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2008.04.26

〔耳より〕の紋次

「あっしは、紋次(もんじ 22歳)って者(もん)です。ちょっと、お話を聞かせていただきたくて---」
声をかけてきた鋭い目つきの、若い男が言った。

紋次どのとやら、先刻からずっと、拙たちの後をつけていたね?」
にやりと笑った銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が、一歩、切りこむ。
「露見(ばれ)ておりやしたか。そいつはどうも。決して怪しい者(もん)ではございません」
紋次も、けろっとして、
「[読みうり]のネタ探しを身すぎにしておりやすんで、世間では、〔耳より〕の紋次と呼んでくれておりやす」

「その〔耳より〕の紋次どのが、何用で---?」
「ここではなんですから、そこの橋番所までご足労いただけやせんでしょうか?」
「ほかに聞かれたら困ることかな?」
「お武家さま。ほら、もう、このように、この茶店のお客衆が聞き耳をたてておられます」
「拙たちは、一向にかまわぬが---」
「お(ふく)さんがおかまいになるんでは---?」

は、緑町2丁目の料亭〔古都舞喜(ことぶき)楼〕の女将(おかみ)で、2度も盗賊に襲われている。
(やはり、そうか。緑町から尾行していたが、昨夜の盗賊のことであったか)

「この〔読みうり〕を刷ったのも、紋次どのの一味か?」
「一味---だなんて、人聞きの悪い。版元とか、刷り師とか、ネタ集め人とか、売り手とか、それぞれ分かれてやってますんで---」
「それは、悪かった。紋次どのは、ネタ集め人か?」
「へい。さ、お話は、橋番所で---」

(ここで、紋次をむげにあしらっては、何を書かれるかわかったものではない。それに、ここで逆らって、客たちに顔を覚えられるのも不都合だ)
銕三郎は、不満顔の〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)をうながして、先に立った。

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(緑○=両国橋・橋番所 池波さん愛用の近江屋板切絵図)

両国橋の橋番所は、広小路側---橋の西詰にある。

「さて。何が訊きたい? 〔耳より〕の---」
「お武家さんは、火盗改メ方のお役人さまで---?」
「違う」
「でも、〔古都舞喜楼〕では、火盗の与力と親しげに話していやしたではないですか?」
「覗いていたのか?」
「いえ。声だけで---。耳がいいんで〔耳より〕の紋次なんでさあ」
「それで?」
「盗人は、やっぱり、〔初鹿野(はじかの)〕の音松(おとまつ)一味でしたか?」
「違う」
「それじゃあ。なんていう盗賊なんで?」
「火盗改メが、それを取り調べておる」

「二度もおんなじ盗賊が---」
「待った。同じ盗賊と、誰が決めた?」
「違いますんで?」
「取り調べておる---と言ったはずだ」
「盗まれた金高は?」
「それも、いま、取り調べておる」
「120両じゃあ、ねえんですかい?」
「それは女将の言い分だ。盗まれた側は、多めに言いがちなものなのだ」

紋次の、いかにも抜け目のなさそうな顔つきを見ているうちに、銕三郎は、ガセ・ネタの効用をおもいついた。
事実をすこし曲げて[読みうり]に書かせた場合、盗賊たちがどう反応するかを見てみるのも一興だろうと。

「まあ、拙の感じでは、3分の1の、40両そこそこではないのかな」

(これが[読みうり]でばらまかれると、盗賊だけでなく、お、〔加納屋〕善兵衛、〔舟形(ふながた)〕の宗平がどうでてくるだろう?)

「盗賊だがな、だいたいの推量はついておる。一味の首領格は、羽前生まれの男だ」
「どうして、そうと分かりましたんで---」
「これは、火盗改メの秘密だから、だれが話したかは、書かれると困るのだが、その首領格が、うっかり、紅花染めの手ぬぐい落としていったのを、火盗改メ方がひろった」

(これで、このことを火盗改メの大林同心に告げたおの身の安全が保てるし、〔舟形〕の宗平を疑心暗鬼にさせられる)

「盗(と)られたなあ、金だけでやすか?」
「ほかに、なにがある?」
「女の躰とか---」
「馬鹿ッ! そうおもうお前は、首領格に命を狙われるぞ。あ奴らにだって誇りはある」

「取り消します。ところで、お役人さまのお名前を。お初にお目にかかりましたので---」
紋次の請求に、銕三郎は咄嗟に判断した
「言うわけにはいかぬ」と応えかけ、
(いや、のちのちも付きあうやも知れぬ---)
考えなおし、懐紙に、[初瀬川]と書いてわたした。
礼をいって受け取った紋次は、幸い、黙読しただけで、口にだして読まなかった。
かなり、文章に馴れている。

初瀬川]を、紋次は、こちらのおもわくどおりに、
はつせがわ
とおもったらしいが、じつは、
はせがわ
と読む。
銕三郎の祖先が大和の初瀬川沿いの集落の土豪であったころの呼称だから、ウソではない。のちに、地元の[長谷寺]に倣って[長谷川]に変えた。

紋次どの。姓は渡したが、今回は、記事には書かないと約束してくれ」
「なして、です---?」
「事件のことを漏らしたことが上に知れると、職が危ない。失ったら、〔耳より〕の紋次どの、わが一家の面倒を見てくれるか?」
「とんでもございません。分かりやした。男と男の約束、守りやしょう」

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