)である。おは、おまさが忘れられなくて、未完[誘拐]で、おまさを攫(さら)わせた。このブログは、おまさの無事の救出をもって終わる予定である。20数年先の話なので、ゆっくりとすすめている。

「おどのには、ありえないと?」
訊きかえした銕三郎に、忠助が、2階への階段を気にしながら、
っつぁん。お頭の中には、ご存じの〔法楽寺ほうらくじ)の直右衛門(なおえもん 42歳)お頭のように、配下のおなごの躰を熟させて、おもうように操るお人も少なくはありません。しかし、〔狐火〕のお頭と〔蓑火〕のお頭、それに〔乙畑おつばた)のお頭は、それをなさらないということで、仲間内でとおっております」
(つまり、おは、囲われているだけで、盗みの道はしこまれていないということか)

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻4[血闘]で、天明8年(1788)10月の初旬、30歳をすぎたおまさが10数年ぶりに火盗改メ・本役に任じられたばかりの平蔵宣以(43歳)を訪ねてき、「密偵」になることを申しでる。そのとき、おまさが属していたのは〔乙畑〕の源八(げんぱち)一味であった。が、じつは、これは2度目のお勤めで、おまさは17歳のときに父・忠助と死別するのだが、遺言のようなかたちで、「お前が盗みの道にはいるなら、おれやお(こん)さんとのかかわりから〔法楽寺〕のお頭の配下ということだろうが、躰を自由にされるのが嫌なら、〔乙畑〕のお頭のほうににつくんだ」と言いのこしたために、おまさは、最初のお頭として源八を頼った。

「お頭。おさしつかえなかったら、もう一つ---」
「なんですかな?」
小浪(こなみ 29歳)どのが、一味に加わった経緯(いきさつ)を---」


[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (7)

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2008.10.27

〔うさぎ人(にん)〕・小浪(5)

「もう一つの件とは?」
「〔蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 46歳)お頭へ、〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 59歳)元締の恨みがいかないように、元締を説き伏せていただきたいのです」

狐火きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳 初代)は、〔瀬戸川せとがわ)〕の源七(げんしち 52歳)が渡した切り餅(25両の包み)を銕三郎(てつさぶろう 23歳)の前へ押しやった。
「少ないですが、〔蓑火〕のと手前の、ほんのこころざしです。お受けください」

銕三郎は、手をふり、
「〔狐火〕のお頭。これはいけませぬ。親しくさせていただいていて、こういうことを申してはなにですが、父はお上からお役をいただいております。いわれのない金を受けとっては、父の職格に傷をつけることになります。この金がなくても、〔木賊〕の元締を説くことは、かなう、かなわないはともかく、やってみます。どうぞ、お下げください」

銕三郎は、懐紙をだし、切り餅にあてて押し返した。
懐紙は、金に手を触れてないというあかしである。
「なるほど。お父上の職格といわれるとひと言もございません。それでは、下げさせていただきます。たいへんに失礼を申しあげました。このことは、なかったことにしていただきますよう」
「ご承引(しょういん)くださり、かたじけのう---」
銕三郎が頭をさげると、〔狐火〕も飯台に額がつくほどに伏した。

狐火〕の勇五郎が、〔木賊〕の元締の説きふせに銕三郎をおもいついたのは、林造が御厩(おうまや)河岸で茶店をださしている小浪(こなみ)に漏らした銕三郎評によったのだそうである。
小浪が、長谷川銕三郎という若者が店へきたと寝ものがたりに名をだしたところ、林造は、小浪の太股を指でまさぐりながら、あの若者は、つつがなく伸びれば、将来の大器だ。お上のお役人の子にしては、珍しく私欲がなく、道理をわきまえていると言ったと。

_360
(栄里『婦美の清書』部分 小浪のイメージ)

さらには、あの若者が、お上の俸禄とりの家の嫡男でなければ、すぐにもうちに欲しい玉だ。あの男なら、〔木賊〕一家をりっぱにに束ねていける---と、べた惚れだったと。

あげくに、小浪に、
「あの若者の子を産んでくれれば、その子に〔銀波楼〕をゆずる」とも。

「とんでもない買いかぶりです。ただ、わが家は、父がまだ出仕するまえの冷や飯食いの時代に、知行地・上総(かずさ)国武射郡(むしゃこおり)寺崎(現・千葉県山武市)と山辺郡(やまべこおり)片貝(千葉県山武郡九十九里町)に、それぞれ100石と40石の新田を開き、家禄の400石を上まわる実収があります。しかも、父が先手・弓の8番手の組頭のお役料が1500石と、恵まれております。贅沢さえしなければ、生活の心配はありませぬ」

