筆頭与力・脇屋清吉(きよよし)(2)
「女将どのからご老中のお耳に入ることもありますまい---」
火盗改メ・菅沼組の筆頭与力の脇屋清吉(きよよし 47歳)が里貴(りき 31歳)の顔に視線をはしらせながら、
「手ばやく申せば、長谷川さまのお知恵をお借りいたしたいのですよ」
里貴は、微笑みは絶やさないが双眸(りょうめ)をかがやかせ、平蔵(へいぞう 30歳)を瞶(みつめ)る。
(馬鹿だな。脇屋どのに発覚(パレ)るではないか)
「白石どのはご健在でしょうか?」
「白石? 書役(しょやく)同心・時次郎(ときじろう)がことでしょうか?」
「時次郎どのとはおっしゃらなかったような---」
「隠居した友次郎ですと、昨年、亡くなりましたが、何か?」
【参照】2009年2月9日[〔高畑(たかばたけ)〕の勘助] (7)
6年前に、友次郎の控え帳に記されていた盗人(つとめにん)のことを、脇屋与力に告げた。
「いや、別人の公算のほうが大きいとは思います」
その理由として、〔傘山(かさやま)〕の弥兵衛(やへえ)が生存しているという噂がないことをあげると、里貴のほうがおどろきの嘆声を発した。
「銕(てつ)さ---長谷川さまは、盗人の世界にも密偵を入れていらっしゃいますのですか?」
「密偵? そんなものは使ってはおりませぬ」
「でも---」
「〔耳より〕の紋次(もんじ 32歳)という読みうりの集め屋と見知りの仲なのですよ」
本石町(ほんこくちょう)の刻(とき)の鐘が、暮れ六ッ(午後6時)を打った。
それを待っていたように、脇屋与力が、まだ、役宅に所要が残っているからと、立った。
見送りから戻ってきた里貴が、
「お品代をいただきました」
1分(4万円)つつまれていた。
「無理させたな」
「無理なものですか。お召しものだって、高価なものでしたよ。それに、今夕のは、銕さまのお知恵l料でしょ」
言ってから、里貴は舌をちろりとだした。
そういういたずらっ子らしい蓮っぱな仕草が、武家育ちでないことを洩らしているし、31歳という年齢を隠していた。
火盗改メの与力には、役料20人扶持が給される。
1人扶持は1日玄米5合である。
20人扶持だと1斗。
搗きべりを2割とみても、8升。
1升100文として、800文。
5日で1両(16万円)。
悪くはない。
帯のあいだから鍵を抜きとり、
「先にお帰りになって、いてください。なにか、酒の肴をつくらせます」
鍵を平蔵の懐に押しこんだついでに、乳首をつまんでから、板場へいいつけるために出ていった。
後ろ姿の腰のゆれが、喜びをいっぱいに語っていた。
★ ★ ★
いつものように『週刊 池波正太郎の世界 21 鬼平犯科帳六』(朝日新聞出版)が送られてきた。
この号で面白かったのは巻末の聞き書き[わたしと池波作品]で、同心筆頭・酒井祐助を演じている勝野 洋さんの裏話。[「死ぬ覚悟」を持った酒井を本気で演じています]というタイトルどうり、撮影にはいると、殺陣のシーンを撮ってほしいと頼んでいると。
さらに愉快なのは、まだ、原作は一次も読んでいないと。察するに、台本どおり、画面にあらわれたとおりの酒井祐介を演じているということであろう。
それも一つの役者魂とおもった。
もっとも、原作から自分の役のイメージをつくるのも、また、役者魂ともおもうが。
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