またも、書きそびれをしてしまった。10月5日(日)午後の、〔SBS学苑パルシェ 静岡〕の[鬼平クラス]の報告である。
テキストは、文庫巻8[白と黒]。
ストーリーは、あらためて記すまでもなく、「下女泥」のお仙・お今(いま)と〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎の艶もの。
鬼平は、巣鴨本村の大百姓で実母の実家の当主・三沢仙右衛門と酒肴をともにした帰り、かつて高輪で捕り逃がした〔翻筋斗〕の亀太郎が、〔稲荷横丁〕の居酒屋からでてきたところで見かけた。
レクチャーは、いつものように、池波さんが手放さなかった切絵図・近江屋板[駒込・巣鴨辺]のカラーコピーに青ドットをうったのを配布し、で、土地勘をつける。
(巣鴨・西北地域 左上から、熊野窪、本村、行人塚箭矢稲荷、子育稲荷)
上図の部分拡大
(熊野窪・巣鴨本村の三沢家)
(行人塚箭矢稲荷、子育稲荷霊感院)
【ちゅうすけ注】熊野窪は、『鬼平犯科帳』巻4[霧(なご)の七郎]p18 新装版p19で、下痢に苦しめられながら三沢家へ金を借りにゆく辰蔵が、ここでつけ馬の剣客・上杉周太郎におぶさる。
鬼平は、筆頭与力・佐嶋忠介に亀太郎の住まいの見張りを言いつける。佐島与力は虚無僧に変装p221 新装版p233 して見張りにでかける。
時代小説では、『鳴門秘帳』いらい、なにかというと虚無僧に変装するが、これは、きわめて危険---と強調したい。
中里介山『大菩薩峠 16 胆吹(いぶき)の巻』(富士見書房 時代小説文庫 1982.6.30)に寄せた巻末解説を転記する。
机龍之助と尺八---
『大菩薩峠』にはじつにさまざまな人物が、あたかも彩りとりどりの数百本の絹糸を組んだ組紐のように、現われては隠れ、去っては帰ってきます。その糸の縒れ方やからまり方のおもしろさを指摘するのは別の機会にゆずりましよう。
私は、この小説における音楽の使われ方に、中心を置きたいとおもいます。しかし、開巻の巡礼爺孫の鳴らす鈴の音からはじまり、三味線の伴奏で、
夕べあしたの鐘の声
寂滅為楽と響けども
聞いて驚く人もなし
花は散りても春は咲く
鳥は古巣へ帰れども
行きて帰らぬ死出の旅
と「間(あい)の山節(やまぶし)を唱うお玉(「間の山の巻」本文庫(2))、
甲州出がけの吸付煙草
涙じめりで火が附かぬ
と「山の娘」の行商の歌を唱うお徳(「白根山の巻」同前)、琴を弾くお銀様(「伯耆の安綱の巻」同(3))、即興の歌を唱う清澄の茂太郎と平家琵琶を弾き語る弁、そして越後獅子の一行(「安房の国の巻」同(6))---書きたてていったらきりがありません。
まあ、皆それぞれに小説の中で重要な情緒醸成の役割を果たしているのですが、私は、中里介山がわざわざ「鈴慕の巻」(同(11))と、一つの巻を独立させている、机龍之助と尺八についてまとめてみることにしました。
皇学館大学の岡部直裕教授は『小説に現われた尺八』(『季刊邦楽』第17号・昭53)で、龍之助が尺八を吹いている情景が初めて描かれるのは「間の山の巻」だとされていますが、本文庫ではすぐ次の「東海道の巻」(本文庫(2))になっています---
一人の虚無僧が大湊を朝の早立にして、やがて東を指して歩いて行きます。これは机龍之助でありました。
龍之助の父弾正は尺八を好んで、病にかからにぬ前は、自らもよく吹いていたものです。子供の時分から、それを見習い、聞き習った龍之助は、自分でも尺八が吹けるのでありました。
---実は、私の亡父も都山流の奏者でお弟子もとっていましたが、私自身はつい最近まで竹を手にしたことはなかたっので、この文章に「おや?」と思いました。
聞き覚えだけで「虚霊」(注・虚鈴とも綴る)の本手や「鶴の巣籠」が吹けるのかと首をかしげたのです。ことに、「鶴の巣籠(すごもり)」は、鶴の夫婦愛と親子の情愛を曲想としているので、龍之助が吹く曲としてはいかにもそぐいません(もっとも本式の十段では親鶴の死ぬ描写もあるが、普通は七段で終る)。