ちゅうすけ注】平蔵長谷川家の家禄は400石だが、実収は4公6民の幕府のしきたりにならって、4割が知行主・長谷川家のものだから、実収は160石前後。それにひきかえ、新田開発した150石は8割ちかくが長谷川家に入るから、家禄の石高よりも割りがいい。
なお、父・平蔵宣雄の先手組頭の役職1500石格も、実収の支給はその4割前後らしい。

_200「そうだそうですね。〔蓑火〕のところの小頭・〔五井(ごい)〕の内儀の縁者が、知行地の片貝にいたとか、わけがあったとか---」
「いや。もしかしたら、拙はそちらで生まれていたかもしれないのだそうです。はっ、ははは」
「はっ、ははは。小浪が言っておりましたよ。おんなたちがほおっておかないのだそうで---」
「それは、父の---」
と言いかけて、2年前のお(しず 18歳=当時)とのことをおもいだし、銕三郎は、あわてて、口をとざした。
狐火〕の勇五郎の前では、色恋のはなしは禁物であった。(歌麿『蚊帳の外の女』 お静のイーメージ)

参照】[お静という女](1) (2) (3) (4) (5)

[〔うさぎ人(にん)・小浪〕 (1) (2) (3) (4) (6) (7)


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2008.10.26

〔うさぎ人(にん)〕・小浪(4)

_100小浪(こなみ)さんが今助(いますけ)どんから聞きだしたところによると、〔蓑火みのひ)〕のお頭が放逐なさった、〔伊庭(いば)〕の紋蔵もんぞう)という男(の)が、〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう)と組んで、なにごとかたくらんでいるらしいのです」

狐火(きつねび)〕一味の番頭(ばんがしら)格・〔瀬戸川せとがわ)の源七(げんしち 52歳)が、説明役を買ってでていた。
お頭の勇五郎ゆうごろう 48歳)に、肴の茄子の早漬けを、ゆっくり味あわせるこころづかいからである。

Img_20060310t075252051小浪(29歳)は、浅草・今戸一帯をとりしきっている香具師(やし)の元締・〔木賊〕の林造(59歳)のものとなった代償に、御厩(おうまや)の渡し場前に、小粋な茶店を買ってもらった。(御厩河岸の渡し『江戸名所図会』 練り絵師:ちゅうすけ)

その〔木賊〕一家の若い者頭格・今助(21歳)をたらしこみ、寝床で一家の内情をしゃべらせている。

ちゅうすけ注】〔蓑火〕一味を追放れた〔伊庭〕の紋蔵(37歳)は、『鬼平犯科帳』文庫巻2[(くちなわ)の眼]p225 新装版p238で、60がらみの唐物商〔白玉堂〕の紋蔵として登場している。紋蔵が唐物屋となった経緯(いきさつ)は、あとで。

もちろん、〔狐火〕の勇五郎が期待していたのはそんなことではなかったが、小浪とすれば、勇五郎の盟友ともいうべき〔蓑火〕の喜之助(きのすけ 46歳)にかかわることだから、聞き出さないわけにはいかないとおもったのであろう。

そのことは、〔狐火〕から〔蓑火〕へ通じ、小頭の〔五井ごい)〕の亀吉(かめきち 30歳前後)と〔尻毛しっけ)の長助(ちょうすけ 24歳)が蕨(わらび)宿からつかわされてきたのであった。

両国橋の西詰で、久栄(ひさえ 16歳)といっしょだった銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)が2人を見かけたとき、2人は薬研堀北側に設けられた紋蔵の盗人宿の出入りを見張った帰りだったことは、あとでわかった。

参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (2) (3)
[大橋家の息女・久栄(ひさえ)] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

ついでに書いておくと、〔蓑火〕一味からは、4人が紋蔵についていたことが、このときの見張りで判明している。

「そういうわけで、〔蓑火〕のお頭はちゃんと手をおうちになっているのですが、できれば、〔木賊〕一家とはことを構えたくないからと、うちのお頭に相談なさっているのです」
「〔蓑火〕の喜之助どのも、江戸へ?」
「うちのお頭が江戸入りなさっているわけですから---」
「で、拙が呼ばれたのは?」
源七は、またも、勇五郎の顔を仰いだ。

