本陣・〔中尾〕の若女将お三津(7)
長火鉢の寝台の上で、これまでとはまったく異なった性感の刺激にしびれきっているお三津(みつ 22歳)が、
「私、どうかなっちゃったのかしら---」
「すごい声をあげていた」
「だって、なんにもわからなくなってしまったんだもの」
「江戸へ速飛脚をたてなければならないことをおもいだした。ちょっと、でてくる」
「いま、何刻(なんどき?」
「だいぶ前に、林入寺の時鐘が七ッ(午後4時)を告げていたから、おっつけ七ッ半(午後5時)だろう」
「1刻(2時間)ちかくも夢心地だったのかしら」
風呂場で張ってあった水を汲んで腰まわりを洗い、房事の匂いを流した。
夕餉(ゆうげ)の支度ができていますから---というお三津の声を脊に、問屋場へ急いだ。
紙と筆を借り、深川・黒船橋北詰の〔箱根屋〕の権七(ごんしち 50歳)へ、[化粧(けわい)指南読みうり]を10枚ずつ、小田原城下の〔宮前(みやまえ)の徳右衛門(とくえもん 59歳)貸元と平塚宿はずれの〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛(かんべえ 54歳)のところへ早飛脚でおくるように書き、料金をはらった。
早飛脚はふつうの飛脚便の3倍近くもとるが、かまってはいられない。
じつは、お三津との行為の最中、悲鳴に似た声が耳にはいったとたん、おととい晩の〔扇屋〕の万次郎(まんじろう 51歳)の言葉がこぼれでたのであった。
「〔化粧(けわい)読みうり〕のこともご存じでしたとは---?」
「音羽の元締によると、あれの板行により、元締衆のシマ争いが消えたとか、そのことがなによりの結実であったと---」
おんなの自失の嬌声と、〔化粧(けわい)読みうり〕がどう結びつくのかと訊かれても、答えようがない。
しいていえばも、頭のすみにひっかかっていた、〔馬入〕の勘兵衛(かんべえ 54歳)と〔高麗寺(こうらいじ)〕の常八(つねはち 35歳)との紛争の仲介をどうつけたものか、解きあぐねていたせいであろう。
戻ると、表戸にはつっかい棒がかけていないばかりか、お三津は脱いだ寝衣を上躰にたぐりよせたまま、長火鉢に寝ていた。
半身をさらしたまま、脚も、丈があまって垂れている布団にそわせていた。
「どうした---? 人が入ってきたら、なによりの見せものだぞ」
「だって、こうしていても、潮が寄せるみたいに、身ぶるいがくるんだもの」
「------」
「あ、またきた。 鏡、みせて---」
平蔵が映してやると、
「ね、そこの唇がうごいてる。見て、見て---さわって---」
裏庭には、沈みが遅くなってきている夕日が差しこんでい、それが鏡に照り映え、にじみでている玉水を光らせていた。
「みだらだけど、神々しい」
「そう、神々しい。お三津は天女に化身したのだ」
「平さまが化身させたのよ。ありがと」
長火鉢でつくった寝台から降りても、しばらくがみこんで動くことがおっくうそうであった。
平蔵が風呂の焚き口に火をつけ、膳をととのえた。
冷やで呑んでいると、這うようにしてきたお三津が、太腿に顔を伏せ、解いた髪が藻のように膝にひろがった。
やがて、すすり泣きはじめた。
髪をすくように指で背中をさすってやりながら、
「なぜ、泣く」
「ほんとうのおんなの躰にしてもらった、うれし泣きです」
「道はついたのだから、もう、大丈夫だ」
太腿がうなずきを感じた。
「こんなこと、ほかのおんなの人にもやってあげているんですか?」
嫉妬のひびきがこもっていた。
(おんなは一人占めしたがる)
「やるわけはない」
「なぜ、私に---?」
「昨日の朝の組み太刀の型のおさらいを見ているうちに、下腹の奥が熱くなったといったろう?」
「はい---」
「それで、新しい撃ち太刀を思いついた」
「------?」
「お三津は、この方はあまり耕されていなかった。そこを撃つ---」
「------」
「みごとな、受けであったぞ、お三津」
「誉められたのかしら?」
「そうだ」
「うれしい」
「明日の朝、おろしたままのこの髪ではお見送りできません。代わりiに、今夜、お名残りを---」
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