盟友との宴(うたげ)(5)
宴が果て、市ヶ谷・牛小屋跡の屋敷へもどる浅野大学長貞(ながさだ 40歳 500石)、本郷元町に帰る長野佐左衛門孝祖(たかのり 41歳 600俵)と、料亭〔美濃屋〕の前でわかれた平蔵(へいぞう 41歳)は、小石川門下にもやっている黒舟にいそいだ。
武家屋敷がつづいているので、一月中旬の六ッ半(午後7時)すぎの道は、ほとんど闇つづきであった。
(盟友といっても、なんだか、城仕えの延長のようにおもえてきはじめたのは、われの齢のせいであろうか)
暗い道が平蔵を感傷へ導いたのかもしれない。
(高杉道場の剣友で下総国・臼井へ帰ってしまった(岸井)左馬(さま 41歳)や上方へ剣の修行へ行ったきりの(井関)の録(ろく 37歳)とのような、男と男が裸でつきあう真友は、もう、できない齢なのであろう)
平蔵は、権力を狙った者たちの非情ぶりに、まだ気づいていなかった。
猿の群れの新しいボス猿は、前のボスによる子ざるたちを崖からつき落として殺し、母猿たちが母性愛と悲しみによって発情期を早め、新ボスの子を身みごもらせるといういうではないか。
小石川門の下では、行灯をともした舟に辰五郎(たつごろう 58歳)が待っていた。
「待たしたか?」
「とんでもねえ。〔黒船〕根の店のほうでよござんすね?」
「着くころには、亀久橋のほうへ帰っていよう」
「さいでやした」
深川冬木町裏寺の船宿〔黒船〕は、3年前、料理茶屋〔季四〕の隣りに〔箱根屋〕の権七(ごんしち 54歳)がお琴(きん 41歳)にやらせている店であった。
本店だから〔根の店〕と名づけ、黒船橋の支店は枝の店と呼んだところも、権七らしい工夫といえた。
【参照】20111225[別刷り『剛、もっと剛(つよ)く』] (3)
「お2人はん、お変わりおへんどした?」
平蔵の羽織と袴をたたみながら、奈々(なな 20歳)が問いかけた。
「もう2年近う、お顔をお見かけしてぇしまへん---」
べつに大や佐左が懐かしいのではなく、平蔵としゃべりあっているのが楽しいらしい。
躰を許した男といっしょにいると、わけもなく話しこみたくなる若いむすめ特有の興奮であった。
とはいえ、はや20歳になった奈々は、平蔵を受け入れてから足かけ3年、躰のすみずみまで熟してきていた。
閨では雛育ちの生(き)をのこしている奈々がいいとの平蔵の好みで、欲するするままに、応えてやってきた。
もっとも、1軒家に2人きりの夜という気がねのなさもあろうが。
平蔵に寝衣を着せかけ、
「一杯だけでよろしやろ?」
片口へ注ぎ、閨の行灯に灯を移した。
「日暮れどきに松造(よしぞう 36歳)はんが立ちよってくれはって、来月、目白会とやらの集まりを、いうことやったけど---」
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