銕三郎、脱皮(5)
「ふむ。駿河を旅なされてきたと---」
井上立泉(りゅうせん)は、温和な微笑をうかべながら、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)が持参した父・宣雄(のぶお)の書状と、小田原土産の〔ういろう〕を受けとった。
銕三郎は、父から、井上立泉先生にも〔ういろう〕をお届けしておくように---と指示されたのである。
「薬のご研究に、なにかと役立とうほどに---」
宣雄はそういい、いっしょに手渡す手紙をしたためた。
それを今日、銕三郎が芝・新銭座町の井上宅へ届けた。
立泉は、宣雄とほぼ同年齢といっていい。亡父の跡を継ぐようにして、西丸の表番医になったのが、一昨年の33歳の時であった。
立泉の嫡男・茂一郎が銕三郎と年齢が近かったことから、男の子の躰の変化をめぐって、西丸の書院番組にいた宣雄と、親しく口をきくようになっていた。
「ふむ。有名な〔ういろう〕とは、珍重々々」
立泉は、さもうれしげに、笑顔を銕三郎にむけていった。
なに、〔ういろう〕のような売薬は、これまでに10数名から旅帰りみやげとして貰っている。しかし、銕三郎を落胆させないために、大げさに喜んでみせている。
しばらく、待てような。息・茂一郎の帰宅もまもなくゆえ、と立泉は、診療部屋へ引っ込んだが、すぐに戻ってきて、
「お父上からの書簡に、ついでだから五躰の診察を---とある。診てしんぜようほどに、浴衣に着替えられよ」
診察部屋へ入ると、横になるようにいわれ、見習いの医生の手で帯紐を抜かれた。
首、肩、胸、腹---と触診。
「ふむ。大人への兆しの、股間の芝生も、なかなかに生えそろってきましたな。しかし、なんだな。一線をはさんで、左右になびくように生えそろっている乙女のほうが、風情はまさるな。男の子のは、勝手気ままな生えぶりだからの」
冗談のようなことを口にしなが、毛をちょっとつまんでから、指先で股のつけ根をつっと押す。
「こんどは、うつ伏せになって---」
背中から腰を触診し、ふくらはぎを掌でつかむ。
「ふむ。歩き疲れはとれているようだ。結構々々」
ぽん、と尻をたたいて、おしまいになった。
帰りぎわに、医生が書き写したという『和漢三才図会』の甘草(かんぞう)の記述を渡された。
「お父上は、本草学にくわしい平賀源内(げんない)どのにお会いになり、本草に興味をもたれたのだそうな。〔ういろう〕の薬剤をお尋ねでの。甘草がほとんどといってよく、あとは朝鮮人参とか陳皮(ちんぴ)などが少量---としたためておきました。甘草は、いまでは、多くの藩の薬園で栽培されておりましてな」
「ご勉学も大いに結構なれど、餅は餅屋、とお伝えくだされ」
銕三郎は、そのことよりも、立泉のいった、乙女のそれは、「一線をはさんで、左右になびくように生えているいる」との言葉のほうを、頭の中でくり返していた。
供の太助の話しかけにも、生返事しか返さないので、太助も黙ってしまった。
お芙沙のは、一線を指でやさしくなぞっただけで、しかと見たわけではなかった。
そんなことにまでは気がまわらなかった。
仮りに気がついたとしても、外に置かれた行灯の芯が短くしてあったから、蚊帳(かや)越しの薄暗い明かりでは、芝生の目のなびきぐあいまで確かめられたかどうか。
抱かれ、つきあげられ、ゆすられ、互いに高まっていった感触は、いまもおぼえているが。
(もう再会することはかなうまいが、せめて、割れこんだ線だけでも、目にとどめておきたかった)
立泉から父・宣雄への書状に、
(淋疾のことはご放念されてよかるべし)
とあることを、銕三郎は知らない。
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