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2009.01.14

銕三郎、三たびの駿府(7)

「ほかに、なにか?」
河原頼母(たのも 53歳)筆頭与力が、あとは矢野弥四郎(やしろう 35歳)同心へまかしたいらしく、熱意のない口調で訊いた。
駿府町奉行所の用部屋である。

江戸から出役(しゅつやく)してきている、火盗改メ・本役の長山組(先手・鉄砲(つつ)の4番手)の与力・佐山惣右衛門(そうえもん 36歳)が、有田祐介(ゆうすけ 29歳)の顔をうかがい、つづいて銕三郎(てつさぶろう 24歳)の目をとらえた。

「いま、有田さまがお手になさっている取調べ留書帳の写しをおつくりいただけましょうや。江戸ほ立ち帰りますときには、お戻しいたします」
銕三郎の言葉を引き取った有田同心が、
「いや。われわれの出張(でば)り記録帳に添付しなければならぬため、返戻はできませぬな。さよう、おこころえおきいただきたい」

席を詮議部屋へ移し、腰掛(こしかけ)所で待たされていた〔五条屋〕の店主・儀兵衛(ぎへえ 45歳)と番頭・吉蔵(よしぞう 58歳)が呼びこまれた。
儀兵衛は、胃でも患っているのか、痩せぎすで冴えない顔色をしていた。
反対に、吉蔵はでっぷりと肥えて二重あごであった。

「承知のとおり、お3方は、江戸の火盗改メのお役人衆である。お尋ねには、つつみかくさずお応えするように」
矢野同心が、紋切り口調で言う。
2人は、平伏して承知した。

まず、有田同心が訊く。
「留書帳に、賊は、九ッ(午後12時)に侵入してきたとあるが、店内の火の見廻りは、なんどきの決まりになっておるかな?」
江戸ではたいていの大店(おおだな)は、就寝前の小僧たちが〔火の用心〕といいなから、戸締りや勝手口とか部屋の灯の安全を確かめてまわる。
「さしてひろくもない店でございますから、屋内の〔火の用心}まわりは、やっておりませぬ」
儀兵衛の答えを、すばやく吉蔵がおぎなった。
「店の者たちは、八ッ(午後10時)には寝床に入るようにしつけてございます」

「ということは、九ッは寝入りばなということか?」
「さようでございます」
吉蔵が答えた。

「手代や小僧たちは2階に寝ていたと記されているが、番頭どのの寝所は?」
銕三郎が訊く。
「帳場の奥の三畳の間でございます」
「竈(かまど)の勝手口からいちばん遠いということですか?」
「さようでございます」
「女中たちは?」
「竈のある板の間の次ぎの部屋でございます」
「女中たちが賊に襲われている音がきこえませなんだか?」
「齢とともに、耳も遠くなっておりますのと、寝酒のせいで---申しわけございません」
「いや、そうでしたろう」

銕三郎は、質問を変えた。
「京扇は、番頭どのが---?」
答えたのは、儀兵衛であった。
「それは、手前の代になりましてから、新たに加えましてございます」
「何年前からですか?」
「先代が歿しました、5年前からでございます」
「利幅が大きい?」
「いえ。小間物の仕入れ先の〔小間物屋〕久兵衛さんからすすめられましたもので---」

「その問屋は?」
「先々代から---」
「いや、店の場所を訊いております」
「麩屋町蛸蛸薬師通下ルにございます」
「どのあたりですか?」
「三条大橋と四条大橋のあいだで、鴨川の西岸から3丁ばかり西へはいります」

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(赤○=『小間物屋〕久兵衛 『京都買物独案内』)

「それなのにも屋号が〔五条屋〕というのは?」
「恐れいります。判官さんと弁慶で有名な橋ゆえ、お客さまに仕入れ先を京都とおもっていただくには、四条屋よりも〔五条屋〕と、先々代がかんがえたようでございます」
「〔小間物屋〕久兵衛方から荒神口は?」
「荒神口は、三条大橋よりもさらに北で、仙洞御所の近くと伺っておりますが、行ったことはございません」

「そうそう、ご当主に扇をすすめられた理由(わけ)は?」
「〔小間物屋〕さんのお嬢が、扇子問屋〔近江屋〕佐兵衛さんへ嫁入りなさり、そのご縁ですすめられたのでございます」

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(赤〇=扇子問屋〔近江屋〕佐兵衛 『京都買物独案内』)

「すると、店の改造費を、〔近江屋〕がいくらか持った?」
「お見通しのとおりで---半分、持っていただきました」
「そのときに、改造を請け負った大工の棟梁は?」
「これは、ずっと、うちに出入りしております〔大善〕さんでございます」

銕三郎が、矢野同心にだけ見えるように横を向いて目くばせした。
すぐに向きなおって、
「仕入れもご当主どのが自ら?」
「はい。当初は、見習いがてら、番頭・吉蔵さんといっしょにのぼっておりましたが、番頭さんも60歳に近くなりましたので、ここ3年は、手前ひとりで上っております」

「上り下りは、もちろん、東海道ですね?」
「はい」
「京都の宿は?」
「東海道につながっております三条大橋をわたったところの、〔いけだ屋〕惣兵衛方にきめております」

ちゅうすけ注】三条大橋の江戸より、白川にかかる橋を西へ入ったところにあるのが『鬼平犯科帳』文庫巻3[艶婦の毒]で鬼平が逗留した、父・宣雄ゆかりの旅籠〔津国屋〕。

「東海道の旅籠で、50から55歳くらいで、黒い顔色でやや小柄、言葉にかすかに京なまりがあり、画帳をもった男から、親しく話しかけられたことはありませぬか? もしかしたら、痩せぎすの30前後のおんなといっしょだったかも。いや、おんなは赤子づれだったかな」
「はて?」
「いま、ここで思いださなくても、2,3日考えておもいだしたら、どこの宿場であったか、あるいは道中の茶店であったか、教えていただきたい」
銕三郎の、役人の口調とはとてもおもえない、やわらかな問いかけに、儀兵衛吉蔵も、すっかりこころをひらいていた。


参照】2009年1月8日~[銕三郎、三たびの駿府]()  () () () () () () () (10) (11) (12) (13


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