与詩(よし)を迎えに(13)
芦の湯の湯治旅籠〔めうがや〕の離れの浴槽は、桧の板で角に囲い、底も板張りである。2人づれや家族客のために建てられているので、湯舟もそれなりに大きい。
銕三郎(てつさぶろう)は、短いほうの湯舟板に背をもたせかけ、両足をのばし、阿記(あき)を待った。
湯屋は、脱衣場の明かりが格子から洩れてくるだけだから、薄暗い。
入ってきた阿記の躰は、白い靄(もや)のようにかすんでいた。
浴槽の向こう側から躰をしずめると、背中から銕三郎の前にすり寄り、下腹(したばら)に尻をのっけ、足をはさむように両足をひろげて伸ばす。
たぶさが銕三郎の顔にあたらないように頭を軽く傾けてもたれかかる。
抱こうかどうかと迷っている銕三郎の両手首をつかむと、自分の乳房を蔽わせた。
子にふくませたことのない乳首も、乳房の丸みも、お芙沙(ふさ)のそれとくらべると、小さいが、張りがあるような気がした。
もっとも、お芙沙の家のは普通の丸い湯舟で、2人で浸かることはできなかったし、入ろうともしなかった。蚊帳の中での記憶である。
阿記が、顔をひねって唇を銕三郎の首にあてながら、尻に感じたのか、かすかに浮かせて、銕三郎の硬直しているものを、やわらかくつかんだ。
「阿記どの。まだ縁切りが片付いていないのに、このようなことをしてよろしいのか」
銕三郎の声は、かすかにかすれている。
「かまいませぬ。人には、世間のおきてにしたがわなくてならないときと、世間とはかかわりない自分だけのときというものがあります。婚儀は一人前(ひとりまえ)になったおんなが、家と家との約束ごとにしたがってすること。その約束ごとが破れたいまは、だれにも迷惑をかけず、自分だけのときを楽しんでいる阿記です」
「理はそうだが---」
「長谷川さま---いえ、銕三郎さま。お芙沙さんとのことは、ご自分からお望みになったのでございましょう?」
「そうであったかも---」
【参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)
「いまは?」
「いやいやではない」
「それごらんなさいませ。世間のおきてを、いま、このときは、忘れましょう」
「諾(よし)」
「さ、わたしの躰を、前も後ろも、洗ってくださいまし」
はじらうようでいながら大胆だった所作から発したお芙沙の色気とは、だいぶ感じが異なる魅力だとおもいながら、これが人による違いというものだろうと、銕三郎は納得した。
(おんなも、一様ではないのだ)
湯から出ると、阿記は着物をきちんと着て、何事もなかったように、母屋へ帰って行った。
(国芳『江戸錦吾妻文庫』[扉絵]部分)
銕三郎は、熱く硬直したままのものをもてあましながら、床に伏せた。
淡く灯(も)えている行灯(あんどん)を見ながら、黄鶴師に教わった岑参(しんじん)の「山房春事(さんぼうしゅんじ)」の唐詩をもぞもぞと暗誦してみる。
梁園(りょうえん)の日暮 乱れ飛ぶ鴉(からす)
極目(きょくもく)蕭条(しょうじょう)たり三両家
庭樹(ていじゅ)は知らず人の去り尽くすを
春来(しゅんらい)還(ま)た発(ひら)く 旧時(きゅうじ)の花
日暮れの廃園の上を鴉が舞っている
目に入るのはニ、三軒の廃屋だけ
人の往来がないことを庭の木々は知っている
なのに、春がくると花だけは咲くのだ
眠ってしまったらしい。
隣にかすかな気配と香りを感じる。
香りに、記憶がある---阿記の髪油だ。
目をあける。
阿記の顔があった。
(国芳『江戸錦吾妻文庫』[笑顔]部分)
「来たのか」
半分しか目覚めていないので、言葉が乱暴だ。
「来ないとおもっていらっしゃったのですか?」
耳元での甘えたささやき。
「うん」
「嫌。わたしが姉だそうですね。では、こうしてあげます」
襦袢の前をはだけ、肌と肌を密着させる。
銕三郎のものが硬直をはじめた.のを、阿記の指がまさぐる。
銕三郎の薬指も秘部へ。
互いの口が合わさり、布団の下で躰が重なった。
「いいのか」
「3年、子なしで、去りました」
「声も出せなかったのです。ふすまごしにお姑さんが耳をすましていて、わざと咳をするのです」
「ここなら---」
「ええ---あ、あ、銕(てつ)さま---」
(国芳『江戸錦吾妻文庫』[ことのあと]部分修正)
「もう一日、お泊まりなって」
「いや。府中との約定がある」
「でも、お芙沙さんとお過ごしになる予定の一日が浮きましたでしょう?」
「見抜かれたか」
「では、お帰りに、ここではなく、街道筋の箱根宿に部屋をとっておきますから、一と晩を阿記にくださいまし」
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