勇五郎がうなずいて、茄子の浅漬けを飲み込んでから、
長谷川さまに、火盗改メのお役宅への投げ文(ぶふ)役をお引きうけいただきたいのです」
「投げ文役?」

じっさいは、銕三郎から、火盗改メの本役・本多采女紀品(のりただ)へ、〔伊庭〕の紋蔵一味の逮捕の出役をすすめてほしいというのだが、表向きは、投げ文があった形をとれば、〔木賊〕の林造の体面を傷つけることなく、たくらみを未然につぶせると考えらしい。

「拙が本多さまと---?」
長谷川さまは、ご自分が平塚の〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛(かんべえ 39歳)におっしゃったことを、よもや、お忘れではございますまい?」
(あっ、そういう繋がりもあるのか! しかし、この人びとの地下の連絡(つなぎ)の網目は、どうなっているのであろう? 恐しいばかりだ)

参照】[与詩(よし)を迎えに] (29) (37)
[明和4年(1767)の銕三郎 (9) (10)

たしかに、4年前、婚家をとびだした阿記(あき 21歳)をおどしにきた平塚宿の顔役・〔馬入〕の勘兵衛に、当時も火盗改メをしていた本多紀品の相談役と大きく出たことがあった。
そんなことまで、〔狐火〕の耳へ達していたとは---。
(そういえば、勇五郎は、妾の一人を小田原城下にお(きち)を囲っていたが、本妻の病死とともに、おとのあいだにできた〔又太郎とかいう男の子とともに京都へ移したと聞いたことがあった。とすると、お(しず 20歳)とややは、藤沢あたりに囲われており、こんどの入府は、そこからかもしれないな)

ちゅうすけ注】小田原城下のお又太郎のことは、『鬼平犯科帳』文庫巻6[狐火]p124 新装版p132

銕三郎は、承知するしかなかった。

「じつは、もう一つ、やっていただきたいことがあるのです」
狐火〕が言い、銕三郎に酌をした。


[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (5) (6) (7)

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2008.10.25

〔うさぎ人(にん)〕・小浪(3)

「おさんにわたりをおつけになろうとしているわけをお聞かせください」
狐火きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳 初代)に言われて、銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)は、 これまでの経緯(ゆくたて)を、隠すこととなく話した。

_100きっかけは、この〔盗人酒屋]の主(あるじ)の〔たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 47歳)から、〔蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 46歳)の人柄を聞いたとき、3人の小頭---〔大滝おおたき)〕の五郎蔵、〔五井ごい)〕の亀吉、〔尻毛しっけ)〕の長助(一本立ち後は長右衛門)と、2人の軍者(ぐんしゃ)---〔神畑(かばたけ)〕〕の田兵衛(でんべえ 41歳)と〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 29歳)がついていること。
はおんなおとこ(女男)で、男ぎらいらしいこと。(歌麿 お竜のイメージ)

参照】[〔蓑火(みのひ)のお頭] (2) (4) (6)
[大滝(おおたき)〕の五郎蔵 (1) (2)
参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1)  (2) (3) (4) (5)  (6) (7)  (8)

そこまで話したとき、板場から忠助が顔をだした。
それまで、遠慮していたが、どうやら、平穏に話がすすみそうだとみきわめて、酒と肴をはこんできて、3人に酌をし、そのまま、長身をかがめて座に加わった。
おまさは、2階で手習いにはげんでいる。
肴は、刻んだ茄子(なす)を塩もみしただけのを山椒醤油で食すもので、夏らしく、さっぱりし風味であった。

「茄子を山椒醤油---とは気がつかなかった。冷酒がすすみそうだ」
勇五郎がほめると相好をくずし、砂町(江東区北砂町)からいい実(み)がはいったのでと首をすくめた。

銕三郎は、おの生地---甲斐国八代郡(やつしろこおり)中畑(なかばたけ)村まで出かけて素性を聞きこみ、母親が武田方の軒猿(のきざる 忍びの者)の子孫であったこと、父親・木こりの猪兵衛の先祖も武田の通信網---山のろし小屋の番人を兼ねていたことがわかったことも告げた。

参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜] (7) (8)

