月輪尼、改め、於敬(ゆき)(4)
「於敬(ゆき)。そなたは橋場の石浜神明の神官・鈴木大領知庸(ともつね)の養女から、幕臣・永井亀之助安清(やすきよ 52歳 400俵)の次女として、わが家にもらわれることになった。いや、もう、養女としてとどけられておろう」
「はい」
祝い酒を久栄(ひさえ 34歳)にいいつけた平蔵(へいぞう 40歳)が、辰蔵(たつぞう 16歳)と月輪尼(がちりんに 24歳)改め於敬(24歳)に注いでやりながら、
「辰蔵。おぬしの許嫁(いいなずけ)が7歳も若返った祝いである」
「は----?」
「永井家は、小普請組頭への養女縁組届けに、17歳と書きまちがえおったのじゃ。わっ、ははは」
「お父上。うれしゅうございます」
於敬が酌を返し、目じりをぬぐった。
「一つ齢上の女房は金の草鞋(わらじ)を履いてでもさがせ---と巷間に申しますのに、辰蔵はいながらにして----ほんにようできた親ごさまでありますこと」
久栄が祝辞とも皮肉ともつかないことを口にした。
「いや、久栄。七つちがいは賢妻というぞ」
「聴いたことはございませぬが、おくんなどもが放っておいてくれない旦那どのには、賢妻でなければ勤まらないかも---」
「祝いの酒だ、久栄も酌(く)め」
「酔いつふれてもよろしゅうございますか?」
「嫁どのが世話をみてくれようぞ」
「於敬。永井家のことは放念してよろしい。長谷川家で育ったように振舞ってくれ。万事は久栄が教えてくれようほどに」
あくまで久栄をたてた。
その夜。
平蔵は与詩(よし 28歳)を書見の間へ呼び、
「そなたが三木家の者かかわりであったことが於敬に幸いした。これは、われからのこころばりの礼である。着物なり頭の飾りものなり、好きに費(つか)ってくれ」
包まれていたのは10両(160万円)であった。
与詩の継母であった志乃(しの 47歳)に会ったことは告げなかった。
【参照】2008年1月6日[与詩(よし)を迎えに] (16)
長谷川家の離れのことは報らせるまでもなかろう。
が、熱演の糸口になった於敬の台詞だけは推測できる。
「辰(たっ)つぁん。17歳の処女(おとめ)を試してみる---?」
於敬が閨で平蔵の「へ」も出さなかったのも賢明であった。
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