別刷り『剛、もっと剛(つよ)く』(7)
このことをバラすと、鬼平ファンによっては、「長谷川平蔵って、そういう面ももっていたのか」と、ちょっぴり眉をひそめる方もあるかもしれない。
史実の長谷川平蔵には、たしかにそういう一面があった。
一面というより、商才といってもいいし、問題解決の能力と呼んでもいい。
史実とは、人足寄場を献策した2年目というから、寛政2年(1790)あたりのことだが、幕府が寄場の運営予算の半減をいってきた。
平蔵はやむなく、幕府をいつわって3000l両を借り出し、銭相場で400両ほど儲け、それを人足寄場の運営にまわした。
【参照】2007年9月9日[『よしの冊子(ぞうし)』 (8)
この銭相場の操作に近いことを、5年前の天明5年(1785)にもやった。
そう、『剛(ごう)、もっと剛(つよ)く』の板行にからんで行なった薬種(くすりだね)の買占めがそれであった。
もっとも、このときの市場操作は、金儲けのためではなく、薬草(やくざい)の安定確保をねらったものであった。
『剛(ごう)、もっと剛(つよ)く』の板行をおもいつき、原稿執筆と知恵づけを安っさんこと---神田・佐久間町の躋寿館(せいじゅかん)の教頭・、多岐(たき)安長元簡(もとやす 31歳)医師に話したとき、きっと薬草が払底するとふんだ。
安っさんに薬づくりに必要とする薬草を書き出してもらい、2000人の1年間の注文に応じられるだけの薬草の量を試算してもらい、それを買いあげるのに要する金額をいわせた。
八味地黄丸(はちみじおうがん)だけでも、
地黄(じおう) ゴマノハグサ科アカヤジオウの根
山茱萸(さんしゅゆ) ミズキ科サンシュの果実
山薬(さんやく) ヤマノイモ ナガイモ
沢瀉(サンシャ) オモダカ科サジオモダカ
茯苓(フクリョウ) サルノコシカケ科
牡丹皮(ボタンヒ) キンポウゲ科ボタンの根皮
桂枝(ケイヒ) クスノキ科ケイの樹皮
附子(ブシ) キンポウゲ科ハナトリカブトの根茎
これの1人1ヶ月分を5文(200円)とみて、1年分は60文(2400円)、その2000人分は4,800,000文(120両=1,920j万円)
「わかった。『剛(ごう)、もっと剛(つよ)く』で奨(すす)める薬は男女あわせて8つにしてくれ。それで1000両用意すれば、1万6000人の1年分の薬草が買える」
「1年すぎたら?」
「買い手は半分に減っていよう。が、いまから和産の薬草づくりの手くばりをする」
「ところで安っさん。960両で買い占めた薬草でつくった薬剤をいくらで卸してくれる?}
「薬研(やげん)でつぶしたり、包んだりの手間、効能や服用法の引き札の刷りをいれて、平(へい)さんだから大まけして3倍---」
「5日以内に1000l両そろえるから、こっそり、ゆっくり買い占めてくれ」http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2010/02/post-52b7.html
平蔵が工面したのは、蔵元の〔東金(とうがね)屋〕清兵衛(せえべえ 40前)で、半年で7分(7パーセント)の利息の約定であった。
4ヶ月で完済し、平蔵の手元には、200両(3200万円)ほどのこった。
その金の半分を平蔵は上総(かずさ)の寺崎村の長老(おとな)・戸村五兵衛(平蔵の実母・妙(たえの兄))に無利息で貸し付け、太作(たさく 70すぎ)の竹節(ちくせつ)人参の栽培拡張のほか、山薬(やまのいも)の栽培そのほかに投資するようにすすめた。
【参照】20102178~[竹節(ちくせつ)人参] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
余談を記すと、4年目に竹節人参の栽培に成功した太作は、それをすりつぶして酒にまぜて飲んでいるうち、とつぜん相手がほしくなり、40いくつの後家を家に入れて可愛いがっているとの自慢話をそえ、自作の人参を数本送ってよこしたが、いまのところ、平蔵も辰蔵(たつぞう 16歳)も服用した気配はない。
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