_100_2
雑司ヶ谷の鬼子母神(きしもじん)脇の料理茶屋〔橘屋〕忠兵衛が父・平蔵宣雄のふるい友人であるので、家族3人で食事をしたとき、そこの女中から、おという、甲斐の中道ぞいの村生まれで、辞めた女中(の)がおんなおとこであったと聞いたことから、もしや、おの相方ではなかろうかと、その行方を捜していること---(歌麿 お勝のイメージ)

参照】[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] (7) (8)

(女中頭・お(えい 36歳)やお(ゆき 23歳)のことは、迷惑がおよんでは---と伏せた)

ざっと聞き終わった、勇五郎が、
「よくぞ、正直に話してくださいました。長谷川さまが、甲斐へのお旅の一件をおはぶきになっていたら、手前は長谷川さまを信じなくなるところでした」
脇の〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 52歳)が、安堵のうなずきをくりかえす。

「甲府勤番にまで、〔うさぎ〕がもぐりこんでいたとは---」
「あそこは、〔初鹿野はじかの)〕の音松(おとまつ 42歳)どんの地盤でしてな」
「睦んだこともない、おんなおとこのために、あやうく、命をおとすところでした。あは、ははは」
「おさんとは、いかな長谷川さまでも、睦めますまい。あは、ははは」

笑い終わると、銕三郎が言葉をつないだ。

去年の大晦日より、ことしの元旦と言ったほうがあたっているが、高輪の牛舎の松明牛さわぎと、神田鍋町の海苔問屋〔旭耀軒・岩附屋〕の盗難の件の関連は、火盗改メ方本役・本多采女紀品(のりただ 55歳 2000石)組も察してはいるが、その節におが使った海上の小舟から松明をつかって合図を継送したことまでは、まだ、調べがすすんでいないはずであること。
したがって、おには捜査の手がのびていない、と銕三郎が断言した。

参照】[〔蓑火(みのひ)〕のお頭 (5) (6) 

「山のろしの通信法など、おどのが会得している武田信玄公流の軍学について、いろいろ、質(ただ)してみたい---いや、教わりたい、それで、おどのを捜しているのです」
長谷川さまは、小舟による松明(たいまつ)の合図送りまで、見抜いておられましたか。〔狐火〕一味の軍者に、三顧の礼でお迎えしたいほどのものです。いや、冗談です。それでは手前が、長谷川さまをおさんにお引きわあせしてしんぜましょう」
「ほんとうですか?」
「はい。いま、おさんを、〔蓑火〕の喜之助どんから譲りうける話をすすめているところです。10日ほど、お待ちください」

銕三郎は、まるで安物の小説のように、ことがするすると運ぶのに、半分、あきれていた。
これまでの苦心が、まるで、悪夢を見ていたようでもあった。

神畑〕の田兵衛とのあいだが、ぎくしゃくしてきているらしい。

長谷川さま。おの件と、〔蓑火〕一味の小頭が香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 59歳)となにやらたくらんでいることとは、別ごとでございますよ」

参照】[〔尻毛(しりげ)の長右衛門] (1) (2)
〔五井(ごい)〕の亀吉 (1) (2)


[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (4) (5) (6) (7)

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2008.10.24

〔うさぎ人(にん)〕・小浪(2)

大盗・〔狐火きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳 初代)から、〔蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 46歳)一味と、おんなおとこ(女男)で軍師のお(りょう 29歳)のことを話しあおうと言われたばかりか、茶店〔小浪〕の女将・小浪(こなみ 29歳)が、〔狐火〕一味の{直(じき)うさぎ人〕の一人との暗示をうけた銕三郎(てつさぶろう 23歳)は、あまりのことに、しばらく、言葉がでなかった。

参照】茶店〔小浪〕の女将・小浪 (イ) (ロ) (ハ) (ニ) (ホ) (へ)

勇五郎は、ゆったりとかまえて、銕三郎の返事をまっている。
やっと、こころの準備ができた銕三郎が口にした言葉に、勇五郎は、声をあげて笑った。
「お頭。小浪は、〔木賊(とくさ)〕の若いのと、できておりますよ」
「それも、小浪の手練のうちです。あの女(こ)は、おのれの武器の効力の強さを、こころえすぎるほどこころえております」
「〔木賊〕の林造(りんぞう 59歳)のおんなになったのも、手管のうちですか?」

勇五郎がうなずいた。
長谷川さま。江戸の盛り場を縄張り(しま)にもっている香具師(やし)の元締のふところへあがりが大きく入ってくるのは、どことどことおふみになりますか?」
銕三郎が、浅草と両国広小路、上野広小路---をあげると、勇五郎が足した。
深川八幡宮の門前、音羽の護国寺の門前、芝の神明宮の門前、根津権現の門前、それに新宿と品川宿。

