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2009.05.12

銕三郎、初見仲間の数

突然だが、2年前に遡上(さかのぼ)る。
銕三郎(てつさぶろう 23歳=明和5年)のあることに、粗漏があった。
訂正かたがた、鬼平ファン、江戸びいきの朋友への、ご注意もかねたい。

銕三郎の2年前の幕臣人生上の出来ごとは、お上(家冶)への初お目見(めみえ)であろう。
それが、明和5年12月5日に行われたことは、すでに報告している。

参照】2008年12月1日~[銕三郎、初お目見(みえ)] (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

年月日の変更はない。
徳川実紀』にも、そう、書かれている。

粗漏というのは、じつは、その『実紀』にかかわりがある。
実紀』の当日の記述を図版で掲げる。

_360
(明和5年(1768)12月5日(旧暦)の初見の部分)

30人の初見者のうち、16人だけが記録されている。
のこりの14人捜しを『寛政重修諸家譜』でざっとやって、16人見つけた顛末は、上記の[銕三郎、初お目見(みえ)](7)に報じた。

このゴールデン・ウィークの連休に、暇をつくっては『寛政譜』を眺めていて、さらに20数人を発見した。

(7)の16人は、稟米200俵以下の家禄の者たちであったから軽視されたのか---と余計な類推をしてしまったが、G.W.に見つけたのは、軽輩どころか、1000石以上の大身の継嗣もいる。

横山勇之助近遠(ちかとう 18歳 4500石)
堀数馬親褒(ちかひろ 29歳 2000石)
永田大膳直行(なおゆき 30歳 1200石)
西尾藤次郎政億(まさおく 18歳 1100石)
大河内勘解由忠栄(ただよし 25歳 750石)
杉浦十兵衛正悦(まさよし 32歳 700石)
三雲八五郎定察(さだあきら 18歳 650石)
長野佐左衛門孝祖(たかのり 23歳 600石)
太田庄十郎美資(よしすけ 52歳 500石)
高木一学正膚(まさのぶ 29歳 500石)
一色靭負定之(XQ@8G 27歳 500石)
北村銕次郎季春(きしゅん 26歳 500石)
浅野大学長貞(ながさだ 22歳 500石)
永田孫次郎正与(せいよ 20歳 400石)
田辺采女惟伝(これつぐ 20歳 400俵)
水野新八郎元貞(もとさだ 14歳 400俵)
平野岩太郎勝彭(かつよし 25歳 400俵)
遠山兵部直栗(なおふさ 23歳 300石)
諏訪織部正武(まさたけ 33歳 300俵)
長崎源之助元良(もとかた 26歳 300俵)
伊丹三十郎勝英(かつひで 20歳 300俵)
小池主馬貞乗(さだのり 33歳 150俵)
平田万三郎勝伴(かつとも 32歳 150俵)

ちゅうすけ注】うち、小池貞乗の『寛政譜』は、明和5年11月5日と誤植されているので、あやうく見逃がすところであった。
この年、11月には初見はおこなわれていないから、『寛政譜』本の誤植と断定。
池波さんが所蔵のえび茶色表紙の古版も誤植しているのだろうか?

根をつめて捜せば、もっと見つかるとおもわれる。

それはともかく、12月5日の初見の人数が、こう増えては、上掲の(4)で、水谷(みずのや)出羽守勝久(かつひさ 46歳 小姓組番頭 3500石)の養子・兵庫勝政(かつまさ 25歳 酒井家の出)が提案したことにした、有志による〔師走の5の日会〕を再検討しなくてはなるまい。

いくら有志にかぎるとはいえ、上は4500石の横山近遠から、下は70俵3人扶持の堀弥七郎義高よしたか)を一つのグループとしてくくるには無理がある。

もちろん、稟米100俵とか150俵の下級の子弟とすれば、大身の子弟と同期の会員となって同席でき、そこで顔と才能をみとめられる幸運があれば、会費の1両や2両は無理しても都合するであろうが、あまりにも現実ばなれれしている。

そういう集(つど)いは、やはり家格にしたがって人選されるべきかとおもう。
1000石以上の組、300俵から900石までの組、299石以下の組といったところであろうか。

そう考えると、3500石の水谷兵庫勝政銕三郎に相談をもちかけるというのがおかしくなってきた。
あの件は取り消しということに。

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コメント

初お目見えの項、何度も読み返してみましたが、このちゅうすけさんの発見は大変な発見ですね。
鬼平ファンばかりでなく江戸小説を楽しむ人「徳川実記」を参考文献にしている人達にとっても果たして「実記」の中味を信じてよいものか???ですね。
あの細かい「寛政譜】を付け合せるとまだまだ相違が見つかりそうな・・・・
新しい事実が発見されて歴史が塗り替えられていくのは本当に楽しいものですね。
この大発見がこのブログの中だけでなく広く知れ渡るといいのですが。

投稿: みやこのお豊 | 2009.05.16 00:54

>みやこのお豊さん
自分でも、目を疑った発見でした。つい、活字を信用するクセがついていますからね。
学者は、その文章のもとになった資料は大丈夫かと、おっかなびっくりのはずです。
『実記』の初見に関する記述は大きく信用できない---となると、初見についてのこれまでの見解(学説)が根本からくずれますから。
ただ、史学員でもないぼくの発見だと、しぱ゛らくは歯牙にもかけないでしょう。

これが、星の発見だったら、あの学会は追認して認め、発見者の名を星につけるんですけどね。

投稿: ちゅうすけ | 2009.05.16 07:21

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