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2008.05.22

〔相模(さがみ)〕の彦十(7)

(てつ)お兄(にい)さん。ほんと、ですか?」
耳ざといおまさ(10歳)が、眉間を小さく寄せて訊いてきた。
なにか言いかけた〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)を制した銕三郎(てつさぶろう 20歳)が、
於嘉根(おかね)のことですか? ほんとうです」

「お嘉根ちゃんっていうんですか? いくつですか?」
「2歳です」
「会いたい。いつ、会えますか?」
「それが、会えないのです。拙も、まだ、顔を見たことがないのです」
「どうして?」

参照】[妙の見た阿記] (5)

銕三郎が声を落として話した。
おまさ彦十が身をのりだして耳をそばだてる。

平塚の婚家先から、芦ノ湯村の実家に逃げかえった阿記(21歳=当時)を、鎌倉の縁切り寺まで送ったこと。婚家先がよこした顔役・〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛(かんべえ 35歳=当時)を、権七の機転で手を引かせたこと。
阿記が縁切り寺で於嘉根を産んだこと。
銕三郎の実母が於嘉根の引き取りを申し出たが、拒まれたこと---。

馬入〕の勘兵衛のくだりで、権七が口をはさんだ。
「あっしが、勘兵衛を説き伏せたんじゃねえんで。長谷川さまに、勘兵衛のやつがころっとまいっちまったんでさぁ」

【参照】[与詩を迎えに] (37)

「わかるわ。誰だって、お兄さんには、ころりっ、よ」
おまさが相槌をうつ。
彦十は、
おまさ坊。おめえって娘(こ)は、いつでも気が早すぎるんだよ」
彦十のおじさんが、遅いだけよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
彦十は、裏の厠へ行くふりをして、裏庭に立った。

呼ぶまでもなく、井戸端で鹿が待っていた。
「あの長谷川って若ぇのを、信用していいものかね?」
鹿が応えた。
「もう、信用しちまってるくせに---」
「いやぁ、念には念をいれて---と思ってね」
「裏切られたって、失うものなんか、なんにもないだろうに---」
「ちげぇねえ。ま、これで2人の意見が一致したってことだ」
「いつでも、責任はこっちのせいにするんだから---」

戻ってきた彦十が、景気のいい声で言った。
「縁がために、じゃんじゃん、やろうぜ」
おじさん。人に奢るんなら、うちへの借りを払ってからにして」
おまさ坊。それを言わなきゃ、おめえは四ッ目小町なんだがなぁ」
彦十どの。今夜のところは、拙におまかせを---」
「若えのに、嬉しいことを言ってくれやすねえ」

新しいちろりを運んできたおまさが、
お兄さん。お嘉根ちゃんに会いたいでしょう?」
「そりゃあ---」

_300
(歌麿「針仕事」 阿記と於嘉根のイメージ)

「ところで、おみねどのは、物井に?」
まぎらすように、銕三郎が訊いた。

参照】物井→[盗人酒屋]の忠助(5)

「おおばさんといっしょに、遺骨をお墓へ納めに行ってます」
「香料をつつもうとおもっていたんだが---」
「おこころざしを、おおばさんへ伝えておきます。でも、万事、〔法楽寺〕のお方がよくなさったみたいで---」
おまさが〔法楽寺〕の名を口にした時、たまたま、別の飯台へ肴をもってきた父親の忠助の肩がぴくりと動いた気配を、銕三郎は目の端でとらえた。
彦十は、もう、すっかりできあがっていた。

【参照】[相模(さがみ)〕の彦十] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (8) (9) (10) (11) (12)


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