「金が舞うところには、いろいろな噂やおいしい話がころがっているものです。おいしい話といえば、美味しい料理屋もいいおんなもそろっています。お役人は、おいしい料理に目がありません。そこでもれこぼれたおいしい話を耳にしたおんなが話を金にかえます」
「〔雌(め)うさぎ人---」
「そうです。小浪は、そこに錘りをおろしました。自分は、ちょっと離れていて、魚が餌に食らいついてくるように仕掛けているんです」
「ほう---」
「ああいうところのおんなたちの弱みは、なんだとおおもいになりますか?」
「さあ---金かな」
「それもありますが、一番の餌は、男です。つぎに、美しくなること。金は、その次---」

小浪は、〔銀波楼〕の座敷女中にもぐりこんだ。
〔銀波楼〕は、林造の女房・お(ちょう 51歳)が、おなじ今戸にある高級料亭〔金波楼〕の向こうをはってやっている料理屋である。

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(今戸の料亭〔金波楼〕 『江戸買物独案内』)

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(今戸の料亭の夜景 小林清親)

真っ先に餌に食いついたのが、林造であった。
結果は、茶店〔小浪〕の開店である。
茶店には、なにかと、男たちが集まる。
引きあわせるのは、それほどの手間ではない。

いい男にばかりにめぐりあえるとはかぎらない。
その始末は、今助(いますけ 21歳)の手配で、〔木賊〕の若い者たちがつける。
おんなたちは、〔小浪〕から離れられなくなる。

銕三郎は、初めて、裏の世界をかいまみた気分になった。
(なか 34歳)が、みずから躰をよせてきたのも、あるいは、そういうことだったのかもしれない。

「それで---」
「おさんにわたりをおつけになろうとしているわけをお聞かせください」

[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (3) (4) (5) (6) (7)

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2008.10.23

〔うさぎ人(にん)〕・小浪

銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)は、じっと待っていた。

ひとつは、お(ゆき 23歳)が、岸井左馬之助(さまのすけ 23歳)とともに、〔蓑火みのひ)〕一味の引き込みとおもえるお(かつ 27歳)を見つけたと連絡してくるのを。

_200
(清長 お雪と左馬之助のイメージ)

参照】[〔橘屋〕のお雪] (1) (2) (3) (4) (5) (6)

参照】〔お勝(かつ)〕というおんな] (1) (2) (3) (4)

_100またのひとつは、〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 29歳)が、御厩(おうまや)河岸の茶店〔小浪〕の女将に、銕三郎と会ってもいいと言(こと)づけてくるのを。(歌麿 お竜のイメージ)

参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1)  (2) (3) (4) (5)  (6) (7)  (8)

さらには、そのことで、〔蓑火〕一味とつながりがあるらしい浅草・今戸一帯の香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 59歳)が、なにがしかの連絡をしてくるのを。
林造は、木刀遣いを若い衆に指導している井関録之助(ろくのすけ 19歳)を連絡(つなぎ)をつけるにちがいなかろう。

ところが、意外なことに、高杉道場銕三郎を訪ねてきたのは、〔盗人酒屋〕のおまさ(12歳)であった。
よほど急いできたらしい。額に汗がうかんでいた。
「お父(と)っつぁんが、店をあける前に、お運びいただきたいって---」
「よし。井戸端で稽古の汗を拭いたら、すぐにゆく。おまさもいっしょに汗を拭くか?」
「見たいのですか? 残念でした、まだ、久栄(ひさえ)お師匠(っしょ)さんほどには、ふくらんでません」
「なんの話だ?」
「とぼけて---」
「こいつ、師をからかうか---」

四ッ目の〔盗人酒場〕へ着いてみると、なんと〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳)と、その右腕・〔瀬戸川せとがわ)〕の源七(げんしち 52歳)であった。

参照】[〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七] (1) (2) (3) (4)

「あ、お頭。お久しゅう---」
長谷川さま。あいかわらず、ご達者のようで、なりよりです。お(しず 20歳)からもよろしゅうとのことでした」
「いや。その節は---」
「なに。あれが、女の子を産みましてな。わしにとっては初めてのおんなの子で、あれに似て、小町ぶりで、可愛ゆうて、可愛ゆうて---」
巨盗のお頭といわれる勇五郎が手ばなしであった。

