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2011.05.08

本陣・〔中尾〕の若女将お三津(3)

60という齢になるまで本陣というものの中へ入ったことのなかった辰次(たつじ)は、めずらしいものでも見るように部屋のあちこちに視線をまわしていた。

一段落したので、おてつを連れて対岸の牛尾の塩っけの潮湯へ通ったときに、大井川のどこらあたりを渡ったかを確かめた。

「幼な友だちが、相賀(おおか)谷川が大井川へ落ちあう神座(かんざ)村の南はずれで荷運び舟をもっているので、乗っけてもらってやした」
「昔友だちといえば、爺(と)っつぁんも神座(かんざ)村の生まれかえ?」
「へえ」

蔵元の〔神座屋〕も、もとはといえば神座村で大井川の上流の水をひいて酒造りをしていたが、五代前の主が嶋田宿へ移し、大きくなったのだと。

「荷運び舟の爺(と)っつぁんの名を聞かせてもらえるかな?」
梅吉(うめきち)っていいやす」
爺っつぁんところで、飯くったりしたことは---?」
「気のまわるおさんが、商売ものの酒徳利をさげてきていてくれやしたから、いつでも、くつろいでやした」


夕餉(ゆうげ)は松造(よしぞう 31歳)と2人でとった。
酒は、平蔵(へいぞう 37歳)は〔神水(じんすい)〕の冷や、松造は燗。
三津(みつ 22歳)は、2階に部屋をとっている三宅重兵衛(じゅうべえ 42歳)と古室(こむろ)忠右衛門(ちゅうえもん 32歳)に酌をしついでに話しこんでいたのであろう。

「この宿の滞在が2,3日、延びるかもしれない」
「2,3日で、お役目は果たせおわるのでございますか?」
「公けのほうは、きょうの昼間で終わったも同じだが、われの疑念が晴れておらぬ」
「殿のお仕事が片づくまで、何日でもお使いくださいますよう」
「待たせてすまぬと、お(くめ 41歳)に謝っておいてくれ」
「なにをおっしゃいますことやら---」

本陣・〔中尾(置塩)〕藤四郎は格式が高く、旗本の供の宿泊は別の旅籠ときまっていた。


林入寺の五ッ(午後8時)の鐘を、平蔵は本陣脇の暗い御陣屋小路で聞き、苦笑した。
つづいて、〔中尾〕が拍子木を打ち、五ッを報らせたのが聞こえた。

(おんなの家を訪れるというのに、昂ぶらないのはそれだけ齢をくったということか)
家は、すぐにわかった。
戸には心張棒(しんばりぼう)がかってなく、待っていたようにするりと開いた。

若やいだ家具の部屋であった。
三津は着替えてはいず、若女将の着付けのままであった。

「嫁入れしたときにあつらえたものを、縁切れになってそのまま持ちかえり、本陣には入れるところもないので、ここを買い、納めました。おかしいでしょ?」
「若女将の住まいには見えない」
「なんに見えますか?」
「若後家の部屋---」
「あ、それ、いい---では、若後家が、お武家さまにお願いをする場---」
「ご所望のものは---?」
「とりあえず、お酒(ささ)をおつきあいください」

縁切れでここへ移ってから、ととのえてものはこれだけという新しい長火鉢の角をはさんで隣あって座り、酒になった。

平蔵の冷やに2,3盃つきあい、
「着替えましょう」
平蔵の前で地味派手な仕事着を脱ぎ、桃色の寝衣をまとい、蹴だしをはずした。

平蔵にも、風呂ができているから着替えるようにいい、今朝、とつぜんに決まったことなので、男ものの寝衣の用意をしていない、本陣の浴衣でお許しをと、ひろげた。

湯殿で裸になると、3年も夫に抱かれていたとおもえぬほど、どこの肉づきもしまってい、白くはないが肌に艶があった。

「若後家どの。背中を流して進ぜよう」
洗い場で糠で背中の洗いっこをしたとき、ちらっと、19年前に芦ノ湯の離れ座敷の湯で、こんなことを人妻であった阿記(あき 22歳=当時)とたわむれたことを思い出した。
(あのとき、おれは18歳。19年も前のことだ。このほうはまったく大人になっておらぬ)

参照】2008年1月2日~[与詩(よし)を迎えに] (13) (14

三津がまたいで腰置きの平蔵の太股へ乗ってき、乳頭を唇へ押しつけた。
,尻を抱き、小指で尻の穴をくすぐった。
尻があがったので太股を開き、隙間から臀部(しり)越しに茂みをまさぐると、お美津が誘いかけるように、くすりと微笑んだ。

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