そう思っていたところで、介山の門下の柞木田(たちきだ)龍善氏の『中里介山伝』(読売新聞社)の昭和2年の項を読みました。
かいつまんで紹介しますと、介山が43歳だったその年の晩秋の夕方、早稲田鶴巻町通りを流している虚無僧と出合います。竹の調べの本格さ、心得ありげな身の構えに話しかけてみると、これが北大・造園科をでたばかりの農学士、高橋空山青年だったのです。
参禅10年、剣は山田次朗吉に師事して3段、そのほか槍、柔道馬術にも通じているというので、大いに親交を結び、介山の講演会のたびに一曲を吹奏させて聴衆を魅了したというのです。
空山氏には『普化宗史』(同刊行会)という研究書もあるほどで、虚無僧や尺八についての知識にはこと欠きません。翌3年、介山は早速「鈴慕(れいぼ)の巻」を執筆します。この「鈴慕」は、時の幕府に「鈴法」として届けられ、一般には「恋慕(れんぼ)」と呼ばれたといわれていますが、それはどんなものでしょう。
もともとこの「鈴慕」という曲は、唐代の禅宗の普化が、錫杖に鈴をつけ尺八を吹いて托鉢したという故事をしのび、鈴にみたてた禅師を慕ってつくられたものといい伝えられています。
いろんな編曲があって、「霧海箎鈴慕」「虚空鈴慕」「休愁鈴慕」「京鈴慕」「善成鈴慕」「意子鈴慕」「鈴慕流し」「巣鶴鈴慕」「吟龍虚空鈴慕」「波間鈴慕」などがあって譜面が相当に違います。
高橋空山氏がのちに語ったといわれているものの伝聞では、龍之助が白骨の湯で吹いたのは「葦草(いぐさ)鈴慕」だとか。これは、現在の青梅市新町の虚空院鈴法軒に伝えられている曲です。慶長18年(1613)に、川越領葦草の地にあった小院が現在地に移ったために、旧地の名を冠しているのです。
手元の譜面を導入部を写してみましょう---
ツ-ルレ-ツロ-・レ-ロ-、ツ-レ-リウ-ヒ-・ヒ-ヽヽヽヽヽ・ツヽレ-
---尺八をやらない人には解読の手がかりのない暗号文でしかありません。もっとも、介山だつて---
「虚霊」は天井の音(おん)、「虚空」は空中の音、「鈴慕」に至ってはじめて人間の音です。
行けども行けども地上の旅を行く人間の哀音、その何れより来って、何れに行くやを知らず、萩のうら風物さびしく地上に送られて行く人間が、天上の音楽を聞いて、これに合せんとするーあこがれすなわち「鈴慕」の音色ではないか(本文庫(11)p67)
---と比喩的にしか書いていません。しかし、いまの読者は虚無僧の吹く明暗(みょうあん)流の竹調べなどはほとんど耳にしません。聞くとしても、俗曲民謡の伴奏としての琴古か都山---でしょう。
「葦草鈴慕」がよほど気にいったかして、介山は「不破の関の巻」(本文庫(15))でも、関守に「我々、世捨て人にとって、鈴慕の曲ほど罪な曲はありません」としわせていますが、尺八の音であれ他の楽器であれ、聴く人の心理状態でこたえもし、あるいは希望をみつけることもできるのですから、読者に無理におしつけるのはどんなものでしょう。
それにしても、若い時代にちょっとかじった『大菩薩峠』ですが、改めて読みなおすと、原作の十倍もの注解が書けそうで、介山の知識に驚いています。
さて、佐嶋忠介の虚無僧への変身が危険というのは、虚無僧同士が行きあうと、自分が所属している寺に伝わる「鈴慕」の導入部を吹いて、身分を示すのがしきたりだった。
もし、吹けなかったら、偽者として捉え、奉行所へつきだされたからである。
ついて記しておくと、『鬼平犯科帳』で佐嶋与力のほかに虚無僧に扮するのは、
鬼平 [2-6 お雪の乳房] p246 新装版p261
[17-5 鬼火] p209 新装版p215
小野十蔵 [1-1 唖の十蔵]p7 新装版p
山田市太郎 [2-6 お雪の乳房]p260 新装版p274
[4-4 血闘]p140p 新装版p146
沢田小平次 [6-7 のっそり医者]p262 新装版p274
酒井祐介 [11-2 土蜘蛛の金四郎]p73 新装版p76
大滝の五郎蔵[10-5むかしなじみ]p208 新装p219
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