〔舟形(ふながた)〕の宗平
『鬼平犯科帳』文庫巻4の所載の、寛政元年(1789)夏から晩秋へかけての事件である[敵]に登場したときは、〔初鹿野(はじかの)〕の音松一味の盗人宿---目黒にある百姓家を預かっていた。
(参照: 〔初鹿野〕の音松の項)
かつて〔蓑火(みのひ)〕の喜之助一味にいた〔大滝〕の五郎蔵がらみの件で火盗改メに保護され、密偵となり、五郎蔵と義理の親子のちぎりを結び、本所・相生町で小さな煙草屋を開く。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
以後、長年つちかった盗賊界での顔のひろさを活かして、盗人の正体を告げて逮捕にかかわった。『鬼平犯科帳』164話中の30話に登場。
年齢・容姿:年齢がむずかしい。寛政元年(1789)には70歳をこえているはず、とある。
それから4年後(寛政4年)の文庫巻7[泥鰌の和助始末]Iは、60をこえたとある(p195 新装版p202)。まあ、70いくつも「60をこえた」範疇に入ることとは入るが---)
翌寛政5年(1793)晩秋の事件を描いた文庫巻9[雨引の文五郎]ではふたたび「70をこえた」(p21 新装版p22)。
(参照: 〔雨引〕の文五郎の項)
生国:これも、特定が容易ではない。まず、表記の〔舟形〕。
〔船形〕なら千葉県の館山市船形(ふなかた)、同・成田市船形(ふながた)が吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)に収録されている。
そして、〔蓑火〕の喜之助のところにいた千葉県出身の者というと、〔五井(ごい)〕の亀吉がいる。独立して〔大滝〕の五郎蔵と〔並び頭〕を務めた仁だ。
(参照: 〔五井〕の亀吉の項)
しかし、池波さんはわざさわざ〔舟形〕としている。
とすると、先記の『地名辞書』にあるのは、羽前(うぜん)国最上郡(もがみごうり)舟形(ふなかた)(現・山県県最上郡舟形町舟形)。ただし、池波さんがふっているルビ(ふながた)のようには濁らない。
小国川(別名・船形(ふなかた)川、またの名・瀬見川)が北を流れている。
(緑○=舟形 紅〇=新庄 水色=最上川 明治22年製地図)
宮城谷昌光さん『風は山河より 第1巻』(新潮社)に、三河と遠江の境に舟形(ふながた)山があることを教えられた。
これも頭にとめて、『鬼平犯科帳』以前の諸作品と、池波さんの旅行記録を反趨してみたい。
〔舟形〕の宗平の発見が発端となった篇---
・文庫巻 7[はさみ撃ち] 〔大亀(おおがめ)〕の七之助
・文庫巻10[蛙の長助] 〔蛙(かえる)の長助〕
記憶に残る活躍:文庫巻9、鬼平の計略で〔落針(おちばり)]の彦蔵を破牢させる[雨引の文五郎]で、〔西尾(にしお)〕の長兵衛一味の主導権争いによる文五郎と彦蔵の確執のことを、義理の息子の〔大滝〕の五郎蔵にも話していないことを鬼平にとがめられ、
(参照: 〔落針〕の彦蔵の項)
「へい、へい---まことにもって、申しわけもねえことで---」
「何故、だまっていた?」
「それは、長谷川さま---」
いいさして、また、うつむいてしまった舟形の宗平へ、
「爺つぁんは、文五めをかばっていたのかえ?」
「へ---まことに、その---」
「いえ、いってみよ」
「へ、それが---雨引の文五郎ほど芸がある盗人に、御縄を頂戴させるのが---ちょいと、その、惜しい気もいたしまして---わざと、知らん顔をしておりましたのでございます」
穴でもあれば入りたい風情の宗平へ、平蔵は、
「こやつめ---」
なんともいえぬ微妙な笑顔になって、ただ一言、
「あきれた爺つぁんだわ」
と、つぶやき、傍らの煙草盆を引き寄せた。
つぶやき:密偵が見かけたのが端緒になった篇---
◎おまさがらみ 14編
[4―6 おみね徳次郎 〔法楽寺〕の直右衛門 p208 新p218
[5―3 女賊] 〔瀬音〕の小兵衛 p85 新p89
[4-4 血闘] 〔吉間〕の仁三 p149 新p156
[6-4 狐火] 〔瀬戸川〕の源 p114 新p121
[8-3 明神の次郎 〔櫛山〕の武兵 p93 新p98
[9-2 鯉肝のお 〔白根〕の三右 p50 新p52
[10-1 犬神の権 〔犬神〕の権 p28 新p29
[13-4 墨つぼの孫八 〔墨つぼ〕の p147 新p153
[14-2 尻毛の長右衛 〔尻毛〕の長右衛 p60 新p62
[19-6 引き込み女 〔駒止〕の喜太 p267 新p277
[23 炎の色] 〔峰山〕の初蔵 p55 新p53
[24 女密偵女賊] 〔鳥浜〕の岩吉 p16 新p15
[24 誘拐] 相川虎次郎 p147 新p139
◎伊三次がらみ 4編
[6-2 猫じゃらしの女] 〔伊勢野〕の甚右衛 p69 新p74
[9-3 泥亀] 〔関沢〕の乙吉 p95
[12-3 見張りの見 〔長久保〕の佐吉 p115 新p121
[14-5 五月闇] 〔強矢〕の伊佐蔵 p195 新p201
◎彦十が見かけた 4編
[10-5 むかしなじみ] 〔網虫〕の久六 p177 新p186
[12-1 いろおとこ] 〔鹿熊〕の音蔵 p27 新p28
[13-1 熱海みやげの宝物〔馬蕗〕の利平治 p13 新p13
[16-5 見張りの糸] 〔狢〕の豊蔵 p203 新p210
◎〔小房〕の粂八が見かけた 3編
[4―2 五年目の客] 〔江口〕の音吉 p49 新p51
[12-2 高杉道場・三羽烏]長沼又兵衛 p60 新p64
[18-2 馴馬の三蔵] 〔瀬田〕の万右衛門 p75 新p77
◎〔馬蕗〕の利平治がらみ 3編
[14―3 殿さま栄五郎] 〔鷹田〕の平十 p98 新p
[16―3 白根の万左衛門 〔沼田〕の鶴吉 p112 新p117
[19―2 妙義の団右衛門 〔妙義〕の団右衛門 p55 新p58
◎〔大滝〕の五郎蔵がらみ 2編
[7-4 掻堀のおけい] 〔砂井〕の鶴吉 p112 新p117
[14-4 浮世の顔] 〔藪塚〕の権太郎 p154 新p158
◎仁三郎がらみ 1篇
[18―4 一寸の虫] 〔鹿谷〕の伴助 p129 新p113
追記:文芸評論家の池上冬樹さんから、コメントをいただいた。
「池波さんは「舟形」を使い、“ふながた”とルビをふっているが、「地名辞典」では濁らない・・という記述がありますが、実際は濁ります。というか、濁るのが正しい。
http://www.town.funagata.yamagata.jp/
もともと濁らないのに、慣習で濁るようになり、それで“ふながた”となったのかもしれませんが・・・と地元なのに、曖昧でごめんなさい。
ただ、池波さんが愛した、山形のそばがあり(逢坂剛さんを山形におよびしたときにお土産として進呈しました)、山形の地名に関してはそれなりの知識があると思います。
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