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2008.05.17

〔相模(さがみ)〕の彦十(2)

相模(さがみ)の彦十爺(と)っつぁんの顔見せリストをつくっていて、些細な発見をした。
文庫巻10[むかしなじみ]である。

ともあれ、長谷川平蔵おまさ・相模の彦十との関係は特別なものがある。
おまさの亡父・(たずがね)の忠助(ちゅうすけ)は盗賊あがりで、なんとふてぶてしく、本所の四ツ目に〔盗人(ぬすっと)酒屋(ざかや)〕という看板をかけ、居酒屋をいとなんでいたものだ。
ここへあつまる連中は、いずれも、一癖(ひとくせ)も二癖(ふたくせ)もあるやつばかりで、相模の彦十も、その一人であった。p190 新装版p200

この時の彦十は、30歳を越えたかどうかの、男としての精気がみなぎり、目玉にも油断がならない光があったとおもうが、彼のことはいまは別にして---[盗人酒屋]に付されたふりがなにご注目。

文庫巻4[血闘]で初めて登場した忠助の〔盗人酒屋〕にふられたふりがなは、〔盗人(ぬすっと)酒屋〕で、「酒屋」にはふられていなかった。
だから、ぼくは、ずっと〔盗人酒屋(さかや)〕と濁らないで読んできていた。

池波さんは、〔酒屋(さかや)〕の上に〔盗人(ぬすっと)〕が置かれれば、江戸っ子なら間違いなく〔酒屋(さかや)〕は〔酒屋(ざかや)〕と濁るものと考え、文庫巻4[血闘]では、あえてふりがなをふらなかったのであろうか。
ほんとうに、そうおもっておいていいのか---3代つづいての東京そだちの鬼平ファンの方にお聞きしてみたい。

常連の一人だった相模国そだちの彦十は、どう呼んでいただろう?
忠助どんの店」?

_1 そもそも、彦十は、相模のどこの生まれだったのか?
文庫巻1[本所・桜屋敷]では、〔相模無宿〕とされている。

こやつ、相模無宿(さがみむしゅく)の彦(ひこ)十という男で、本所(ところ)の松井町一帯の岡場所に巣食っていた香具師(やし)あがりの無頼者で、むろん平蔵よりは年長なのだが、
「入江町の銕さんのためなら、いのちもいらねえ」
などと、いいふらし、若い平蔵を取り巻いていたやつどもの一人であったのだ。p65 新装版p69

無宿---ということは、生まれた土地で事件をおこして人別を失ったとみていいのであろう。
しかし、その生地の手がかりが記されていない。

彦十爺っつぁんのカテゴリーを立てようと決めたとき、相模の内陸部---厚木か海老名(えびな)あたりを候補にあげたが、土地勘がほとんどないことに気づいた。
地名は、東名高速道のサービス・エリヤに立ち寄って覚えていただけであった。
江戸期の地図も持っていない。
やはり東海道筋か、江ノ島道あたりということになる。
しかし、東海道だと、小田原宿の〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)という、銕三郎(てつさぶろう 20歳)の盟友がいる。
平塚宿では〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛(かんぺえ 35歳=当時)という顔役も、銕三郎に心酔したことになっている。

参照】〔馬入〕の勘兵衛=与詩(よし)を迎えに (27) (29) (37)

とすると、『分間延絵図』の手持ちがあるのは、藤沢からこっちか、江ノ島道あたりになってしまう。

急いで、密偵・彦十が遠出をした篇を頭の中でくってみた。
こういう時、つくってあるデータ・ベースは役に立たない。「彦十 遠出」なんて採集項目を立てていないからである。
記録よりも記憶のほうが、有効に働く。

_3
文庫巻3[麻布ねずみ坂]で、大坂の香具師の元締・〔白子(しらこ)〕の菊右衛門の配下の浪人・石島精之進(30男)を尾行(お)って、同心筆頭・酒井祐助と上州・高崎まで行き、そこで女ができて、そのまま住みついたのは、方角違いだから除くとして---。p36 新装版p38

参照】 〔白子(しらこ)〕の菊右衛門
 石島(いしじま)精之進

そういえば、高崎から、いつ女と別れ、本所・三笠町1丁目の裏長屋へ戻ってきたのかも、池波さんは明かしていない。(文庫巻5[深川・千鳥橋]p23 新装版p24)
いや、何ヶ月、高崎にいたのか、その間の裏長屋の店賃はどうなっていたのかも言及されていない。
もっとも、文庫巻6[狐火]p116 新装版p123 では、四ッ目の裏長屋に変わっているから、三笠町は、店賃不払いで大家が処分したのかも知れない。
ま、小説だから、つじつまはあわなくてもかまわないが---。

いや。「チャランポランこそ、彦十に似つかわしい」というべきだ。

_13 文庫巻13[熱海みやげの宝物]では、鬼平と東海道の相模の内を往復している。
しかし、どの土地でも、特別な執着を示していない。

となると、藤沢の手前の影取(かげとり)か戸塚あたりを想定していたのも無駄になりそうである。
こちらも、チャランポランで生まれた土地を決めたらいい。

それにしても、こういう法の埒外(らちがい)にいる人物ではあっても、観光資源として、あえてとりこんでしまう広い度量とマーケティング・センスに富んだ市町村があるといいのだが---。

参照】 [おまさ・少女時代] (2) (3) 

【参照】[相模(さがみ)〕の彦十] (1)  (3) (4) (5) (6) (7) (8) (10) (11) (12)


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