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2008.04.01

〔初鹿野(はじかの)〕の音松(2)

「大伯父上---もとい、お頭(かしら)。〔初鹿野〕という怪しい者に、お心あたりがございますか?」
銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)は、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)とともに、火盗改メの頭・長谷川太郎兵衛正直(まさなお 57歳 1450石余)の番町の屋敷へきている。

高杉銀平道場の帰り、ちょっとまわり道して、本所を東西に割っている竪川(たてかわ)に架かる二ッ目之橋北詰のしゃも鍋屋〔五鉄〕に立ち寄り、店主・伝兵衛(でんべえ)の長男・三次郎(さんじろう 15歳)から耳打ちされた、「〔初鹿野〕の」と呼ばれた男と、〔軍者(ぐんしゃ)〕という男のことを、報告にきたのである。
その通り道なので、永代橋東詰の呑み屋〔須賀〕で、権七に声をかけていっしょに参上したというわけである。

権七も、銕三郎の密偵もどきに付きあっている。
元・箱根山道の荷運び雲助だった権七とすれば、1450石の幕臣の屋敷の書院へ通されるなど、まったくもって望外のことと言ってよい。

高遠(たかとう)。そこもとは、いま銕三郎が申した者のこと、存じおるかの?」
太郎兵衛正直が、先手・弓の7番手・次席与力の高遠弥大夫(やたゆう 46歳 200石)をかえりみた。
「はい。甲州・山梨郡初鹿野村生まれの盗賊です。先役・本多讃岐守昌忠(まさただ 54歳 500石)さまの組から、本職を引き継ぎました時、留意の盗賊とあった10人のうちの1人です」

讃岐守昌忠は、この年---明和2年(1764)4月1日付で、先手・弓の8番手の組頭から小普請奉行(役高2000石)へ栄進し、火盗改メの職務を、弓の7番手の太郎兵衛正直へ渡した。
ついでにいうと、讃岐守が就いていた先手・弓の8番手の組頭の席は、銕三郎の父・平蔵宣雄(のぶお 47歳)が小十人頭(役高1000石)から栄進して埋めた。

ちゅうすけ注】本多讃岐守昌忠については、2008年3月8日[明和2年の銕三郎](その5)を参照。

「〔初鹿野〕と申す盗賊は、盗みの仕様に、その者と分かる特徴でもあるのかな?」
太郎兵衛正直お頭の問いかけに、高遠与力が答えた。

一味の頭領を〔初鹿野〕の音松といい、人相や入墨、衣類の柄が手がかりにならないように、面も衣類も、揃いの灰色の頭巾、上衣、手脚絆、軽袗(かるさん)、足袋で蔽っていること。
その衣装も侵入直前に装い、仕事を終えると脱ぐらしく、辻番所では見つけられない。
店の者を一と部屋へ集めてしばるが、殺傷はしない。
武田ながれの草の者(忍者)の家系が配下にいるらしく、厳重な錠前でもかるがるとあけて、小判を奪って逃げるという。
去る時に、とじこめた部屋の前の廊下や畳に、棘が八方に突きでている鉄製の菱茨(ひしいばら)と呼ばれるものを、無数、打ちこむので、縄をほどいても、容易に助けを求めに走れない。
身の丈6尺と2寸(1m85cm)の大男が首領の〔初鹿野〕の音松らしく、そのそばに、5尺(1m50cm)の小男がついていて、ほとんどの指示は、この男が大男に耳打ちしている。

ざっと、こんなことが知られていると。

「お頭。その首領株らしい2人組が、素顔で本所にあらわれました。しかし、その家の者が差(さ)したと分かると、その店にも店の者にも危険がせまりますゆえ、その名は明かせません。それより、こちらの権七どのの話をお聞きください」
「申しあげやす。その2人組は、甲州へ帰るのに、甲州路ではなく、遠回りして三島からの道を使うらこともあるらしく、時々、箱根の関所を通っておりやす。関所へ網を張れば、召し捕りもたやすいかとおもわれやすです」

ついでに、銕三郎は、〔荒神(こうじん)〕の助太郎の盗人宿の一つが三島にあるらしいので、見張らせているため、その手当てを3両頂戴したい。なお、三島の本陣・〔樋口伝左衛門方に仮の本拠を置いたので、今後の連絡には、幕府公用の飛脚便を使わせてほしい。これまで、町の飛脚をつかったが、とても拙の小遣いでは飛脚便代がまかなえない、と訴えた。

太郎兵衛は苦笑しながら、高遠与力に、
「聞いたとおりだ。勘定方の同心に言って、銕三郎に5両、渡すように---」
銕三郎は、内心で舌をだし、3両は文につけて三島宿の〔樋口〕のお芙沙へ公用行李で送り、2両は返却分、1両は見張りの仙次の日当、1両は権次、残りは〔五鉄〕への支払いと(さぶ)へのお礼---と腹づもりした。

勘定方のいる同心部屋から戻ってきた高遠与力が、包んだ金子を銕三郎の前におきながら、権七のほうを見て、
権七とやら。われわれの組は、この4月朔日から当役の本役をつとめることになってな。その前は1昨年----宝暦13年(1763)10月から半年ばかり、助役(すけやく)を拝命したものの、組としては、それが60年ぶりのお役であったので、火盗改メの職をじっさいに経験した組下が一人もおらず、いろいろとまごついたものだ。まごつきは、いまだにつづいておってな。お主のすすめてくれた箱根関所へ同心を張りつかせる案な、いつあらわれるか見込みもつかない者を待つ---そのようなゆとりなど、ありそうもない。どうであろう、箱根関所の小田原藩の衆で、その2人組を捕らえることはできそうかな?」
「さあ。あっしは捕り方の経験はまったくありやせんので、なんとも、お返事いたしかねやすです」
「そうであろうな。では、関所へ、通達だけはしておこう」

「それから、銕三郎どの。三島宿の盗人宿の見張りでござるが、見張り人の費用は、これから先はでないとお考えおきくだされ。いま組は、ご府内の検察だけで手一杯、勝手(予算)のほうもぎりぎりでしてな」
太郎兵衛正直の前で、ぬけぬけと言ったものである。

(また、お役人の言いわけが始まった。番方(ばんかた 武官系)が役方(行政・事務方系)のような言いわけをするようになっては、世も末だわ)
銕三郎は、かしこまったふりをして話題を変えるしかなかった。

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