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2011.11.26

月輪尼、改め、於敬(ゆき)(4)

「於(ゆき)。そなたは橋場の石浜神明の神官・鈴木大領知庸(ともつね)の養女から、幕臣・永井亀之助安清(やすきよ 52歳 400俵)の次女として、わが家にもらわれることになった。いや、もう、養女としてとどけられておろう」
「はい」

祝い酒を久栄(ひさえ 34歳)にいいつけた平蔵(へいぞう 40歳)が、辰蔵(たつぞう 16歳)と月輪尼(がちりんに 24歳)改め於(24歳)に注いでやりながら、
辰蔵。おぬしの許嫁(いいなずけ)が7歳も若返った祝いである」
「は----?」

永井家は、小普請組頭への養女縁組届けに、17歳と書きまちがえおったのじゃ。わっ、ははは」
「お父上。うれしゅうございます」
が酌を返し、目じりをぬぐった。

「一つ齢上の女房は金の草鞋(わらじ)を履いてでもさがせ---と巷間に申しますのに、辰蔵はいながらにして----ほんにようできた親ごさまでありますこと」
久栄が祝辞とも皮肉ともつかないことを口にした。

「いや、久栄。七つちがいは賢妻というぞ」
「聴いたことはございませぬが、おくんなどもが放っておいてくれない旦那どのには、賢妻でなければ勤まらないかも---」
「祝いの酒だ、久栄も酌(く)め」
「酔いつふれてもよろしゅうございますか?」
「嫁どのが世話をみてくれようぞ」

「於永井家のことは放念してよろしい。長谷川家で育ったように振舞ってくれ。万事は久栄が教えてくれようほどに」
あくまで久栄をたてた。

その夜。
平蔵与詩(よし 28歳)を書見の間へ呼び、
「そなたが三木家の者かかわりであったことが於に幸いした。これは、われからのこころばりの礼である。着物なり頭の飾りものなり、好きに費(つか)ってくれ」

包まれていたのは10両(160万円)であった。

与詩の継母であった志乃(しの 47歳)に会ったことは告げなかった。

参照】2008年1月6日[与詩(よし)を迎えに] (16

長谷川家の離れのことは報らせるまでもなかろう。
が、熱演の糸口になった於の台詞だけは推測できる。

(たっ)つぁん。17歳の処女(おとめ)を試してみる---?」

が閨で平蔵の「へ」も出さなかったのも賢明であった。

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コメント

7歳若返る---そんな妙手が実際にあったんですか? 於敬さんがうらやましい。ついでにセカンド・バージン---ずるい!

投稿: tomo | 2011.11.26 14:40

>tomo さん
神社と幕臣では人別(?)の届け先が異なるので、7歳若返らせる手品もつかえたとおもいますよ。
セカンド・バージンは、そもそも子を産ませたのが辰蔵ですから、「バージンを試す?」といわれても、辰蔵は信じないでしょうが、一種の閨睦言だったのでしょう。
閨睦言って、男女双方の性感を高めるためにも必要なものでしょう?

投稿: ちゅうすけ | 2011.11.26 17:24

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