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2009.01.19

銕三郎、三たびの駿府(12)

「こちらは、竹中功一朗(こういちろう 22歳)同心見習いです」
矢野弥四郎(やしろう 29歳)同心が紹介した。
駿府町奉行所には与力が6人、同心は40人いるが、清水港の船手組や水主(かこ)などの管理も兼ねているので、手一杯で、臨時仕事ともいえる盗賊探索には、なかなか手がさけない。
銕三郎(てつさぶろう 24歳)の要請に、やっと、見習いを用立てたといったところであるらしい。
見習いのほとんどは、親が同心勤めをしている家の子がおおく、無給に近い。

ところは、伝馬町の西のはずれの旅籠〔柚木(ゆのき)屋〕で、規模はきのうまでの本陣〔小倉〕からみれば格段に落ちる。畳もけばだっているし、へりの当て布もところどころ光っている。
しかし、銕三郎の指定であった。

お互いのあいさつのやりとりが終わると、銕三郎がまず、〔五条屋〕の板戸の落とし桟が破られた件について説明した。

落とし桟の仕組みと位置を、あらかじめ下見した者がいる。
〔五条屋〕の勝手口の板戸の落とし桟は、ふつうと違い、下方にしかけられており、桟は板戸がすべる敷居に落ちる仕掛けになっているから、下見をしないでは、それがわからない。
賊は、落とし桟をあける部位だけを正確に切りあけているのだから、内通者がいたとは断じがたい。
下見をした者といえば、押し入りの3日前に肥(こ)え汲みがきている。
いつもの百姓家の者が風邪で寝込んでいるので代わりにきたといって、謝礼の大根を竃の横へ運んだという。
そのときに内側から戸締りの落とし桟の仕組みと位置をたしかめ、出るときにその部位をしめす印を、板戸の表側に木炭かなにかつけたらしい。
「そのことは、板戸を修理した出入りの大善の留吉(とめきち 21歳)が証言しています」

矢野同心は、いまさらのように銕三郎の探索の手ぎわのよさにおどろいている。
銕三郎の推理に初めて接した竹中見習いは、興奮をかくさない。

「肥え汲みは、手ぬぐいで頬かむりをしており、台所方のおんな衆も、50すぎの、色の黒い、魅力の薄い男だったということしか覚えておりませぬ。それはそうでしょう。肥え汲みなどに興味を持つ町のおんななど、いるはずがありませぬ」
佐野竹中も、もっとも---と合点した。

「しかし、その男が〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 50歳すぎ)当人となると、話は別です」
改めて、2人がすわり直し、冷えてしまっている猪口の酒をながしこんだ。

銕三郎は、説明をつづけた。
一味の頭(かしら)ともいえる助太郎自身が肥え汲みに化けて板戸のからくりを調べたということは、一味の人手が少なかったとみる。
もちろん、助太郎は、自分の目と勘にたよりがちな頭ではある。
襲った賊は8人ほどか。
表には見張りが2人。

〔五条屋〕が奪われた金子(きんす)は600両なにがし---ここでも銕三郎は、〔五条屋〕が金額をふくらませたことは打ちあけない。

分け前を一人50両ずつくばると、頭の手に残るのは100両になってしまう。これでは、次の盗(つと)めの支度金にもならない。
そこで、こう考えてみた。
荒神〕の助太郎の手のものは、2人ぐらいかと。

1人は、6年前に小田原で見かけた、小頭格の彦次(ひこじ 31,2歳)であったろう。

参照】2007年12月28日[与詩(よし)を迎えに] (
ちゅうすけのつぶやき】もう1人の助太郎の子飼いの配下は、『鬼平犯科帳』巻22[炎の色]に登場する〔袖巻(そでまき)〕の半七(はんしち)か、〔夜鴉(よがらす)〕の仙之助(せんのすけ)だったかもしれない。まあ、〔五条屋〕のおなご衆が犯されていなかったところをみると、〔夜鴉〕の一味入りはこのずっとあとかも。
いずれにしても、2人の年齢が書かれていないので、判断不能でせある。

あとは、流れづとめを7人。
流れづとめなら、分け前が30両でも、拘束されるのが押し入り前後の10日ばかりだから、文句は出まい。
次ぎの一味を手伝いに行って、また10日で2,30両が手に入る。
もちろん、それには、仕事を紹介してくれる口合人(くちあいにん)への謝礼が2両は入り用であろう。

口合人は、助太郎からも、助っ人1人につき3両はとっていよう。
両方からの分を合わせると1人5両の7人だから35両(1両はいまの金に換算して、すくなくとも15万円に相当する)。

その口合人だが、掛川の件と〔五条屋〕の件をあわせて考察してみると、清水か焼津(やいづ)にいるようにおもえてしかかたがない。
つまり、この口合人は、船で盗(つと)め人くばりをしているようだ。
「これは、いそぐことはない。矢野さまと竹中さまがじっくりと探索なさればいいでしょう」

さて、〔荒神〕一味ですが、〔五条屋〕での600両のうち、33両の7人分の231両は、ながれづとめ人と口合人に消えた。
残りの369両のうち、一味の2人に40両ずつとして80両。
というのは、〔荒神〕一味の仕事は、年に1件と控えめだから、一味の者は、40両で1年暮さなけならない。

助太郎は、残った280両を、次ぎの仕込みにあてるのだが---」
ここまで言って、銕三郎は口をつぐんだ、
280両と計算をしてみせたが、じつは200両は偽りの金額である。
助太郎の手元に残っているのは、80両にすぎない。
これで、1年、持ちこたえられるか?
助太郎は、一仕事終えるごとに、賀茂(かも 30歳すぎ)と2歳ほどの子を連れて居を移している。その費(つい)えも馬鹿にならないはずだ。


参照】2009年1月8日~[銕三郎、三たびの駿府]()  () () () () () () () () (10) (11) (13

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