銕三郎、初見仲間の数(2)
明和5年(1768)12月5日にまとめて初目見(めみえ)した幕臣の継嗣で、5の日の集いをやろうといって、300石(俵)以上で1000石未満の者は、これまでに判明した分を記すと、下表のように20名を超えた。
大河内勘解由忠栄(ただよし 25歳 750石)
杉浦十兵衛正悦(まさよし 32歳 700石)
三雲八五郎定察(さだあきら 18歳 650石)
長野勝次郎孝祖(たかのり 23歳 600石)
松平又太郎勝武(かつつぐ 20歳 500石)
佐久間修理孝由(たかよし 19歳 500石)
桑原主計盛倫(もりとも 23歳 500石)
浅野大学長貞(ながさだ 22歳 500石)
太田庄十郎美資(よしすけ 52歳 500石)
高木一学正膚(まさのぶ 29歳 500石)
一色靭負定之(さだゆき 27歳 500石)
北村銕次郎季春(きしゅん 26歳 500石)
三浦左膳義和(よしかず 17歳 500俵)
長谷川銕三郎宣以(のぶため 24歳 400石)
難波田権三郎憲道(のりみち 26歳 400石)
永田孫次郎正与(せいよ 20歳 400石)
田辺采女惟伝(これつぐ 20歳 400俵)
水野新八郎元貞(もとさだ 14歳 400俵)
遠山兵部直栗(なおふさ 23歳 300石)
諏訪織部正武(まさたけ 33歳 300俵)
長崎源之助元良(もとかた 26歳 300俵)
伊丹三十郎勝英(かつひで 20歳 300俵)
近藤半次郎政盈(まさみつ 21歳 300俵)
奥田吉五郎直道(なおみち 20歳 300俵)
江馬平左衛門季寛(すえひろ 33歳 300俵)
うち、52歳の太田美資が、あまりにも高齢すぎ、「駿馬の中に駄馬がまじったようでこころ苦しい」と、辞退を申し出た。
一応、口ぐちに引きとめたが、美資の決意は堅く、
「それでは、友朋ということにいたし、お気が向いたら、いつなりとご出席になり、人生の先達ということで、ご助言をたまわりたく---」
浅野長貞がとりなした。
22歳とはおもえない老練な収めように、銕三郎は、そのときから長貞に目をつけたのである。
(この男、ただものではないな)
父・平蔵宣雄(のぶお 52歳)にそのことを告げると、
「さすがに、長延(ながのぶ 27歳=明和5年)どののお仕込み」
「さすがと---とは?」
「小姓組でも、無欲の士というわさだった仁なのだ」
容姿はさわやかで、口跡は役者のように明らか、しかも教養が豊かなので、19歳で進物番に選ばれ、将来を嘱目されていたのに、その進物番を5年で固辞、27歳で家督をさっさと実弟・長貞へ譲った。
3番組の番頭・水谷(みずのや)出羽守(勝久 かつひさ 46歳 3500石)へ申し出た辞任の理由がふるっていたという。
「実弟・大学のほうが、それがしよりも才幹がすぐれております。大学をお召しになられたほうがお上のためによろしいかと---」
水谷勝久については、すでに幾度が紹介している。
旧・備中松山藩(5万石)の藩主の後裔だが、3代前に、世継ぎ問題で断絶させられた。
そのとき、城を受け取りにきたのが、赤穂藩の家老・大石内蔵助良雄(よしお)であった。
宣雄の実母は、その松山藩の改易で浪人した三原七郎兵衛のむすめであったことも、記している。
【参照】2006年11月8日[宣雄の実父・実母]
「浅野うじはもしかして、赤穂藩の浅野内匠頭(たくみのかみ)さまの一族?」
「そのとおり」
「では、水谷さまが小姓組の番頭にお就きになったので、意趣返しに---」
「まさか。そうではなく、番(武官系)を離れて、もっと書を読みたいために辞されたと聞いておる」
寝間で辰蔵(たつぞう)に乳をふくませていた久栄(ひさえ 18歳)に、浅野長貞のとりなしようを聞かせると、
「浅野さまのお話は、中村座だけでけっこうでございます。大学とおっしゃるからには、藩士のことにまでお考えがおよばなかった無分別なお方のおん弟ごの系統でございましょう? お家断絶で、家族も入れると千何百人の糧(かて)が失うなわれたのでございますよ。忠義は、何千もの涙の上になりたっているのものなのです」
切腹させられた47人の家族---妻子・父母のことを言っているのだ。
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コメント
昨日、図書館へ行ったとき、『寛政重修諸家譜』が目にとまったので、ちゅうすけさんが自由に読みこなしているのは、これかと、一冊開いて見て、びっくり仰天!
『鬼平犯科帳』のようにするする読めるとおもっていたのに、とんでもない、学生時代の教室へ逆もどりした感じでした。
これからは、ちゅうすけさんがお引きになっていたら、最敬礼して、拝読します(笑)。
投稿: kayo | 2009.05.14 05:40
>kayo さん
そうでしたか、『寛政譜』をお手にとってご覧になりましたか。
池波さんの常用の史料の一つ---ということは、池波ワールドへ一歩ふみこまれた---ということです。
ほかの常用史料しとては、『江戸名所図会』『江戸買物独案内』、そして、近江屋板切江図』でしょうか。
もう一歩すすむと、『徳川実紀』。これも大きい図書館は常備しているはずですから、おついてのまときにおのぞきになってみてください。
投稿: ちゅうすけ | 2009.05.14 11:54