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2005.01.16

〔初鹿野(はじかの)〕の音松

『鬼平犯科帳』文庫巻4[敵]ほかで、密偵になる前の〔舟形(ふながた)〕の宗平が、この首領の、目黒にあった盗人宿を預かっていた、と。
〔初鹿野〕の音松自身はいちども素顔を見せない。

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年齢・容姿:書かれていないので、不明。ただ、「ほかのところの者のめんどうもよくみる」性格とある。
生国:甲斐国山梨郡初鹿野村(現・山梨県東山梨郡大和町初鹿野)

探索の発端:探索もなにも、〔舟形〕の宗平はお頭を売って密偵になったわけで゜はないから、火盗メとしても、探索にかかってはいない。
ただ、宗平が預かっていた盗人宿は、探索を受けた。

結末:名前が書かれているだけなので、刑罰もうけていない、『鬼平犯科帳』に登場する数多いお頭の中でも不可思議な巨盗。

つぶやき:滅んだ武田軍から徳川方へ取り込まれた武将に、初鹿野家があり、長谷川平蔵が火盗改メの長官をやっていたとき、その末裔が北町奉行職を務めていた。
平蔵が、人足寄場の資金を調達するために銭相場に関与したとき、両替商などを月番だった北町奉行所へ呼びつけ、初鹿野河内守信興を横に、銭の値をあげるように申しつけた。
河内守は、この銭価格の操作に関与したことを苦にしたかのように、その年末に病死した。

初鹿野家の家名は、武田信玄の命で改姓したものという。

大和村役場 総務課の佐藤さんからのメール。

初鹿野村」などが合併、大和村が誕生した経緯を『村史』から引用します。
「大和村は、昭和16(1941)年2月に、近隣の5カ村、すなわち木賊(とくさ)村、田野村、日影村、初鹿野村、鶴瀬村が合併してできた行政村である。(略)役場を初鹿野村に置いた。
その後昭和29年(1954)の町村合併促進法に基づいて隣接の勝沼町との合併の運動もあったが、産業経済や地理的立地条件も異にする点が多く併合するところまではいかなかった。しかし、勝沼町に隣接していた深沢地区は、このおり勝沼に合併し、大和町から分離したのである」

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ワインの勝沼から東へ数キロメートル

昭和10年(1935)の「初鹿野村」の全戸 228が本農業および自作農家で、うち半数が養蚕をしていたから、江戸時代もそんなところであったろうと推察できます。
村全体の人口は、平成12年(2000)に1,541人、少子化や若者の流出でご多分にもれず老齢化がすすんでいます。

『甲斐国志』山川部は、初鹿野山を「マタ初鹿根ニ作ル、山中ニ木賊(とくさ)多シ、故ニ古名ヲ木賊山ト云フ、此ノ山最モ高クシテ……」と記しています。

長谷川平蔵のころに町奉行をしていたという初鹿野河内守信興については、村誌などを調べた範囲では記載がなく、また初鹿野家が村を領していたという記録はありません。

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コメント

〔初鹿野〕の音松一味では、〔舟形〕の宗平のほか、文庫巻4[敵]には為造というのが書かれています。

また、2003年02月の[週刊掲示板]で、文庫巻10[蛙の長助]の主人公の〔蛙〕の長助もよく助ばたらきにきていたと紹介されていましたね。

それなのに、ご本尊の音松お頭がまるで姿を見せない---ほんと、不思議な構成ですね。 

投稿: 加代子 | 2005.01.16 09:00

>加代子さん

古い[週刊掲示板]まで引用していただき、恐縮至極です。

〔初鹿野〕の音松に関係していた盗人は、文庫巻7[はさみ撃ち]に登場する〔大亀〕の七之助が2年ほど一味にいたとあります。

また、同[掻掘のおけい]のおけいは、狙う先の情報を〔初鹿野〕の音松にも売っていたようで、音松が、
「おけいのききこみには、寸分の狂いがねえ」
と太鼓判を押しています。

文庫巻9[鯉肝のお里]では、いまは煙管師でおさまっている〔長虫〕の松五郎が、27年ほど前に、駿府の仏具商へ押し込むとき、助けています。

関係した人物はほかにもまだいますが、いずれも、〔初鹿野〕の音松の風貌・体形については触れていません。

投稿: ちゅうすけ | 2005.01.16 09:25

文庫4巻の[敵]は平蔵と密偵との強い信頼関係が書かれてます。
P.254に平蔵が粂八に
「よし、お前がさいはいを振って、ほかの連中を見張らせろ、同心たちも自由つかってくれ」とあります。
同心たちも自由に使ってくれと言われた粂八の仕事振りが目につきます。
また、大滝の五郎蔵と舟形の宗平が密偵となる流れも当然と思え、最後に親子の縁にを結ぶという犯科帳のなかでも出色の一編です。

投稿: 靖酔 | 2005.01.16 11:21

>靖酔さん

鬼平の人づかいの巧みさ---の一端ですね。
同じ仕事をいいつけるにしても、
「これをやれ」
とだけいわれるより、
「お前がさいはいを振って---」
といわれたほうが、はるかに責任感と工夫を凝らしますものね。
近く、亀戸で経営者や中間管理職150名ほどに、「鬼平のリーダーシップに学ぶ」というスピーチをします。
いいヒントを、ありがとうございました。

投稿: ちゅうすけ | 2005.01.17 10:56

管理者さんが1月16日の[お手軽書き込み帳]にお書きになっていた、

>加藤伝右衛門が信玄の命で初鹿野姓に改めた。

それは、甲斐の蕎麦の発祥の地---初鹿野を近隣国にPRし、産業を振興するためだった---という仮説は、おもしろいですね。

PRには物語づくりを、まず、先立たせよ、と最近いわれていますね(あっ、これは管理者さんの専門分野でありましたね。失礼しました)。

でも、信玄はPRについての意識は相当に高かったのではないでしょうか。例の「赤備え」なんてのも、戦う前から敵を威圧する狙いがあったのでしょうね。

投稿: 文くばり丈太 | 2005.01.18 11:39

初鹿野の蕎麦でもりあがっていますが、先日、家人と「甲斐路」という甲州料理の店へ、食事に行きました。

いえ、朝日CC〔鬼平〕クラスの牛込・四谷ウォーキングのあとの懇親会食で味をしめ、両親が身延と富士の出身の家人を案内したのです。

名物の〔ほうとう〕鍋もいただきました。
山国の料理らしくこってり&さっぱりしていて、おいしかったです。

ついでですから、〔甲斐路〕の電話番号を。
03-3357-3789
場所は、新宿区愛住町。東京メトロの四谷3丁目駅出口2を出て、徒歩2分です。

投稿: ちゅうすけ | 2005.01.19 14:25

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