カテゴリー「159〔耳より〕の紋次」の記事

2008.04.27

〔耳より〕の紋次(その2)

(てつ)や。この[読みうり]の、盗(と)られた金高が40両というのは、どういうことだ?」
一番町の本家の大伯父---というより、この場合は、火盗改メ方のお頭(かしら)・長谷川太郎兵衛正直(まさなお 57歳 1450石余)というほうが適切であろう、そのお頭が、笑いながら訊いた。
そばに控えている次席与力・高遠(たかとう)弥大夫(やたゆう 41歳)も笑いをこらえている。

きのう、銕三郎が両国・広小路の橋番小屋で、〔耳より〕の紋次に話したことが、もう[読みうり]に刷られて売られていたのである。
先手・弓の7番手の、用向きででかけていた小者が、九段坂上で1枚せしめてきて、当番与力に届けた。
小者は、袖口に火盗改メの長谷川家を示す文様を染めた法被(はっぴ)を着ているから、[読みうり]売り人は、心得ていて、代金をとらない。

記事の見出しは、
「竪川(たてかわ)北道は、盗賊どもがまた来た道に。
料亭の美人女中たちの悲鳴に、ついうっとりして---

先月晦日(みそか)深夜に緑2丁目の高級料亭〔古都舞喜(ことぶき)楼〕をおそい、集金してきたばかりの400両近い大金をごっそり奪った灰色強盗の一味は、女将・おさんをはじめ、美人の女中ばかりがそろっていたのに味をしめたらしく、昨日の夜、またも襲った。
集金日ではなかったから、獲物は40両たらずだったが、胸や腰にさらわられることに慣れてはいる美人女中たちだが、相手は盗賊でいつもと違って手荒だから、おもいっきりあげた阿鼻叫喚の悲鳴。それをたっぷり愉しみながら縛りあげ、さるぐつわをかけているうちに、首領(しゅりょう)とおぼしい〔舟形(ふながた)〕という名の小男が、不覚にも常づかいの紅花(べにはな)染めの手ぬぐいを使ってしまった。
舟形は、羽前の高峰・舟形山の水を集めて流れる最上川(もがみかわ)に沿った小村落で、ほとんどの家は上方へ送る紅花を栽培して暮らしているから、この盗賊たちもこのあたりの産の一味とおもわれる。山家育ちの男どものこと、江戸の水でみがきたてられた美人女中たちの素肌が触られなかったのがせめてもの幸い。
手がかりはこの紅花染めの手ぬぐいだけだが、盗賊たちの出生地が割れたからには、火盗改メによる逮捕も近いとおもわれる。(紋次記)
  弁天の 五丁ひがしに 金(かね)ヶ渕  
                   抜佐久(ぬけさく)

記事のほうは解説を要しないほど簡潔に記されている。
川柳もどきの弁天は、一ッ目之橋の南詰にあった、弁天前・八郎兵衛屋舗の5軒の、金猫銀猫といわれていたた私娼屋を指している。

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(本所・一ッ目の弁天 『風俗画報』明治41年10月20日刊)

世をしのぶ商売なので、猫(私娼)を呼ぶのにも手をたたくのをはばかって禁じており、畳を拳(こぶし)でとんとんと叩いたという。
 弁天の 客は拳に 畳だこ
 金の猫 一時(とき)1分 目が変わり
揚げ代は一ト切りが一分(4分の1両)であった。

7丁ひがし」には、〔古都舞喜(ことぶき)郎〕があった。

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(赤○=一ッ目弁天社 緑○=古都舞喜楼 近江屋板)

「金ヶ渕」とは、〔古都舞喜楼〕の飲食代などが、金猫銀猫より料金が高かったことを皮肉ったつもりらしい。
ほんものの鐘ヶ渕(かねがふち)は、『剣客商売』の秋山小兵衛とおはるの棲家のあったところだが、一ッ目弁天から北へほぼ30丁(約3km)。

