平蔵、書状を認めた(2)
嶋田宿の本陣・〔中田(置塩)〕の若女将・お三津(みつ 22歳)からの返書はすぐにとどいた。
12月の前半であれば、参勤の大名家の宿泊はほとんどないから、いつにてもご応接するが、ご到着はできることなら七ッ半(午後5時)前後にとあり、追って書きの形で、香具師(やし)の元締・〔扇屋〕の万次郎(まんじろう 51歳)とのことは、万端、順調にすすんでいると報じていた。
万端とは、西駿州板〔化粧(:けわい)読みうり〕のことと平蔵(へいぞう 37歳)は推量しておいた。
極(12)月8日の夕七ッ半に〔中田(置塩)〕へ入れるように旅程をしつらえ、志太郡(したこおり)小川(こがわ)の林叟禅寺への立ち寄りは帰路とした。
辰蔵(たつぞう 13歳)へ申しわたし、久栄(ひさえ 30歳)は、先祖の墓の浄(きよ)めに行かせると納得させた。
供には、もっとも老僕の日出造(ひでぞう 50歳)をあてがった。
自分に三島宿でお芙沙(ふさ 25歳)を引きあててくれた僥倖の再来を期待したからであった。
そんな経緯もあり、三島宿の本陣・〔樋口〕の女将のお芙沙(48歳)には、旅の狙いを明かさず、投宿したさいにはくれぐれも旧事を秘密にと頼んだ。
そう書いけば、自慢ばなしらしく語ってきかせるかもしれないとも予見したのだが。
もっとも、初穂をつまんだ男の息子に、どういう顔をして話すかまでは読まなかった。
小田原城下の貸元・〔宮前(みやまえ)〕の徳右衛門(とくえもん 59歳)と箱根山道の荷運び雲助の頭分格の仙次(せんじ 37歳)は、頼っていったら面倒を見てやってほしいとだけ告げた。
とりあえず、三島宿の本陣・〔樋口〕の女将のお芙沙との場から報告しよう。
箱根8里(32km)をくだったときには、初旅に興奮していた辰蔵はくたびれきっていた。
辰蔵以上に参っていたのが供の日出蔵で、辰蔵を〔樋口〕へ送りこみ、お芙沙へ引きわたし、明朝の六ッ半発(だ)ちを約すと、そうそうに近所の旅籠へ倒れこむように駆けこんだ。
辰蔵が風呂からあがると、お膳には銚子が載っていた。
酒は頼んだおぼえはないし、嗜まないと断ろうとおもったとき、お芙沙がはいってきた。
「これは---」
「はい。私の呑みしろでございます」
嫣然と銚子をとりあげ、盃をとらせ、
「形だけでよろしいから、お受けくださいませ」
大きいほうの木杯を差しだし、
「私にもお酌を---」
一気にあけ、手酌しつつ、
「与詩お嬢さまは、お変わりなく---?」
駿府からの道中に2夜、共寝したことを楽しそうに話した。
【参照】2008年1月15日[与詩を迎えに] (26)
「かれこれ、20年近くなりますから、与詩お嬢さまも、お正月がくれば26におなりですね」
辰蔵は、与詩叔母が不縁になったことをいいそびれてしまった。
「与詩お嬢さまが夜中に2度もはばかりにごいっしょいただいた、うちの多恵(たえ 21歳)は、3年前に嫁ぎましてねえ」
なにかをおもいだしたふうに肩を落としたが、
「辰さま。お酒(ささ)が冷(さ)めてしまっています。こちらへくださいませ」
自分であけ、口紅がついたままの盃を辰蔵にもたせて注ぎ、
「お父上は14歳でしたが、無理にもお口をおつけになったのでございますよ。辰さまもお父上におならいになって---」
そうまでいわれては、口をつけないわけにはいかなくなった。
口に入れたとたんに噎(む)せ、おもわず吐いていまった。
風呂場で着替えた丹前と浴衣が濡れた。
手を打ち、着替えを持ってこさせ、辰蔵から剥いだ。
浴衣をひろげ、下帯一つの辰蔵の背へまわり、着せかけるふりで抱きついた。
うなじへ唇をつけ、
「お父上に、こうしたかったのです。お許しくださいませ」
ゆったりした乳房を背中に感じながら辰蔵は、金しばりにあったように硬直したままで、拒(こば)めなかった。
やがて、
「私が、もう20歳ほど若かったら---}
ささやき、腕を解いた。
銕三郎(てつさぶろう 24歳)にたしなめられた13年前の恥態をおもいだしたのかもしれない。
いや、艶ごとの失態を嫌悪はしても、おんなが恥じるはずはないのだが---。
【参照】2009年1月10日[銕三郎、三たびの駿府] (3)
辰蔵は、食後にもう一度、湯を浴び、床に伏したが、なにごとも起きなかった。
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