参照】[お静という女] (1) (2) (3) (4)

若気のあやまちというか、銕三郎がお静とねんごろになったことが発覚(ば)れたのとき、勇五郎は、
「お武家方のお子が、人のもちものを盗っちゃあいけねえ。人のもちものでも、金ならまだゆるせる。だが、おんなはいけませんよ」
たしなめただけで、ゆるしてくれた。器量が大きいのだ。
以来、銕三郎勇五郎に頭があがらない。

「こんどのお下りは---?」
「いや。お盗(つと)めではないのですよ。江戸に置いている{うさぎ人(にん)〕の一人から、奇妙な鳴きがありましてね」
「〔うさぎ人}と言いますと---?」
「これは失礼。源七どん、長谷川さまに解き明かしてさしあげな」

盗賊の世界で、〔うさぎ人〕と呼ばれているのは、おなじ盗みでも、ぬすむものが耳に入るもの---いまの言葉でいうと情報である。うさぎは耳が長いから、それだけ聞き込みが多いはず、というところから名づけられた。
ふだんは、常の人とかわらず、ちゃんとした職業をもっているから、はた目には盗人には見えない。
〔眠り人(ねむりにん)〕とも〔聞きこみ人〕とも呼ばれることもある。

「〔うさぎ人〕は、大きく2つにわけられます。〔直(じか)うさぎ〕は、店なり職なりのための元金(もとがね)をすべてお頭から出してもらった〔うさぎ〕です。ご武家方でいう、直参です。お頭だけにむけ鳴きます。
もう一つは、〔独りうさぎ〕で、すべてを自分でまかなっておりますから、鳴きをとどけたお頭からその都度、鳴き賃をもらいます。〔独りうさぎ〕は、口合人(くちあいにん)とか〔嘗(なめ)め人〕を兼ねていることが多いかな」
「口合人とは?」
「盗人だけの口入れ屋とお考えください」

「〔狐火〕は、江戸には、何人の〔うさぎ人〕を?」
瀬戸川〕の源七はちらっと勇五郎の顔をうかがい、〔狐火〕がうなずいたのをたしかめて、
「〔直うさぎ〕が3人、ほかに7人の〔独りうさぎ〕と内々の約定をむすんでおります」
「そんなに---」
勇五郎が言葉を添えた。
「駿府に2人、名古屋に4人、大坂に3人---。お上(かみ)のお考え、世のなかの動き、金のあり場所などの、じつのままをこころえておくかどうかで、お盗(つと)めの成り加減が違ってきますのでね」

勇五郎は温顔に笑みをもらし、
「その〔直うさぎ〕から、〔蓑火〕の喜之助(きのすけ 46歳)どんのところの小頭がおかしい---といってきましてね」
「〔蓑火〕の喜之助といいますと---?」
長谷川さま。おとぼけになってはいけません。長谷川さまが、〔蓑火〕の喜之助どんとは面とおしずみで、あの組の〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう)どんに興をそそられていらっしゃることは、もう、筒抜けなんでございますよ」
「驚きました---」
「ですから、お互い、腹を割って話しあいませんか」 

ちゅうすけ注】〔狐火〕の勇五郎と〔蓑火〕の喜之助の両お頭がきわめて親しい間柄にあることは、池波さんも、『鬼平犯科帳』巻14[殿さま栄五郎]p120 新装版p123 で明かしている。

_100_3(ちょっと待てよ。いま、〔狐火〕はなんと言った? 〔中畑〕のおに興味をそそられている---と言ったよな)
銕三郎は、考えた。
中畑〕のおに関心があることを知っているのは、納戸町の長谷川家の老叔母・於紀乃(きの 69歳)と、その甥の甲府勤番支配・八木丹後守補道(やすみち 55歳 4000石)、配下の本多作四郎玄刻(はるとき 38歳)。

参照】[納戸町の老叔母於紀乃] (1) (2) (3)
八木丹後守補道は (A) (B) (C)
[本多作四郎玄刻] 2008年9月15日

それと---茶店〔小浪〕の女将だけのはず。
「あっ!」
(あの小浪(こなみ 29歳)が、〔狐火〕の〔直うさぎ人〕? まさか? しかし、小浪しか、いない!)(歌麿 小浪のイメージ)


[〔うさぎ人(にん)・小浪] (2) (3) (4) (5) (6) (7)

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