「お頭に、申しあげます」
銕三郎がまじめな声で言うと、
「悪ふざけもほどほどにせい」
太郎兵衛がたしなめたので、遠山与力は、たまらずふきだしてしまった。

「きのう、その「読みうり」の紋次(もんじ 22歳)という男にあいました。[読みうり]屋というので、2つばかり餌針を仕掛けておきました」
「それが、40両と紅花染めの手ぬぐいだな?」
「さようです。40両じゃあないって申してでるものはいないでしょうが、呑み屋あたりでじつは120両だったという者があらわれれば、たぐれます。また、紅花染めは、〔舟形(ふながた)〕の宗平が、そんなはずはないのだがと疑心暗鬼にやなるかとおもいまして---」
「そう、うまく、素人の仕掛けた餌針に食いつくかな?」
「もともと、です」
銕三郎はけろりとしたものだ。

(今回は、食いついてこなくてもいい。紋次のお手なみが知れただけでいいのだ)

ちゅうすけ注】長谷川平蔵宣以(のぶため)---すなわち、鬼平だが---史実の平蔵宣以を調べてみると、いくつかの特徴的な資質というか、幕府の番方(ばんかた 武官系)とはおもえない異才が目立つ。
その一つは、コスト意識である。これと経済意識については、稿をあらためて詳しく述べる。
もう一つが、いま風の用語でいうとパブリシティ---当時の言葉ではお披露目(ひろめ)であろうか。要するに、宣伝上手であったこと。

たとえば、「おれは拷問なんかしない。拷問しなくても、すらすらと白状してくれる」と高言したと、史料にある。
訊問上手であるが、それは父・宣雄から教わったと言っているのだが、ぼくが感心しているのは、そのことを盗賊世界にひろめた手腕のほうである。
どういうルートを使ったのか、一つや二つではないとおもうが、この「拷問」をしないということがひろまった結果、「おなじに捕まるなら、下手に町奉行所などで拷問されるよりも、拷問をしないといっている長谷川平蔵さまのところへ自首したほうがいい」といって、多くの小盗賊が自身から名乗りでたということが記録されている。

これは、コスト意識にもつながることで、捜査コストの低減をもたらすのだが、このことは改めてと---さっき書いたばかりである。

お披露目ルートの一つが、〔耳より〕の紋次であったろう、と考察しているのだが---。

話を戻して---。

太郎兵衛正直が指示した。
よ。本所の四ッ目に〔盗人(ぬすっと)酒屋〕などという看板をだしておる不埒(ふらち)な店があるそうな。探ってみてくれないか。少ないが、軍資金だ」
紙包には3両はいっていた。

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2008.04.26

〔耳より〕の紋次

「あっしは、紋次(もんじ 22歳)って者(もん)です。ちょっと、お話を聞かせていただきたくて---」
声をかけてきた鋭い目つきの、若い男が言った。

紋次どのとやら、先刻からずっと、拙たちの後をつけていたね?」
にやりと笑った銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が、一歩、切りこむ。
「露見(ばれ)ておりやしたか。そいつはどうも。決して怪しい者(もん)ではございません」
紋次も、けろっとして、
「[読みうり]のネタ探しを身すぎにしておりやすんで、世間では、〔耳より〕の紋次と呼んでくれておりやす」

「その〔耳より〕の紋次どのが、何用で---?」
「ここではなんですから、そこの橋番所までご足労いただけやせんでしょうか?」
「ほかに聞かれたら困ることかな?」
「お武家さま。ほら、もう、このように、この茶店のお客衆が聞き耳をたてておられます」
「拙たちは、一向にかまわぬが---」
「お(ふく)さんがおかまいになるんでは---?」

は、緑町2丁目の料亭〔古都舞喜(ことぶき)楼〕の女将(おかみ)で、2度も盗賊に襲われている。
(やはり、そうか。緑町から尾行していたが、昨夜の盗賊のことであったか)

「この〔読みうり〕を刷ったのも、紋次どのの一味か?」
「一味---だなんて、人聞きの悪い。版元とか、刷り師とか、ネタ集め人とか、売り手とか、それぞれ分かれてやってますんで---」
「それは、悪かった。紋次どのは、ネタ集め人か?」
「へい。さ、お話は、橋番所で---」

(ここで、紋次をむげにあしらっては、何を書かれるかわかったものではない。それに、ここで逆らって、客たちに顔を覚えられるのも不都合だ)
銕三郎は、不満顔の〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)をうながして、先に立った。

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(緑○=両国橋・橋番所 池波さん愛用の近江屋板切絵図)

両国橋の橋番所は、広小路側---橋の西詰にある。

「さて。何が訊きたい? 〔耳より〕の---」
「お武家さんは、火盗改メ方のお役人さまで---?」
「違う」
「でも、〔古都舞喜楼〕では、火盗の与力と親しげに話していやしたではないですか?」
「覗いていたのか?」
「いえ。声だけで---。耳がいいんで〔耳より〕の紋次なんでさあ」
「それで?」
「盗人は、やっぱり、〔初鹿野(はじかの)〕の音松(おとまつ)一味でしたか?」
「違う」
「それじゃあ。なんていう盗賊なんで?」
「火盗改メが、それを取り調べておる」

「二度もおんなじ盗賊が---」
「待った。同じ盗賊と、誰が決めた?」
「違いますんで?」
「取り調べておる---と言ったはずだ」
「盗まれた金高は?」
「それも、いま、取り調べておる」
「120両じゃあ、ねえんですかい?」
「それは女将の言い分だ。盗まれた側は、多めに言いがちなものなのだ」

紋次の、いかにも抜け目のなさそうな顔つきを見ているうちに、銕三郎は、ガセ・ネタの効用をおもいついた。
事実をすこし曲げて[読みうり]に書かせた場合、盗賊たちがどう反応するかを見てみるのも一興だろうと。

「まあ、拙の感じでは、3分の1の、40両そこそこではないのかな」

(これが[読みうり]でばらまかれると、盗賊だけでなく、お、〔加納屋〕善兵衛、〔舟形(ふながた)〕の宗平がどうでてくるだろう?)

「盗賊だがな、だいたいの推量はついておる。一味の首領格は、羽前生まれの男だ」
「どうして、そうと分かりましたんで---」
「これは、火盗改メの秘密だから、だれが話したかは、書かれると困るのだが、その首領格が、うっかり、紅花染めの手ぬぐい落としていったのを、火盗改メ方がひろった」

(これで、このことを火盗改メの大林同心に告げたおの身の安全が保てるし、〔舟形〕の宗平を疑心暗鬼にさせられる)

「盗(と)られたなあ、金だけでやすか?」
「ほかに、なにがある?」
「女の躰とか---」
「馬鹿ッ! そうおもうお前は、首領格に命を狙われるぞ。あ奴らにだって誇りはある」

「取り消します。ところで、お役人さまのお名前を。お初にお目にかかりましたので---」
紋次の請求に、銕三郎は咄嗟に判断した
「言うわけにはいかぬ」と応えかけ、
(いや、のちのちも付きあうやも知れぬ---)
考えなおし、懐紙に、[初瀬川]と書いてわたした。
礼をいって受け取った紋次は、幸い、黙読しただけで、口にだして読まなかった。
かなり、文章に馴れている。

初瀬川]を、紋次は、こちらのおもわくどおりに、
はつせがわ
とおもったらしいが、じつは、
はせがわ
と読む。
銕三郎の祖先が大和の初瀬川沿いの集落の土豪であったころの呼称だから、ウソではない。のちに、地元の[長谷寺]に倣って[長谷川]に変えた。

紋次どの。姓は渡したが、今回は、記事には書かないと約束してくれ」
「なして、です---?」
「事件のことを漏らしたことが上に知れると、職が危ない。失ったら、〔耳より〕の紋次どの、わが一家の面倒を見てくれるか?」
「とんでもございません。分かりやした。男と男の約束、守りやしょう」

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